外交は国家間の交渉であり、日本は一般に交渉事に弱いと考えられている。従軍慰安婦問題を例にとると、河野氏が、”その経緯や実態についての調査結果などに十分考慮しないで、慰安婦と呼ばれる方々個人への配慮が表に押し出された謝罪発言”を、国家の中枢から発表した。その河野談話により、その問題は解決に向かうよりも、より大きなものになってしまったのである。そこで、何故そのように相手側の事情を自分の都合よりも優先するような事態に、日本人は陥ってしまうのか?、その理由を考えてみた。 
 
 一般的に交渉の進展をステップに分けると:1)Aは、何かを自分の都合や権利などを考えて相手Bに要求する;2)Bは、自分の都合と義務などを考えて、Aの要求の正統性や実行可能性を考えて、YES或いはNOか、3)Aの要求の一部を除いて、或いは、変更すれば受け入れ可能であるなどの返答をする;4)Aは、Bの指摘の正統性や要求変更の可能性を検討して、Bに返答する;5)そして合意或いは拒絶という結論に至るまで、3)と4)の交渉が継続される。(注1) 
 
 ここで、日本においてこのような交渉過程が一般的だろうかというのが、今回の主題である。 
 最初に指摘したいことは:上記1)のプロセスの段階で、Aは相手側Bの都合や実行可能性を、西欧などの場合に比較して重く考えて発言することが、日本の交渉における大きな特徴ではないだろうかということである。当然、交渉事はその成立可能性が無ければ、時間とエネルギーの浪費になるので、ある程度の成立可能性がなければ始めるのは愚かな行為ということになる。しかし、最初から相手側Bの都合を重く考えすぎると、交渉において損をするばかりか、社会全体としての能動性に欠けることになる。(注2) 
 
 日本人が、相手側の都合を交渉事が始まる前に、過剰といえる位に重く考えるのは、日本文化の特徴のひとつである。そして、それは日本社会の性質に由来していると考える。幼少期に、親から「言い訳をするな、素直な人間になれ」と叱られた経験を持つ人は多いだろう。この教育上の台詞は、上記交渉事の2)からのプロセスを否定することを意味している。そして、「要求」は上位に在る者から、下位にあるものになされる行為であり、そして、その要求には十分下位の者の事情にも配慮が行なわれている筈のものであるから、答えは「YES」しか本来あり得ないという考え方に基づいている。 
 
 つまり、上記交渉事のプロセス1)ー5)は、ABが個人として対等の立場にあることが前提で成立するのであるが、日本は民主主義を標榜しながら、上位と下位の者が峻別されている儒教社会の国であり、その前提が成立していないということである。今でも、時代劇にあるように、「お代官さんが百姓どもの事情も十分考えた上での“お達し”なのだから、唯々諾々とお達しの通りに振る舞うのが人の道と言うものだ」的な社会なのである。この日本文化の特徴とそれがグローバル社会におけるデメリットになることについては、既に他の場所で「敬語の愚」と題して述べた(注3)。
 
 裁判における検察、弁護、判事の役割分担や、論理学における弁証法などの発想も、上記ステップbyステップの交渉プロセスと同様、人間一人では正しい”神の判断”に近づけないことを知り尽くした集団が考えだした、人類文明の近代化の礎とも言うべき智慧であると思う。これらは、ギリシャなどで開花した地中海文明にその基礎があるのだろう。(注4)
 
 そのような西欧の伝統が、地球規模のスタンダードになっている今、社会に層状構造を持ち込んだ儒教の教えに順応してきた日本文化は、現状では賞味期限切れと言わざるを得ない。この儒教社会からの脱却は、幼少期の教育から進めなければでできない難題だろう。私は、この件については、明治維新のときの様に、国家の枠組みから換えなければ解決しないと考えている。突飛な提案だろうが、もっとも可能性があると思うのは、大阪都の実現と首都の江戸から大阪に移すことである。それを契機(ショック療法的契機)にして、社会の構造を原点から考え、構築し直すことであると思う。(注5) 
 
