昨日の中日春秋に秘密保護法案の危険性が指摘されている。佐藤内閣の時代に中国が核実験に成功した時、日本が潜在的核保有国(注1)を目指すことが、政府により検討された。そして、核と宇宙技術の平和利用の陰に、潜在的核保有国という刃をしのばせることになったと指摘している。その経緯を元官僚らの証言を元に、この新聞が連載記事を組んだということである。

 

そのような官僚の証言は、この秘密保護法案が成立すれば得られなくなることを、この記事を書いた中日新聞の重鎮は憂いているのである。しかし、政府は将にその様なインテリジェンスを防止する為にこの法案を作成したのであり、明確且つ説得力のある安全保障政策を対案として示さないで、単純に批判することはどうかと思う。

 

同新聞の同じ一面に、「国民主権に逆行、デモ参加者怒り」と題して、この法案に反対するデモを報じている。議論が国会で行なわれており、そして、我国は間接民主主義の国であるから、「国民主権に逆行」という批判は成り立たないことを、この新聞編集者は知っている筈である。

米国を始め多くの西欧諸国は、民主主義の名を語りつつ、民衆の知らない部分を政府が持つ制度を備えている。民主主義が衆愚政治に堕落する危険性は、戦前ドイツで民主的に全体主義国家に導いた人、そして日本でもワンフレーズで選挙を大勝利に導くような人が現れたことにより実証されている。古代ギリシャで出現した民主主義が、一度衆愚政治として評価を落した事実や、古代中国で「由らしむべし、知らしむべからず」という言葉が政治の基本であると信じられた時期もあったことなども、民主主義の欠点を示していることを、我々は忘れてはならない。

この記事を書いた方は、国際政治は将にダイナミックなものであり、悠長な議論の為の議論の末に問題を先に送る、日本の様な国の政治を受け入れてくれないことなど、想像できるのだろうか? もし隣国が拡大主義をとるのなら、日本国も相応の準備をプロフェッショナルな議論を通して、また、同盟諸国との連携のもと執ってもらいたいと思う。

 

全てを国民に知らせてから決断する政治では、専門家の議論は国民の感覚的反対とワンフレーズ政治家との連携により破壊される危険性を持つ。もちろん、適用範囲を限定すること、数十年後(30年が望ましい)に全てを明らかにして、歴史の検証に晒すこと、等を条件にすべきだと思う。そのように修正して国会で議決してもらいたい。(注2)

尚、国際政治において、それぞれの機関や国家が掲げているスローガンと、本当の狙いに差がある場合が多い。宇宙開発は明らかに兵器開発が主目的であり、宇宙の資源開発や自然科学研究などはその隠れ蓑であることは常識である。資源開発としてはコスト的に採算が合わず絶望的だし、宇宙(たかが数百キロ上空)で行なう科学実験などほとんど茶番である。(注3)

 

また、最近話題の地球温暖化問題も、発展途上国の資源消費を減少させるという隠れた目的で始められたが、国際舞台で途上国の発言力が次第に増すに従い、途上国が先進国から技術供与や資金援助を奪い取るということに、隠れた目的が変化して来ているということである。一方、地球温暖化を専門的に論ずるべき科学者の中には、地球は小氷河期に入りつつ在るという意見を出している人も多いが、それに耳を傾ける政治家は殆どいない。(注4)


注釈:

1) 他国からの核兵器攻撃の脅威に晒され、国家存亡の危機にある時に、短期間に核兵器を作る能力を保持する国

2) もちろん、このような法案でも何でも、政治家が高度な知識と経験を有していることが基本的要件であるが、その点の不安は非常に大きい。従って、両手を上げて賛成という訳ではない。政治家の質の向上には先ず、一票の格差を小数点2桁まで是正することが民主政治として必須である。更に、詳細な危険性についての議論は, 田中秀征氏によりなされている。 行政機関の長が秘密の指定を行なうとのことであるが、その機関を具体的に書いてもらいたい。選挙で選ばれた機関の長以下のレベルが指定するのは、民主主義の原則に反する。

