===以下は表題の本などを読んで、個人的意見として書いたものです。====
 
伊藤憲一氏は「新・戦争論」(注1)の中で、クラウゼビッツの戦争論(1832年出版)の中の言葉、「戦争とは他の手段を以てする政策の延長に過ぎない」(第一編24-26、日本語訳本44頁)を引用し、国家の政治戦略の中に外交戦略と並行した形で軍事戦略をもたねばならないと書いている。昭和初期の日本では、軍閥が政治家の上に君臨し(注2)、その結果、日本国は国家戦略論不在の状態で戦争に入り、悲劇的な敗戦に至った。 
 
国家の重要問題などを考える際に、二つの思考の枠組みがある。それらは、「法政的思考、観念主義、戦術的アプローチ」と「戦略的思考、現実主義、戦略論的アプローチ」である。日本人の思考を支配しているのは前者であり、その結果日本人は、例えば「日本の船が太平洋を安心して航行できるのは、米国太平洋艦隊があるからではなく、国際法が航行自由の原則を規定しているからである」などと考える傾向が強い(第一章)。
 
戦前はともかく現在も、政治家を含めて殆どの日本国民は、戦略的思考があまり得意ではないと思う。例えば、現在の総理大臣は、日本国は独立国であるという面子(だけかも知れないが)を何処かに置き忘れ、“米国と協力した形での積極的平和外交”を看板に掲げている。他国の手先になって自衛隊を使うことは、35年以上も前に三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で配布した檄文(注3)の中で激しく攻撃したことである。
 
また、過去の自民党政権は、空しく国会議員や内閣の椅子を占拠して、憲法改訂の機会を逃し、交戦権の裏付けのない外交を「金のバラマキ」という形で行なって来た。朝日や毎日などの新聞社も大きな障碍になったかもしれないが、日本社会党による「平和憲法による軍国主義復活阻止の論理」など、国の将来を思いつつ下野する覚悟があれば、論破出来る筈である。しかし、自民党政府はそこまでやらなかったし出来なかった。そのような無能な与党が国会を抑えていることは、もし軍国主義が興ればそれを抑えることも不可能なことを示している。つまり、野党を自認する日本社会党の”平和憲法護持”の主張は、自民党や国民にとっての憲法改正のための資格試験として正しく働いたと言える。 
 
上記、新・戦争論は、世界から戦争が無くなる可能性が高いという結論で終わる。それは、経済的なグローバル化から政治的なグローバル化により、国家が独立性を失いつつある。それは、国家=国民=民族という等式で表わされるナショナリズムの時代がおわりつつあることを意味する。そのような環境になった現代、日本は”口先平和主義”でなく、”積極的平和主義”に舵を切るべきであるというのが、伊藤憲一氏の考え方である。 
 
ただ、日本では「戦略論」が長い間タブーであり、2007年の時点で、日本全国の全ての大学において「戦略論」という講座はなかったという。その時点で、戦略論の学祖であるクラウゼビッツのクの字もふれない大学教育が行なわれているのは、世界中でも日本だけだ(新・戦争論、第一章)そうである(注4)。 
 
私は、日本が積極的平和主義に舵を切ることは、現状では無理だと思う。大学教育で戦略論を学んだ政治学を専攻する学生が日本中に広く分布し、日本の憲法改正に隣国が賛成するような国際環境を醸成する智慧、つまり戦略を持つ政治家が、その中から何人も生まれるまで待つべきだろうと思う。 
 
注釈: 
1)「新・戦争論」新潮新書、2007年刊:この小さい文庫本は、一貫した論理により書かれた、我々素人にとって素晴らしい本だと思う。 
2)「大日本帝国憲法第11条 天皇は陸海軍を統帥す」による。 
3)NHK教育テレビ「日本人は何をめざして来たか:三島由紀夫」(2015/1/24放送)檄文は、http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html参照
4)クラウゼビッツの戦争論が芙蓉書房から出版されたのは2001年であるが、この本の表紙には、「訳:日本クラウゼビッツ学会」と書かれている。バイブルではないにも拘らず、このような学会が存在することも不思議な現象に見える。
 
