8月15日を日本では終戦の日と呼んでいるが、より正確にはポツダム宣言受諾を連合国側に通告した日である。厳密な意味で戦争が終わったのは、ミズーリー号上で停戦合意の文書に調印した9月2日である。1945年8月15日の数日前、8月9日に対日宣戦布告の後、満州を経て、南樺太、千島、北海道を占領すべく攻め込んで来たソ連軍は15日以降も南下を続けた。このソ連軍と戦う日本軍や、ソ連軍とそれに乗じた満州人や朝鮮人から多大の被害を被った民間人のことを忘れてはならない。また、ソ連軍は9月2日以降も軍を進め、歯舞色丹島に至って9月5日に戦闘停止したとのことである。注1) ソ連軍の南下の具体的な様子は、ブログなどにも書かれている。例えば、http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h13/jog203.html の記事の中にある、南樺太真岡の電話局で最後を迎えた9人の乙女の話など、胸に迫るものが多い。
 以上のような情況を考えても、8月15日を終戦の日とすることに、政府は疑問を持たないのだろうか。 日本国政府の各大臣は、毎年靖国参拝注2)をするかどうかが、最大の問題として8月15日を迎える。終戦後70年近く経っても、あの戦争の日本国としてのReview(再検討)は無く、連合国側の東京裁判があるのみである。そして、あの戦争に対する “日本国の理解” 注3)が公表されていないため、隣国はおろか国民の間でも、評価は兎も角、事実についても合意が形成されていない。そのため、毎年政府要人はキョロキョロと隣国の様子を伺いながら、靖国の前で足踏みをするとい醜態を演じている。
 あのように壊滅的な打撃を受けながら、政府の決断としてではなく、天皇の決断(聖断という訳の判らない言葉が用いられている)によって、“敗戦”(つまり、連合国側の条件を記したポツダム宣言)を受け入れることになったことが、あの戦争の全てを象徴している。つまり、戦争指揮を行った主体(つまり主語)が明確ではないのである。日本国内閣総理大臣なのか、日本国軍(陸軍大臣又は海軍大臣)なのか、日本国天皇なのか? 注4) 
 明治以降、西欧諸国に学んで、近代国家建設に邁進した筈である。しかし、いつの間にか日本独自の文化的背景の中に、そのような姿勢も消えてしまい、近代国家に脱皮できなかったのが、あのような無惨な結果に終わった原因ではないだろうか。いまでも所謂右に位置する人たちも、日本の非論理の文化に最高の価値を置こうとしている。靖国神社がその象徴ではないだろうか。

注釈:
注1)尚、ソ連軍の足音を聞いて、満州国からいち早く脱出したのは、軍関係者や外交官とその家族であり、民間人には脱出計画は知らされなかったとのことである。Wikipediaなど参照されたい。
注2)戦死者を何故墓地ではなく、神社に祀るのか?その疑問に答えてほしいものである。東京裁判で重要な戦争責任があるとされた者達を、日本国の再検討(上記のReview)なしに、神に仕立て上げたことに靖国問題の本質がある。「以前何も言わなかった隣国が、急に言いだしたのは、戦術として用いる悪しき意図からだ」という理屈はおかしい。異なる文化圏の人間の意図に、気づくことが遅れるのはよくあることだと思う。
注3)あの時国の指導者が本来どのような道を歩むべきであったか、それと歴史的事実はどのようにずれていたのか? そして、それらの責任者が明確になるように、歴史として公表すべきである。自分の祖父などが日本をミスリードしたとされることになるかもしれないが、その痛みは本来終戦後数年のうちに経験しておくべきことであった筈である。つまり、その後の処理の遅れの責任についても明確にすべきである。以上のプロセスを踏めば、中国や朝鮮半島とのわだかまりの可成りの部分は消える筈であり、それ以上の反日姿勢は、こちらも強硬に反論すべきである。
注4)セオドア・ルーズベルトの真珠湾攻撃後の対日開戦の演説では、明確に日本国天皇(Japanese Emperor)がオアフやサイパンを奇襲したとなっている。しかし、日本では天皇制の維持のため、この問題に触れないでおこうとする勢力が、政府の中枢にいるのだろう。現在は平成の世である。昭和天皇は歴史上の"人"である。 あの戦争の再評価(レビュー)が出来ない筈が無い。本来資格の無い者がいつの間にか指揮権を握った結果、あのような結末になったと思う。それが、近代国家でないということである。今の日本も、あの当時と比較して進歩していない。トップは先頭で指揮をとるのではなく、ただ、失敗のときに責任を取る為に存在する。首相も人形のように見える。
沖縄で再び、米軍のヘリコプターが墜落し、米兵一人が死亡した。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00251252.html;また墜落現場から数キロ以内に市街地があり、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130805-00000065-mai-soci;沖縄では、「沖縄の空がいかに危険か改めて証明された」そして、「この上オスプレイの配備を進めていくことは許されない」と云う様な怒りの声が上がったとのことである。私はこの記事を読み、何か違和感を持った。
