日本国が21世紀を生き残り、国民の平穏で人間らしい生活を確保するためには、尊厳ある独立国としての日本を作り維持する必要がある。その為にはこれまでの歴史を正しく再評価し、現在世界の政治環境や日本の位置を確認することが必須である。

今年も所謂終戦の日を迎えたが、その大戦の経緯についても国民はあまり知らないだろうし、学校教育でも全く教えられていない。そこで、ポツダム宣言受諾の経緯や原爆投下との関係などを調べてみることにした。以下はそのまとめである。



今回わかったこととしては、終戦時の米国大統領のトルーマンはそれほど残忍な人物ではなく、むしろ3発目の東京への原爆投下を避ける努力をした可能性が高いことである。その点では、大統領がF・ルーズベルトから交代したことは、日本には不幸中の幸だっただろう。

 

その一方、日本政府の指導者であった「最高戦争指導会議」のメンバー:鈴木貫太郎総理大臣、東郷外務大臣、阿南陸軍大臣、米内海軍大臣、梅津参謀総長(陸軍)と豊田軍令部総長(海軍)のうち、東郷外相以外、特に陸相と軍の最高幹部2名は、無責任にも停戦合意に反対し本土決戦を主張した。

 

また、毎日新聞の「笑止! 米英蔣共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」など、新聞全てが本土決戦を煽る記事を書いた。そして広島と長崎への原爆投下となった。

 

その事実を今一度日本国民は思い出すべきである。



1)米軍は1945年11月までに8発の原爆投下計画を持っていた

終戦時の米国大統領ハリーS・トルーマンは、F・ルーズベルト政権の第四期目の1945年1月20日に初めて副大統領になり、大統領の死亡後1945年4月12日に大統領に昇任した。従って、対日戦争の大部分について決定権を持たなかったし、日米戦争全体についての責任も大きくはないだろう。

日本への原爆投下計画は軍高官によって話し合われ、1945年10月中に8発までの投下が予定されていた。そして、トルーマンから軍に出された原爆投下の命令も、特に2発だけに限るという類の限定が付いていなかった。(補足1)

原爆は全く新しい原理に基づく爆弾であり、政治家も軍人もどのようなものか十分には理解していなかった。(補足2)トルーマンはこの新型兵器を準備出来次第投下するという命令を出したのだが、広島と長崎への投下とその結果を見て初めて、その絶大な軍事効果と残忍性を知っただろう。

常に戦いの場にいた軍は、原爆の圧倒的効果を知れば知る程、もっと多く且つ早く投下すべきであると考えた。また、同様に考えた米国連邦議員も多くいたようだ。

 

しかし、トルーマンは広島での原爆投下の成功に大喜びしたものの、長崎への投下以降、徐々に良心の呵責に苛まれていたようである。前回記事にいただいた在米の方のコメントあったトルーマンの言葉をここで再録させてもらう。

I know that Japan is a terribly cruel and uncivilized nation in warfare but I can't bring myself to believe that, because they are beasts, we should ourselves act in the same manner.

「日本が戦争においてはひどく残酷で野蛮な国であることは知っているが、彼らが野獣であるからといって、私たち自身も同じように行動すべきだとは到底信じられない。」(グーグル翻訳)

ウィキペディアのハリー・S・トルーマンの項を見ると、この言葉に似た文章が書かれており、その記述から考えて、これはトルーマンの友人で当時上院議員だったリチャード・ラッセルの「原爆をもっと落とすべきだ」に対する反論だと思われる。

居住地への原爆投下は、近代西欧の戦争の歴史の中で生まれた戦時国際法に違反するホロコーストであり、ナチス・ドイツがユダヤ人を対象に行ったのと同じタイプの非人道的な殺戮である。それもあって、原爆投下の命令を出したことに対してトルーマンは徐々に憂鬱になっていったと思われる。

 

本稿に書いたトルーマン像には不満を持つ人たちも多いだろう。実際、前回ブログの挿図として引用したトルーマンの言葉や、上に引用した文章にも日本人は野獣であるという表現がある上、以下のような人種差別主義者トルーマンの記事も存在する。

 

 