3) 無重力の影響などの実験が披露されているが、想像を超えるような面白い成果はない。物を浮遊させる実験は、強力な磁石と物質の反磁性を利用して地上で行なうことが出来る。その成果が、実際に科学雑誌に投稿されていた。この分野では、地球周回旅行が唯一例外的に、将来のビジネスとして成立するかもしれない。

4)田中宇氏の記事より孫引きした。

11/24修正

 文芸春秋12月号に、山田孝男氏(毎日新聞専門編集委員)による小泉元総理の反原発の提言とそのマスコミに語る経緯が掲載されている。小泉氏の原発反対の根拠は核廃棄物の保存場所が無いことである。要約すると:1)核廃棄物の放射能の半減期が10万年位あるので、それ以上の長期に亘って廃棄物を保管する必要がある;2)日本は地震国であり、その地盤は安定しておらず、10万年間安全に保管する場所はない;3)廃棄物の保管場所が無い限り、原発はゼロにしなければならない、という論法である。一見明確な論理のように見えるが、少し考えればずさんな論理であることに気付く。また、小泉氏は原発推進から原発ゼロ派に換わったのは、大震災が契機であるとしている。しかし、上記論法は、東日本大震災による原発事故とは本来無関係である。巧妙に震災による事故と反原発を結びつけるやり方は卑怯である。私は、動機不純を感じる。(注1)
 上記3つの命題であるが、先ず1)の核廃棄物の半減期については科学的なもので、疑問の余地はない。2)の前半、「日本は、地震国であり地盤は安定していない」についても、場所により差があるものの、大陸に比較して地盤は安定していないだろう。しかし、それ以降の論理は、直線的で幼稚である。地盤が安定しているフィンランドでも、10万年間、最初の保管形態のままで、廃棄物が漏れ出ない保証などない。著者が、小泉氏の意見に対する補足として、「現在の技術で、十万年持ちこたえる構造物が作れるのか。そもそも十万年の耐久性を夢想すること自体ナンセンスではないのか」と書いている。その通りである。つまり、彼らは単純に一度コンクリート詰めしてトンネル内に放棄し、10万年以上放って置くと思っているのである。私は、当然一定期間毎のチェックとメンテナンスが前提とされていると思う。例えば「100年毎のチェックと数百年毎の補強」などのメンテナンスを予定している筈だと。そう考えれば、日本においてもフィンランドにおいても、その保管の方法に大差はないだろうし、フィンランドで出来るのなら、日本でも保管は可能な筈である。核廃棄物のガンマ線は1m程度のコンクリートでブロックできる。数百年後人類が死滅していなければ、優秀なロボットが出来ている筈であるから、数百年に一度、新しいコンクリート容器にロボットを使って入れ替えるなどの方法で、永続的に保管できるのではないか。
 著者が「潜在的核武装能力を失うと、国の独立が脅かされませんか?」と問いを投げかけたところ、小泉氏は「もともと核戦争なんか出来ないのだから。核武装なんて脅しにならない」と簡単に切り捨てている。この無責任さには呆れる。インドやパキスタンが核武装し、北朝鮮が核武装にこだわるのは、国体護持のためである。日本国民は北朝鮮や中国の核におびえてないというのだろうか? 
 現在、日本や世界の経済が順調に見える人も多いだろう。しかし、米国の通貨発行量(マネタリーベース)はリーマンショック後に4倍近くなっており、世界中の国もそれを模倣して、通貨安競争になっている。(通貨安競争の終着駅は、国民の富の収奪である。)米国だけでなく、世界中の国が、深刻な財政問題を抱えている。また、経済発展と不可分の関係にある貧富の差は、中国や米国だけでなくあらゆる国の政治を不安定にする可能性がある。例えば、株価が上昇し続けて一見景気が良さそうな米国では、食料配給に頼る人が10年間でほぼ倍増し、5000万人近い数に上っているとのことである。(注2)原発といった個別の比較的小さな問題よりも、国家の経済(そして世界の経済)こそ、最もその国を(そして世界を)危険で不安定な状態にするのである。
