1)日本の労使関係:封建的会社組織(補足1)

 

日本の労働者と会社(使用者)との伝統的関係は、入社式や永年勤続表彰(今はまれかもしれない)の慣習でも分かるように、封建的な特徴を持っている。雇用された労働者は、雇用主である会社の仕事を中心に生活設計をしなければならない。会社と雇用者との関係は、主人と家人の関係でに似て、会社が必要とすれば、誰であっても玄関掃除までもすることが期待された。

 

しかし現代、高度な産業技術社会となり、労働者の多くは高度な専門的知識と技量を必要とする場合も多い。そのような環境での経済発展を考える場合、日本はこの伝統的労使関係を変えなければならない。何故なら、この労使関係では本当に優秀な人の雇用や、その継続が困難となるからである。

 

そして、労働者を測る物差しとして、専門的な優秀さの尺度だけではなく、人間的とかいう全人格を対象にする尺度が同等に働く状況を排除しなければならない。そもそも、会社の組織からして近代社会に不適合な場合も多い。その例は最後のセクションで触れる。

 

現在の労使関係では、本当に優秀な人材の多くを定年という区切りで失うことになる上、若くして“裏切って”他国に職を求めるかもしれない。また、雇用を最優先するあまり会社が傾くことになっては元も子もない。更に、そのような雇用文化の中で国全体の技量が低下する危険性もある。

 

つまり、現在の高度な機能体的会社においては、労使関係を①封建的なウェットな労使関係から②経営者と労働者の間のドライな労働契約の関係に改めなければならないと思うのである。後者の労使関係は、人間的関係というよりも労働提供の契約関係である。

 

この労使関係では、優秀な人材には高い給与を支払う必要があるので、労働者間に大きな給与格差が発生する可能性が高い。その結果、人件費は全体として相当高くなるだろう。労働者が年齢以外ではほぼ均一である時代には労働組合が大きな存在であったが、本質として労働者ごとに報酬が大きくことなる時代となれば、その意味が低下するだろう。(補足2)

 

労働者はそのような給与差の中で、機能体である会社内で円滑に連携をとる必要がある。その様に労働者が多層均になれば、仕事上で発生した人格的人間関係は消えるだろう。人格的人間関係は仕事とは無関係にプライベートに求めることが全てとなる。欧米では、アフターファイブの飲み会はほとんどないだろう。


 

2)就学と就職の人生における意味

 

封建的な労使関係では、就職はその後の人生の大半を決定する重大事となる。一旦優良企業に入社すれば、その後の人生は安泰となると考えられ、日本人の大半はこの人生モデルを主軸として結婚や教育などの人生における諸要素を考えていると思う。学歴の役割は、(テレビのクイズ番組で役立つ人を除けば)就職した時に終わる。

 

一方、契約的労使関係が主流になれば、労働者は自分の技量と知識を会社に売りつけなければならないし、会社の経営者はより高い技量と豊富な知識を獲得すべく候補者を評価しなければならない。その結果、上に述べたように全体として人件費が上昇し、会社に労働生産性のための投資を促す筈。

 

労働者側では、自分の技術を高める努力を現在の会社で仕事(フルタイム)を得る前になされなければならない。そのために、大学も学歴獲得のためではなく、明確な目標をもって実力養成のために選び勉学に努めなければならないだろう。
 

そのようになれば、現在の大学等の教育機関も大きな影響を受け、入学試験の人生における比重もそれほど大きくはなくなるだろう。学歴社会と封建的労働環境は1:1の関係にあると思う。

 

このように考えた場合、世界での経済的地位を向上させるには、西欧が作り上げた近代技術社会に文化的に適応しなければならないことを意味し、簡単ではないことが分かるだろう。政治家もそのような点をよく考えて、労働問題、教育問題、経済政策等を立案すべきである。現在のように世襲政治家が財務省を批判するだけでは、日本は近い将来途上国となるだろう。

 

尚、②の契約的労使関係の会社では、会社の上層部であるCEOなども労働者と言えるかもしれない。所謂サラリーマン社長である。会社は株主の所有であるから、日本でも株主は会社の経営に対して注文をつけることが普通になるだろう。

 

ただ、株の大半は所謂機関投資家と呼ばれる者、多くの場合投資会社や各種基金等なので、それら大株主によって会社経営者が選定されることになる。最近、各会社経営者が利益の株主還元を重視するのは、このような事情が背景にある。

 

