時事放談のゲストは野中広務氏と古賀誠氏であった。今朝のテーマも安保法制であった。そして、二人の意見は“集団的自衛権行使を可能にすることに絶対反対である”という従来のものであった。それは、日本が戦争に巻き込まれるという考え方であり、彼らには中国の脅威など頭の片隅にも無い様である。
 
“安保ただ乗り”が出来れば、それが一番であるし、私も賛成である。しかし、今後もそれは可能であると、無邪気に考えて良いのか?また、野中広務氏は、集団的自衛権行使を可能にする現政権の方向は、大政翼賛会の政治に戻るものと発言されており、そこには時代の変化などの考察など何もない。
 
安保法制の議論は、中国の脅威をどう分析し、それにどう対処するかが本来の姿である筈。民主党なども「違憲かどうか」という議論しか出来ない程度の頭脳しかない。憲法を厳密に解釈すれば、憲法13条を考慮したとしても、自衛隊は違憲であるから、個別自衛権行使も憲法違反である。
 
もし安倍政府の新安保法制に反対であるのなら、その根拠は、1)“日本国が新たに考えるほど、中国の周近平政権に脅威はない”というもの、或いは、2)日本国民の安全は、この様にすれば確保出来る、などでなければならない。中国の脅威を否定することが難しいので、集団的自衛権行使は憲法に違反するとか、自衛隊員の危険性が増加するとかを、問題にしたりするのである。
 
自衛であれ、戦闘が始まれば、自衛隊員の命に危なくなるのは当たり前である。戦闘が始まらないように、強力なボスを背後にしっかり置くべきだという安倍政権の新政策を否定する根拠にはならない。

野中氏も古賀氏も元自民党幹部である。先日新安保法制に反対を表明した、山崎、亀井氏、藤井、武村の四氏の反対表明を含め考えると、自民党は安全保障をまともに考えてこなかった事が解る。無責任で国会議員の椅子だけに関心のある政治屋達が、社会党などのスパイか政治屋か解らないような人達と、国会で議論しているように見せかけて、この半世紀日本の政治をおこなってきたことになる。あきれてしまう。
 
二番目の問題として議論していたのは、新幹線での焼身自殺である。野中氏は、現在の政治への不満があったと、その原因に言及した。しかし、このテーマの議論は数分であり、付け足しであったようだ。
少年Aは、14歳の時に神戸市において複数の小学生を残酷な手法で殺し、その1人の遺体頭部を酒鬼薔薇聖斗という偽名での犯行声明とともに、その小学生が通っていた学校の正門に晒した事件の犯人である。元少年Aは少年院で数年間過ごした後出所し、現在32歳ということである。その元少年Aが14歳のときの犯行を題材に太田出版という会社から手記を出版し、現在ベストセラーとなり、出版社は増刷しているという。遺族はそのことで、「子供を2度殺された思いである」と語ったと言うことである。
 
少年Aは、法律の規定に従って少年院に入り、その後更生したと看做されて社会に出たとしても、冷酷無比な殺人犯であったことは消えない。元少年Aが、その犯罪を題材にした手記で印税を手にすることは、被害者の小学生を殺した18年後に、その遺族をも殺す行為に近い犯罪であると思う。遺族の苦しい気持は、察するにあまりある。
 
出所したから過去の犯罪は無くなった訳ではなく、少年Aはその犯罪の被害者とその遺族とを一生意識して生きる義務がある。それが出来るということが、更生という言葉の意味であると考える。従って、言論の自由も、その犯罪に関する部分は制限されて当然である。 
 
刑期を終えた後とは言え、殺人犯がその犯罪を題材に手記を書き金を稼ぐことなど、社会は許してはならない。検察(或いは被害者の親族)は、その行為を遺族に対する何らかの犯罪と考え、少年Aと手記出版に協力した出版社らの刑事告訴を考えるべきだと思う。それが不可能なら、多くの法令が絡んでくるかもしれないが、そのような行為とそれに協力する者を罰する様、法改正すべきである。また、元少年Aには少なくとも経済的利益が入らないように、法曹界に居る者は遺族が民事訴訟をおこす様協力すべきであると思う。
 
今夜のクローズアップ現代でも、言論の自由は如何なる場合でも守られるべきであると、不可解なことを言っていたひと(森とかいう映画監督)が居た。それならば、「あの殺人は、ぞくぞくするほど刺激的であった」などと衆人の前で発言したり出版したりする自由もあるのか?本の内容を校閲する制度も機関も無い以上(補足1)、言論の自由を根拠にその出版を弁護するには、上記のような発言の自由もあると、断言できなければならない。 
 
