橋下徹大阪府知事が維新の会の共同代表を辞任して、大阪都構想を目指し地方選へ集中することにした。これは二つの意味をもつと思う。一つは、声明文の文字通りの解釈である、地方選での勝利を目指すことである。それより大きなもう一つの目的は、維新の会を全国的な政党に脱皮させることである。今のままでは、橋下氏と松井氏が作った地方の政治団体との認識が国民から消えないのだ。 

 今回の表向きの目的も、大阪府民にはプラスの印象を与えるだろう。そのまんま東が宮崎で見せた、地方政治を踏み台にするという政治屋モデルを、橋下氏に適用することが、これで完全になくなるだろう。
 橋下氏が示すべき事は、地方で幾ら頑張っても、中央から政治を変えないとどうしようもないことである。つまり、道州制の導入が日本の地方中核都市を中心にした活力を全国に漲る様にする唯一の方法である。 

 つまり、英語で言えば、The United States of Japan (USJ)が、国民全てに市民意識を醸成し、自分州の政治に積極的に関与する勇気を与えるだろう。今のままでは、東京にある政治と東京にいる政治家達は、地方の人間にとって遠い存在、将に江戸時代のお上なのだ。与党の多くの世襲議員は、地方票で議員になっているが、東京生まれの東京育ちが多い。 

 日本が生まれ変わるのには、差し当たり、維新の会に期待するしか無い。全国民がそれに気付くべきだ。 
明治維新が成功したのは、「吾こそは」という気概を持った優秀な人材が、地方に大勢居たからである。東京中心の一極集中の政治では、そして、差し当たり危機を感じない東京では、”現状維持のこの政治体制で官僚になり、天下り出来れば良い”という、気概も何もない東京大学や慶応大学を卒業したガラクタ人材しか育たない。

 「地方の問題を如何に解決するか」という問題の「目的格」の地位に落ちぶれた立場から、主格となり「我々は何を為すべきか」となれば、地方に多くの人材が生まれるだろう。そして、それらの多数の思い上がった連中が切磋琢磨することで、本当の人材が選ばれるのだ。そのプロセスを経てこそ、優秀な人材が生まれ、各地に政治が官僚を支配する本来の民主政治が機能する様になるだろう。橋下氏は優秀だろうが、多くの橋下氏的な人物と衝突し、能力に磨きをかけるプロセスを経ていないので、一国のリーダーに成り得るかは未だ定かでない。ただ、一人しか居ない以上、彼に期待するしかない。 
  
 民主党の若手、細野氏や蓮舫氏、などとの連携が望まれる。自民党には恐らく誰も人材と言える人物はいないだろう。
池田信夫氏による「日本人のためのピケティ入門」を買って読んだ。「21世紀の資本」という、英訳本700頁に及ぶ本の概略が判るというのだ。しかし、内容はほんの僅かであり、本当にこれで入門できるのかどうかは判らない。昨日、本屋でこの本が人気第二位にランクされていたのを見て驚いた。数日前に買って読んでいたので、感想文を書くことにした。
 
(補足:英語版がネットで自由に見る事が出来ます。 イントロを少し読みました。マルサスから始まって、マルクスやエンゲルスなど、資本についての考え方の歴史的なレビューがかかれています。やはり原著をゆっくりと読むべきだと思いました。2015/1/1)
 
21世紀の先進国では、資本による収益率(r)があまり変化せず、一方で成長率(g)が低下する(注1)。そのため、資本の蓄積が起こるが、所得はそれほど増加しない。そして、資本収益(会社の純益など)は貯蓄の形などで資本に追加される傾向が強いため、このr>gの関係は、資本/国民所得の比率(β)の増大を招く。(図5.3;34頁;以下図は全てピケティのHPに掲載されている)r(資本収益率)があまり変化しないので、国民所得の内の給与以外による部分(資本分配率、資本収益/国民所得=α)が大きくなり(図6.5;41頁)、富豪と貧民の二分化が起こる。
 
つまり、このr>gの関係が資本主義の根本的矛盾としてピケティの主張のエッセンスを為すという(14頁)。尚、ピケティは資本収益として賃金以外の全てをあげ、資本を資産の意味で用い、土地、工場の設備、金融資産などを含むという注釈が著者によりなされている(注2)。
 
これらの関係は、先進資本主義国が、定常的な成長に近づくという仮定の下に成立する。ここで、資本と所得の比率(β)は、経済成長した国家では、貯蓄率/成長率に近づく。これを資本主義の第二根本法則という(注3)。また、α(資本収益/国民所得)は、(資本収益率(r)x資本)/所得であるから、α=rxβとなる。この恒等式を資本主義の第一根本法則という(第一、第二法則:52-54頁)。
 