注釈: 
1)このプロセスは、研究者が論文を学会誌などに投稿して、編集者(とその手助けをする査読者)との交渉を経て、発表に至るプロセスと全く同じである。
2)社会は様々な問題を、指摘する側とされた側の交渉というプロセスを経て、解決する。それが、社会の”枠組み”がより実態にあった形に変化していくことにつながるのである。<br>
4)これは理系人間の浅い考えかも知れませんので、コメント期待します。
5)この大阪遷都構想は”オチ”ではありません。大阪の本音文化と東京の建前文化の違いを、積極的に利用すべきだと言う趣旨です。日本は官僚組織が支えている国家ですが、そこへ西日本の人間を多量に送り組むことで、新しい発想を持ち込むことが可能かと思う。関西圏で30年、関ヶ原を超えて35年の経験に基づく意見です。
日米中の関係:
 オバマ大統領の訪問とTPP交渉の同時進行は、経済関係における米国の利益抜きに日米安保もあり得ないことを示している。
 オバマ大統領は、日米の同盟は太平洋における米国の安全保障上も重要であると発言して、尖閣諸島の名前を明言する形で日米安保条約の重要性に言及した。しかし、米国の新聞フィナンシャルタイムズのネット版は、この同盟には見返りが無ければならない(注1)と指摘している。つまり、米中経済関係の大きさを考えれば、米国に経済的見返り抜きに日本や韓国の防衛にコミットするメリットがないということである。
 TPPに関しては、裁判でとんでもない判決(注2)が出る可能性のある米国とISD条項に合意することなど(注3)の危険性があるが、これは安全保障を考えて選択しなければならない問題かもしれない。今となっては、日本国は前門の虎に後門のオオカミ遺伝子を持った親分の状態に置かれている様に見える。ただ、被害者意識を持たなければ、TPPEUの前段階にあったEECの様なものと考えることも出来る。そのような場合、安全基準や裁判制度を含む社会制度も同じ方向を目指す必要があるのだから、そして、経済規模の差や片務協定的な日米安保を考えれば、日本の歩み寄りは米国のそれより大きくなるのは当然だろう。
 今まで、一人前の国になるという努力を怠って来た我国が、グローバル経済の中で生きて行く道を今探しているのである。その自覚を政府とともに国民も持たねばならないと思う。共同宣言を何とか出すべきである。出さなければ、オバマ大統領の尖閣諸島に言及した発言も霞の彼方に遠ざかるだろう。
 
