産経新聞の前ソール支局長の無罪が確定して、釈放されることになった。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20151223-00000001-nnn-soci 妥当な判断だと思うが、検察の控訴断念の理由の一つは、日韓関係への配慮であったことに少し引っかかる。裁判所の場合、判決文読み上げの前に"日韓関係へ配慮してほしいとの要請”があったと表名するようでは、まともな国の裁判所とは言えないと、以前のブログで書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42563540.html

検察の判断であるが、一般に国内犯の場合には法に照らして有罪の可能性があれば当然控訴すべきである。一方、国際的な問題をはらむ件の場合、つまり、純粋な国内犯罪と見なされない場合には、検察は行政の一角として外務省の意見を重視するのも不思議ではないと思う。その場合、国内には一定の不満が残る。 

産経新聞の前ソール支局長は、当然のことだと大手を振って会見に出て発言している様だが、その記事も前支局長のその後の態度も褒められたものではないと思う。
他国元首のスキャンダルになり得る様な報道をする場合、独自の調査などの相応の努力をしなければいけない。ガセネタを掴んで、日本では売れるという理由で報道したのが事実であったようだから、その点に関する反省がなくてはならない。 

常日頃、私は韓国の異常な反日を攻撃しているが、反省のかけらもないこの前支局長の態度には腹立たしく思う。韓国の反日姿勢は本当にくだらないと思うが、隣国関係は両国にとって等しく大切な筈であり、日本も昨今の韓国を鏡に写した様な行動をとれば、それを日本側から台無しにしてしまう。 

「怨みに報ゆるに徳を以ってす」という中国から教わった言葉の意味を味わうべきという点では、その中国を含め三つの国総てに共通だと思う。
昨夜は就寝の時間を延ばして、NHKで陽水の語りと歌を聞いた。久しぶりに見た姿には、普通の人と同じような年輪の重なりがあった。
 
リバーサイドホテルやとまどうペリカンのような今までの陽水音楽の他に、最近歌うことになった“あの素晴らしい愛をもう一度”のような音楽も紹介されていた。その歌を紹介する時の陽水の語りは、「コーヒーとかコーラとかが好きだとか、ウイスキーとか日本酒がいいとか、人によって色んな好きな飲み物があるでしょう。この歳になると、やっぱりいいのは、麦茶とか白湯とかですよね」であった。
 
つまり、飲み物に対する嗜好を引き合いに出して、これまでの陽水音楽と比較して、「あの素晴らしい愛をもう一度」を麦茶のような、本当に水分を欲する人たちの共通項的な飲み物に喩えていた(補足1)。
 
陽水の歌(詩)には、色彩があり、光があり、流れる時間を感じる。リバーサイドホテルの歌詞:“チエックインなら寝顔を見せるだけ、部屋のドアは金属のメタルで、洒落たテレビのプラグは抜いてあり、二人きりでも気持ちは交い合う ベッドの中で魚になったあと 川に浮かんだプールでひと泳ぎ”では、日本語文法や論理を無視して、ホテルの描写から二人の間に流れる時間を、見事に描いて他人に伝達する。
 
論理の伝達が言語の最も大切な役割であるが、それは普通の文章のことであり詩のことではない。井上陽水には、日本語の文法や言葉の論理をあえて無視することで、色と光と時間を描き歌う特別の才能がある。別の表現では、「陽水は音楽を作ってそれを歌って飯を食っているのではなく、音楽家&歌手という人間なのだ」ということになるだろう(補足2)。テレビで見る、何かを恥じらう様なシャイな態度は、その裏にある自信を隠している様にも見える。
 
放送には出てこなかった陽水の歌には、傘がない、カナリヤ、紙飛行機、氷の世界、心模様、人生が二度あれば、など他にもたくさん素晴らしい曲がある。「人生が二度あれば」では、“父の湯のみ茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる 湯のみに写る 自分の顔をじっと見ている 人生が二度あれば”と歌う。これまでの父親の苦労とそれを観る作者、自分を育ててくれた感謝の気持ちが、溢れるように伝わってくる。
 
昨夜のNHKの番組は、飛び抜けたそして異質なシンガーソングライターであるがゆえに、紅白歌合戦に出られない(でたくない)井上陽水という歌手とそのファンに対するNHKの示した礼儀のような気がする。
 
 
 
補足:
1)大ヒット曲「あの素晴らしい愛をもう一度」であるが、“あの時同じ花をみて美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない あの素晴らしい愛をもう一度”の詩には、失礼ながら聴くひとに伝達するものは白湯のように薄い。一方、陽水の歌に「愛は君」というのがある。“愛は空 愛は海 愛は鳥 愛は花 愛は星 愛は風 愛は君 君の笑顔が僕は好きだよ 僕はとってもあいしているよ”と歌うこの曲を聴くと、陽水の歌う“愛”とはどのようなものか、直接心に響くように伝達される。
 
