昨日のそこまで言って委員会(11/8/2015)で、宗教について話し合っていた。それに刺激されて、日本の宗教を考える。世界の宗教地図では日本は仏教圏内に含まれている。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/edu/kyouzai/handbook/pdf/p111.pdf しかし、これで日本の宗教を語るのは単純すぎる。

1)私は日本人の宗教の土台には神道があり、その上に大乗仏教が載っていると理解している。神道は大自然(=神)の恵みとして生を受けたことに対する感謝と、その生を授けた神を怖れる宗教である。日本人の父なる神は大自然と一体であり、霊を帯びた山や川というより、山や川などを支配している霊であると思う。キリスト教との違いは、聖書(経典)がないことや、山や川に存在する霊を臨在的に感じることである。聖典がないのは、人知を超える存在であるからである。

聖書の神は、人を特別に創造したことでも解るように人を愛する神である。そして、戒めを破れば恐ろしい父なる神である。一方、神道の神は、神であるが故に公明正大であるだろうと予想されるが、その保証はない。なぜなら、何をしてはいけないという教えがないから、突然訳もわからない災害に見舞われる(神罰を受ける)こともある。日本人が無宗教だと答えるのは、神道の神から人へ差し伸べられた救いの手が感じられないからだと思う。つまり、神道の神は父なる神として子を恐れさせるが、教育はしてくれない。

その不安で寄る辺ない日本人に対して、仏教は本来の形から大きく変化して対応したと思う。日本の仏教、例えば、浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏への信仰を告白すれば、死後は極楽に往生できると説く。阿弥陀仏は母のように、日本の人の心を安心感で満たしてくれるかのようである。極楽を天国、阿弥陀を神に置き換え、そして、「南無阿弥陀仏」を信仰の告白に置き換えられるのであれば、一神教に近いように感じる。しかし、善と悪の区分を超えたところに真実があるとの教えは(補足1)、仏教の中心的教義である「色即是空」の別表現であると思う。

以上から、日本人が怖れるのは神(神道の神=大自然の神)であり、日本人に暖かく接してくれるのは阿弥陀仏などの仏である。その両方があることで、生と死の不安に怯える人は、かろうじて自分の現在位置を確認できるのである。

2)生命が怖れるのは死である。死が「行く末」であり、それへの不安から、人は「来し方」を探すことになる。仏教ではこの形ある世界は本質ではないと説く。つまり、来し方が本質的でないのなら、行く末も本質的でない。従って、行く末を恐る必要がないと説く。神道には教義はないが、私が神道の信者ならば、偉大な自然から生まれ自然の中に育まれているのが自分であると感じる(だろう)。そして、肉体が自然に融合するように帰るのも当然のこととなる。何れも、死の恐怖から解放される方法を教えていると思う。因みに、神道とこの自然に帰る死は、深沢七郎作の「楢山節考」に極端な形としてではあるが、見事に描かれている。

色即是空を四苦(生病老死)克服の為に知るべき真理として、信徒に修得させることは難しい。親鸞でも、当時の日本仏教の中心であった比叡山で厳しい修行を行っても、真理つまり悟りを得ることは困難であった(補足2)。従って、経文の意味を信徒一般は知り得ないし、知ろうともしない。

仏教が日本に入ってきて変形されても、その理解は依然困難であり、死の恐怖からの克服も一般人には困難である。そして日本人が仏教に接する態度は、棒読みで経文を唱えるのみである。日本人のほとんどは、神道と仏教を謂わば両輪とする(あるいは両親とする)宗教の信徒であるが、仏教の経典にはわからない文字が書かれているだけであり、神道の神も何も教えてくれない。従って、宗教を前面に出して、自己を主張することはない。人と人が協力して生きる以外に方法はないという意味で、宗教は共同社会の絆としての働きが主であったと思う。日本人の多くが、誤って「自分は無宗教だ」と答えてしまうのも、神を全面にだして他国と対立することがないのも、この極めて薄い宗教的”空気”による。

因みに、国家神道は明治政府が政治的に作り上げた宗教である。神道は、仏教やエホバ神信仰と同様、二度ほど変形されていると思う。最初は、権力を掌握した多数派渡来人が、より古い渡来人により信仰されていた神道を、種族の長を聖書の中の創造神の子孫のような存在に仕立てて(古事記)変形した神道(伊勢神宮)である。二度目は、徳川家康など歴史的な人物を祀る神道(東照宮;八幡宮など)であり、その延長上に国家神道がある。国家神道では、国家の戦闘で死亡した人を神として祀るもので、明治維新以後にできた最後の神道の形であるが、政治家や元軍人以外の日本人の心の中には定着していない(補足3)。

「千の風になって」という歌が有名であるが、これが米国で作られたのだが、おそらく作った方は神道のような自然崇拝(アニミズム的宗教)に近い信仰の方ではないだろうか。自然崇拝は世界中で普遍的な宗教だと思う(補足4)。


補足:

