一年を365日に分けて、年が替わっても「その日」ということに強く意味を見出すようなところがある。
誕生日や記念日もそうだし、忘れられない出来事が起こった日も。
自分の行動を顧みても、節目のような日にはやはりその時のこと、またそのものについて考えることが多い。
忘れないことは大事であるし、そうした特別な日に考えを巡らすことは、何もしないよりはいいだろう。
ただ、どんなに言葉を並べつくしても、やはり一つ一つの行動やその都度の結果が大事で、それはどんな小さなものでもいいから、継続的に続けていなければと思う。
自分に置き換えれば、変化のない時間や蓄積のないことが、そのままに時間が過ぎていくことが怖ろしくて仕方がない。
それにも関わらず変化が見えないときというのは、きっと見えてないものが多くあるからだろうし、何をやっていいかも明確でないからなのだろうが、だからといって放置していていい問題ではない。
余計なことが多いのも、惑わされるのも、本当の本当に見えていないものが多いからなのだろう。
少なくとも、目指す誰かがいて、誰でもいいけど思い浮かべたとして、その人は今の自分のような生活は送っていないのではないか。
いったいどこに行きたいのか。
行きたい場所があるなら、その差を埋めるために何をしていると名言できるか。
曖昧なものは曖昧にしか伝わらないのは芝居も人生も変わらない。
日々精進を。
その理想のために何ができるかを。