注釈:
(1)              Asian allies need to give somethingbackと書かれている。
(2)               マクドナルドのコーヒーを膝にこぼしてやけどしたことで、何億円も賠償金をとった人が話題になったこともある。理由は、コーヒーの温度が高く、やけどの可能性について注意が十分されてなかったことである。
(3)                 「米国の安全基準を満たしていれば、米車を日本は受け入れる」というのが、豚肉の関税とともに、今回TPPが合意に至らなかった主な項目である。
 理化学研究所(理研)のスタップ細胞研究に関する捏造疑惑が、政府が成長戦略の一つと位置付け予定していた「特定国立研究開発法人」制度に影響を与えることになり、それが逆にスタップ細胞に関する報道に影響しているという話がある。私にもそのような解釈が、昨今のスタップ細胞報道の最も判りやすい解釈だと思う。もし、その通りなら、政府、マスコミ、マスコミという表舞台で活動する著名人が愚かな姿を世界に晒していることになる。 
 この件の指摘は、経済学者の小笠原誠治氏のブログで見たのが最初である。(注1) スタップ細胞論文に関して否定的な評価が定着しつつあるにも拘らず、4月13日、森本元防衛大臣や中谷元防衛庁長官がテレビ放送報道2001において、「小保方氏が200回作成したというのだから、成功したのだろう」という発言を行なったのである。小笠原氏は、4月20日の同じ番組で芦田宏直氏という人が同様の発言をしていたとブログに書いている。(私は、昨日の放送は観なかった。)彼ら元政府幹部さえ、魂を簡単に売り渡す人種だったということである。「詳細な検討が他者によりなされ、現在否定的な評価が定着しつつあります」と指摘すれば、中谷氏や森本氏は、「いやー専門ではないもので、詳しくはしりません。」と逃げるのだろう。(注2) 
 この「特定国立研究開発法人」であるが、その候補にあがっているのが、小保方氏のいる理研と経済産業省傘下の産業技術総合研究所(産総研)なのである。スタップ細胞の否定的な評価により、理研の指定は国民の批難を受ける可能性がある。その結果、台本どおりにはやり難くなったので、当面スタップ研究の評価をごまかそうとしているというのである。つまり、このままでは安倍氏の3本の矢の3本目が上手く打てないというのである。 
 ここで私が言いたいのは、上記の情けないマスコミ周辺の姿など(注3)も一つだが、この「特定国立研究開発法人」は、東北のバカの壁と言われる聳える数百キロの防潮堤建設と並んで、金の無駄使いに終わるだろうということである。<br>
 結論を言えば、科学振興は広く大学などの研究者のレベルアップ(留学の為の奨学金制度を拡充するなど)など底辺を広げることが大切であり、重点化は金の無駄使いに終わることが多いのである。何故なら、大発見は屡々思わぬ所から起こるからである。ノーベル賞に輝いた研究者の多くは京都大や東京大出身者であるが、その研究が他の場所でなされた場合も多い。例えば、湯川秀樹の中間子理論は大阪大で、朝永振一郎のくり込み理論は東京文理科大(後の筑波大)で、白川英樹の伝導性高分子は東京工業大で、山中伸弥氏のiPS細胞は神戸大である。理研理事長の野依良治氏も名古屋大での研究でノーベル賞を授賞された筈である。日本発の偉大な科学的発見を目指すなら、広く全国の大学に自由な研究環境(研究費を含めて)を実現すべきである。(注4)「特定国立研究法人」の指定や、競争的資金などによる重点化は、無駄使いに終わることが多い。 
 ところで、何故理研と産総研なのか?(注5) 理研が優秀なる人が関係していたことはよく知られている。しかし、スタップ細胞の件と関連して、ノーベル賞受賞者、例えば湯川秀樹や朝永振一郎などが理研に所属していたことについての報道の仕方には問題がある。あのような報道では、ノーベル賞の研究を理研で行なったと一般人に誤解を与えることになる。理研の研究がノーベル賞に輝いたことはないのだ。上記両研究所には、現在でも多額の国費が投入されている。何故、それに加えて多額の金を経常的につぎ込む必要があるのか?大きな課題において萌芽的に成功を収めている研究があれば、既存の制度で支援は可能である。そして、全く思いもよらないノーベル賞級の研究を育てるのが目的なら、重点的に金をつぎ込むことは的はずれに終わる。特定の研究所を重点的に支援することが無駄に終わる理由は、それらは人が選ぶプロセスであり、一方、偉大な研究は神が研究者を選ぶプロセスだからである。白川英樹氏が電気伝導性高分子の発明によりノーベル賞を受けた時、白川氏は日本化学会賞すら受賞していなかったことを思い出すべきである。日本化学会という同じ専門家の会ですら、幹部と縁の薄い人に業績を評価して賞を出すことが出来なかったのである。日本は未だに縁故主義の国(注6)であり、“何かを客観的指標でもって選ぶ能力”など無いのだ。

注釈:
1)小笠原誠治氏の「経済ニュースゼミ」
2)テレビで元政府中枢が何かについて喋る場合は、この逃げ口上は使えないことを知らない筈がない。
3)そのような考え方が政府から出て、中谷氏や森本氏の発言に加えて、理研のバッジを付けて笹井氏が臨んだ会見における、「スタップ現象は存在すると思う」と言う発言なども、一繋がりの現象であると考える事も出来る。そうすると、前回書いた笹井氏の発言に対する疑問も解ける。
4)準教授や教授をその研究室出身者(大学院生及び助教)から選ばないなどの工夫がないと、縁故的採用が多い日本では、大学教官の質が上がらないことを指摘しておきたい。
5)理研は文部科学省の傘下、産総研は経済産業省傘下である。こんなところで、省益バランスに気を配るのも、特定研究法人指定が愚かな政策であることを暗示している。
6)元防衛大臣は政府の方から依頼されてあの様な発言をしたのだろう。人と人の関係が真実に優先する日本など東アジア諸国では、西欧文化は根付かないのである。
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