補足:上記本は内容が濃く勉強になることが多く含まれていますので、再度感想文(表題の()内の番号を2とするもの)を書くつもりです。
 
新しいネット画像がイスラム国側から配信されたようである。それによると、湯川さんは既にイスラム国に殺害された様である(注1)。そして、イスラム国はこれまでの身代金要求を取り下げ、ヨルダンに捕われているイスラム国の女性を開放すれば、後藤さんを開放するという新たな提案をしてきたらしい。

テロに屈しないという安倍総理の意向は判らない訳ではない(注2)が、後藤さんは戦地記者であり、これまで中東の取材に関して多大の貢献をしてきたことも考慮し、この提案にそって開放を実現すべくヨルダン政府に依頼交渉すべきであると思う。後藤さんは、イスラム国やイスラムテロに関する有用な情報源を持っておられるかたであり、ヨルダンに捕われている女性との交換は互いに等しい価値の交換であり、仮にその条件で後藤さん解放が実現したとしてもテロに屈したことにならない。

交渉ルートの確認を含め、ヨルダン政府にこれまで以上の協力をお願いすることになるが、是非実現してもらいたい。ヨルダンと日本は関係が良好であり、実現出来る可能性があると思う。 

注釈) 
1)人質一人あたり1億ドルという、これまで噂されていた人質解放と引き換えに支払われていた額を遥かに越える高い敷居を設けたのは、安倍総理の対イスラム国支援の為の拠出金にあわせたのが一つの理由である。もう一つの理由は、元々日本政府が飲めない(つまり、世界の笑い者になったダッカ人質解放の件を思い出させる)ことを承知の上でこの額を出したのだろう。 
 つまり、湯川さんはずっと前に殺害されていたのだろう。そのため、最初に流された動画は二人が別々に撮影されており、それに背景を合成した、不自然なものであった由であると思う。イスラム国は最初から、今回の新しい条件をかんがえていたのではないだろうか。 
2)時事放談で、ジェラルド・カーチス氏は「ISISは世界の脅威である」と言っていた。”奴らは人間ではない、悪魔だと”という立場をとって駆逐の対象と見るのは、米国が過去に日本に対して向けた眼である。中東地域で中立的立場をとってきた日本は、そのような単純な見方をする必要はなく、「何故そのテロが発生したのか」について、もっと時間を遡って(歴史的経緯)考えるべきであると思う。彼らイスラム国の指導者達とて、平和に暮らしたい筈である。 
 このような考え方はナイーブだと一蹴されるだろう。何もかも全くことなるが、私は2013/7山口県で起こった、放火殺人事件を思い出す。

補足1:以上は、あくまでも一般市民としての意見です。ヨルダンの立場にたてば、少なくとも1:2(後藤さん+ヨルダン人パイロット)でないと合意は困難な様です。イスラム国が要求している女性は、夫とともに自爆テロを行なって、彼女は未遂に終わったといいます。夫が主犯であったとしても、ヨルダンにとっては1:1交換は困難な取引だと思います。(8:30補足)
補足2:公表された動画にイスラム国のロゴマークが無いことは、重大なこと(本物ではないかも)を示しているかもしれません。(10:15補足)
安倍総理の対中東外交とイスラム国による脅迫行為に対し、その背景など想像を交えて書く。引用の無い部分は、根拠のない一般市民(筆者)の妄想かもしれない。
 
最初に3つの項目を並べる:
1)安倍総理のイスラエルとの軍事的経済的協力姿勢、それに、エジプトにおけるとイスラム国に対する対策費支援の表明には、違和感があった。それは、過去の日本政府には、“中東政治”には距離感を持って接するという姿勢があったからである。別サイトにも書いた様に、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの宗教圏には、相互に複雑な歴史があり、その中に日本国が入り込むには、明確な根拠と相当の覚悟とがなければならないからである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41953734.html 
 
