このイスラエルとパレスチナの闘いはほとんど終わることはないだろう。現代の異文化間の生存競争の一つであり、この闘いから我々は国家間の本質的関係を、そして異文化の同居の困難を学ぶべきである。「命は地球より重い」という日本の常識的な言葉が如何に軽いかを教えてくれる。過去、中東はキリスト教徒とイスラム教徒との生存競争の場であった。トルコのカッパドキアは、地下の町であるが、キリスト教徒の隠れ住んだ場所である。そこに住む人々の暮らしを、過去に戻って想像すれば良い。
 
 我々、四方を海という何よりも強固な防御空間に囲まれた地域に済む人間は、この現実を忘れがちである。しかし、海をわたった朝鮮半島や中国の住民は、その感覚を持っている。その差を、常に念頭において、国家の対外政策は進めるべきである。
 
 特に危急の問題は移民政策や海外労働者の受け入れに対する政府の姿勢である。これは不可逆過程であり、一度決断すれば、元にもどれない。この日本国を中国に乗っ取られる危険性は、尖閣諸島問題などではなく、移民受け入れにあると思う。カナダのバンクーバーでは、現在1/4近くが中国人だそうである。中国語の看板が遠慮なくあちこちに現れ、伝統的なイギリスとフランスからなるアイデンティティーが失われつつある。そして、香港をまねて、バンクーバーはホンクーバーと影で呼ばれているそうである。

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 櫻井よしこさんの「悪をまき散らす中国と対峙する決断を」という記事が、週刊ポストに掲載されているらしい。今日の新聞朝刊に載った同誌の広告である。買って読む気がしないので、その表題に表わされている視点にのみコメントする。(注釈1)
 
 櫻井さんが決断を勧めているのは、当然ながら日本政府に対してなのだろう。私は、日本は中国に対して損害を被ることがあれば、その個別の件に対して言うべきことをしっかり言うだけで良いし、それしか出来ないと思う。「中国という国に対して、対峙する決断をせよ」など、何を血迷っているのかと言いたい。 
 
 中国政府と対峙する姿勢を日本国政府がとる決断をすれば、反作用として、中国政府は日本政府に対して対峙する姿勢をとる。それは決して、両国の利益にならない。そして、強大な軍事力を持つ中国と対峙する決断をするなんて、まともな軍隊も持たない日本国に出来る相談ではない。憲法を改正して軍隊を持ち、核武装もしっかりしてから言うのなら兎も角、今の日本が櫻井さんのおっしゃる様な決断をすることは、場合によっては自殺せよと言っているに等しい。 
 
 基本的な点で、櫻井さんは勘違いをされているのかもしれない。それは、国家と国家の関係は地球政府が出来るまでは、本質的に”野性の原理”が支配しているということである。つまり、飛び抜けて強大な力をもつ国家があって、それが他の国をどんどん侵略して行っても、罰する権威は存在しない限り、それが後世の歴史に淡々と記述されだけである。大航海時代から西欧の植民地支配に至る歴史を、後世になって裁くことになったのか?そんなことにはならない。 
 
 また、”悪”とはなにか解っておられないようだ。野性の原理が支配する空間において、生き残った存在が、滅ぼした存在に対してとった行為を、その空間に秩序と権威が出来た後世に、形容することばが”悪”なのだ。もちろん、権威が生じた以後、そのようなことは禁止される。しかし、時計の針は逆戻りをして、その悪を罰することはない。広島と長崎の原爆を忘れたのか?中国と対峙せよとおっしゃるのなら、米国からその賠償をとる手段を発表してからにしたらどうか。(注釈2) 
 
 以前に、櫻井よしこさんが、靖国参拝について書いたコラムを批判したことがあった。もう一度、ここでrefer:<a href="http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html">http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html</a>して、この短い文章を終えたい。
 
注釈:
1)南沙諸島の一方的な領有宣言、尖閣諸島に対する対日姿勢、南シナ海でベトナムの主張を無視しての石油掘削、PM2.5のバラマキ、最近の食肉問題などを攻撃されているものと思う。全く異なっていた場合、このブログは取り消します。 
2)このように書いているが、私は、米国の健全な多くの考え方を学び、日本の政治に活かすべきだと思っている。それは、独立した個人、人権と平等の原則、法と正義による支配などである。現在、日本国にとっての最も大切な同盟関係は、日米の関係であることも疑う余地はない。ただ、米国と日本の関係は、国家と国家の関係であり、基本的には利害が支配する関係であると考える。
 今回の時事放談のテーマは、安倍総理が日本の世界に向けた看板である、平和主義を放棄しつつあるという話の内容である。ゲストは元自民党幹部議員の古賀さんと野中さん。両ゲストは、集団的自衛権行使を解釈改憲で可能にするという閣議決定を含め、日本の平和主義放棄を、国民は不安を持って観ているという発言であった。滋賀県知事選で、国民の一部ではあるが、野党系が(と言っても、前知事派)勝利したのがその証拠であるという。 
  
 私の考え方も、両議員と似ているが、「武器輸出3原則の見直し」は安倍政権の最大の愚挙であると考える。日本国も、憲法を改正して自国軍を持つべきであると思うが、その目的は自衛であり、国際紛争には拘るべきではないと思う。その姿勢を、一番安上がりな武器輸出3原則堅持で、世界に示すべきであると思う。安倍総理は、武器輸出3原則の見直しを、“同盟国に少しでも協力出来ることは良いことで、その上経済的にプラスになる”程度にしか考えてないだろう。 
 
 世界は現在かなり流動的であり、米国が絶対的権力の地位、世界の警察官という地位から降りようとしている。そして、日本は米国のほとんど属国であることは事実であり、日米安全保障条約は 米国が切るまで 放棄出来ない命綱かもしれない。日本が中東などの紛争地域に出かけずに、平和主義の看板を降ろさずに済んだのは、米国自身の考え方に基づいて制定した日本国憲法があったからである。その憲法9条と平和主義を唱った前文の精神を、選挙を経ないで事実上放棄しようという、安倍政権のやり方には反対である。また、その強引な手法に反対の声を上げて、意味のある行動をとろうとしない自民党議員や公明党議員達は、完全な政治屋であることを自ら証明している。知性の無い愚かな人達である。 
 
 平和国家というイメージは、日本の財産である。それは自国軍を持たないし他国の軍事増強には協力しないという、自縄自縛の中で造り上げた財産である。戦後70年間貫いたその姿勢を放棄することは、完全に普通の国家、徴兵性で兵士を調達する軍隊を持ち、自国の利益となれば同盟国の侵略に協力する前近代的ともいうべき国民国家の方向に、大きく舵を切ることを意味する。国民は、そして、国会議員は、安倍総理の本を再度読み直し、この知性を欠く総理に日本国を任せて良いのかを、再度考えるべきである。