産経新聞8月18日(日)の配信記事によると、朝鮮半島の日本統治時代に日本で戦時徴用された韓国人4人が未払い賃金などの個人補償を求めた訴訟で、被告の新日鉄住金(旧日本製鉄、本社・東京)は敗訴判決が確定した場合には、賠償に応じる意向であることが分かったとのことである。
私企業が、差し当たり金額がたいしたことが無いいう理由と、韓国と摩擦を起こしたくないという理由で、理不尽な韓国裁判所の決定に従うとしたら、他の次から次へと出てくる可能性のある同種の訴訟に影響を与え、大きな問題になる。その会社は韓国と密約を結んでいるのではないだろうか?と疑いたくなる。当時韓国は日韓併合条約で合法的に日本の一部になっており、決して外国ではなかった。それが国策としての徴用にかり出されたからといって、賠償金支払いを要求するのなら、徴用された多くの日本人も同様の権利を有する筈である。韓国という国の前近代的裁判所の非論理に一々付き合っていれば、気が付いたときその被害は甚大になっているだろう。国賊呼ばわりされるのが、不利だと思うのなら、韓国の裁判所もどきの決定など無視しろといいたい。
 一般に、講和条約締結後、「戦争時に受けた個人の損害は、自国が処理する」という国際ルールは、戦争を民族全体の生死を懸けるべき争いから、外交問題の最終的な解決方法にレベルを下げることになる。そして、白旗を上げたのちの講和条約で、一応処理済みとなる。ナチスの場合は、民族の殲滅を図ったのであるから、例外になっても不思議ではない。今回の日韓の問題は、こんなレベルの問題ではない。当時、韓国は日本国の一部であり、日韓の間に戦争は存在しなかった。日韓併合条約は力で強いられたということを根拠に損害賠償を要求するのも、常識外れである。この不平等条約に対する不平は、自国である韓国に対して言うべきであり、今になって日本に言うのは単なる泣き言であり、国際常識からはかけ離れている。「条約は常に強者に有利に出来ている」というのも国際的常識である。ペリーが日本に来た時も、不利な開国条約を結んだ。そして、その後条約をより有利な形にすべく日本国は努力をした。それが、本来の国家のあり方である。昨今の韓国の姿勢を見ると、あの国は中国以上にまともではないと思う様になった。
 先ず、動画を初めてネットにuploadしました。空中で回転するこま
 この独楽、春日井市のK&Sとかいう雑貨屋さんで680円で買った。廻しやすい高級品は15000円ほどすると宣伝の紙に書いてあった。最初どうやっても回りそうになかった。そこで、こんなインチキおもちゃ返しますと言って、その店に行くと、マスターが「うちはそんなインチキしない。廻してみるからみてくれ」と言って、実践してくれた。その際は、店主も長い間やっていないからか、うまくいかなかったが、一瞬浮遊して回転する様に見えた。おそらく、訓練次第で成功するだろうと思って、態度を改め、そのまま持ち帰って練習をした。かなり時間がかかったが、技術をマスター出来たという次第。こつは、独楽に載せるおもりの重さを調整することと、台の傾きを調整することなどである。興味ある方はトライされたら如何かと思う。
 一ヶ月ばかり前だったか、JR南浦和駅で、列車とホームで挟まれた女性を、短い時間で集まった約40人の人が32トンの列車を傾かせ、救出した。その様子が海外にインターネットで流されると、一瞬で出来上がった協力体制の素晴らしさに対して、驚きと感動のメッセージが返された。この出来事は、日本国に生きる人々の協調性の大きさと素早さを表していると思う。
 一方、山口県周南市金峰で、10戸ばかりの山中の集落で暮らしている人のうち、5人が撲殺され家が放火される事件があった。犯人は逮捕され、そこでの異常な人間関係が徐々に明らかにされている。逮捕されたとき、ある女性へのインタビューが放送されていた。その女性は、「これでやっと普段の生活が出来る様になり嬉しいです」と発言していた。わたくしは、このコメントに非常におどろいた。何故なら、人里に迷い込んで暴れるクマが、射殺された時のコメントの様だったからである。5人を殺した人を庇う訳ではないが、そこまで追い込まれた人がパンツ姿で捕まった事実を想像すると、クマ出没の事件より、数段恐ろしく悲しい気持ちに襲われる。つまり、人の想像力というのはこの程度であるということである。
 この犯人は、以前、一人暮らしの老人の家の修理をしてやり、非常に親切な人だったとのコメントもある。また、学生のころ、いじめられた同級生を庇ったという話もあり、多少腕力に頼る傾向があるものの普通の人間だった筈である。( http://danshi.gundari.info/山口5人殺害%E3%80%80「あの優しかった男がなぜ」%E3%80%80事.html )また、実際犯人は、“自分は村八分にされた被害者である”という意識があるということである。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20130727-1163781.html
 日本人とくに田舎では、日常作業も互いに協力しなければこなせない情況にあった。例えば、昔、“結い(田植えの協力など)”や“講(伊勢講など)”などという協力体制がどこでもあった。つまり、隣人は互いに協力すること、またそれを実現する為に、互いに善意で接することを前提に生きる文化があった。そうは言うものの、人は自分の受けた親切行為と自分の行った親切行為の質と量を自分なりに計算している。その差引勘定に敏感な人もいれば、わざと鈍感になる太っ腹な人もいる。善意で何かを行う為には、相手に何が不足しているかを想像する力が必要である。その想像力には個人差があり、通常、人は自分側の事情は良く見えるが、相手側の事情は想像力を働かさないと見えてこない為、殆どこの勘定を赤字と見る場合が多い。つまり、濃厚な人間関係の中で、その赤字勘定の不満を飲み込んで生きて行くことになる。また、それが善であると人々は幼少時より教え込まれる(調教される)のである。その為に、「和を以て貴と為す」とか「沈黙は金」などの箴言が多く用いられた。
 しかし、あるメンバーがこの赤字勘定が破産的に膨大になると感じたとき、その人は怒りをあらわにし始める。しかし、廻りの人々には同じ勘定が赤字には見えず、身勝手な奴という烙印を押すことになる。そこで村八分、強力な圧殺行為が、その他の集団の協調関係を維持するために行われるのである。これはまた、上記勘定を無視すること、つまり我を抑えることが如何に大切かを他のメンバーに教えることになる。ただ、その場合には少ない確率であるが、今回の山口事件や八墓村のモデルになった津山事件などが起こるのである。
 以上の考察で判る様に、この種の事件は稀な事件ではあるが、強力な協調的隣人関係を持つある種コストと考えられ、論理的に起こりうるのであり、その意味で異常ではない。