歴史的事実を見て、しかも今でも白人の中では黄色人種差別は、ある意味で自然な感情である(補足3)ことなども考慮して書いたのが本稿の文章である。この部分に強い嫌悪感を感じる方は下の付記をお読みいただきたい。

 

以下本筋から外れた付記:

黄色人種も黒人も白人も、生きていかねばならない。肌の色の違いから顔のつくりから、差別感情が生まれるのは自然である。それだからこそ、人類は経済的には交流し政治的には夫々が独立して、国家を運営するのは一つの知恵だと思うのである。人々に人種や性別などでの区別(や差別)を犯罪のように考えさせ、人々や国家の間に不満や怒りというエネルギーを蓄積させるのは、一部の国際グループ(グローバリスト、米国に於いてはネオコンやDSなどの背後に居る人たち)の戦略である。その巧妙な罠に掛かってはならない。



2)ポツダム宣言拒絶と東京への三発目の原爆投下の可能性

日本は無条件降伏したのかしなかったのかについては、今日でも議論される。一般に停戦の話し合いでは、双方が条件を出し合って合意点を探す形が多い。その意味では、7月26日に発表されたポツダム宣言には、日本側に条件を出す権限をほとんど認めなかったので、無条件降伏と言える。

 

ただ、停戦の話の中でその中心にあるのは国家の存続であり、日本では特に天皇制の維持である。ポツダム宣言をよく読めば、天皇の地位を保障するという条件を言外に滲ませる形になっている。(補足4)更に、日米の話し合いの中で出されたバーンズ回答が天皇制を前提とする回答であり、天皇制の維持についての日本側の希望を汲み取ることの確認とも取れる。

 

開戦時の駐日大使ジョセフ・グルー(当時国務次官)などのほか、トルーマン自身も天皇制を廃止するといった強引なことはやらない方針をもっていた。米側は、天皇制維持を停戦条件としても良いとさえ考えていたようだ。

ただ、無条件降伏はF・ルーズベルトの一貫した姿勢であり、ルーズベルトの死後大統領になったトルーマンは、副大統領の期間が3ヶ月と短く経歴的にも外交からは遠かったこともあり、大統領就任後早々にルーズベルトの無条件降伏路線を踏襲すると言明した。

 

日本側だが、序論にも書いたように当時実権を握っていた「最高戦争指導会議」のうち外相以外は、ポツダム宣言などは黙殺すべしという考えだった。

ポツダム宣言を無視または拒否することで、またマスコミも軍の姿勢を熱烈支持することで、多大の犠牲を強いられ戦争終結を望む国民の意思を無視した。ただ、その日本軍と政府の姿勢は、米側も織り込み済みであり、それが原爆投下の口実となった。
 

大日本帝国政府にとっては、日本人一般は統治の対象であって日本国形成の中心では無かった。


都市空襲や沖縄戦で40万人の死者を出しても、更に原爆で国民が無慈悲に20万人ほど殺されても、陸相、参謀総長、軍令部総長らは、8月10日の“御前会議”においても尚、ポツダム宣言に対して様々な条件を付けて回答することを主張した。

 

そんな中、東郷外相ただ一人だけは、天皇制維持のみを条件とするべきだとした。議論では結論が出せず(補足5)、結局天皇の”聖断”によって東郷案で返答することになった。

 

そして、“「天皇統治の大権を変更する」要求が含まれていないという了解の下に受諾する”という回答が、スウェーデンとスイスに向けて送信されるとともに、直接米国へも電信で送られた。

この回答が、米側でも議論された。1945年7月に国務長官になったジェームズ・F・バーンズは、日本側が条件をつけたことに怒り、既に言及した「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従属(subject to)する」というバーンズ回答となった。その電報を日本側は12日に受信した。

この「subject to」を軍部は隷属と読み、再照会を主張したが、その後、8月13日午前2時に駐スウェーデン公使岡本季正から、バーンズ回答は日本側の申し入れを受け入れたものであるという報告が到着し、8月14日の御前会議での天皇の決断となり、同日スイス公使から連合国側への受諾通知となった。