株主は、会社が破産すればその責任を株が紙屑となることで取らなければならないが、労働者もサラリーマン社長もそれ程大きな損はない。(補足3)

 

(補足1の街頭演説でもちいられたスライド;演説主は高い株主還元率を批判している)

 

社長等経営者は、一般労働者と株主の間に立つ存在であり、本来、封建時代の“殿様”(或いは天皇と呼ばれる存在)の様にはなり得ない。日本ではそのような例が多々見られるのは、会社の人事が封建的に進められてきたからである。


 

3)古いタイプの会社とそこでの人間関係

 

現在、国際的競争に晒される先端的業種での労使関係は、殆ど上述の②のタイプに近くなって来ているだろう。そうでなければ、高い国際競争力など維持できないだろうと思う。

 

その一方、国際的競争下にない業種では、恐らく①の封建的労使関係のままだろう。労働者を大事にする会社と言えば聞こえが良いが、それは現在のドライな人間関係になりつつある社会全体に陰湿な人間関係の島或いは蛸壺のような空間をあちこちに作っている。
 

最近、テレビのニュースにおいて話題になっているフジテレビという会社もそのような会社の一つだろう。その他にも芸能関係や放送関係での性被害のテレビ報道が多く、視聴者の一人としてウンザリしている。

 

そのような番組では、性加害者と考えられる有名人を袋叩きにして、報道する側と視聴者の側の両方で鬱憤晴らしをしている様で、非常にみっともなく見える。テレビ放送の中身が日本の文化の反映だとすれば、日本全体の恥だろう。報道関係者には、放送法第一条を良く読めと言いたい。

 

ここ一か月ほど話題となった上記フジテレビの件では、女性アナウンサーには容姿を含めての技術・能力だけでなく、本来労働契約にないことが要求されたことになる。将に全身全霊で会社に尽くすことが要求されたのだろう。その陰湿な労使関係は封建体制そのものである。
 

その風通しの悪い会社の中心に40年間その会社の天皇と呼ばれた87歳の絶対権力者が存在するようだ。https://www.mbs.jp/news/feature/specialist/article/2025/01/104943.shtml


その放送局の持ち株会社に対して、アメリカの投資ファンドは、企業統治に欠陥があると指摘した上で、取締役相談役を務める上記87歳の方の辞任を求める書簡を送ったようだ。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250204/k10014711631000.html

 

この放送局は、フジメディアホールディングスという親会社が運営する筈なのだが、そこの経営者もフジTVの「天皇」には手が出せなかったのである。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c13c87be8a52386ecbb95f0ee0171cb98837fc7f
 

勿論、その殿様にどの程度の責任があるかは不明だが、そのことが暗示する古い封建的人間関係で、この会社と放送局が成り立っていたことは事実だろう。中世では、女性はcommodityと見なされていたのだが、その時の文化が現代日本の純粋にdomesticな会社には蔓延しているのだろう。
 

性加害者の人物は、その中でその放送局に自分の出演を独占的に約束し、その対価として賃金とその特殊サービスとを受け取っていたのだろう。問題の本質は、その人物が有徳の人物では無かったことにではない。徳などはヒトという動物の表面にある薄皮一枚でしかない。(補足4)その会社の労使関係が、近代的ではなく古い封建的体制にあったことである。
 

つまり、この問題はフジテレビだけでなく日本全体の問題である。このような観点からこの件を論じたTV報道等を見たことが無い。つまりそのような労使関係は、日本中に空気のように存在していても多くの人には見えないのである。これでは日本という国が途上国化するのは時間の問題なのだ。


 

補足:
 

1)この記事を書く動機となったのは、ある政党党首の街頭演説のyoutube動画に対してコメントしたことであった。その動画は:https://www.youtube.com/watch?v=R8ITX_2bpQQ

 

そのコメントは:

参政党を応援する者ですが、経済についての議論は慎重になされた方がよいと思います。賃金が上昇しないのは、労働者と経営者の関係において労働者が弱いからです。それは一生会社に奉職するというタイプの日本文化の弱点です。毎年4月の入社式(その文化の象徴)なんて、バカげています。この文化を乗り越えて、労働の流動性と同一労働同一賃金の厳守が達成されれば、労働者個人は自分の資質向上に努めることがより強く要請されますが、会社と賃金交渉を他社と天秤にかける形で可能となります。労働生産性の向上には、会社の投資と労働者の資質向上の二つが必要です。

 

