安倍総理の米国議会での演説は、幾つかの問題を含むものの成功であったと思う。新聞紙上で全文を読んだが、話の筋は非常に良く出来ていて、感心した。英語は下手だが、それでも堂々と45分間演説する姿には、政治家の家系の重みを感じる(注1)。 
 
問題点は言うまでもなく枝野氏など民主党の方々が非難している通り、自衛隊法の改正はおろか国会で議論もせずに、地球規模で米国軍と自衛隊の連携を約束した点である。この点についてのみ、以下に書く。歴史問題などについてふれた部分の感想は、既に、時事放談の感想として他のブログに書いた。
 
この集団的自衛権行使を地球規模で行なうことは、憲法や自衛隊法上問題があると思う。そして元々、自衛隊を持つこと自体も憲法9条に違反する。そのことは、既に議論した様に憲法の条文を読めば明白である。
 
ただ、外交も財政も、法律無視のやり方は今に始まったことではない。日本国が隣国の軍事的脅威から領土保全を果たして来たのは、日米安全保障条約と軍隊でないと政治家が言い張る自衛隊(self defense force:自衛軍)があったからである。そして、貯金癖の強い国民と企業が大半の日本で、健全な経済を維持するのに必要な金(マネー)の流通は、日銀の国債引き受けしかないのかもしれない(注2)。
 
借金を貯め込んだあとに、徐々に返済するように、法律も徐々に実態に合わせていくという方法では、最早手遅れなのだろう(注3)。その“付け”は、自己破産に似た、強引な安倍総理の様な手法でしか支払うことが出来ないのかもしれない。米国議会での演説でその決意を表明するのは、まさに米国が債権者(安全保障上の)だという発言を強めたことが原因か、或いは、安倍首相が米国を債権者に仕立てる方法を思い付いたからだろう。
 
新聞紙上(中日新聞5/4、23面)には、ノーベル賞作家の大江健三郎氏、落合恵子氏、澤地久枝氏など参加した、横浜市で開かれた「憲法集会」の様子が記載されている。落合恵子氏の「集団的自衛権は、他国の人々と殺し合う権利でしかない」という発言が紹介されている。彼らは。憲法9条と日本の戦後平和主義が、日本を護って来たと本気で考えているらしい。
 
日本を代表する知性の中に数えられている彼らが、そして、日本を代表する新聞など、更に、日本のテレビ(時事放談、サンデーモーニング)などが、同じ様な台詞をこの半世紀吐いて来たのだから、議論しても時間の無駄だろう。英米と違って、日本は民主主義という仮面を下手にかぶっている。
 
日本の戦後政治は、韓国と違って、政治家の(議席の)安全保障には万全であったが、国家の安全保障は放置されたままなのだから。
 
注釈: 
1)これは、政治家の二世にはろくなのはいないという、持論に反する文章に見えるかもしれない。しかし、安倍総理の政治家としての評価は、あの演説では定まらない。 
2)日銀による市中銀行からの国債はぎ取り行為は、実質的に財政法で禁止された国債の直接引き受けである。 
3)中曽根元首相が、先日のテレビの画面上で憲法改正をしなかった歴代政権の責任にふれていた。強大になりつつある中国とは、友好関係を築く努力をすべきである。そして、防衛努力も同時に進めなければならない。
ネパールでの地震救援隊は各国から派遣されたが、がれきの中から救助出来る生存者の人数は少ないようだ。現地では、時間の経過とともに健常な被災者が水と食料の不足に悩んでいるようである。 

先進国やBRICSレベルでは、怪我をせずに生き残ったものは差し当たり水や食料の調達にはそれほど苦労しないだろう。従って、がれきの中から生存者を救助することや遺体の収容などが、救援隊の大切な仕事だろう。しかし、ネパールのような極貧国においては、緊急の救援と謂えども、怪我をせず無事生き残った人、更に、家も無事だった人たちのことも考えて、国際支援をすべきであると思う。 

ネパールの1人当りGDPは世界172位で約700US$しかない。日常の生活において、既に食料と水が十分なだけ入手出来ないひとがかなりいるだろう。地震後にがれきの中から救助した人の数より、地震後の暴動などで死亡する人が多くならないことを願う。また、空港などの国に入り口まで支援物資を送り込むだけでは、人々の手に渡らないかもしれない。現地の状況に即した、救助と救援を行なってもらいたい。 

半年ほど前、NHKのドキュメントで日本では考えられないような情景を観た。道路網も十分にはほど遠いネパールの山岳地帯で、小さい子供達が学校に行く時、河の上の1本のケーブルに懸けられた滑車付きの篭に乗り込み、自分でロープを引っ張って渡るのである。先進国文明とは情報のみでつながった、発展途上前期の国家の姿である。

災害支援も国家の発展段階に応じた体制がとられなければならないと思う。

前記事で、エリック・リー氏の二つの政治体制の物語(Atale of two political systems 2.1M views Jul 2013
http://www.ted.com/talks/eric_x_li_a_tale_of_two_political_systems/transcript?language=ja)を紹介して、そこから民主主義について考えた。そこではエリック・リー氏のこの講演を傾聴に値すると書いたが、その内容、特に中国現体制の評価については注意して読む必要があると思う。
 
それは、中国の現体制が現在の西欧民主主義体制と並ぶものであり、今後そこからより高いレベルへ進化する方向にあると考えるリー氏の高い評価は、現時点では疑問だということである。そして、今後20年程度経過しないと現体制の延長上に中国があるかどうかは判らないと思う。


その根拠であるが、リー氏はあたかも、現在の中国共産党内において互いに能力を競うことによって昇進者が決り、最も能力の高いものが主席にまで辿り着くという体制が出来ているかのように書いているが、その評価は高すぎると思うのである。
 
現在主席の周近平は、多くの候補者の中から能力に関する競争で勝ち残りトップになったのではなく、命を賭けた戦いで勝ち残ったという方が正しいと思う。つまり、平和な環境下での競争ではなく、ルールも何もない生存競争的な戦いの中での勝ち残りだろう。
 
勿論、習主席の改革により、今後法と正義の下での競争原理が国家のエリート集団に持ち込まれ、国家のトップまで公正な競争で決定される様になる可能性があるが、現時点でリー氏の言う二つのMetanarrativesという括りで、民主主義と(中国の現体制の基礎となった)共産主義という政治体制を論じるのは間違いだろう。そして、リー氏が高く評価する中国の体制が、将来に亘って成立し得ると判断される時には、中国のエリート集団は共産党員という名称では無くなっていると思う。
 

既に指摘したように、中国の共産党大会でも起てうえたる者よ、今ぞ日は近し。さめよ我がはらから、暁は来ぬ。暴虐の鎖たつ日、旗は血に燃えて、海をへだてつ我等かいな結びゆく。いざ戦わんいざ、ふるい起ていざ。あゝインターナショナル、我等がもの。(英語の歌詞も主旨は同じ)”の歌を演奏して、共産党大会などの公式の会合を開く


一方、寒村の民衆は飢えていても、共産党幹部は何十億円にも上る財産を築いて、米国に逃げる用意をしている。その矛盾を抱えている事実に近くで接する一般市民なら、或いは中国の広報担当でないのなら、あの様な発想の話は出来ないだろう。