その結果、東京への原爆投下はなされなかった。この原爆投下を避けるためと8月8日のソ連の参戦の効果を抑えるために、日本側とのポツダム宣言受諾条件についての往復があったのだろう。それは、ジョセフ・グルーらの努力もあるが、最終的にはトルーマンの決断によるものだろう。

 

無条件降伏を渋る日本政府に対し明確な無条件降伏をさせるには、三発目の東京への原爆投下が非常に有効だった筈で、もしF・ルーズベルトが大統領を続けていたら、原爆を続けて投下していただろう。(ポツダム宣言自体もなかった可能性が大である。)

 

従って、以上の経緯は、トルーマンは軍部の原爆投下の継続要求を如何に退けるかに苦心した結果だと考えられる。実際、National Geographic誌の日本語版2020年8月9日の記事に以下のような内容の文章がある。

 


「1945年8月15日に日本が降伏するわずか数時間前、米国時間では14日、英国の外交官を前にトルーマン大統領は沈痛な面持ちで、第3の原爆投下を命令する以外に「選択肢はない」と漏らしていた。戦争があと数日続いていたら、第3、そして第4、第5の原爆投下の可能性は著しく高まっていた。


補足:

1)近代史研究家の林千勝氏が2023年8月のZAKZAKという雑誌に、差し当たり8発の原爆を日本人ホロコーストに使用するという計画が高官により立てられていたことについて、資料を明示して書いている。

8月13日 原爆投下実務の責任者であるジョン・ハル大将(戦後の琉球総督)と、ライル・シーマン大佐(グローブス将軍の補佐)との電話会議記録(ジョージ・C・マーシャル図書館保管)は以下の通り。

①(広島・長崎への)2発の原爆の効果は絶大だった。②8月19日に3発目投下可能。
③9月に4・5発目投下可、④10月に6~8発目投下可能。⑤

2)O. Hahnと F. Strassmannがウランとトリウムの核分裂を発見し完成した論文をドイツのNaturwissenschaftenに投稿したのが1938年12月22日、出版されたのは1939年1月6日であった。その後1939年1月中ごろ、Meitner とFrischは核分裂により大きなエネルギーが放出されることを記した論文が英国のNatureに投稿され、2月11日に出版された。その後ドイツと米国でそれを利用した核兵器の製造競争となった。日本も、理化学研究所の仁科芳雄博士らが中心になって開発競争に参加していた。国家プロジェクトであるマンハッタン計画が1942年9月にスタートし、作り上げられたプルトニ ウム型原爆の最初の実権は、1945年7月16日にニューメキシコ州の砂漠の中で行われ、完成したファットマンは24日後に長崎への投下された。基礎現象発見から爆弾投下まで6年8か月というきわめて短い時間であった。

 

3)私自身もカナダのバンクーバーに在住中、売店で買い物をしたときに店員が釣銭を直接手渡すのではなく、手のひらに落下させたことを鮮明に覚えている。そのほか、街中では差別を感じることが多かった。

 

4)ポツダム宣言12項の「連合国の占領軍は、これらの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和志向で責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するものとする」は、日本国民が天皇制を日本の当然の姿と考えている情況を考えれば、天皇制維持を間接的に表明したものであるとも考えられる。

 

5)何度会議をやっても口論だけでまともな議論にならないことや、沈黙を保つこと(つまり黙殺)も日本では戦術の一つとなることが日本の言語文化の特徴である。そのことは前回記事でのもう一つの主題だった。(前回記事参照)

 


 

グローバル化が進み相対的に地球が狭くなったこともあり、あちこちで民族間或いは国家間の不協和音が響くようになった。それらは広い意味での生存競争であり、日本国もこれまでの受動的な姿勢から転換して能動的・戦略的に動く能力を持たなければ、21世紀を生き残ることは困難だろう。

 

その為には、日本の近代史再評価:つまり明治からの英国と米国を支配下に置く国際金融資本に翻弄された歴史の再評価と、日本および世界の現状を独自に観測・分析することが必要である。それらを基に各国との独自外交を戦略的に立案すべきである。

 