1)先ず、人一人が死亡していることに、何の弔意も表されていない。
2)まるで、「近くにいる敵軍をなんとか早急に退去させたい」というような反応である。
このような沖縄の反応は、島民全てのものではないだろうが、最近の沖縄の知事や市長などの意見と大差がないことから、それらを沖縄の反応として、以下議論する。
 先ず言いたいのは、沖縄の人たちも日本国民として日本国の中で生きているという事である。また、どこでも地域的特殊性があり、その地方独自の日本国行政への協力の仕方があると言う事である。私は以前航空自衛隊基地のとなりに住み、そこには巨大な弾薬庫があった。しかし、そこに住む以上、頻繁に飛ぶ航空自衛隊のヘリコプターや弾薬庫の危険性を引き受けて生活してきた。また、例えば木曽三川の流域では、伊勢湾台風の時の様な水害の危険性がある。しかし、その地域の人は承知の上で農業や製造業に従事して、国の経済に貢献している。
 沖縄県には他国の軍隊が極東拠点の一つとして駐留するのであるから、地方の特殊性の中でも特別であることは十分理解できる。また、米軍や日本政府も、より安全な環境にすべく、基地の移転や米軍の訓練の仕方等を常に考えるべきであると思う。そうは云うものの、日米の同盟関係に影響を及ぼすような運動を不用意に広げるべきではない。この件、他国のオルグもあるものと考えられるので、注1)マスコミは慎重にオリジナルな議論をしてほしい。日米同盟は、沖縄をふくめ日本全体にとって現在非常に重要であることは云うまでもない。米軍基地内での事故やオスプレイ問題を、米軍を邪魔者扱いする方向で議論するのは、従って、日本全体の利益に強く反する行為である。 注2)
 地球が狭くなりつつある現在、我々が再度確認すべきことがある。地球上に現存の人種と人口は、何が決めて来たのか? 経済成長という”空間”の拡大があったものの、大規模な戦争や侵略によって決まって来たのである。つまり、南北アメリカ大陸、オーストラリア、そのほかの至る所で、激しい戦闘や無差別な虐殺により、我々現存人類が生きる空間を確保してきたのである。それらがなければ、この地球はずっと前に人で満ちていた筈である。この歴史のプロセスは遠い過去のものでは無い。戦争や虐殺はどのようなものか?先日の中日春秋で、「最愛の大地」という映画で描かれているボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の悲惨な情況が紹介されていた。僅か20年前の人類の姿である。注3&4)そのような情況が、日本国を舞台に起こらないという保障は全くない。日本国という温暖で緑に覆われ、水の豊かな大地は、黄色い大地の他国から見れば垂涎の的であろう。例えば、地球規模の気象変動などが起こった場合、注5)生きる土地を失った核兵器を持つ民族は、日本国に対する敵対心を喚起し、防衛出動であるとして、日本国民の虐殺と国土の略奪を行うかもしれない。注6) 一般市民の想像を超えた脚本が、注7)いろんな前提を背景にして既に創られていると思う。もちろん、そのような情況は、考え過ぎだと云う意見が大多数だろう。しかし、為政者はそのような大きな視野で歴史を眺めなければならないと思うし、一般市民も政治家とは高度に専門的な仕事であると考えるべきである。注7)

注1)日本共産党の政治活動がモスクワで決められていたことを思い出すべき。(http://ja.wikipedia.org/wiki/コミンテルン)
注2)対米依存せずに、日中友好で平和と経済的安定が実現できるのなら、それでも良い。しかし、その方向で舵をとれる政治家が日本にはいない。日本は、未だに戦後の親米政治家の敷いたレイルの上を走るしか選択肢がない。
注3)8/12;22:00のNHKで、終戦直後の北朝鮮からの脱出の様子が放映されていた。
注4)大きな気象変動も歴史を変えることを知るべきである。
注5)既に尖閣諸島や南沙諸島で序章が始まっている。
注6)過去、オレンジ計画というのがあったことを想起してほしい。
注7)現在の政治家の質が低いのは日本国民が能力本位で選ばないのが原因である。国民は自分と子孫の生命を守るため、知的レベルを上げる努力をし、選挙に臨むべきである。
 ドナルドキーンさんが司馬遼太郎さんに尋ねた。「おとうさん、おかあさんという言葉は何時頃できたのでしょうか?」司馬さんが答えた。「明治時代、文部省が決めたのです。」この話は、何処で読んだか忘れた。ひょっとして、書棚にある「日本人と日本文化(司馬遼太郎とドナルドキーンの対談)」にあるかもしれない。明治時代に多くの単語が創られたことは知っていたが、お父さん、お母さんという基本的な人間関係を表す言葉まで明治政府製だとは知らなかった。 父上と母上という言葉はあっただろうが、その“上”という接尾語がつかない言葉が必要だと日本政府が思ったのだろう。日本政府の試みは、少なくとも関西圏では成功していない。私をふくめ、関西人が「おとうさん」を用いることは少ない。私は子供の頃、父と母を呼ぶ際、地方の方言を用いていたが、その後、それらが幼児語的であることを知り使えなくなり、父と母を失う前に、父と母を呼ぶ言葉を失ってしまった。こんなことを、外国の方に説明できるだろうか?