2)この文章の意味は職種ごとに細かく給与を設定するという意味である。その算定にあたって、一定のルールが定められているべきなのは言うまでもない。

 

3)最近、〇〇ホールディングスという名前の会社が多くなった。それは持ち株会社であり、複数の会社を一段上から経営する。更に、その持ち株会社にはより大きな存在として機関投資家が存在する場合もある。それら機関投資家には、〇〇基金や△△銀行や別の大会社などが存在する場合が多い。なお、フジテメディアホールディングスの在米株主によって、フジテレビの天皇と呼ばれた人物を解雇するよう要求書が経営者に提出された。

 

4)このことは、国家が歴史の中で作り上げた国際法などの文化と相似的である。本来野生の原理で動く国家がつけている薄皮一枚に過ぎないことを、イスラエルによるガザにおける民族浄化が教えてくれる。しかし日本国民の殆どはそれを学んでいないのは、この低レベルで外国支配のTVの所為である。

 

 

 

(2月6日早朝全面的に編集、補足4を追加)


 

ガザ地区での停戦はトランプ政権前の出来事だが、それは必ずしもバイデン政権の成果とは言えない。トランプ側の働きかけの効果が実を結んだという考え方の方がより正確だろう。イスラエルの現政権とトランプ氏との間には強い信頼関係が存在し、アメリカ大統領となるトランプ氏の圧力をネタニヤフ政権も無視でき無かったと考えられる。https://www.asahi.com/articles/AST1J2FHDT1JOXIE01QM.html
 

停戦後のガザは束の間かもしれないが平和であり、人質交換なども行われている。ただし、ヨルダン川西岸地区での戦闘は、以前からのことだが、時々発生しているようである。https://www.bbc.com/japanese/topics/cw5wn2e9rpnt

 

そんな中、ガザの住民をヨルダンやエジプトに移住させるべきだという先日(125日)のトランプ大統領の発言は、方々で悪意をともなって報じられている。例えばBBCニュースは、以下のように報じている。
 

トランプ氏はガザを「解体現場」と表現。「おそらく150万人ほどの人がいる。私たちはすべて一掃する」と述べた。また、こうした動きは「一時的かもしれない」し「長期的かもしれない」とした。https://www.bbc.com/japanese/articles/cj48ydjjen8o
 

トランプのある記者に対する専用機での発言は、And I’d like Egypt to take people and I’d like Jordan to take people. そして続いて I couldと言いかけ、一拍置いて  I mean, you’re talking about probably a million and a half people、そして And  we just clean out that whole thing. だった。

 

ガーディアンの下のサイトにその時の動画が字幕つきでアップされている。

https://www.theguardian.com/us-news/2025/jan/26/trump-resumes-sending-2000-pound-bombs-to-israel-undoing-biden-pause

 

この発言の全体から、And  we just clean out that whole thingの意味は、「我々は全ての問題を取り合えず無くする」という意味だと分かるだろう。勿論、ガザ地区の民族浄化計画 ethnic cleansing planとは全く無縁であるとは証明でき無いが、トランプ大統領の意図は全くことなると思う。
 

トランプ氏の発言は、ガザ地区はがれきの山と化しているので、差し当たりその地区のパレスチナ人を周辺諸国に受け入れてもらい、その後は自然の成り行き(神の意思)に任せるべきだというくらいの意味だろう。(補足1)

 

更にその記者は、それは一時的にですか? それとも、戻れるのでしょうか?と問うた。その質問にトランプ大統領は、どちらでもあり得る。一時的かもしれないし、長期的かもしれないと答えた。これは、私に出来ることはそこまでであると言う意味を言外に含むのだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=DA095Kj6gSo&lc=Ugy094dZsZ8CcvsIiu54AaABAg

 

 

 

2)ガザ地区のパレスチナ人の運命

 

この問題を数歩下がって思考の枠組みを拡大して考えてみる。

 

米国におけるイスラエルロビーの力は巨大である。イスラエルと米国の間は極めて近く、一つと考える人まで存在する位である。(補足2)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241023/k10014617101000.html

 

上の記事の中に引用されている米国カジノ王、ミリアム・アデルソン氏の次の言葉がそれを良く表している。

「私たちは誇り高きユダヤ人であり、誇り高きイスラエル人であり、誇り高きアメリカ人です。私たちを支持する人たちに敬意を表しましょう」

 