その道は遠い。江戸時代には持っていた諸外国に対する独自分析の能力を明治以降に失ったからである。それ以前に持っていた武士たちエリートの現実主義から、文明開化という掛け声とは裏腹に日本独特の大衆文化に退化したのではないだろうか。先ずは、世界各国も理解可能なレベルに価値観やモノの見方を回復することが必要だろう。

 

世界との交流が盛んになって以来、日本は異質な文化の国と言われてきた。それは、陰では日本人は何を考えているのかわからない人たちという意味であり、明治以降の外国文化の輸入とそれらの不消化が招いた知的混乱の結果ではないだろうか。知的でない国家の一つの特徴は、外には融和的で内には隠ぺい的であることである。その悍ましい情況から日本は這い出る必要がある。

 

その日本の異質な文化を指摘する文章は多い。その中の一つを表題だけだが以下に紹介する。一部同意する部分もあるが、同意しかねる部分もあり、内容の議論はここではやらない。

外国人が見抜いた「日本」を「変な国」にさせている「3つの原因」…日本を支配する「フィクション」

 

それら多くの文章において、日本社会には何かが欠けていると指摘するが、正鵠を得たものは少ない。そこで山本七平氏の著作などを参考にして考えた結果、私は日本に欠けているのは真面な言語文化であると思うに至った。(補足1)以下にそれについて書いてみる。根本的に異質な日本を少しでも解明できたらと思う。

 

 

1)社会の中の個人、或いは世界の中の日本: 軋轢の解消には何が必要か

 

所謂民主主義の国では、個人は社会が持つ規則と基準を十分に知って行動する必要がある。そのような国での個人と社会の関わりは、一般に二つのプロセスの繰り返しである:①社会から受ける何かについて個人が自分の価値観やモノの見方(以下価値観等)で評価・判断し、それに対して個人が何らかの反応をする、そして②社会がその反応を受け取り、何らかの応答をする。


上記①のプロセスではその人物が意識する社会の持つべき規則と基準(以下価値観等)が大きくかかわり、②のプロセスでは社会制度が前提とするその“価値観等”に依存する。個人と社会の“価値観等”に大きな重なりが(つまりほとんど同じで)無ければ、個人の不満が益々増大するか、彼らが社会から過激な措置を受けてしまうなどを原因として、社会が平穏でなくなる。

 

もう7-8年前のことになるが、「保育園落ちた、日本死ね」というSNSでの書き込みについて、国会において少子化対策との絡みで議論されたことがあった。この件なども、社会と個人の係わりに関して、個人の持つモノサシ(価値観等)と国家或いは社会の持つモノサシに大きな違いがあったことがその原因だろう。 

 

この書き込みをした人には社会と個人である自分との関係を十分に理解していない。保育園以外の多くの面で、この社会から受けている恩恵の具体的な姿が全く見えていないのである。自分の不満をどのように行政に反映するかの知恵もない。このような空疎な個人と社会(国)の関係は、日本社会を不満の空間にしている。

 

社会に溢れた標語には、実際的且つ具体的な指針や方法はなく、実際に問題を抱える人たちから見れば揶揄われているように感じるかもしれない程、知恵の欠片もない。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515058.htm


サブタイトルの疑問に対する解答は、上記①と②のプロセスからのフィードバックを論理的に処理し、その中で得られる筈の解決法とそれを進める戦略を集団思考で作り上げ、実施することである。日本には、そのような社会と個人の関係を改善するという基本的な政治が欠けている。標語ポスターや幟だけでは問題は解決しない。

 

国際世界の中で、核廃絶を主張したり、平和外交を主張する日本国の姿は、このような標語看板を掲げる日本人の姿と同じである。ここから日本と世界の係わりに話の枠を拡大する。

 

一つの文化で特徴つけられた国或いは民族と世界との相互作用も似たようなモデルで考えることが出来る。個人=>日本 社会=>世界と夫々置き換えれば、あとはほぼ近似的に上記のモデルが成立する。既に書いたように、世界とは日本が密接な関係を持つ国々であり、現在強大な金融や軍事の力を持ち、世界史的な大変革を行う意思を持つグローバリストが支配的な欧米を含む世界である。

 

