新・戦争論は、元外交官の佐藤優氏と池上彰氏の対談を本にまとめたものである。中には、興味あるエピソードが多数あるので、その意味ではたいへん面白いが、体系的に現代の戦争を論じた本には思えず、その意味では期待外れであった。 
 
第一章は問題提起の章である。佐藤氏は、最初にクラウゼビッツの戦争論のポイントとして、「戦争は政治の延長である」を紹介し、そして、「“核兵器が作られて以来、クラウゼビッツは無効になった”とか“核兵器は人類を滅亡させるところまで行きつくから、もう大国間の戦争は無くなった”というのが、ついこの間までの常識でした。しかし、どうやら人類には、核を封印しながら、適宜、戦争をするという文化が新たに生まれているのではないでしょうか」と現在の世界の状況を分析している。 
 
しかし、現在の戦争は、アフリカやシリア等先進国とは言えない国で主に起こっている。ウクライナでの戦闘行為も、内戦であり、国家間の戦争ではない。また、これらに欧米が関与している形は、自分達を世界の警察官(消防士)的な立場において、派兵を行なっているだけである。従って、第二次大戦以前の戦争とは全くことなる。更に、最近の旧共産圏とNATOなど親米諸国との“新冷戦”は、実際の戦闘には至って居ない。以上から、佐藤氏が言う様に、「核を封印しながら、適宜戦争をするという文化は新たに生まれて来ている(P29)」は間違いだと思う。 
 
「本当に核は封印されるのか?」と言う疑問をかくも楽観的に無視するのは、インテリジェンスと戦略とは違うと主張してみても、説得力はない。日本にとって最も大事な課題は、「核の傘をどのようにして確保するか」である。核の封印は核保有国の間のことである。国家の生死がかかる場合、相手が非核保有国なら、核兵器は決定的な役割を果たす。それは、江戸時代の侍が腰にさす二本の刀が、武士とそれ以下に決定的な差をもたらしたのと同様である。インテリジェンスをどう定義しても、核兵器を外交の中心に意識するのが、国家のインテリジェンスの基本ではないのか。個人でも国家でも、中心にあることは隠し、殆ど話題にのぼらないのが普通である。その点が欠けている本に、新・戦争論のタイトルは相応しくないと思う。
 
第一章のそれ以降は、日本の諜報能力の無さや、2014/5/12に発表された日本・イスラエル共同声明に関する危惧、イスラエルの無人機の話、イスラムへ人を送り込む中田考という人の話など、興味ある内容だが単に並べてあるだけという印象をもった。第二章以下も同様で、上に書いた様にエピソード集としては面白くても、表題の「新・戦争論」的な議論の深みが無いと思う。その意味では、対談をそのまま原稿にして、適当に章分けした後に、魅力的な名前を付けた週刊誌的な本だと思う。人気第一位(本日、本屋にて掲示されていた)になったのは、表題の所為だろう。
 
面白い点を以下に紹介する。
P40: アメリカ兵の命の値段が高くなり過ぎて、地上軍をシリアに派遣することが難しい。
=命の値段という観点は非常に重要であると思う。
P48: 経済力をもたないと国家はなめられる。
=この視点が非常に大事だが、この一行だけでは軽すぎると思う。中国が尖閣諸島を侵略できないのは、日米同盟もあるが、日本と中国の経済関係も主な原因だと思う。つまり、経済は国防の大事な手段だろう。=
P74: イスラム国の場合は、「世界プロレタリア革命」を「世界イスラム革命」に換えればいい。
= ”ソ連の目指した世界プロレタリア革命において、中心思想の役割を果たしたマルクス主義を、イスラム教に置き換えれば、容易にイスラム国の性質を理解できる”という指摘は判り易い。それを考えると、イスラム国というのは厄介な存在だと言える。ただ、ソ連のように軍事大国ではないのが救いだ。
P80: 遠隔地ナショナリズム。慰安婦問題はアメリカで深刻であるという指摘。
=重要な点だと思う。マイク本田氏の行動はどう考えるべきだろう?
P113: ベルギーは二つの大戦時に永世中立国だったが、侵攻したドイツは「必要は法律を知らない」と言い放った。
=日本の平和と安全信仰と重ねると良いと思う。
P139: ”第一次大戦後、イギリスの委任統治領となったイラクでは、部族による襲撃を大目に見て、報告義務だけ課した”
=英米がアジアやアフリカを見る目の本質が判る。
P178: 日本人の大量帰還は北朝鮮のカード
= こんなカードがあったのかと驚いた。さすが佐藤氏と思った。更に、北朝鮮は日本にとって魅力的な労働市場という冷静な指摘も重要かと思う。
P191: 尖閣問題を軟着陸させる「日本の連邦制をしいて、沖縄を沖縄州として半独立させる」
= 日本の連邦制とは、維新の道州制だと思う。ウルトラCだが、転倒大けがという可能性の方が大。道州制には賛成だが、琉球だけを州にするのは問題があると思う。
P200: 社会における「耐エントロピー構造」(アーネスト・ゲルナー「民族とナショナリズム」)
= エントロピーは熱力学の用語であるが、このような議論でよく使われる。熱力学では温度の上昇によりエントロピーが増加し、このような構造も氷解してしまう筈。耐エントロピー構造という用語は、間違っている。単に堅牢な構造で良い。
P206: 中国にとって、尖閣諸島よりもウイグルこそ重要
= 中国関係では、江沢民との関係が習近平の今後に大きい因子などとともに、今後の中国を考えるヒントが多く含まれている。「中華民族など存在しない」という指摘もあった。
P216: 2050年問題もオバマ大統領を悩ませている
= 2050年問題とは、米国で白人の人口が全人口の半分以下になることで、米国政治が根本から変わる可能性が高いこと。白人と黒人の人口差は、米国の基本構造を決める重要なパラメータだろう。
 