在米の金融エリートたちは、米国政権の背後にあって世界の政治と経済を半ば支配している。彼らの一部の勢力はグローバリストとして、世界帝国の実現を企んでいる。そのエリートたちの多くは、等しくイスラエルと非常に親密な関係にある。彼らの計画の中には、イスラエルの人たちが期待する大イスラエルの達成も自然に含まれるだろう。

 

ただ、ユダヤ教正統派の人たちやイスラエルに住むかなりの人たちは、大イスラエルの達成は神によってなされる筈であり、人間の力で達成しようとするのは間違いであると考えている。外国に住むディアスポラのユダヤ人たちのシオニズム運動には反対しているのである。

 

自分たちの国を守ることが大切であると主権国家体制を維持したい反グローバリストたちが、このような経済的にも政治的にも力のあるエリートたちの世界支配の企みを覆すためには、イスラエルの反シオニズムのユダヤ人たちの力を借りる必要がある。その為には、現イスラエル首相のネタニヤフを反グローバリスト側に引き込むことが賢明だろう。

 

そのような背景を考えた場合、現状の廃墟となったガザ地区を再建したのちにパレスチナのアラブ人の方々にプレゼントすることは、理想論として語るとしても現実論として追及すべきとは思えない。

 

上記トランプ大統領の発言は、そのような微妙な意味を表現したのだろう。イスラエルのシオニズム運動に反対する人たちが力を増して、彼ら当事者の考えとして上記理想論が現実となればよい。しかし、そのようにはならない可能性の方が圧倒的に大きい。
 

ガザ地区の住人であるパレスチナ人が、その後どのような未来を迎えるかは神のみぞ知ることであり、トランプ大統領の能力の範囲を超える。エジプトやヨルダンでの移住生活が、「一時的かもしれないし、長期的かもしれない。」

のは、トランプ氏の力の及ぶ範囲には無いと言うことである。

 

トランプ政治の本質を知る為には、トランプ自身の現実的且つ直接的な言葉を良く分析すべきだが、例えばアルゼンチンのミレイ大統領の演説なども非常に参考になる。https://www.youtube.com/watch?v=Yd2Oc5q_Mu0

 

 

 

のダボス会議での演説の最初の方で、グローバリストと戦っている人たちとして、米国のトランプ、ハンガリーのオルバン、イタリアのメローニのほかに、イスラエルのネタニヤフ首相の名もあげている。それは、ハマス対イスラエルの戦争を切っ掛けにトランプ政権がイスラエルの反感を買って潰されてしまうのを怖れるからだろう。(補足2)

 

因みに、アルゼンチンのミレイ大統領は、グローバリストたちの目的は世界の人口削減にあると明確に言っている。我々日本国民や多くの地球人にとっては恐怖のシナリオである彼らの企みを砕くには、近代の価値観に足をすくわれてはならない。

 

上のNHKの記事を読めばわかるように、カマラハリスはグローバリストの端に位置しながら、ハマス・イスラエル戦争でパレスチナ側に立ち過ぎて、大統領選に敗れた。トランプの勝利は、彼のこれまでの姿勢を含めてイスラエルの味方として評価された結果である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12847903412.html

 

 

トランプ大統領の反グローバリストの思想は、現実的な政治空間に投影された結果である。それを反グローバリストだと自認している人たちがイマジナリーな空間の理想論で批判するのは、自分で自分の首を絞める愚挙である。


 

補足:

 

1)clean out は全てを取り除くと言う意味であり、瓦礫の山と化したガザ地区の問題、このままでは生活が出来ない150万人ほどのパレスチナの人たちの今後の問題などを取り合えず解決するという意味だろう。この発言中のjustという単語は、完全で理想的な解決ではないことをあらわしている。 Chat GPTに会話の主を伏せて聞いたところ、「単に/ただ」 (merely, simply) 、「とにかく/とりあえず」 (simply, without hesitation) などの意味がこのjustの意味として考えられるそうである。


 

2)ネタニヤフ首相はイスラエルの防衛のためにハマスと戦っているのは事実である。それは主権国家としてのイスラエルの防衛と言えなくもない。しかし、グローバリストの世界帝国実現が、大イスラエルをはじめユダヤ人の棲み処を世界に拡大する運動だとすれば、反対する筈はないだろう。

 

1)現代日本の蛸壺政治について

 

前回、日本の蛸壺文化と現在の日本政治との関係について以下のように書いた。

 