1)言うまでもないが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」である。

2)オリジナルな釈尊の教えである、「生病老死が苦(思い通りにはならない)であるとし、色即是空(形あるものは空い存在であり、本質的ではない)であるから、その苦も本質的でない」という教えは、哲学的ではあるが、その説教で救われる人はいないと思う。従って、偶像崇拝的なものや、新興宗教が多数勃興した。法然と親鸞が創始者である浄土真宗もその一つであり、「弥陀の本願を信じて”南無阿弥陀仏”と唱えるだけで、死後極楽往生できる」と極めて簡単な教えとして広めた。

3)変形された神道は、人格神的要素が取り入れられており、やはり本当の意味では神道ではない。

4)広辞苑第二班によると、「宗教とは神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され、禁忌された神聖なものに関する信仰・行事またはそれらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。」とある。人間は自然の中から生まれたという意識は万人に共通だと思うので、超越的絶対者はこの自然と一体であると考えるのが当に自然である。そして、世界中で自然崇拝が基礎にあり、その説明者によりいろんな宗教が作られたのではないだろうか。
日本政府 も、慰安婦問題や南京大虐殺などを研究対象にした、日本の昭和史の研究機関を設立すべきであると思う。
 
ニュース(Record China 11/6):2015114日、韓国・国民日報によると、韓国政府が、日本軍慰安婦に関する資料を収集・研究・保存・展示する「歴史館および研究所」の設立に向けて動いていることが分かった。証拠の収集管理に政府が直接当たることになり、実現すれば、日韓の協議にも影響が出るとみられている。
 
この韓国の動きに対して、日本側も何らかの対策をとるべきである。桜井よしこさんや西尾幹二さんらがマスコミなどで主張されているように、制度としての強制連行などがなく(補足1)、そのような犯罪行為を黙認して利用していたようなことがないのなら、韓国の“虚構の慰安婦”を暴くキャンペーンを国際的に行うべきである(補足2)。実際、この慰安婦の件を米国も調査したが、日本国内の売春の延長であったという結論に至ったようである。http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html
 
私は予ねてから提案しているが、日本政府は国立の研究機関を設立し、慰安婦の件だけでなく、中国や韓国により歴史問題として取り上げられている旧日本軍のアジアでの民間人を巻き込んだ行為を研究し、その成果を公開公報すべきだと思う。また、公報のための常設の施設を、ニューヨークなど世界に数カ所作れば良い。


その研究機関では、①事実の発掘を含めて研究すること、②すでにある秦郁彦氏らの研究成果をまとめた本の要約や各国語への翻訳などを通して、広く且つ容易にアクセス出来るようにすることなどや、③公報活動の計画と実行などを行うのが良い。
 
上記①と②については、韓国が作るという国立機関に相互協力を呼びかけると良い。兎に角、真実などこの世になく(補足3)、当事者の力関係で決まり歴史に定着するということを肝に命じて、上記を実行してほしい。


つまり、韓国はその機関を巧妙な捏造のための機関に用いる可能性が高いのである。従って、日本もリアルタイムで対応できるような組織を持たなければ、対応できない可能性がある。
 
更に、これまでに近代史の学会が明らかにしている事実について、政府の見解とともに日本国民に公表すべきである。日本国民全員が自信をもって、「日本国はヒトラーに並ぶような非人道的なことを行っていない」と言えるようにすることも、日本政府の大事な仕事である。


慰安婦の存在は事実であり、旧日本軍はそれを利用していたのも事実である。他国も同じことをやっていたという言い訳は、日本のケースの議論の上では無力である。この事実の重みを先ず十分知るべきである。また、下手な過去の自民党政府の対応により、日本は被告席に座っていると国際的に見なされている可能性が高いことを重く自覚すべきである(補足4)。

その場合、日本側にできるのは釈放の交渉か、裁判での弁護に喩えられる行為である。何もしなければ、現代の感覚で日本人の歴史的犯罪として歴史に刻まれ、韓国の思う壺となるのだ。
 
補足:


1)個人的な犯罪は、日本側も犯罪行為として把握し、東京裁判で罰せられたと記憶する。https://ja.wikipedia.org/wiki/白馬事件; もし、軍による強制連行などあれば、東京裁判において高官がその罪状で裁かれたはずである。
2)韓国軍は朝鮮戦争やベトナム戦争において慰安所を置いていたことが知られている。https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
その時の慰安婦から賠償要求が韓国相手に出されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/在韓米軍慰安婦問題
3)「どこで誰が誰を殺した」という事実は明らかにできても、「何のために、或いは、どのような事情で、どのような背景で、そしてどのようなプロセスで」となると、利害が対立する関係者間では一致しない。しかし、真実はえてして後者にあり、確定しない。この表現は、幾分誇張したものではある。
4)つまり、クマラスワミ報告が国連に提出されている。

昨夜のBSフジのプライムニュースで、再び日中韓首脳会談について議論が放送された。ゲストは、桜井よしこ氏と天児慧氏(早稲田大学現代中国研究所所長)であった。そこで話題になったのが、日韓首脳会談終了時のパククネ大統領の言葉、「これからどちらに行かれるのですか?」である。昼食前に会談終了して、この言葉は非礼だろうというのが、ゲスト二人の言葉であり、そして両氏の在韓知人達の言葉として紹介された意見でもあった。
 
