韓国政府は過去の歴史を脚色して世界に宣伝することで、現在の韓国国民の不満の捌け口をつくり、且つ、日本の国際的地位を低下させることで間接的に利益を得ようとしており、それらの行いは、既に外交というよりも冷戦に近いレベルであると考える。つまり、過去の問題を論じているのではなく、過去の歴史は単なる冷戦的敵対行為の材料でしかない。日本政府と日本国民は、韓国の行為を正しく評価して、対韓国対策を戦略的に策定すべきである。

 韓国政府は、太平洋戦争以前の日韓併合と日本による統治、戦争中の日本軍の振舞、戦後の竹島占拠に対する日本の抗議などを激しく非難している。韓国はこれらの問題を真実の解明というスタンスで日本に抗議していない。例えば、竹島の問題でも、国際司法裁判所への提訴を日本国が呼びかけても応じることはない。(注1) 婦女子を国家がその政策の一環として、強制連行して性的サービスに従事させたという朝日新聞記者の記事についても、(注2)その事実の解明よりも、国際的に宣伝することを優先する姿勢も同じパターンである。これらから言えることは、韓国のやり方は、歴史は創り上げるもので、解明するものではないという理論で裏打ちされている様である。(注3)
 従って、日本国が執りうる対抗策も、正攻法と多角的な方法の二面作戦を執るべきだと思う。正攻法は言うまでもなく、国際司法裁判所などの力を借りて、韓国の主張するところの日韓の間に刺さった棘(とげ)の真偽を明らかにすることを目指す。この場合、例えば、国家として朝鮮半島の婦女子を強制連行して、性的サービスに就けるという事実があったのなら、改めて謝罪と賠償を行なわなければならない。その覚悟を明確にして、韓国政府と対峙すべきだと思う。また、単に家が貧しくて、親が本人に通知することなく対価を受け取った様な場合は、当時の日本やその他の国での社会情況を考慮に入れて、国家が謝罪すべき問題でなく、国際的な非難があっても毅然たる姿勢をとるべきである。また、同時に多くの国で起こった、(注4)戦争時の軍隊等による婦女子の性的暴行問題の調査と被害女性への保障問題を議論する場を立ち上げる様に提案すれば良い。平時の感覚で戦争時の犯罪行為を裁くことの空しさに気づく筈である
 もう一つ、奇策に入るかもしれないが、日韓両国並びに国際社会に向かって、李王朝時代の朝鮮時代の半島の状態や、日韓併合に至った経緯、その後の政策などについて、研究公表&宣伝すべきである。(注5)日韓併合の真実とでも題して、シンポジウムをニューヨークで開くとか、色んな方向があるだろう。国立系大学は、その種の講座をもうけ、大規模に研究活動を展開することを第一歩とする。日韓だけでなく、東アジア歴史講座とする方が良いかもしれない。
 兎に角、日本国民全員が本腰を入れて、真実を最優先する姿勢と誠意を背景に、対韓国キャンペーンを展開すべきである。(注6)
注1) 小和田氏は国際司法裁判所から退くべきである。それが、韓国の同裁判所に中立的判断は期待できないという言い訳を防ぐことになる。
注2) 吉田清治、本田勝一らの飯を食う為のネタ作りであったと言われている。
注3) 韓国は歴史を捏造しようとしているのだ。100年経てば、真実として定着する筈だと思っている。その試みを破壊すべく、戦略を練るべきである。
注4)満州、朝鮮半島、千島、北海道などで日本人も多大の被害を被ったことは周知である。これらの場合、ソ連人、朝鮮人、アメリカ人は加害者であった。
注5)併合後、日本国家が半島へ多額のインフラ投資を行なったことを宣伝すべきである。帝国大学も名古屋帝大や大阪帝大よりも早くソールに造られているのである。欧米の植民地支配とは全く異なる事を全世界に知ってもらうべきである。
注6) 対馬の寺から仏像が韓国人により盗難にあった。しかし、昔韓国にあった仏像だから、対馬には返さないという韓国当局の判断にはあきれる。安倍政権は、100%の危機感をもって、あの国に対峙すべきである。
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を掲載しました。2000字を大分超えてしまいましたので、ここには中心部分を掲載します。
 言語は人が高度な社会を造って生活をするために存在する。人が他の人にその感情や経験を伝える場合、言語空間へそれら感情や体験を投影し、言葉に変換して伝える。言語空間をそう定義すると、言語の特徴及びそれを用いた表現の限界が理解出来る。個人のレベルで存在する記憶が言語でなされるではないか?という反論があるかもしれない。しかし、記憶したことを日記に書く場合には、言語空間に投影する作業が必要であり、多くの人がその時点で或る種の困難に遭遇することから解るように、体験は言語空間への投影を経ず記憶されていると考えられる。言語能力とはこの投影作業の能力であり、言語空間をなす基底(ベース)が言語である。
 