日本の政党は、労働と富の分配の問題、教育や社会保障の問題、産業振興の問題、政治の制度や資金の問題などに対する姿勢における他党との区別を国民に主張している。それらは重要だが、政権与党の族議員たちがそれら各蛸壺内で議論する対象に過ぎない。国家の骨格を抜きに棲み分けている日本の政党と政治家は、そしてそれを尤もらしく地上波TVで議論する評論家たちは、日本国民にとって背信の輩である。

 

彼らは、2021年の米国バイデン政権の開始時から本格的になった国際政治における世界史的変動の真っ只中、日本の危機が近いと考えられる現在、103万円の壁とか政治資金規正の問題で延々と時間を浪費しているのである。

 

 

 

ここで族議員とは、1970年頃に自民党の政治家と行政の実行部隊である官僚たちとの癒着の一貫として出来たようである。(ウィキペディアの族議員)その後、与党国会議員たちは、”労働と富の分配の問題”以下の幾つかの蛸壺内に棲み別けており、それ以外の議論は日本国の政治には存在しないかのようである。日本の国会には行政の議論しかなく、外交や防衛などは一切、宗主国である米国に完全依存する形になっているのだ。

 

そして日本の野党は、全て観客席から自民党議員たちの演じる蛸壺内の芝居を批評して、国民の前に自分たちの存在感をアピールするという役割で満足する様になった。その一環として、日本共産党も昭和33年に暴力革命を否定し、政権奪取を目的とする本物の野党としての役割を終えている。https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm

 

その結果、戦後30年程して日本国と日本国民は敵を感じなくなり、国家の必要性の第一を感じなくなったのである。現状は上述のようにそれとは正反対であり、四方核武装した仮想敵国に包囲されているにも拘わらずである。つまり、米国による日本の家畜化の完成である。

 

殆どすべての日本人は、日本国が天皇を中心として存在するという残余の感覚を持っているかもしれない。しかしそれは、論理を持たない日本人の「鰯の頭も信心から」の類の信仰のようなものであり、日本にはもはや本物の国家は存在しなくなったことを知るべきである。

 

 

2)日本における国家の成立と劣化

 

日本国が成立したのは、壬申の乱のころだろう。そこで、天武天皇はその正統性を示すために中国の史記をまねて日本書記を編纂させた。全文は漢文で書かれているとのことであり、日本列島が中国文化圏の中に位置していたことがわかる。

 

天武天皇によって統合された日本列島には、国家間の戦争がほぼ無くなった。そこから国家という組織の形骸化が始まったのだろう。ただ、蝦夷と呼ばれる異民族が時として辺境の地を侵略したため、それを征伐する役職が出来た。平安時代から存在する征夷大将軍である。

 

彼らは強力な武力を持つものの、民を統治するための独自の宗教を持たなかったため、伊勢神道を擁する天皇家を滅ぼすことは出来なかった。因みに、宗教には二種類存在するが、そのうちの人格神を崇拝する宗教(一神教)の方が、多くの場合、国家の権威を担う。(補足1)

 

時代が進んで、武家が力を増して、武家と天皇家の二元体制が出来上がった。それは鎌倉時代に始まり江戸末期まで温存された。信長と秀吉の時代、キリスト教が日本の二元体制の唯一の脅威となったが、彼らはそれを退ける選択をした。1587年の伴天連追放令である。

 

日本の婦女子を買い取って南方で売るという悪事を宣教師たちが行ったのが原因だろう。宣教師たちが“俗悪な人物”でなかったのなら、天皇家は亡んで日本はポルトガルか何処か西欧の国の植民地となっていた可能性があると思う。(補足2)

 

日本の政治的権威は天皇家が持ち、その権力は武家が持つという二元体制は、それなりに安定しており、欧米の帝国に破壊されることもなかった。しかし明治になって、この二元体制は消滅することになる。中国侵略を目指したであろう米国の蒸気船が、日本をその為の中継基地にする目的で立ち寄ったことからその政変は始まる。

 

米国は南北戦争の勃発によって、その後日本から遠ざかる。その後、日本の政変に拘わるのは英国やフランスなどである。英国ではユダヤ系のロスチャイルド家が中央銀行のイングランド銀行を手にしており、政権の陰で既に権力を得ていたと思われる。

 

英国の権力者は、その日本を普通の国家として改造し、極東の基地国とすることを考えたのだろう。それが明治維新である。その結果、天皇中心の富国強兵国家となったのが大日本帝国であった。それは見事に(英国の権力者の宿敵)ロシアを破るという功績を上げたのである。

 