 民族と宗教、国境、経済発展(命の値段)、軍事力、インターネットとビッグデータ、超小型コンピュータなどの多くの因子があり、相互にどう絡むかという複雑問題を考えなければならない。個々のデータ的エピソードの他に、それらを包含する一般論を展開してほしい。
 
 
ニュースによると、維新の会の石関氏の元秘書が逮捕された。衆議院選での買収の疑いである。 

“逮捕容疑によると、山越容疑者は衆院選投開票前の先月上旬ごろ、伊勢崎市内で本木容疑者に対し、石関氏の選挙運動に使用する看板を市内の幹線道路に掲示するなどの選挙運動を依頼。報酬として数十万円を供与した疑い。同課によると、本木容疑者は看板製作やイベント企画を業務とする会社を経営。山越容疑者から依頼を受けた看板は百数十枚で、電柱や街路灯に掲示されたとしている。” 
これは単に作業の代金として支払っただけではないのか?作業への正当な支払額を遥かに越えると言う証拠を、逮捕と同時に明確にすべきである。看板の製作と掲示が例えば一枚三千円程度なら高くないのでは?この様な疑問が生じるケースより、他にもっと怪しいケースなら与党にたくさんあるだろう?それに買収なら、もっと影響力のある人を対象にすると思うが。

 今までの政治への警察&検察による干渉に、もっと日本人は注意すべきだ。例えば小沢氏のケースでは、結局無罪でも政治家を一人潰すことに成功した。司法が実行者としては関係なくても、中川一郎・昭一親子の怪死など、本業の捜査の方でもっと努力すべきではなかったか。勿論、怪死必ずしも暗殺とは限らないが。

石関氏はウィキペディアによると、“民主党の石川知裕衆議院議員の逮捕を受け、同期当選の議員で結成された石川知裕代議士の逮捕を考える会に参加した”とある。つまり、怪しげな政治的意図を持った司法の動きに反発してきたために司法ににらまれたとも考えられる。 

何度も書いて来たが、日本の司法は行政(内閣)と癒着している。今回は、警察という行政機関による立法府(国会)への干渉である。要するに日本は、三権分立なんて全く成立していない前近代的国家だということである。

あの小渕議員の場合は、明白且つ悪質な政治資金規制法違反であり、完全に司法の対象になるべきケースであるが、あまり警察や検察はやる気がないようだ。選挙民はこんなことは考えもしないだろうし、警察が動いただけで票の減少に直結する。どうしようもない国だ。 
ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント(SPE)の金ジョンウン暗殺をテーマにした映画の謎について、田中宇さんが調査した結果を無料で公開している。http://tanakanews.com/141229sony.htm

それによると、米国国務省がその筋書きに関与していたことを示す、ソニーのメイルがハッキングによりもれていたのだ。この件を報じたThe Daily Beastは、ウィキペディアに記述されているようにhttp://en.wikipedia.org/wiki/The_Daily_Beast、米国ではよく知られたメディアだと思う。

田中氏は、米国がSPE社の作った映画が北朝鮮に流れ、北朝鮮内で金ジョンウン暗殺が企てられることを期待したのが目的の一つだというのである。

また、何故ソニーの子会社がそれをすることになったのかについて、田中宇氏は北朝鮮と日本が接近する事を妨害する意味もあったかもしれないと記述している。それは、既に別のブログで私が書いたのと全く同じ筋書きである。http://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56700446.html

日本と日本人拉致被害者の生命にも拘るこの事件の背景について、日本のマスコミは全く報じないのには、驚きと言うより怒りを感じる。特に視聴者から金をとっているNHKは、本来なら、この件を日本政府や米国政府に遠慮なく報じる立場にある。それにも拘らず、官製の情報のみを垂れ流すことで、済ませている。この姿勢は、怠慢というか詐欺的である。