1)小沢一郎氏が、韓国の大学で「日本国天皇の出身は朝鮮半島である」という内容の話をしたという。確かにネットで検索すると小沢氏の講演が出てくる。https://www.youtube.com/watch?v=xyz7pZ7_HP8 それを見た人が竹田恒泰氏に質問をした。それに答えた竹田氏の反論が以下のサイトにある。https://www.youtube.com/watch?v=XVcnFykUCCc
 
小沢氏の明確な天皇家と朝鮮半島のつながりについての発言内容は、桓武天皇の生母が百済の王女であったということである。https://ja.wikipedia.org/wiki/桓武天皇 これは、今上天皇ご自身の発言にあったというから、それを含めて国民は知っておくべき事実だろう。
 
上記サイトで見られる小沢さんの講演は、ほんの一部でありどういう趣旨での発言かわからない。江上波夫氏の日本人騎馬民族説を紹介して、天皇家と大陸の関係を匂わせているが、竹田氏の反論にあるように、天皇家が騎馬民族であったということは言っていない。
 
竹田さんは、天皇家が朝鮮半島出身であるという説と、日本人の騎馬民族起源説を同一視して反論しているが、桓武天皇の生母の話は無視している。この方の天皇家の起源についての話は、従って注目に値しない。
 
2)江上波夫氏の日本人騎馬民族起源説は独創的であったが、竹田さんの発言の通り、現在では否定されている。一方、岡田英弘氏の「日本史の誕生」(筑摩書房、2008)によると、百済には大勢の倭人が暮らしていたという。また、同書には、“隋書によると日本列島の西部に秦王国という名の国があり、そこでは中国語が通じた”という記述がある。
 
大和朝廷は百済と同盟関係にあり、白村江の戦いで唐と(唐に支配にされた)新羅の軍と戦ったことでも解るように、当時は現在のような国境はなく、中国、韓半島、日本列島の間の人的交流は、今日想像する以上にあったのだろう(1)。
 
“倭国と日本国の間”に何があったか一般には明確にされていない。それに関して前掲書では、唐の脅威に備えて天武天皇が諸王国を統一し日本国を作ったと記している。解りやすいモデルだと思う。つまり、倭国と日本国の間には、現在の日本人の祖先の重要な部分を倭人としても、それ以外の諸民族も日本国建国に参加したということが隠されているのだろう。
 
1500年以上前には、朝廷や我々の祖先が韓半島に居たとしても何の不思議もない。そしてまた、当時の韓半島の住人と現在の韓国人を同一視するような議論は、意味がないだろう。
 
補足:
1)交通手段としての船の性能規模は現在よりはるかに劣るだろう。しかし、海を渡るのは、魏や隋に倭人が朝貢に行ったのだから、それほど困難ではなかっただろう。更に、個人の生存は現在より遥かに困難だったのだから、生き残るために海を渡る人が大勢いても不思議はない。
 
(2022/5/2、文中の天智天皇を天武天皇に変更、その他マイナー編集あり)

パリでのテロから3週間ほどたち、現場の喫茶店が営業を再開した。一方、フランスはシリア追討のため、軍艦シャルルドゴールをペルシャ湾に派遣し、ドイツもシリアに向けた軍の派遣を決定した。
 
アサド政権に対する姿勢はそれぞれバラバラであっても、欧米&ロシアはイスラム国攻撃では一致している。イスラム国の出した十字軍という言葉が、よりリアルに感じられる。仮にイスラム国が殲滅されても、イスラム圏とキリスト教圏との間に大きなしこりが残らないか心配である。
 
パリでのテロの詳細は連日テレビ放送され、その恐怖は全世界に実感を持って紹介された。一方、イスラム国からの数百万人という避難民の陰には、それと同じ程度の数の死傷者があるだろうが、その恐怖はイスラム圏に封じ込まれているように見える。
 
漠然とシリア難民の大変さは理解しているが、その原因の全てをアサド政権の圧政に帰することはできない。直接的か間接的かは様々だろうが、欧米のシリアへの介入が原因になっていることなど、西欧諸国や日本人の頭の中にはないだろう。
 
最初にシリアの問題を我々が聞いたのは、米国によるアサド政権の化学兵器などを用いた非人権的な弾圧である。そして、米国の介入はそれに対抗する人たちを支援するという形でなされた。それを報じた2013年のイアン・ブレマー氏の記事を、今の時点で読むことはこの問題を考える上で参考になると思う。
 
上記記事でイアン・ブレマー氏は、米国のシリア介入の動機は「化学兵器禁止」という“国際ルール”を維持するということであると語っている。それは、(先進国社会のリーダーとしての)米国の威信を守る為であり、シリア国民の為ではないと言っている。泥沼化というイアン・ブレマー氏の恐れが現実化したのが、今日のシリア情勢だろう。
 
アメリカの介入により、反アサド政権の一角にイスラム国が大きくなったのは事実である。http://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56807658.html
国際ルールの中には、化学兵器禁止というのがあるだろうが、同時に内政不干渉というルールもある。この問題は更に、イスラム国シーア派(シリアアサド政権)とスンニ派(サウジアラビア、シリア反体制派、イスラム国)という対立も含んでいる。
 
歴史的な経緯に関する議論はいろいろあるだろうが、まずシリアの現状は国家としての統一前の状態とでも言えることを考えるべきであると思う。((歴史的な経緯は http://kamurai.itspy.com/nobunaga/tyuutou.htm に書かれている。)
そこへ、政治経済の進んだ外国が強力な武器を手に、“国際ルール”を守るとか何とか言いつつ自国の利益を優先して介入すれば、混乱が益々ひどくなるだろう。
 
十字軍とイスラムの戦いというセリフに、イスラム教信者一般が少しでも影響されないように、“神”に祈っている。
テロとは卑怯な行為であり、それを行うものは人類の敵だという。何故なら、何の宣告もなく、何の罪もない人々に対して、鉄砲をぶっ放すのだから。しかし、イスラム国の軍を構成するものやその支持者が、世界を敵にまわしてテロに訴える理由は何だろう。

テロは時代をさかのぼれば、いくらでもあった。先の大戦中でもスターリンのポーランドなど東欧で行った行為は、テロと同じかそれ以上の残虐な行為だろう。日本の明治維新の時でも、薩摩が江戸で行った虐殺強盗の類もテロだろう。

イスラム教信者だからといって、イスラム国のテロリストとは一緒にしないでほしいという声をネットやテレビで聞く。その通りだろうと思う。平穏な生活を送っているかどうかが問題であり、宗教など関係ないと思うからである。

テロは卑怯な行為である。しかし、人類の敵というのはあまりにも単純な言い方である。その単純さに、混乱の原因の一つがあるのではないだろうか。状況が反対であれば、野球の攻守交代の様に全く逆の状況が起こるような気がする。

食うか食われるかの状況では、生存を賭けた争いは仕方がないかもしれない。しかし現在、中東もヨーロッパもその様な状況とは異なると思う。

日本には「盗人にも3分の理」という言葉がある。親鸞の思想は、人間を善悪で分類するのは多くの場合浅はかであるという考えだろうと、理解している。

逃げ道を塞ぎ、苦境に追い込み、そして圧倒的な力の差を見せつけられた時、あなたならどうするか? そういう問いが(お互いに)頭の片隅にも浮かばない人たち、そして同時に、強力な経済力と軍事力を持った人たちの敵にはなりたくない。そうつくづく思う。

日本政府には、0から状況とその原因とを分析して、国家としての態度を決めてほしい。欧米諸国の「テロは人類の敵」という単純な思考の舞台を共有しないでほしい。