ただ、日本は完全には英国の支配下ではなかった。それは、上記国家の軍事的ソフトウエアである宗教には手を付けられなかったからである。それが幸か不幸か、日本が壊滅的敗戦に向かう原因となった。皇国日本の外務大臣小村寿太郎は、ポーツマス条約で米国のSルーズベルト等と会ったにも拘わらず、日本をロシアに勝たせた英米の企みが見えなかったのである。

 

その後、独走を始めてしまった日本が、英米の怒りによって滅ぼされ、日本国民は実質的に国家を無くすことになったのである。

 

 

3)日本での国家の消滅

 

明治維新に対する日本の教科書における誤解については何度か書いているので、これ以上は立ち入らない。ここで思い出してもらいたいことは、大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかったということである。(補足3)

 

その後の大戦で敗戦し50年ほど経過して、日本国に天皇という政治的権威を完全否定された効果が発現定着して、米国の家畜国となったことに今国民が気付きだしたのである。

 

天皇が果たした大日本帝国時代の役割は、昭和憲法第一条により明確に否定された。第一条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(これが昭和憲法のエッセンスである)

 

その結果、日本に存在する政治的権威は、米国が移植した非軍備の民主主義が受け持つことになったのである。こんなものが主権国家の支柱としての役割を果たす筈がない。軍事力を奪った後、民主主義を植え付ける方法は、それ以降も米国に用いられている主権国家破壊の戦略である。

 

軍隊を指揮する旗頭の居ない国に主権などない。更に、軍隊の無い国家に主権など樹立できる筈がない。それが、アマテラスの子孫である筈の天皇を空蝉のように規定し、非武装を謳った平和憲法の効果である。

 

このようにして日本の政治的権威が失われ、政治権力の中心が日本から米国に移った。日米安全保障条約とその後改訂された条約がそのための契約書である。日本の自衛隊と呼ばれる軍隊は、米国の指揮下で動くことが吉田茂により約束されている。

 

 

終わりに:

 

以上が日本の国家としての経緯の概略である。このような考え方は、経糸である時間軸と横軸である地球の広がりの全体を対象にしないと不可能である。そのような広範囲を視野に入れた思考は、短い生命と有限のエネルギーの一人の人間には困難である。

 

そこで必要なのが、数世代にわたる情報の共有と数百人或いはそれ以上のヒトの頭脳の連携である。そこには完成度の高い言葉とそれを用いる論理の伝統が必要だろう。それらは日本の弱点であり、これまで全世界と全時代を視野においた思考が出来なかった理由だろう。

 

日本人の殆ど全てがインターネットにアクセスでき、SNSを有効に利用できるようになれば、これまで不可能だったことも可能となる。そのような努力を始めた人たちが現れだした。そして、将来日本国が新しい姿となる可能性がある。

 

 

補足:

 

1)日本の政治的権威であった天皇はアマテラスの子孫であり、アマテラスを崇める伊勢神道の神主である。伊勢神道は私の独自の用語(外宮神道の意味ではない)であり、自然を崇拝する神道をアマテラスを崇拝する様に一神教化した宗教である。ここで宗教は、善悪を創造して敵を悪とし、民を纏めて戦争するためのソフトウエア的武器である。

 

 

 明治以来の日本に出来た多くの宗教も、政治的思惑で創設されたものであることを知るべきである。信仰の自由とは、世界を政治的に改変する動機で基本的人権に組み込まれたと考えられる。このことに言及しない法律家や社会学者たちは、麻原彰晃より頭が悪い。

 

2)信長は宣教師たちの知識と鉄砲などの技術に関心を示し、彼らに融和的であった。秀吉もポルトガル人たちの悪行やその背後にあったと思われる日本の植民地化の企みを嗅ぎ取るまでは、キリスト教にむしろ融和的だった。(ウィキペディアの伴天連追放令参照)

 

3)国内の政治的矛盾の解消という形で大日本帝国という国民国家が出来たのなら、当時の武士や国民にその封建制から立憲君主制への変化の歴史が共有された筈である。しかし、他国の意図がその政変に深く絡んでいた場合、新しい国家のその後の動きが国民の意図する方向に進まない可能性が高い。

 

(1/25、セクション3の「大日本帝国もまともな主権国家ではなかった」を「大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかった」に改め、この部分の補足を補足3として追加しました。既にお読みいただいた方には、この部分の誤りに対して深くお詫び申し上げます。夕方並びに翌早朝編集。最終稿とします。)