山科さんの 元亀二年十二月六日 禁裏御和漢、…大飲音曲…、 | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

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    ことしはきうてんさまのおんとし

 

 

五百年前の朝飡って

サロンなのね…(・o・)

 

元亀二年十二月六日

 

六日、

甲午、天晴、天一・・、

左金吾禁裏御和漢参内云々、今日當番代同参了、

冷泉侍従に各朝飡之罷向、萬里小路父子、予、庭田父子、

甘露寺、廣橋、亭主、薄等也、済々奔走也、中酒之後、

盃出吸物以下、及大飲音曲有之、令沈酔早帰宅了、

山科さん…めづらしくちんしてるよ~

質の悪い酒だったかなあ

だいぢょぶかなぁ~(´・ω・`)

 

※御和漢…連歌の一種、発句が連歌の一句、

脇句が漢詩の一句、

こんな高度な連歌会、左金吾ついてけてるんかなあ…

 

 

※冷泉侍従…

・甘露寺(もと下冷泉)の兄貴・冷泉為純(1530~1578)の子

→冷泉為勝(1557~1578)

1558年くらいから親子か三代かで

播磨の細川庄いちゃったらしいから、

あんまり京都にいないんじゃないかなあ…

 

・萬里小路さんが加冠、歌(上冷泉)つながり?

→冷泉家賢(四條隆昌)(1556~1613)

こやつなら元亀四年(1573年)に侍従、

元亀二年でもありえるか…

→冷泉為満(1559~1619)

 

とにかく、こないだ(十二月二日)元服したて(・ω・)

 

 

※萬里小路父子…

萬里小路惟房(1513~1573)

・萬里小路輔房(1542~1573)

この二人の没時期、二か月違いという噂やけど、

われらが山科さんの日記が無いから

なんか、ねぇ…(´・ω・`)

※庭田父子…

・庭田重保(1525~1595)…ごんの中納言

・庭田重通(1547~1598)…頭中将(蔵人頭と右近衛中将)?

甘露寺…甘露寺経元(1535~1585)、右大辨宰相

※廣橋…廣橋兼勝(1558~1623)

※亭主…冷泉さんちの誰か?

※薄…薄以繼(1548~1585)

※済々奔走也…

・済々(せいぜい)…たくさん、多いこと

・奔走…盛大にもてなす、馳走のこと

しかも大飲音曲に及んでいるので、

もんのすごい大宴会になったということ…でしょう

考えただけでちんすい…(+o+)朝飡の域こえとるよ…