上に「価値観等」や「モノサシ」という言葉を用いたが、もっと一般的に文化と言いかえた方が良いだろう。日本語では文化という言葉が深く理解されていないので、個人と社会の問題についてモデルを上に示したのである。それを世界の中の日本を考えるために以下利用する

 

“モノサシ”が微妙に違うことは、「言葉とその定義」が微妙に違うことであり、この部分は言語習慣或いは言語文化と言い換えることもできる。つまり、現代の世界における日本の困難は、言葉或いは概念が世界と異なり、互いに話が通じないことである

 

その結果、日本人は何を考えているのかわからないとか、日本人はサルであるという類の侮蔑的な表現が裏で用いられている。下の写真は、米国大統領トルーマンの日本評価を示している。実際にトルーマンが日本人をこのように評価したかどうかは分からないが、日本人への原爆投下の経緯などを考えると、世界の裏街道ではこのような話がまかり通っていることは事実だろう。

 

 

 

ここでもう一つの具体例をあげる。

 

片岡鉄哉 著“核武装なき「改憲」は国を滅ぼす”に、ニクソンとキッシンジャーが当時の総理大臣である佐藤栄作に、日本も地域の大国として核兵器を保持すべきではないのかと言ったことがあると書かれている。しかし佐藤は、日本ではそのような合意は得られないとして断り、千年に一度のチャンスを逸したのである。キッシンジャーは、その佐藤を何を言っても通じない愚鈍な人物だと評価した。

 

佐藤栄作は秀才として知られた岸信介の実弟であり、東大出身の人物である。その彼に話が通じないとキッシンジャーが語った。それは、日本人の持つ言語文化と西欧の論理的にできた言語文化に根本的な違いがあるということを意味すると思う。

 

この逸話は何度も日本の核武装を論じる際に用いてきたのでこれ以上は深入りしない。今回はこのような奇異な現象の根本をより深く追求するために、以下日本の言語文化の特徴、あるいは世界から見た異常さを考える。

 

 

2)日本における特異な言語文化

 

山本七平の議論で秀逸だと思うものに、日本語についての記述がある。その表現は分かりにくいと思う人も多いだろうが、(私の理解では)要するに日本人は言葉を人と人の間に投げかけるというのである。それは最初の写真に示した様に、街角に様々な評語が並んでいることとも関係がありそうである。(補足2)その一方、欧米では言葉は明確に対峙する人物に向けて発する

 

日本では、言葉を目の前の人物に対して発する場合でも、相手を直撃しないようにまるで届くまでにワンバウンドするような言い方をする場合が多い。4年前の記事:「日本にあふれる優しいことばと厳しい現実」の中で、以下のような文章を書いている(少し改変)。

 

日本人は嘘つきだという西欧社会の評価は、この特殊な言語空間の中に日本人が生きていて、しかも、世界の全ての人も同じであると信じていることによる。あの京都の「茶漬けでも召し上がって」(補足3)も、おそらく空体語(空間に投げかけられた建前のことば)に類するものである。

 

それを発せられた情況から考えて、「そろそろお帰りになったら如何」の意味だと受け取り、現実的なことば(実体語)と受け取らない芸当が即座に出来るのは日本教の信者、つまり、日本人だけである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12567855407.html

 

つまり、「茶漬けでも召し上がって」と相手から言われたなら、その言葉を一度ワンバウンドさせて、つまり情況を含めてよく考えてから受け取らなければならない。それが日本文化の中の「思いやり」の実態である。日本人ならほとんどのケースで「有難うございます。お言葉だけを頂戴して今回はこれで失礼します」となるからである。

 

 

3)日本の外交不在

 

この言語文化は日本が他国とまともに付き合う場合非常に厄介である。外国は発せられた言葉は直接受け取るのであり、日本の言語文化など想定しない。勿論、観測気球的に言葉を発する場合も外交の場面では多々あるだろう。しかし、日本人は”おもてなしの言葉”と混同して、相手方の真意を見誤る可能性がある。佐藤首相が核武装を断ったのは、ニクソンとキッシンジャーの言葉を観測気球と解釈した可能性もある。(補足4)

 

