「明治維新の過ち」(原田伊織著)と題する本を読んだ。その感想は後ほど書く予定(注1)だが、今回は面白い記述を一つ見つけたので紹介したい。それは”鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争の勝敗を決めたのは、薩長を中心とする西軍(通常官軍と呼ぶ)の武器の性能が圧倒的に優れていたこと”である。 
 
戦闘の際に重要なのは銃と大砲であるが、19世紀はそれら武器の改良が進んだ時代である。当時使われた銃の種類を下の表に示す。
 
 
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前装式では銃を垂直に立てて銃弾と火薬を銃口から装填する必要があるので、時間がかかる上に、攻撃され易くなる姿勢をとらざるを得ず、不利である。また、ライフル溝が彫ってある銃から発射された銃弾は、回転しながら飛ぶので、弾道が安定して正確に的を射ることができる。更に、連発式になれば発射の時間間隔が短くなり有利になる。発射までの間隔であるが、ゲーベル銃で一発撃つ間に、ミニエー銃では2回、スナイダー銃では6回発射できるという。スペンサー銃は、機動性を重視して銃身が短く作られているが、連発式ライフルであり、更に大きな威力があっただろう。
 
西軍はミニエー銃、スナイドル銃、スペンサー銃を主に用いたが、仙台藩などはゲーベル銃が主であった。また、銃だけでなく大砲の性能にも同様に大差があったと書かれている。(上掲書217頁から始まるセクション)つまり、戦闘になれば武器の点でも勝負にならないのである。
 
従って、経済力や外国との交易能力が勝敗を決めるということになる筈である。しかし、経済力は勿論、外交能力も幕府の方優れていたことは、明らかな事実である(注2)。薩摩は密貿易などで多少金があっただろうが、長州などの藩を考えると、高価な銃や大砲を幕府側に先だって揃えるのは困難だった筈である。それなのに何故、西軍(官軍)と東軍(幕府と佐幕派)で銃の性能に大差があるのか?その点には「明治維新の過ち」はふれていないのだが、恐らく西軍は海援隊などが英国のグラバーなどを通して、武器を多量に調達したのだろう。
 
西軍は、攘夷の対象である筈の英国などの国(注3)から資金面や作戦面などで、相当密接に関係していたのではないだろうか。幕府側と外国との関係に関しては、江戸城開城のときも、フランス公使が江戸城に何度も登城して、慶喜に抗戦してはどうかと進言したという例がある。グラバー邸にトーマスグラバーと坂本龍馬らが密談する部屋が発見されたということと関係ありそうである。この辺の事は未だ明らかにされていないようだ。
 
ただ、最近西鋭夫(スタンフォード大、フーバー研究所教授とあるが、判らない)と言う人の講演がネットで配信されており、その中(宣伝画面;有料なので全部は見ていない。)に、”坂本龍馬に何処かから大金が出ていた”という示唆があった(注4;追加)。
 
注釈: 
1)池田信夫氏が感想文的なものを書いて発表している。http://agora-web.jp/archives/1640889.html
2)王政復古の大号令の後、将軍慶喜は諸外国に外交の相手は幕府であることを確認させている。
3)薩長が、攘夷を叫んだのは本音ではないだろう。本音は倒幕であると思う。また、池田屋事件の動機は、御所に放火して孝明天皇を長州に拉致する計画が発覚したからであった。そのことからも、尊王の気持ちも薄いことは明らかである。
4)500円ほど出して、講演全部聴いた。しかし、1時間20分間、上記の一言以外にこの件についての情報は何もない講演であった。全体の聴講には、更に何万円か必要だという話である。
5月9日、ロシアは対ドイツ戦勝70周年式典を行なった。そこにはG7からの首脳出席はなく、中国の周近平主席と並んだプーチン大統領の日本の軍国主義を批判する演説が日本に報道された。 

その翌日、そのドイツからメルケル首相はロシアを訪れ、プーチン大統領と会談を行ない、ウクライナ問題について話し合った。また、対ドイツ戦で死亡した兵士の墓に献花した。このメルケル首相の柔軟な姿勢は、色んなことを教えてくれる。 

