COPDとは生きながら埋葬されるというイメージ | 北海道沖縄ニ地域居住生活

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自転車に乗る事が日々の糧のアラ還男性の備忘録
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病気の現状はあまり変わらず、病気の事も書くことがなくなってきました。といってブログの主旨は病気なので、関係のないことを主題にするわけにもいかず、一ヶ月に一度病院に行ったときや症状に変化があったときにその旨を書くくらいになりそうです。

それでも、このブログはこのまま残したいとは思っています。

COPDと逆流性食道炎を混同してしまった、誤診してしまった、症状が似ている、併発するケースが多いなど、参考になることが多々あると思うからです。

それと、医者は安易にCOPDと患者に言わないほうがいいと思います。
COPDの世間一般のイメージというのは、

徐々に息を奪われ、最後はもがき苦しみながら死ぬ、ある意味ガンより怖い病気

そしてこれは繊細な自分だけかも知れませんが、生きながら埋葬されるというイメージに近いとも感じています。

ですから安易に断定されると患者は打ちのめされて、精神的にかなりの負荷を背負います。
自分がそうであり、あの苦しかった3ヶ月くらいを思うと居たたまれない気持ちになります。

ところで、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの小説の中で、自分の知り限りでは『早すぎる埋葬』『アッシャー家の崩壊』『黒猫』の三編に、生きながら埋葬されるという怖い話が出てきます。

自分は中学生くらいのときに、こういった小説を読んで、恐怖に打ち震えた覚えがあるのです。

現在は著作権が切れていますので、青空文庫などで無料で読むことが出来ますが、名作揃いですので、興味がある方は読んでみることをお薦めします。

それにしても、生きたまま地中深く埋葬されてから目を覚まし、徐々に息を奪われるのと、生きたまま焼き場の釜の中で目を覚まし、その後焼かれるのとどっちが怖いでしょうかね?

ポーは精神病を患っていたらしいので、妄想の産物といえばそれまでですが、昔は欧州では土葬だったですし、当時の医学的水準から鑑みて死の判定も曖昧なものだったので、こういった今ではまずありえないことが度々実際にあったようなのですね。

墓を掘り起こしてみれば、生き返ったような形跡があった。それも棺をかきむしり、爪は全部はがれてみたいな。



$COPD肺気腫男子の日々是好日