また、この言語文化は日本における対話の習慣と議論により真実を追求する文化の成立を阻害した。つまり日本を「沈黙は金」の空間にした。その結果、人々は歴史を議論し劣悪な歴史家の洗脳をうち破ることが出来ず、上に引用したトルーマンの言葉にあるように、家畜のように時の権力に従順となったのである。

 

その結果だが、日本には「命」とか「平和」といった非常に重要な概念が、個人の視点でのみ語られている。つまり、平和=命であり、戦争=死である。核兵器=死であり、したがって命を確保するには核廃絶しなければならないとなる。この幼稚さは、日本が真っすぐに言葉をやり取りすることで可能となる集団思考できる言語文化を持たないことに原因がある。

 

その結果、本当の知識や知恵は、正統の中には存在せず異端の中でしか出てこないのである。以下の西鋭夫(にしとしお)教授の言葉も異端であるが、真実である。西教授は言う。「ヒロシマとナガサキはもうウンザリです。」「東京など都市空襲でも何十万人と殺された。(ヒロシマとナガサキだけに注目するのは、)原爆で殺された人たちの方がランクが上なのか」「核兵器廃絶? いったい誰が廃絶するんじゃ」https://www.youtube.com/watch?v=40polpr56Kk

 

 

 

このような現在では異端の中に埋もれた(無理やり現在の米国盲従権力により埋められた)言葉を掘り返し材料にして、しっかりとした思考ができる国にならなければ、日本はなくなるだろう。

 

以上半分ほどしか書けませんでしたが、今回はこれで終わります。

 

 

補足:

 

1)勿論、その指摘は明治初頭にはあっただろう。その一つに、時の文部大臣森有礼が国語を英語にした方が良いと主張した。それに対して志賀直哉はフランス語にすべき主張したという。これらの発言はいささか短絡的であり、深い思考の末の真面目な話ではないだろう。詳細はウィキペディアなどの「国語外国語化論」を見てもらいたい。

 

2)街かどの標語は、人と人の間の空間に投げられ、その空気をその標語の主張で充満させるために建てられる。この空気の存在が日本の言語文化の特徴と言える。この空気は、個人間の対話にも言葉が人を直撃しないように介在する。その結果、言葉は曖昧になり、厳密な議論は不可能となる。

 

3)京都のお茶漬けの話は半分本当である。ただ、その言葉をそのまま受けて客が帰らなければ、お茶漬けを出す覚悟が必要である。ウィキペディアには話の元にある落語の解説がある。「京の茶漬け」参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E8%8C%B6%E6%BC%AC%E3%81%91

 

4)当時の歴代民主党大統領は、日本には核兵器は永遠に持たさないと考えていただろう。従って、観測気球の可能性があるのは当然である。しかし、日本が日露戦争当時の米国の覇権に協力する考え方の人物が多い様なら、日本に核兵器を持たせて中ソと対決姿勢がとれるだろう。しかしその後

米国は中国との関係を改善し、中ソの間に楔を打ち込む戦略をとった。その米国の様子を見て、田中角栄首相は日中国交正常化に踏み切った。キッシンジャーは「ジャップめ」と叫んだという。

 

以下は、元理系研究者思い込みかもしれません。適当に読み飛ばしてください。

 

現在、世界はグローバリスト対反グローバリストの戦いの中にあると考える人が多い。グローバリストとは、米国民主党とRINO(名ばかり共和党)のネオコンたちがフロントで、その本体は英米欧のユダヤ系大資本家を中心とする金融エリートとその協力者たちである。グローバリストは普通名詞のように聞こえるが、ここでは特定のグループを指す固有名詞である。(補足1)
 

マイノリティである彼らは、団結と資本力、更にはマイノリティの権利を拡大するという左翼的思想を用いて黒人やその他のマイノリティを取り込み、彼らの政治勢力とする。(補足2)彼らの目的は、彼らと彼ら以外のマイノリティの一部、そして彼らが取り込んだマジョリティの一部とともに共産党独裁に似た世界帝国の建設を目指すことだと推定される。