2)政治家でも、飯を食う手段つまり職業としている人たちには、国家の行く末よりも選挙という自分の行く末の方が大事になる。その姿勢を前大阪市長の橋下さんが批判していた。陶芸家で銘を入れない作家がいると聞いた(河井寛次郎だったか、鑑定団の中島誠之助さんが紹介していたと思う)。これも、職業としての陶芸家ではなく、陶芸家として生きることを主張しているように思う。本当に国家のレベルを上げるようなひとを育てるには、そのような専門家としてのプライドが持てる社会と文化の国でないといけない。文化でも経済でも、その本質はデフレスパイラルである。つまり悪貨は良貨を駆逐し、結局悪人が生き残るのが世の常なのである。良いスパイラルをつくるには、英雄が必要である。
1)現在日本では、夫婦と子供が、同じ姓を名乗ることで家族の絆を確認しているが、その絆を取り除く企みが民主党を中心に進められている。
 
引き合いに出されるのが、西欧社会の多くが夫婦別姓を採用していることである。しかし、西欧文化における家族の形はどの様なものなのか、そして西欧のコミュニティーがどのような状態なのか、西欧は高い離婚率をどう考えどう対処しているのか、などについての議論が、引き合いに出す前に説明されなくてはならない。そのような考察なしに、単に男女同権を理由に、夫婦別姓を主張するのは浅はかである。
 
現在でも夫婦は、どちらかの姓を選択できる。95%が夫の姓を名乗るから、男女同権が侵されているというのは、自分好みの旦那を選べなかった女性の恨み節にしか聞こえない。男女同権を理由に夫婦別姓を主張する民主党の方々に聞きたい。夫婦が別姓になれば、その子供の姓はどうするのか。二人の子供が別々の姓を名乗るのか。子供たちの姓が片方だけだと、男女同権の原理に反すると思うが、それはどうするのか?
 
現在、会社など多くの組織で、旧姓を名乗ることは許されている。何故、戸籍簿での姓にこだわるのか。旦那の姓を名乗ることになった人に聞きたい。あなたは何故、旦那の姓を名乗ることになったのか? 二人で話し合い決めたのではないのか? その時点に戻って、そんなに旦那の姓を名乗るのが嫌だったのか?
 
もちろん、姓が別々であっても、家族の絆にいささかの揺らぎもないと言い切る人は多いかもしれない。しかし、夫婦の片方の姓を名乗るという覚悟も出来ない二人だとしたら、将来家族の絆を維持できるだろうか? ミドルネームを用いる手もあるが、それは未婚既婚の人種差別になるのか? まさか、家族なんて病気だと主張している、売らんかな商売の元女性アナウンサーに同調しているのではあるまい。
 
2)人は社会を作って生きている。社会は地域文化的共同体(コミュニティー, community)と法人や公共団体(コーポレーション;corporation)から成り立っていると思う(補足1)。人間が生きる上に大切なのは、人が集合の要素であるコミュニティーの方である。そして現在、家族はコミュニティーの基本単位となっている。
一方、コーポレーションは目的を持った人の集まりであり、目的がその集合の第一の要素である。
 
現代社会では、地域コミュニティーが崩壊しつつある。それは、西欧模倣型社会の国におけるコーポレーションによるコミュニティーの浸食現象として理解できる(補足2)。つまり、コーポレーションが目的を達成する為に人を遠方よりリクルートして使役し、老齢になれば捨て去ることでコミュニティーを破壊するのである。現在、家族が崩壊すれば人に残された空間は、ほとんど無くなると思う(補足3)。最後の砦というべき家族の危機もそこまで来ていると思う。
 
最近読み始めた本に山崎豊子著の「大地の子」がある。その中に描かれている中国東北地方に残された日本人残留孤児である主人公と養父母との間の絆が描かれている。また、数ヶ月前に見たテレビ報道で、中国農村部から都市部に出稼ぎに出た青年が、地下の狭い部屋に住みながら、稼いだ金を病気の養父母に送り、将来の夢を語る姿が映し出されていた。
 
日本では弱まりつつ家族の絆と、中国での家族の強い繋がりの差は、経済の発展段階の違いだけでは説明できないのではないだろうか。考えるべきは家族の絆をいかにして強め、家族をもつことの人生における重要性を示して、上がりつつある晩婚化や生涯未婚率を下げることではないのか。また、家族のあり方に法律が乗り込む場合には、その国の文化と慣習を考え、後を追う形で進めるべきである。民主党は夫婦別姓が日本の誰もが、あるいは、多くが望んでいると確信をもって言えるのか?
 
 
補足:
1)ゲマインシャフト(共同体組織、Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(機能体組織、Gesellschaft)のことである。
2)経済発展によりこの現象は加速された。(午後6時50分追加)
3)都会部では、宗教活動でコミュニティーを作る人も多い。しかし、宗教が個人の思想の根底ではなく、コミュニティー形成の動機となるのは不純だと考える。