これが、この本の第三章の一節までをまとめて書いたものである。三章二節では、格差の原因が、三節では格差拡大の防止について書かれている。簡単にまとめると、大きな格差発生の原因は、新保守主義的政策、タックスヘイブンの出現である。その格差の固定化は、相続財産の増加とそれによる教育格差が原因である。解決には地球規模での資本課税とタックスヘイブン(オフショア)対策を、国際協調を強めることで実行する事が考えられるが、なかなか困難である。
 
この後半部分をもう少し詳細に書くと: 確かに、各国の過去40年ほどの資本と所得の比率は(図5.3)、1980年ころより急激に増加している。これは、先進国の英米で成長率が低下した1980年代に、所得に対する累進課税などを低下させたレーガンやサッチャーの新保守主義的政策以来強まったものと解釈される。1960年代には最高税率が80-90%だったのが、この時期に30%代に低下した(図14.1)。これが資本の蓄積とその後グローバルに進められた市場原理主義や新自由主義により、世襲的な大富豪と国際金融資本が多く出現した原因である。この異常な状態から抜け出す為に、累進税率を再度高めるだけでは、富がタックスヘブンへ逃げることになる(注4)。ピケティは、グローバルな累進資本課税と、世界の政府による金融情報の共有を提案した。しかしながら、世界の主要な国が高度な協調関係を築くのは現状ではなかなか難しいとのことである(注5)。
 
これらの理論と富の偏在の説明は漠然とした把握というレベルでは簡単であるが、こんな内容で700頁の本になるのかと言う疑問は解けぬまま残る。「はじめに」に書かれている様に、ピケティの理論は過去の経済理論から導出されたものでなく、恐らくデータから経験的に導かれたものだろう。この理論的な部分は、本の主内容ではなく、膨大な過去200年のデータを取得して分析することなどに頁数を埋めているということである。
 
私(理系人間)の感想:
 
1) 今の世界経済に起こっていることは、この本で議論されている高度に発達した資本主義での富の偏在とは別の現象なのかもしれない。つまり、経済段階の異なる多くの国家の共存を考慮した経済モデルで理論を作る必要があるのではないだろうか。
 
2) ユーロ圏は経済だけ一緒になり政治が別々なのが問題だと、昨年のギリシャ危機のときさんざん聞かされた。しかし、同じようなことが世界でも言えるのではないだろうか。つまり、経済だけグローバル化して、政治がそれに伴っていない
 
この経験式r>gを政治で変更するのは、グローバル化した経済政策であるというのが結論なのだろう。
3) 多くのグラフは非常に貴重なものだと思った。
 
注釈: 
 
1)この不等式が何故成立するかの説明が全くない。おそらく、成熟した資本主義社会では、莫大な資本をもつ巨大化した企業は、資本収益率(資本の取り分)を決定する力が強いからだろう。
 
2)貸借対照表では資本は資産に一致する。ただ、一般家庭の家や土地は金を生まないので、この本の中での定義である資本に入れるのは無理があると思う。また、株や土地などは貸借対照表で金額に換算する際、実質的な価値と簿価では大きな差があるのが常である。しかし、そのような疑問にはこの本は答えてないし、原著に定義されているかどうかの記述もない。 
 
3)工場の設備などは減価償却により一定年で無くなる。そして経済規模は徐々に増加する。定常的になれば、資本の額は過去の貯金が積み重なったものとなるので、その額は貯蓄率に比例する。国民所得も定常的な成長を仮定すれば、その額は低成長下でも直線的増加し、その額は成長率に比例する。 
 
4)タックスヘブン(別名オフショア)については、例えば(http://www.777money.com/yougo_kolumn/yougo/tax_haven.htm)を参照して下さい。
 人間はある問題(情報)を受け取れば、それを頭脳で処理(つまり思考)して、それに対する行動を起こす。その行動の“大きさや激しさ”は、通常問題が大きい程大きい。しかしあまり大きな問題になると、正しく問題を受け止めたり、それに関して思考できなくなる。正しい応答が可能な問題(情報)の大きさの範囲を、信号検出器の用語を用いて、思考のダイナミックレンジということにする。
 
 例えば、ダイナミックレンジの小さい人間は、一寸大きい問題を前にすると、泣き出してしまうとか狼狽えるとかして、その状況に対処できない。従って、問題を思考する能力において、解析能力等の他に、大きなダイナミックレンジを持つことが、最善の回答或いは選択を得る上に大切である。そして、大きな問題を考えねばならない政治家こそ、そのような能力が要求される。 
 