マジョリティに対して協調と宥和の姿勢を持たないマイノリティには、彼らに一定の忍耐を要求するマジョリティの中にあって、平和な日常を実現することは難しい。従って、生きる空間の地球規模への拡大化であるグローバリズムは、かれらと相性が良い。その上でかれらが地球上で主要な政治勢力になり得たとしたら、父祖の宗教文化:大イスラエル構想の実現も同時に達成できるので、彼らにとって猶更素晴らしい。

 

 

1)米国の世界戦略

 

米国のグローバリストたちの中心に位置する人たちは、第一次大戦後、当時の大統領ウィルソンに様々な装置を作らせることに成功した。第一に連邦準備銀行FRB、つまり米国の中央銀行である。ロスチャイルド家の開祖が「通貨発行権と管理権を私に与えよ。そうすれば誰がどんな法律を作ろうがどうでも良い」と言ったという。この言葉は、自分たちが通貨発行権を得れば、政治を支配することができると言う意味である。

 

第二に国際連盟である。グローバリズムの拠点として機能させる装置であるが、米国は加盟しなかった。つまり、グローバリストたちは、民主党はともかく共和党は十分に掌握していなかったことを示している。その後暫くして、12年間の長期政権を誇るフランクリン・ルーズベルト(民主党)が大統領になると、グローバリストたちの米国政治掌握が進んだ。

 

米国民が望んでもいない第二次世界大戦への参加は、謀略により大日本帝国を巻き込むことで実現した。それまでにソ連での政争に敗れたトロツキー一派の残党も米国政治に参加し、米国支配の大きな助けになった。このころから、共和党にも保守の仮面をかぶった左翼グローバリスト(ネオコン)が参入し力を持つようになったのだろう。

 

第二次大戦後、米国が活動の中心となったグローバリストたちは、世界を支配する時代を迎えたと思っただろう。その世界戦略において、東ヨーロッパ、中東、東アジアの三か所を拠点とするようになった。米国ネオコン政権は、ユーラシアを支配することは世界を支配することだと考えているようだ。このことを国際政治評論家の伊藤貫氏は、米国の中東政策の解説の中で言及している。https://www.youtube.com/watch?v=fTXHt0irDKE

 

尚、東ヨーロッパの軍事力はウクライナ戦争で明らかになったようにソ連(ソ連崩壊後はロシア)を潰すため、中東での戦力はその土地でイスラエルを盟主とするため、東アジアの戦力はソ連と中国など共産圏を監視するためだろう。

 

世界の広い範囲でその様な軍事戦略にそって軍事を展開することは、米国は一つの独立国であるという前提では理解不能である。従って米国の近現代は、世界の金融を支配する人たちが核となり、その経済圏の中で発展した国々と協調し、彼らの計画にそってグローバルな政治経済体制を築くプロセスだと理解される。

 

その様に考えると、ロシアがソ連共産党の崩壊後に共産党政権がつぶれたのだから欧州の自由主義経済圏の中に歓迎される筈と考えることは、元々ロシア側の希望的観測に過ぎないということになるだろう。(補足3)

 

共産主義でユーラシア大陸の一部、ロシアや中国を色分けすること自体も、彼らグローバリストたちの100年間の世界戦略の中の出来事だった可能性が高い。つまり、その地域の国を崩壊させる為に赤く塗りつぶした可能性がある。最終的にはスターリンに追い出されたが、ロシア革命には外部から参入したユダヤ人たちが活躍したという事実もその推測を支持しているように思う。

 

 

2)冷戦から最終戦争へ

 

米国がこのような明確な世界戦略を持ってロシアを消滅させるべく戦ってきたのが“冷戦”なのだろう。ソ連が崩壊したときには、ほぼ7割方対ロシア作戦は成功したように思っただろうが、スリムになったものの立派にロシアは生き返った。そこでロシアから分離されたウクライナを利用して、新たな作戦を立てて“ロシア潰し”を実行したのがウクライナ戦争だろう。

 

その様に考えれば、ウクライナ戦争も朝鮮戦争やベトナム戦争も、類似した図式で理解可能だろう。彼らグローバリストにとっては、共産主義が問題なのではなく、ロシアが問題なのである。 

 