一つは、G7が出席しない様に米国からの圧力には形式的には応じるという姿勢であり、それは米国の国際社会における重みが無くなって来たということである。第二に、第二次大戦は遠い過去の出来事であり、ドイツは完全にその歴史を消化し終わっているということである。 

メルケル首相が日本に来た時、日本と東アジアとの歴史認識問題にふれて、日本に早期の解決を進言した。その時の発言を、日本軍の東アジアでの行為とナチスの行為を同レベルの戦争犯罪と看做した様な発言を行なったと非難する向きが多かった。 

確かにメルケル氏には、例えば、従軍慰安婦問題に関する詳細な知識はないので、過敏に反応する現在の日本では、あのときのメルケル批判は仕方ないかもしれない。しかし、今回のメルケル氏のロシアに対する対応をあわせて、あのときの日本政府に対する進言をもう一度反芻すべきではないだろうか。
テレビでも既に報道されているが、韓国が「明治日本の産業革命遺産」がユネスコ世界遺産にノミネートされたことに反発している。例えば、人民日報の記事によると、“韓国外交部(外務省)の尹炳世(ユン・ビョンセ)長官は4日、国会外交統一委員会会議で活動状況について報告を行った際、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録申請を希望している件に関し、「日本は、自分たちが朝鮮人労働者を強制徴用したという史実を否定し、関連施設の世界遺産登録を行おうとしている。このことに対し韓国政府は断固反対する」と述べた”とある。
  
この“朝鮮人労働者を強制徴用した”という文章は、誤解を産むように仕組まれている。この徴用は、第二次大戦前後のことだろうが、それは日本人全体にたいしておこなわれたことであり、徴兵と同様国民に義務として課されたものである。http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮人強制連行によれば、池田信夫氏が指摘しているように、徴用は朝鮮人に限ったことではない。徴兵について問題にせず、徴用を強制連行或いは強制徴用として日本批判するのは、人権問題として世界に宣伝したいからである。この動機は、従軍慰安婦のケースと全く同じである。慰安婦も日本全体から集められたのであり、朝鮮人を選んだのではない。ましてや、慰安婦の強制徴用などなかったことは、唯一の証拠とされた吉田清治の証言が捏造であったとして、朝日新聞がそれを報じた記事を削除したことで明らかである。  
 
韓国は、日本への憎しみを増幅して国民に植え付け、バラバラの釘を磁場で並べるように、国家としてのまとまりを得ようとしている様に見える。第二次大戦が事実上終了した8月15日を戦勝記念日として韓国は祝っているが、その時韓国が独立を回復したと言うより、混乱状態になったというべきだろう。そして未だに、反日しか国家統一の旗頭がないのではと思ってしまうくらいだ。その混乱の歴史に初めて真摯に向かい合ったのは、盧泰愚大統領だろう。 
 
具体的には、韓国は最近まで済州島四・三事件や韓国本土での保導連盟事件で、数十万人という韓国政府による自国民虐殺事件があったことを隠して来た。21世紀になって、韓国大統領となった盧武鉉は、自国の歴史清算事業を進め、この済州島四・三事件に関して、2003年10月に行われた島民との懇談会で初めて謝罪した。韓国は対日批判ばかりしていないで、自国の歴史と真摯に向かい合ってそれを消化することが、反日でない旗頭を得る道ではないのか。 
 
実は同じことが日本にも言えるだろう。過去の戦争の原因や責任の在処を国家として検証せず、死んでしまえば皆神様だという具合に、安易に戦争関係者全ての名誉回復をおこない靖国に祀った。一方、東京裁判では一方的に米国との開戦に反対であった重鎮たちも処刑され、それを受け入れることで講和条約を結んだ。この両極端の間で、国民は統一した考えを持てないでいる。それが原因で、近隣諸国といまだに歴史問題としてもめているのである。 
 
補足: 
歴史問題で追加すると:中国への侵略行為は明白だと思うので、安倍総理には70周年記念談話があるとしたら、謝罪の必要は無いと思うが、その事実は明確にことばにしてもらいたい。