ここで、「日本の歴史教科書も他国の歴史書同様、上記の様に多くの部分で捏造あるいは記述が偏っているのではないか?」を少し書く。
日本人単一民族説は、戦前戦後を問わず挙国一致体制を作るために政治家が作ったものだと思う。(https://ja.wikipedia.org/wiki/単一民族国家) 実際には、日本人の起源は単一ではなく、幾つかの民族が土着混血し、紛争はあったものの最終的に統一してできた民族だろう。
例えば、最近読み始めた幕末期の英国の外交官、アーネスト・サトウの本「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)に、簡単な日本の歴史が書かれている。それによると、他国から侵入者がやってきて、小種族と融合し、外見上一民族を形成するに至ったと書かれている(補足1)。この様な記述は、日本の歴史教科書にはない。
侵入者の詳細はかかれていないが、主に倭国だろう。そのほかにも幾つかの侵入者が日本列島に来ただろう。その一つの根拠であるが、伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、さらに特に北陸地方に多い白山(しらやま)神社など、多くの神社が単一の系統では理解し難い状態で存在することである。そして、伊勢神宮が別格の神社となったのは、アマテラスの子孫が日本を統一したことを示しているだろう。http://diamond.jp/articles/-/47553?page=1
出雲大社に年に一度、日本全国の神があつまるという伝説は、出雲大社の神(オオクニヌシ)は倭国にとっては先住民(といっても侵入者)の神であることを示しているのではないだろうか。岡谷公二著の「神社の起源と古代朝鮮」によると北陸や近江の神社は、新羅から来たと書かれている。また、鳥越憲三郎著の「古代朝鮮と倭族」では、倭族の起源を中国雲南省付近としている。さらに、日本の古代の支配者は、百済に近かったのは、白村江の戦いで明らかである。因みに、倭はヤマトとも読み、三重県に今でも地名として倭(やまと)が存在する。https://ja.wikipedia.org/wiki/倭村_(三重県)
2)歴史を事実がつながった物語とするなら、日本民族の起源を知る上で上記の様な考察は重要だが、日本国民の一致団結の上で障害になるため、教科書には書かれて来なかったのではないだろうか。
つまり、縄文人と弥生人という区分けと先住民と倭民族という区分けを同一とするのは単純かもしれないのだ。上に書いた様に、弥生人の中にも幾つかの部族や種族がいただろう。そして、蝦夷や熊襲も縄文人の子孫かもしれないし、弥生人の血も含まれているかもしれない。
上記アーネスト・サトウの本に、この国の東部と南部に住んでいた蛮族と支配民族との間に、戦いが絶えず行われたが、この不断の戦争によって武士階級ができ、従来の文官政治が武家政治に制圧されたと書いてある。坂上田村麻呂が登場したのは9世紀から10世紀であり、この記述の支配民族は既に起源が複数の民族に亘っていると思われる。
日本の歴史には、この戦いについては極めて僅かしか書かれていない。その蝦夷や熊襲の子孫が現在どの程度いるのかについてもほとんど書かれていない。これらのことは、現在支配的な位置にある上記多民族集合体にとって都合が悪いのだろう。その集合体の中に、含まれるのかどうかもわからない人が大勢この国にいるだろう。
現在中国や韓国が問題視している日本との歴史問題について、日本側の視点に立って、中国や韓国による“歴史の歪曲してまで日本を攻撃する姿勢”を非難している。しかし、一抹の不安が常にこころの隅に残る。何故なら、上記の様に“日本製の歴史”の中にも歪曲的なものが多くあるからである。
補足:
1)正当な歴史書でないアーネスト・サトウの本を引用するのは、第一に筆者がズブの素人だからである。更に、日本の外から見た日本の歴史に関する普通の理解を得るには便利だからである。最初に登場した片山氏との議論は、代表の任期切れや政党交付金の処理、それに大量除名騒動の話が主であった。片山氏は自分たちの主張である松野氏の任期切れの根拠を説明しようとしたものの、明らかになったのは、維新の党の規約とそれに沿った運営が近代政党としての体裁を整えていなかったことである。片山氏は、この件のゴタゴタをテーブルの上に全部出す役割だったかの様な印象を残して持ち時間を終了した。
伊藤氏の発言で印象に残ったのは、この分裂騒動の裏に総理官邸の姿がちらつくと言ったことである。つまり、この騒動を仕掛けたのは総理官邸(の影)と橋下氏側であると言うのである。伊藤氏はこの時点で、評論家として番組に参加したものの、反安倍政権と反橋下維新という姿勢を明確にした様に見えた。
重要な点は、松野氏が民主党と伴に野党を結集して、自民党に対決できる政党をつくることが今後の残留組の方向であると言った点である。これは維新の党の結党以来の姿勢ではない。つまり、日本維新の会と結いの党が合流してできた維新の党であるが、一旦は維新の遺伝子で統一した様に見せながら、江田氏らが自分たちの遺伝子を復活させて党を乗っ取る行動に出たのが、ドロ沼化した分裂騒動の本質である(補足1)。
そのことを明確にしたのが、3人目に登場した小沢氏である。小沢氏が、“自民党などの既存政党を超える、本当に国民の為の政党を目指すのが、維新の党の方向であった。共産党や民主党と組んで、自民党と対立する勢力をつくるというのが、本来の維新の方向ではない。”と言い、更に、名前を出しては言わなかったものの、江田氏らと合流したものの、両雄あい立たずの状況が顕在化したのが、分裂騒ぎの本質であることを明らかにした。
最後に、伊藤惇夫氏は政治評論家としてこの番組に参加した筈なのだが、そのような役割を果たしていなかった。彼は、反自民という政治屋的発想で話をしておれば、飯が食えるというタイプの人ではないだろうか。小沢鋭仁氏が、江田氏らと橋下氏らの姿勢の違いがこの騒動の本質であるという話をしている間、まともなコメントが何もできなかった。なぜなら、伊藤氏にこの件で見えているのは、総理官邸の影だけだからだろう。
補足:
1)橋下徹氏と松井一郎氏らの維新の会の考えと江田氏らの既存勢力との合流に無理があったことについては、当ブログでも7月7日の記事で書いている。
つまり、本文でも書いたが、この騒動の本質は江田氏、松野氏、柿沢氏らの政治屋的遺伝子が、「維新」の遺伝子とは基本的に異なっていることにある。