 高度に体系化された言語の発生について、昔から疑問に思っていた。言語を神が造ったと考えれば理解は簡単であるが、神の存在を確認出来ない以上、上記疑問は消え去らない。(注1)
 ここでは、哲学の発展に伴って言語空間が整備されたとする方向で、この問題を考えてみたい。哲学は、人間、人間が造る社会、そして自然を、言語を用いて理解することだと思う。換言すれば、哲学とは、人間、社会、そして自然の、言語空間への投影作業であり、言語空間内の領域にある。(注2)
 
 言語が数千年或はそれ以上に亘って整備されたことは、我々人類が、個人やローカルな社会から独立した共通の“言語空間” (注3)を持っていることを意味する。人間や社会に関する哲学が発展した古代ギリシャの時代に、社会のあり方としてデモクラシーが考えられた。つまり、“公の社会とそこへの個人の参加の仕方”が、考察されたと思う。そして、“公の社会”への参加は、社会の抱える問題とその解決法を、公の空間で言葉により表現することでなされる。そのプロセスで、社会と人間、その両者の関係に対する理解が深まるのである。また、同時進行的に事象の論理的な言語空間への射影を可能にする、独立した(動かない)言語空間とそのベースとなる言葉ができたのではないだろうか。その伝統を持つ、西欧の言語が論理的に優れた構造を持つに至ったと考えられる。

 以上の考え方をサポートする証拠として、数学の発展が挙げられる。数学は広い意味での言語に属する。そのことは、数学は自然科学を表現するために用いられる道具であり、存在物から独立しているという事実から明らかである。(注4)
 そして、言語である数学は、それを用いて表現する科学の発展に伴って、発生整備されて今日の形になったと考えられる。このことは、一般の言語が整備された形へと発展したことと“公の社会空間”の発展が、丁度DNAの2本鎖のようにして進んで来たことと相似的である。

 さて、以上の考察から、何故言語空間の独立性(揺らぐかどうか)に地域差(文化の差)があるか?が解る。日本語は、残念ながら、論理的に整備されていない言語であると思う。その原因は、オリジナル日本語という小さな言語体系に、大きな体系を持つ漢語や西欧語が、“有力な管理者”がいない状態で輸入され定着したためと思う。この詳細も別に述べたので省略する。(注5) この現象論的な理解の他に、上記の”公(おおやけ)としての社会”の発展度の違いから解釈することも可能である。つまり、日本国民が共有している言語空間が、十分な普遍性と論理性(鏡の平面性に相当)を有していないことの裏側に、日本国は歴史的見て、「公としての社会」の未発達な段階にある事実が存在すると考えられる。

注釈:


(1) http://island.geocities.jp/mopyesr/kantou.html

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(2)言語空間とひと言で言っても、そのベースである言語の出来次第で、射影するのに良く出来た平面状のものから、頭の中で被投影物に再構成する際に大きな困難を感じるものまである。ここでは、この揺らがない平坦な鏡のような言語空間へ進化するプロセスを論じているのである。 因に:小説は言語空間から実体験空間への逆投影を言語側から行なったものと解釈される。


(3) これは、概念としての言語空間という意味。米国人を日本人では等しく言語空間を持つが、言語が違うことでその言語空間の性質はかなり異なる。
(4) 繰り返しになるが、数学は自然科学の一分野でないことは周知の通りである。
(5) http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html