 世界規模の戦争は起こり難いだろうが、東アジアだけといった地域限定的な戦争が起こる可能性があると思う。私は、核兵器保持国において経済混乱がピークに達した時、その国をそのような状態に落し込んだとして、核兵器を強力な外交の道具として用い、日本国を支配するかもしれない。その際、日米の同盟などのメッキは簡単に剥がれるだろう。そして、“平和裏に”例えば多量の移民を送り込み、そこで要職に就かせる形で富の略奪をおこなうかもしれない。世界の人は小泉氏が夢想するほど優しい人ばかりではない。(注3)数百年後、この地球上に生き残る国は、核兵器保持国だけになるかもしれない。
注釈:
1)週刊新潮、10月17日号、22ペイジ参照(& 週刊新潮、11月21日号、22ペイジ)
2)例えば:http://tanakanews.com/131111ushunger.htm を参照。
3)最近読んだ、ワイルドスワンに書かれている、毛沢東の大躍進運動や文化大革命の様子にはショックを受けた。
 家庭薬がネットで販売されるようになる。しかし、今暫くは劇薬を含む数品目に関して、その中に含まれないことになった。前面解禁でないことに不満をもった楽天の社長が、政府の産業競争力会議の委員(注1)を辞任すると発表して話題になっている。
 この三木谷氏の反応には違和感を覚える。産業競争力会議は規制緩和を一つの旗印にしているが、何でも規制を無くせば良いというものではない。毒物及び劇物取締法では、医用薬品に含まれるものの取り締まりは薬事法に任せることになっている。従って、薬事法を改正する場合は再度毒物及び劇物取締法との関係を考慮する必要がある。例えば、ネット販売では全国の薬店から並行して同じ薬品を購入することが出来るので、一人の人間が大量に単一の薬を入手することが容易に出来る。その場合、家庭薬の不適切使用だけでなく不正使用も念頭において、薬事法の改正を考えるべきだと思う。つまり、対面販売では抵抗を感じても、ネットでは不正使用の為の買い付けであっても心理的バリアーはなくなるのである。薬のネット販売にはこのような微妙な問題が存在するにも拘らず、自分の会社の営業に影響する為か、腹を立てて委員を止めるというのは、まともな動機とは思えない。更に、この薬品販売における規制緩和は、産業競争力向上に殆ど関係がない。(注2)
 産業競争力の向上には、新しい技術や製品の開発、新しい需要の開拓(人生における新しい楽しみ方の提案)、優秀なる人材の育成、各社製品のブランド力の向上などを如何に図るかかが大切である。インターネットの利用促進も確かにその中にあるが、それについてはその負の側面を理解し且つ利害関係に無い人の議論が重要であると思う。

注釈:
1) 企業などで経済活動に従事する民間人を委員にして、国の経済に関する重要な決定に(実質的に)関与させることは、民主主義の原則に反するように思う。それは、一つには利益誘導を彼らが行なう可能性があるからであり、もう一つには、国民一人一人が同じ重みで政治に関与するのが民主主義の原則だからである。専門家の知識が必要な場合、官僚や行政に含まれる研究機関が情報の収集にあたり、白色スペクトル的な情報を政治家に上げるべきである。
2) ネット販売をゆるして、産業競争力をつけるのは楽天やアマゾンなどネット企業である。一方、薬店などは競争力を削がれる。売れるものの量は、不正使用などが無ければ殆ど変わらないので、何処に日本国の産業競争力と関係があるのか解らない。過疎地からでも入手可能だという意見もあるが、車で町に出て買えば良い。過疎地が市街地と同じ利便性を求めることこそ異常である。