中日新聞の本日(h26/5/8)一面トップの記事が、小泉・細川両氏が新団体「自然ネネルギー推進会議」を政治団体ではなく社団法人として設立し、脱原発を目指すという内容のものである。2人の元首相が政治団体でなく社団法人として、脱原発団体を立ち上げるというのは今一つ動機不純の感がある。いったい彼ら過去の政治家が、原子力反応、放射線化学・医学生物学、原子力工学の何を知っているというのか?自然エネルギーの何を知っていると言うのか?日本国が経常赤字に転落している現状を、そして、高いエネルギーコストに苦しんでいる企業の姿をどう考えているのか?
 日本はマスコミが極めて貧困な国である。このような三面記事になるべき話題を、一面トップに持ってくることや、テレビがトップニュース的扱いで報道する事をかんがえれば、そう評価せざるをえないのではないか。テレビでマイクを握る空気を読む天才と評価された元総理の姿をみると、彼はもはや社会の空気が読めていないことが明らかである。「東京都知事選で3位になった老人2人のコンビの、屈しない姿に感銘する」とでも報道すべきだったと思う。
 
 元々「脱原発」を含め、「自分は何々をやらない」と宣言することは、幼児的である。親に叱られた3歳の幼児が、「僕、もう何何をやらない」と云う場面を思い出すべきである(いったいあの年老いた子供達の親はだれなのだ)。その台詞は、自分の手足を自分で縛るという宣言だからだ。独立国の政治家は、広い角度で世界を見、あらゆる手段を考えて、国の進路を決定するのが本来のあり方である。その元政治家、しかも、元総理大臣の2人が、狂気の形相で脱原発を宣言し、社団法人を設立するということは、異常というしかない。 
 
 マスコミの人たちに、プライドなど無いのかと言いたい。
 中国裁判所が、戦前のトラブルに関して、当事者の会社ではなく、既に代替わりした会社である商船三井に賠償金を支払う様判決を出した。時効という近代的制度も日中共同宣言も、どこふく風。これでは、中国から漢字の使用料を請求されるかもしれない。 
 習近平主席はドイツで、日本軍が先の大戦で中国人3500万人殺したと演説したという。毛沢東と日本軍を取り違えているのではないかと川口マーン恵美氏はWillの六月号に書いている。(注1)<br>
 韓国が、従軍慰安婦の悲惨な姿を宣伝するときは、当時の韓国の悲惨な経済状態や軍の将校の何倍も収入を得ていた慰安婦の方々の話はスッポリ抜けている。もちろん現在の視点からは、非常に悲惨な情況であることには異論は無い。しかしその責任を日本だけに帰すべきではない。これでは、「何もかも私の不幸はあなたの責任よ」と離婚直前のアホな女の言いぐさとそっくりだ。 
 ウクライナの紛争の原点は、ソ連からロシア、ウクライナ、カザフスタンなどの国に別れる際、ウクライナはEUに入らずに、緩衝地帯的な位置にとどまるという了解があったと何処かで読んだ。(注2)そして、合法的なウクライナの政権担当者(親露)がテロリズムで国外に追い出されたあとの臨時政権(親EC、追い出した側)が、クリミヤなどでの独立運動家をテロリスト呼ばわりする資格があるのか? そんなことはおかまい無しに、ロシア経済制裁とウクライナ暫定政権の支援の音頭をとるのは、米国の独善的態度ではないだろうか? 
 日本でも、健康に良いという証言などを捏ち上げ、多くの会社が高い値段で”健康食品”を売りつけている。また、プラズマクラスターとかマイナスイオンとかいう化学専攻の私には全く判らない化学用語を用いて、エアコンなどを売っている大企業。行政はなんにもしないのは、梅の木のカイガラムシか(注3)。
 何もかも世の中インチキだらけ。研究者のインチキが話題になっているが、そんな小さいインチキなど当事者に任せておけばよいのにと思う。(注4) 
 
注釈: 
1)同じ号に、西村真悟氏の「中韓の武器は嘘と捏造」と題して、面白い文章を書いています。
2)田中宇氏のブログ(一部有料)だろうと記憶している。
3)カイガラムシは木の幹にびっしりとくっ付いて、樹液を吸い取る害虫。
4)STAP論文の問題は、このブログでも何度も書いた様に、学会内で解決すべき問題である。また、一般人には理解困難で、且つ、理解不要である。ただ、人件費(該当研究者の雇用)と研究費に関連する、税金の適正使用という側面だけで、一般社会と関係を持つ。
 今日の5チャンネル(TBS系)の番組で、依然としてSTAP捏造疑惑を報道していた。この件は現在混乱を極め、理研の調査委員の論文調査にまで話が及んでいる。理研もマスコミと政府の両方をにらみながら、戸惑っている様子である。研究者たちは、お笑いの領域に入った事件を薮睨みしている感じだろう。
 
 前にもブログで書いたことであるが、一般に、科学論文は学会が評価することであり、所属機関が審査することではない。そして、信用のない論文は評価されないために総説にも引用されず、いずれ研究者の記憶から消えるだけである。
 小保方氏から共同研究者の若山氏に渡された細胞の遺伝子が、本来のものでないことを若山氏が知ったことをきっかけに、この疑惑が大きくなった。その研究結果が(つまり小保方氏が)信じられない為、論文を取り下げるよう若山氏が主張した段階で、STAP論文の価値はなくなっている。写真の切り貼りなどは、論文の信用を低下させることにはなるが、決定的ではない。決定的なのは、共著者が論文取り下げを主張していることと、その理由となった実験試料の受け渡しの段階で、細胞の遺伝子が変わっていたことである。
 
 STAP細胞があるかないかは、理研の調査が明らかにすることではなく、次に誰かチャレンジしてその作成に成功して論文を書くまで、Nature論文が投稿される前の段階にとどまる。ただ、Nature論文が取り下げられない限り、それにエネルギーを注ぐ研究者は他のグループには出ないだろう。そして、今のような情況で論文を取り下げなければ、その研究に拘った人の科学界における信用は無くなるだろう。(注1)信用のない研究者を抱えることは、研究資金の無駄使いなので、公金で運営されている研究所に研究者としてとどめる意味はない。
 つまり、科学は研究者間の信用によって発展してきたのであり、法的責任などという言葉とともに取り上げられる問題とは、遠い世界に存在するのである。(注2)雇用するかはどうかは、対象者の実力を担当者が”主観的に”評価すれば良い(注3)
 
 マスコミは面白半分で、取り上げるべきではないし、取り上げて放送することは何も無いはずである。
 
注釈:
1)笹井氏が論文を出版することが成果100%とすると、論文を取り下げることは、成果ゼロになるのではなく、-300%になることであると言った。しかし、疑惑が深まった段階で取り下げに同意しないことは、それまでに蓄積した科学研究者としての信用が全て無くなることになるのである。
2)特許は研究論文として公知になった段階で申請できないので、ここでは問題外である。
3)研究者の能力は、入試のように点数で出る訳ではない。