そして、会談終了当日の夜に同じ番組に出演され、そのことを笑顔で話す安倍総理の姿がビデオ放映された。私は、その笑顔にパク大統領の言葉の意味が隠されていると思った。あえて不適切かもしれない表現を用いれば、本来仲の良い二人が仲直りできずに別れる時の場面を想像してしまう。「失礼だ」と言う儀礼上の評点を付ける場面ではないような気がする。つまり、全て交渉の一環としての発言だと思う。
 
「これからどちらに行かれるのですか?」とは「もう少し譲歩してくれれば、昼食もこちらで用意できましたのに」という“恨み節”の別表現である。安倍総理はそれに、「これから、焼肉店に行きます」という言葉で、「そのような譲歩はできません」と答えたのである。
 
そのように考えると、いろいろ解ることも出てくる。桜井よしこ氏が、「パク大統領も(韓国人一般と同様)、大きな規模での(つまり、“日本軍の作戦として”の意味だろう)婦女子の強制連行などはなかったということを十分ご存知でない」と言ったが、私はそうではないと思う。パク大統領はほとんど正確に知っており、その上で、中国風に政治的な取引を安倍総理に持ちかけているのだろう。
 
天児氏が、中国の歴史は権力の正統性を語る物語であり、事実をつないだ物語という西欧や“現代日本”の歴史の定義とは異なると指摘したが、上記の場面はまさにその流れを汲む(補足1)韓国と日本の間の首脳間の取引であると思う。中国は本家らしく、全くその姿勢から抜け出せないでいるが、韓国は半身、日本も片足くらい、その伝統に浸かっている。
 
両国とも、全身浸かっていないので、あのようなやり取りができるのだが、中国とは真正面からの対決しかできないのが恐ろしい。それは国連での核兵器廃絶議決案の提案に対する中国代表の演説に現れている。日本が一方的に侵略した加害者であるとか、3500万人殺したとか、を何の躊躇もなく言えるのが中国である。中国にとって歴史の捏造など有りえない。なぜなら、中国にとって歴史とは本来政治の武器としてゼロから作ったものだからである。
 
2)番組の中での話の流れは、「真実が国際社会へ広く知られるようになれば、韓国もそのような主張はできなくなるだろう」という方向に行った。また中国の近代史に関しても、「重大事件である大躍進運動、文化大革命、天安門事件などを中国の若い人達はあまり知らないが、中国の学者達が研究を始めている。また、ネット社会では、これらの情報の国民への流れを止められないだろう」という趣旨の話があった。
 
しかし、そのような見方は多分に評論家的であり、政治的ではないことに注意する必要が有ると思う。 “歴史”は連続した流れとしてあり、その中に我々の祖先が生きて来たし、我々が現在生きている(補足2)。したがって、その流れの中から見るというのが政治的見方であり、当事者(我々国民)は両方の目で見ることが大切だと思う。上記のように政治的発言について評論家的視点での解説を聞いても、何かしっくりとこない。その解説に説得力がない。つまり、過去の戦争も現在と切り離されてはいないのであり、解明の対象という風に切り離して解析することができないのである。講和条約も、双方が同意して打った句点にすぎない。
 
更に、歴史には真っ黒も真っ白もなく、全て白さは違うが灰色である(補足3)。その最終的な黒さの度合いは、それに関与した双方がその後に発揮した力で決まる。また、その見え方は全体の照明で決まる。
 
「日本軍は婦女子を強制連行して性奴隷として使った」というのは、現在の国際社会の歴史である。クマラスワミ報告が国際社会の理解した慰安婦に関する歴史であり、それはWikipediaの記述「Comfort women were women and girls who were forced into sexual slavery by the ImperialJapanese Army in occupied territories before and during World War II.[1][2][3]」に一致する。 それを捏造や改竄としてひっくり返そうとするのが日本の力であり、それを真実として残そうとするのが、韓国と中国の力である。そして、我々はその戦いの真只中にあるのであり、国民も外務省の役人も真面目にこの戦いに参加しなければならないのだと思う(補足4)。
 
3)(蛇足)そのように考えると、安倍総理の姿は政治家であり、政治家の家系に生まれた強みを感じる。話は飛ぶが、その姿に橋下大阪市長は学んで欲しい。橋下氏は、政治家ではあるが、評論家から足が洗えていない。「これから焼肉店に行きます。」と冷静に答えた安倍総理に学んで欲しいとつくづく思う。
 
補足:
1)日本書紀も全く同じ趣旨で書かれた、権力正当化の書物である。
2)歴史を、時間を横軸にとったグラフと考えれば、現在は歴史の末端という数学でいうところの特異点である。
3)我々は生きている。生きているということは、善であると同時に悪であるということである。その生きていた者達が主人公の過去の歴史が、白であるはずも黒であるはずもない。
4)つまり、「真実はこれこれなのにけしからん」と言って議論しているが、その時間もバトルフィールドに居ることを忘れてはならない。また、神がいなければ、真実などこの世に存在しない。