日本航空(以下JAL)が半公的な航空会社という不思議な役割を担い、日本の航空産業の旗艦(フラッグシップ;飛行機会社に使うのは若干変ですが。。)として君臨してきた。その経営破綻は、この政府との不思議な関係により、一県一空港の政策により生じた赤字路線を引き受け、財務体質を悪化させたあげくであった。そして、再建後この不自然な体質を払拭して、一民間企業として再出発したと考えるべきだとおもう。ただ、その上場前の増資に関する疑問はこの件に詳しい西田議員の仰る通り、不可解な部分はあるのでしょう。しかし、再生後JALは、採算のとれない路線を廃止するのは当然のことであると考えます。このことに対する西村議員の批判は非常に奇異なものに思います。それが、この文章を書く動機の一つです。(もう一つは3月になって一つも文章を書いていないことです)
会社更生法に基づいて再建する場合、旧JAL出資者の100%減資、債権者の合意を得た一部債権放棄などの手順は、通常の会社再建と同様のプロセスだと思います。倒産した場合の減資は覚悟の上で、株主は出資している筈ですし、株主の減資なしに一部であれ債権放棄を金融機関に要求できないでしょう。また、金融機関もJALが解散した場合に回収出来るよりも多く債権回収する為に、また、国の再生支援機構に協力することで、自社と国との関係をよくするという打算もあり、一部債権放棄に合意したものと思います。一般に銀行は債権がある確率で一部不良化することについては、計算済みの筈です。このような犠牲を国民の犠牲であるというのはもちろん議員の仰る通りですが、それは故無き犠牲ではなく、予想された犠牲です(株主は総会などで会社の経営に参加できるので、会社が傾いたのは株主の責任でもあります)。 また、それ故に赤字路線でも維持して国民の足を守れと言う主張は、JAL破綻のプロセスとこの国は自由主義経済の国であるという大前提を無視したもので、まともな知性の持ち主の方の意見とは思われません。
西田議員はJALの株式上場そのものに批判的ですが、その理由は上場益が、国が出資した3500億円以上に登ることへの疑問のようです。また、上場益を旧株主の権利復活資金に回すべきであるという訳の判らんことも仰っている。また、そのような再建が(JALが会社を畳んだ場合に利益を得る筈の)ANAに不利になるので、再建を航空会社運営のKnowhowをもつANAに任せるべきであったと言っておられる。そんな他では得られないKnowhowなど無かったことが、再建上場されたことにより実証されている。従ってその発言については、ANAへの利益誘導を考えておられたのですか?と問いたい。
以上、核心部分のみですが、批判させていただきます。
北朝鮮は自国の安全を保障するために、核ミサイルの開発をしている。中国はそれを黙認しており、今が最後のチャンスであるとの判断である。北朝鮮は中国から四半世紀遅れていると考えれば良い。核ミサイル開発後は、中国を見習って共産党指導下で資本主義的経済体制をとるだろう。新体制への脱皮後は、国際社会へデビューして紳士として振る舞わなくてはならない。その後では、核武装は出来ないのである。そして、核兵器保持と非保持の差は、中国の陰におびえる日本を見れば明らかである。差し当たり、敵国役である米国も、紳士的に脱皮した北朝鮮を受け入れてくれるだろう。当然中国はその際の橋渡し役をやってくれる。その後、心配なのは米国よりそれまでの親分中国であるが、核武装後は大きな干渉はできないだろう。米国のルーズベルトさんが、ビッグスティックポリシー(Big stick policy)として教えた通り、紳士的に日本国と講和条約を結び、3割増し位の賠償金を受け取る。それを元手に経済発展に励めば、国民一人あたりのGDPは直ぐ中国のそれを追い越すだろう。北朝鮮国民はその時、指導部を心から支持するだろう。それに比べて、日本国は可哀想である。核兵器や軍隊のない東アジアのイスラエル役という悲劇の主人公を演じる予定だからである。なにせ、頭の中の”霞ヶ関”とかいう部位に、親米(努力しないで飯を食おうと考える利己主義者)と親中(ハニートラップされた者)のウジ虫が住みついていて、まともに思考すら出来ないらしい。ーー北朝鮮幹部はそのように考えているだろう。(因に、私は純日本人です。)
日本では、特に体育の日に表題のことわざをよく聞く。私はいつ頃からかこの諺に疑問を持つ様になり、オリジナルを探した。ローマの詩人による言葉がオリジナルのようであるが、そこでは表題の諺は誤用であると書かれている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ユウェナリス)ただ、この古代ローマの詩と表題の誌はあまりにも遠くはなれているので、もう少し近いものは無いかと検索をしていると、英語圏に非常に良く似た諺があることを発見した。それは:A sound soul resides within a sound body and a sound mind.である。residesはdwellsに置き換わることがあるが、それぞれ、「存在する」と「住む」位の意味であり、この場合意味に違いはほとんどない。つまり、「霊魂(soulつまり死後も存続する非物質的実体)が、健全なる体(body)と心(mind;この世のものである)に宿る」が本来の諺である。上記Wikipediaの中に、表題の諺は戦時中ナチス・ドイツを始めとする各国政府によりスローガンとして改竄して用いられ、軍国主義を推し進めたと書かれている。それが未だに誤った意味のままで広まることとなったのである。
 表題の諺は日常会話でも「しっかり行動するには強い精神が必要である」という意味に用いられ、話す側にも聞く側にもあの世にまで及ぶ霊魂など全く意識にない。注1 従って、英語のことわざが由来であるのなら、日本語の「健全なる精神は健全なる肉体にやどる」は誤訳である。若干繰り返しになるが、元のことわざは、「人がその本質(霊魂)において、この世でそしてあの世でも健全な状態で存在するためには、この世で健全なるからだと健全なる心を持ち続けなければならない」ということを意味している。

注1) この「精神」という単語は、例えば英辞郎on the webで検索すると、mindやspritと訳され、soulとは訳されないのである。