 一般に、日本語は話をする相手と自分との上下関係が、名詞、動詞、接尾語などの選択を要求し、その結果文章全体が複雑に変化する。例えば、「言う」という動作を表す動詞では、話す、話される、仰る、仰せになる、言う、言われる、喋る、などと変化する。 これらを臨機応変に選択できなければ流暢には喋れない。何故このような複雑な言語体系を必要とするのだろうか? それは、国内のあらゆる組織が共同体(ゲマインシャフト)的色彩を帯びている国だからであると思う。社会が色んな共同体で作られた国では、存在する上下関係は仕事上だけでなく、永続的であり、従って、それに相応しい言葉を持たなければならない。仕事場での上司は私的なあつまりでも尊敬語の対象となる。このような情況は、おそらく儒教文化圏に共通なのだろう。つまり、日本社会は人間集団を“身分”で多層状に分け、その間の意見交換を(言圧を弱める)敬語で制限し、争いのない社会(「和」を保つ社会)を完成した。そして、個人は分をわきまえ、所属する“層(身分)”での責任を果たすことで、共同体全体のパーフォーマンスを挙げるのである。方向が決まっておれば、この争いによって能率の低下を防ぐ方法も良いかもしれない。

 上下方向に多くの層状構造で構成された社会では、人事なども常にその層を意識して行われ、入省何年後で課長といった適材適所とはかなり遠い基準が用いられている。 後輩に追い越されないので、その組織は安定化し活動度は上がるという考え方なので、当然の人事基準である。その結果、それほど有能なトップを選べないのが普通で、“つつがなく任期を全うする”ことを最善とするトップの下、前例(創業者や混乱時代の英傑により創られた)を、ただ踏襲する“結果としての保守主義”が支配するのである。特に、消滅の危機のない組織、例えば全国の地方公共団体や国立諸機関では、その傾向が著しい。ただ、この様な共同体組織では、変化の時代には困難に直面する。変化すべき時に舵を切れずに、益々情況が悪くなるのである。そして、カタストロフィーが起こる。その段階になると、その共同体は英雄を必要とする。そのような人物は、共同体の全階層を見れば一人や二人必ず居るので、一端瀕死の状態になった共同体の身分構造が破壊され、その英雄の下に再建が図られる。その英雄は前例を破壊し、新しい共同体運営モデルをつくる。実は、何もしなかったトップの時代の前例もそのようにして創られたことを、完全に忘れていたのである。その後、2-3世代トップが交代して行く中で、新しく創られたものが踏襲すべき前例となり、何もしない保守主義が復活するのである。注1)

 明治時代は変化の時代であった。そこで活躍し新しい政治形態を創った英雄達は、この複雑で風通しの悪い層状社会を改善(敢えてそう呼ぶ)することを考えたのだと思う。そして、父上、母上に代表される上下でフランクな対話を妨げる言葉に代わって、おとうさん、おかあさんという言葉を創ったのだろう。母上、父上ということばはほぼ追放できたが、それに代わるものには「お母さん」「お父さん」はなっていない。明治の英雄達もこの日本の社会構造までは変えることができなかったのである。
 私は、日本語の構造を変えること無しに、日本の層状社会構造を変えることはできないと思う。依然として「和を以て、貴しとなす」が、日本国を縛っている。分を弁えて保つ和、対話でなく沈黙で保つ和に価値はないのにである。
注1)「売り家と唐様で書く3代目」という川柳がある。
8/10初稿、8/11改訂