2)今日、米国高官から“安倍晋三首相が戦後70年談話に第2次世界大戦への「反省」を盛り込む考えを表明したことについて「評価する」”との報道があった(発表は9日だが、報道は今日22日)。シャノン米国務長官顧問のこの発言は、表現はマイルドだが、米国の命令のように感じる。
 
3)昨年4月の訪日で、“オバマ大統領が安倍首相との会談でビジネスライクな話だけしかしなかった”と、安倍総理が不満をもらしたという(複数のメディアから発信されている)。http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/25/abe-obama_n_5216687.html
 
以上1)ー3)は、互いに関連していると思う。

安倍総理は、一昨年、太平洋戦争における戦争責任者が中心的祭祀対象となっている靖国神社(注1)へ、総理としての重要課題の一つとして参拝したことにより(注2)、隣国による我国非難のきっかけを与えてしまった。また、それは欧米諸国に、歴史を掘り返す行為に映るらしく、特に米国の信頼を損ねる結果になった。
 
その結果、3)に書いた様に、オバマ大統領に話の出来ない(通じない)日本の首相という印象を与え、安倍総理もその印象を払拭すべく、上記1)の違和感のある米国への同調路線をとったのではないだろうか。2)の戦後70年記念の談話については、安倍総理が独自の考えを表明する可能性を察知した米国が、先回りをして日本の担当者に圧力をかけた結果だろう。日本が独立国ならば本来、このような米国高官の発表は事前にしない筈である(注3)。中曽根弘文元外相から総理の意向を聞いても尚、この発表を敢えてしたのは、安倍総理が確実にこの内容で談話を発表する様に、圧力をかける意味があったのだろう。
 
ただ、「米国は無礼だ」と言うような反論や批判が出ないのは、日本が独立国ではないことを政府や報道機関も暗黙の了解事項としていることを示しており、国民の一人として寂しい限りである。1)と2)の様な政策を出して、米国にひたすら屈する姿勢を示すのなら、「第一次安倍内閣の時、靖国神社参拝出来なかったのは、痛恨の極みだ」と発言し、勇ましく靖国へ参拝するようなことはしなければよかったと思う。
 
そして、1)の米国へ殊更同調する姿勢(注4)が、今回の人質をたてに脅迫されることになったのだろう。今後、このような脅迫行為が、日本国を対象として内外で起こる可能性がある。日本国は、平和と人命に無限大の価値を置く“宗教”に支配されているので、脅しに屈する可能性がおおきいと思う。もしそのようになれば、日本は西側陣営の中にあって、ISISの戦闘行為を経済的に支援する国になるかもしれない。
 
注釈:
1)神社の祭祀対象は古来、富士山、御岳山、白山などの自然や、大きな仕事をした皇族、侍、軍人の霊などであった。靖国神社は、明治政府の創った国家神道であるが、一般兵士の霊を神とするには、神社側に違和感があったと想像する。それが、戦犯とされた戦時内閣のメンバーを合祀したのだと私は思う。一般兵士の霊なら、国立墓地に祀るのが妥当だろう。関連事項http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n238661
2)文中に書いた様に、「第一次安倍内閣の時、靖国神社参拝出来なかったのは、痛恨の極みだ」と発言しているのが、その証拠である。
3)独立国の首相がその国の歴史上の重大事について談話を発表する際、その内容に他国の政府関係者が事前に公式発言するのは、たいへん失礼である。(もちろん、裏で事前に擦り合わせを行なうことは、全く問題ない)
4)安倍総理は、対米従属ではなく積極的平和主義というだろう。しかし、積極的に世界の平和に関与するには、日本国の体制と国際社会の体制の両方とも整っていないと思う。国内では、憲法9条の二項などの改正がなければ、金だけ出すことになる。また、国際社会の体制として”積極的平和主義”に対応する組織として国際連合が考えられるが、国連は未だに戦勝国連合であり、積極的平和主義の旗の下に世界の国々が参集する為の体制になっていないと考える。例えば、五つの常任理事国の反対があれば、安全保障理事会が国連軍を組織できない。