もしそのような自由があるのなら、少年時代に残酷な犯罪を行ない、少年院出所後に、その手記を書いて金を儲ける(或いは著名な小説家になる)という計画も成り立つかもしれない。そのような計画を冷静に実行出来る人間なら、少年院でも模範囚として暮らすことも可能だろう。何をバカなことをと言うひとは居るかもしれないが、それには”異常な才能は異常な心理状態と同居する可能性は高い”と答えておく。 
 
日本では、禊をしたら何もかも水にながせるという考え方がある。被害者の心の傷は水で流す様には、癒されない。殺人を犯した人間は、法令に従って罪を償ったとしても、一生殺人犯であり続けるのだ。 
 
補足:
1)”犯罪を犯した者の著書に関して”の検閲制度が無い。(7/3補足)
表題の中の「乱取り」は、原田伊織著「明治維新という過ち」(毎日ワンズ、2015/1)の中にあったショッキングな過去に存在した出来事を表わす単語である。広辞苑(第2版)を見ると、「乱取り」という言葉には二通りの意味がある。一つは、“柔道で各人が自由に技を出し合い練習すること”であり、「乱取り」は現在この意味で日常よく使われる。しかし、広辞苑の最初に現れるのは、“敵地に乱入して掠奪すること”という説明であり、こちらがオリジナルであることが解る。
 
以下、「明治維新という過ち」に書かれた「乱取り」に関する記述をまとめる。“戦国時代から安土桃山時代の戦いは、武士の指揮に従って農民が戦い、兵士の大多数は農民であった。その戦いの後で、勝った側が負けた側の村を襲い、掠奪、強姦、なぶり殺しなど倫理の欠片もない行動に出る。最も金になったのが、女子供などの人であった。掠奪された人は国内で売買されるだけでなく、薩摩などからポルトガルの黒船に載せられて、東南アジアに売られたと言う。これにはイエズス会も加担しており、豊臣秀吉がバテレン追放令を出した目的が、直接的にはこの南方への奴隷売却を怒ったからである。”
 
このバテレン追放令の理由は、ウィキペディアにも書かれている(https://ja.wikipedia.org/wiki/バテレン追放令)。生きるためとはいえ、凄まじい人間の姿である(注釈1)。原田伊織氏がこの話を引用したのは:”(1)所謂“明治維新”が実現したのは、薩長(特に長州)の下級武士や中間以下の者達が武士道の欠片も持ち合わせなかったため、執りうる手段の範囲が、江戸や京都での無差別テロから天皇の拉致などまで、大きく広がったからである;(2)その倫理観の無さは、下級武士達が貧しさの中で持つに至った醜悪なる本性である”、という自説の傍証の一つとして利用する為である。つまり、薩長の”維新の志士”たちがあの様なテロが出来たのは、武士道などを持ち合わせていない下級武士だからであり、その源流へと遡ると戦国時代の半農半兵的な者達による乱取りにぶつかる、と言いたいのである。
 
「明治維新という過ち」は、幕末から明治維新に関して、あのような残酷騒動(薩長の京や江戸でのテロリズムや戊辰戦争)は不要であったという視点で書かれている(注釈2)。また、半藤一利氏の本「幕末史(新潮文庫、2012/11)でも、第二次長州征伐から戊辰の役は不必要な戦闘であった可能性を示唆している(第6章、4番目のセクション、“開国が日本の国策となった日”(p217~225))。
 
最終的には革命「明治維新」に至る“騒動”が、元々ペリー来航から始まった”諸外国とどう付き合うか”という問題が出発点である。幕府の外交能力は、井上勝生著の「幕末・維新」によると、相当高かった(注釈3)。日本国であの様な騒乱になったのは、「皇統の維持」と「開国して諸外国と通商すること」が矛盾すると“生理的”に捉えた孝明天皇の攘夷に拘る姿勢が、薩摩などの外様大名、長州などの下級武士、岩倉具視などの平公家に、騒乱を起こす為の舞台を与えたことが大きな原因だろう。しかし、仮に孝明天皇が、最初から幕府を頼りにする姿勢を持ち、徳川と諸藩及び公家の協力で改革を進める案に同意したとして、また、一橋慶喜の様な知的に優れた人が14代将軍になっていたとして、近代日本の姿は世界史に出現しただろうか。 
 