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(6) 安曇川上流に住む兄に電話したところ、避難しなくて大丈夫だということだった。
 現在日本では、不妊の検査や治療を受けたことのある夫婦は、6組に1組の割合であるとのこと。そして、不妊治療専門のクリニックが世界一多く、体外受精の実施数も世界一になっていると言われている。http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0623/
その種のクリニックが繁盛している様だが、一方でダウン症などの異常児の出産との関係が議論されており、日本民族の将来が心配である。この不妊治療が多いことの原因の一つとして、女性の社会進出に伴って晩婚化が進み、自然妊娠が出来ないケースが増加したことがあるという。日本社会の西欧化に伴った歪みの一つであり、根本的な克服は困難かもしれない。ここでは、不妊治療に話を限って、問題点を考えてみたい。
 不妊治療には色んなレベルがある。大きくわけて一般不妊治療と生殖補助治療(ART)の二種類に分けられる。一般不妊治療は子宮のコンディションを整えることとか、排卵を誘発するなどの方法、そして医師の手による人工受精で受精確率を高める方法などがある。一方、ART(Assisted Reproductive Technology)では、精子、卵子を直接取り扱い、生殖を補助する“工学的”不妊治療(私の造語)を意味する。ARTは、体外受精(IVF)と顕微授精(ICSI)にわけられる。顕微授精の場合、漢字として受精ではなく授精が用いられるのは、直接精子を卵子内に注入する方法だからである。ARTの場合は、胚を子宮に移植するのが一般的で、他に比べて障害児となる危険性は増加するだろう。数千万とも言われる精子間での競争で受精が行われることで、人間という種(しゅ)が守られて来たのである。その事実を無視する傲慢(医者と治療希望者の双方)な方法である。
 男子に不妊の原因のある場合、精管の閉塞などを外科的に治療するタイプから、精子を精巣から直接採取するTESE(Testicular sperm extraction; 精巣からの精子採取)やMD-TESE(顕微鏡下で精子を探しながらのTESE)といった方法で、不妊治療がなされる場合がある。これらの場合、顕微授精を併用することになるだろうから、非常に人工的なプロセスで出産まで進むことになるだろう。ただ、TESE-ICSIでの受胎率は非常に低く、それだけに多額の費用と多くの危険性を覚悟する必要がある。注(1)
 障害児が産まれる危険性は、これら種々のケースによって大きく異なると思うが、そのデータが蓄積公表されていない。注(2)それにも拘らず、不妊治療が保険外治療として広く行われ、医師たちが多額の報酬を得ているのは問題である。これは、医師の収入をねたんでいるのではない。保険外で高収入が得られる事が、医療の本来の姿を歪めている可能性があるからである。これらの医療は果たして、不妊に悩む人のためにあるのか、それとも医者の為にあるのか疑問に思う。

 古来より、子供を得ることを、子供を授かると言って来た。この表現には、新たな命を生じることは神の領域にあり、人知を超えた厳粛なる出来事であるという考えが根底にある。その伝統をいつの間にか破壊し、「子供を作る」という人間の領域に移して、埒外のARTなどで神の領域を犯しているのが現在の不妊治療だと思う。

実際、ネットで検索すると、ARTによる不妊治療に関する悩みや不幸な現実が掲載されている。例:http://blog.goo.ne.jp/uhb123/e/c19678692234b420b82f4c6888501485
<これは理系とは言え、他分野の元研究者の文章です。訂正すべきことがありましたら、ご指摘お願いします。>

注釈:
(1)コーネル大のページ(下のアドレス参照)には、この方法を実施する際の重要なことが書かれている。
a)TESEを行う前に、無精子症が治療可能かどうか完全な原因調査と健康診断を行う。
b)また、TESEを決める前に、女性側の妊娠可能性の評価を行わなければならない。そして、ここでは排卵サイクルを考えてTESEを実施している。
c)このTESE-ICSIでの妊娠確率は20%程度でる。https://www.cornellurology.com/clinical-conditions/male-infertility/sperm-retrieval-techniques/non-obstructive-azoospermia-and-tese/
(2)障害児出産の確率は、外国での研究報告がいくつかある。この種の治療は、データが揃ってから行うべきであることを強く訴えたい。http://keywalker.afpbb.com/headline/search?q=%22ICSI%22&sort=date&type=text