 ある事に対するダイナミックレンジの大きな思考は、当然その周辺の広い範囲での緻密な思考を伴う。広い範囲の思考は、想像力の大きさと高い知的能力を必要とする。また、ダイナミックレンジの大きな思考は、例えば政治の場合、悲惨な状況下においても冷静さを保ち、安易な解決に逃げるという誘惑を退ける勇気も条件となる。従って単に”鈍感力”があることと思考のダイナミックレンジが大きいことは異なる。 
 
 最近の例では、米国Sony Pictures Entertainment社の映画に対する、北朝鮮の米国に対する脅しやサイバーテロの件が参考になる。この映画に関して、既に書いた様に表現の自由を主張するのには無理があると思うが、仮に主張出来ると仮定して話を進める。
 
 表現や学問の自由を主張する理由は、真理は広い範囲の中の何処にあるか判らない場合が多いので、人の活動(行動)の範囲に枠をはめてはいけないということである。今回の場合、「人命は地球より重い」という理由で、テロ予告に屈服すれば、将来に亘って同じ方法で脅しが行なわれ、結局人間活動において正当な自由が奪われ、大きな損害を被ることになる。
 
 そして、テロで失われるかも知れない人命とテロに屈した場合の予想される損害のどちらが大きいか、その損害の大小を思考によって決定しなければならない。両方とも大きすぎて、思考のダイナミックレンジを越えてしまうのでは、大統領失格ということになる。オバマ大統領は、北朝鮮の脅しに屈した場合の予想される損害の方が大きいと答えを出したのである(注1)。
 
 このオバマ大統領の判断と比較すべきは、日本で1970年に起こったよど号事件の時の福田元総理(父の方)の判断である。福田さん(父親の方)は、テロに屈服した。そしてその後の北朝鮮の日本に対する行動や国際世論の反応を考えれば、福田さんは総理の器では無かったと言わざるを得ない。
 
 また、捕われていた赤軍のメンバーを開放した理由が、「人命は地球より重い」だった。つまり、問題が福田元首相の思考のダイナミックレンジを越えて、頭脳が発振してしまったのである。「人命は地球より重い」という表現がそれを証明している。もし、特別狙撃隊を用意して用いていたなら、数人の乗客の生命が失われたかもしれない。しかし、その後北朝鮮に拉致されることになった多くの人々の自由や命の喪失は無かっただろう。この福田元総理の“決断”とその後の多数の日本人拉致事件は、日本国が国家としての威厳を保持していないことを内外に印象つけた。
 
 ただ、その福田元総理の判断を国民は激しく非難しただろうか?非難した人は少数であり、世界の侮蔑の声とは裏腹に日本では大きな動きもなく過去のファイルの中だけに残った。つまり、福田元総理は日本人の思考のダイナミックレンジを承知の上で、自分の総理の席と日本の国家としての損失とを測定して、総理の椅子の暖かさを選択したエゴイストだっただけかもしれない。つまり、日本国民の思考のダイナミックレンジの小ささが、あの様な政治家を選ぶ原因なのである。
 
 思考のダイナミックレンジは、その国の歴史や文化によって大きく異なる。人と人のネットワークの中に埋没する様に行動してきた国民は、生まれてからの行動のレンジが狭く、思考の幅も狭くなる。そして、思考のダイナミックレンジは当然低くなるのではないだろうか。逆に、人生の幅が広ければ、それによって生じる感情の幅、思考のダイナミックレンジ全てが大きくなると思う。
 
 日本には、人と人の関係が固定される様に、古来独特の道徳規準「和をもって貴しとなす」がある。また、日光東照宮にある左甚五郎の彫刻「見ざる言わざる聞かざる」が示す様に、日本人は他人に対して自分の意見を述べるかどうかさえ、思考の範囲に置かない様に教育されている。人命どころか、人間関係破壊の危険性さえ避けるように、思考範囲の外に置くのが日本の文化である(注2)。
 
 最近、「嫌われる勇気」と言う本が売れているとのことである。嫌うか嫌わないかは、相手の問題であり自分の問題ではない。何と言う小さな発想しかもたない国民たちだろうか。 
 
注釈: 
1)相手が中国であったなら、オバマ大統領は別の対応をとったと思う。もちろん中国が相手なら、SPEはそんな映画は作らないと思う。この映画には、何か別の動機があったように思う。
2)“見ざる言わざる聞かざる”は、身分が上の人の悪しき行為を見たり批判したりしないということであり、儒教の考え方“避諱”だと思う。「避諱」は、孔子が「春秋」を編纂したとき、原則にしたということである。