つまり、武士の特権を全て廃止するという革命なくしては、近代工業国家日本は成立しなかっただろう。また、そのような革命は中途半端なことでは不可能だったと思う。主題となっている歴史的出来事の延長上に生じた、現代文明社会の恩恵を受けている人間が、過去の一時点での歴史的出来事を記述する際に、悪の烙印を押す様な表現は適切ではないと思う。
 
また、薩長の行なった京や江戸でのテロリズムや守旧派の殲滅作戦が、悲惨だとして現代の感覚で批判することは、間違っていると思う。逆に、結果としての現在の高度に工業化された状態を成功とする判断を基に、安易に、明治維新のときのテロ行為を肯定したりすることも同様に間違いだと思う。つまり、歴史はその本質として評価が非常に困難であり、少なくとも後世の視点で裁く、つまり、評価するのは、全く愚かなことであるということである。例えば、“乱取り”や“切腹を行なう武士”が理解できないのなら、明治維新の時代に生きた人々の心情やミクロに見た歴史の夫々の出来事は理解出来ないだろう。
 
「明治維新の過ち」の著者は、そのタイトルに調和する様に、乱取りを完全な悪とし、明治維新の中で大きな働きがあった、西郷隆盛、大久保利通などの薩摩の下級武士達、長州の若い下級武士達が、その悪を継承しており、それがあのような命の浪費の原因であったかのように書いている。有用な知識を与えてくれた「明治維新の過ち」であるが、非常に感情的に幕末の倒幕運動を記述している様に思う。
 
幕末と明治時代に起こったことは、封建社会から絶対君主制(立憲君主制という人もいる)への革命である。勿論、数々の悲惨な出来事はあったが、結果としての犠牲者は、非常に少なかったというのが歴史家の考えだと思う。例えば、近代史の専門家である井上勝生氏の「幕末・維新」の前書きには、”地勢上、有利な位置にある日本においては、発展した伝統社会のもとで、開国が受け入れられ、ゆっくりと定着し、そうして日本の自立が守られた、というのが本書の一貫した立場である”と書かれている。 
 
ズブの素人であるが、私の考えを書くと、江戸幕府の解体とその時の上流階級である”武士”の廃止という至難の作業が、攘夷という時代錯誤の天皇の頑強な意志と、尊王という看板を掲げる下層階級の武士や下層の公家(平公家)達との、時として敵対があったものの(注釈4)意識しない連携で、奇跡的に最少の犠牲でなされたということになると思う。しかし、薩長政権には統一国家の旗頭に天皇を頂く以外の方法は浮かばなかった。出来上がった”万世一系の天皇之を統治す”という明治政府は、その後の大国主義(皇国史観)的国策をとる破滅への道を創ることになるが、それは孝明天皇の無謀な攘夷思想と同じ遺伝子の国家であったからである。それは、日本人民にとっては近代化の代償としての不幸な側面であったのだろう。この一般における皇国史観は、吉田松陰などに影響を与えた水戸学に源があると、”明治維新という過ち”に指摘されている。
 
(最終稿は7/5; 更に勉強して再度このテーマ"明治維新”にチャレンジします。) 
 
注釈: 
1)人口を決めて来たのは、食料生産量であった。つまり、人口の調節は、下層民の餓死によりなされて来たのである。この事実を理解できなければ、乱取りも切腹も、そして歴史も理解できない。しかし、我々現代人には到底理解不能だろう。下図(注釈の下)は人口の歴史的推移である;http://www.hws-kyokai.or.jp/gazo-toukei/g-1-1.jpg)。<br>
2)前回の「明治維新とは何だったのか?」では、「明治維新という過ち」の中での、歴史に関する現在の通説が、明治時代に実権を握った長州の山形有朋らにより書き換えられたものであるという記述について、肯定的に書いている。今回の記事は、”過ちだった”という同書が行なった評価の面でかなり否定的に書いた。<br>
3)井上勝生著「幕末・維新」(岩波、2006/11)は、近代史を専門とする歴史家が歴史の入門書として書いた本であり、解り易い良い本だと思う。幕末の外交は、その第一章でかなり詳細に解説されている。幕府の外交担当官の能力は、アメリカやロシアなどの諸外国の外交官以上だったと書かれている。<br>
4)孝明天皇は慶喜の幕府を頼りにしたが、尊王攘夷派は倒幕派という本当の姿に変身して、孝明天皇が邪魔になった。  
 
 
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 日本の人口の推移:近代国家の建設で大きく人口が約100年で約4倍に増加した。それが減少に転じた現在、人口増加が始まる幕末時の歴史の流れを追うことは、困難な作業だろう。