東アジアでは中国がロシアの次のターゲットだろう。特に習近平政権になって中央集権化がす進行し、グローバリストたちとの協調は考えられなくなったと思う。実際、米国のユダヤ系資本家でグローバリストの中心的人物のジョージソロスは、ダボス会議で2度にわたって習近平批判の演説を行っている。

 

 

グローバリストたちがトランプを嫌っている事は言うまでもない。トランプは反グローバリストとして米国一国繁栄主義(MAGA)を政権構想の中心においているからである。嘗て彼らの計画するグローバリズムに反対した大統領は何人もいただろう。ベトナム戦争を早々に止めようとしたJFケネディや、ベトナム戦争の北爆の秘密暴露を許したR・ニクソンなどもその中に入る。ニューヨークタイムズの記事によれば、北爆はトンキン湾事件というヤラセに対する報復という形で開始されたのである。

 

彼らはいずれも殺されるか殺されかけるかして、結局ほぼ一期で大統領の座からおろされることになった。三期大統領の椅子に座ったF・ルーズベルトとは真逆の人物たちである。ニクソンはカナダで殺されかけるが無事帰国しているのだが、ウォーターゲート事件で失脚することになる。(補足4)

 

このようにグローバリストの世界戦略とこれまでの100年ほどの世界の近現代史と重ねると、グローバル帝国の建設の企みは、着々と進行してきたことが分かる。そのエネルギーが世界の金融経済のなかから供給され、現在の世界の政治経済システムと密接に関係している。 

 

この100年間(初代マイヤーロスチャイルドの5人の息子たちの時代からの200年間というべきかも)、長期に亘って目論んできた世界帝国建設の戦略は、泥沼を渡るキャタピラー車のように困難があっても一定方向へ進んできたように思う。この歯車のような時代の動きを単純に逆転させることは非常に困難だろう。ほぼ80%ほど進んだ現在の段階で気づいたとして、遅すぎるのではないだろうか?

 

G7各国の首脳たちは、かなりのところまでこのグローバリストの戦略とその進行を知っているだろう。そこで屈服したかのように、従順な姿勢を示している。日本のこれまでの経済的繁栄も、この近代史の中の歯車として存在しているのである。そして1945年の敗戦以降、吉田茂の敷いた路線上をもくもくと進んできたのが自民党率いる日本であった。

 

最早手遅れの感じがしないでもないが、明治以降の近現代史を真面目に研究し、教育する以外に日本がまともな国になる道はないだろう。

 

 

補足:

 

1)昨今の世界の混乱をグローバリスト対反グローバリストの戦いというモデルで考えている人は世界に多いと思うが、グローバリストの正体についてはあまり明確にはされないことが多い。グローバリストをここでのように明確にすれば、陰謀論として退けられる可能性が高い。彼らグローバリストは、陰謀論という言葉を防御装置に用い正体を隠している。彼らがエネルギーを得るのは、世界の基軸通貨である米ドルに関する金融政策と、それを利用した金融工学だろう。彼ら金融エリートたちにとっては打ち出の小づちの様なものだろう。

 

2)マイノリティの一つでもあるユダヤ社会が、その少数派の権利確保という名目で運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したと、政界の重鎮だったブレジンスキーが回顧録の中で書いているという。https://www.youtube.com/watch?v=Z85BnnOPmZ4&t=412s

 

3)米国のジャーナリストであるタッカーカールソンによるインタビューで、ロシアのプーチン大統領は冷戦後のロシア政権はこれで自由主義経済圏に仲間入りして、欧州諸国と同等に扱ってもらえることを期待したと語っている。そしてNATOの東方拡大は、その必要性が消失したのでなくなると期待していたのである。しかし、私には今日のウクライナを使ったロシア潰しは、その時点から着実に進められた様に見える。
 

4)米国の大統領辞任劇を見ていると、殴り合いが日常的な土地において、その片方を暴行罪で告発することを許せば、何時でも望むように政治家の取捨選択が可能になるのではと思ってしまう。最近の4年間の米国の対トランプ裁判から、ウォーターゲート事件もCIAの日常をすこし延長して作り上げた可能性?と思う。

 

(10時15分、最初の一文修正;8月5日午後2:50本文を編集し、最終稿とする)