1)「和を以て貴しとなす」は聖徳太子の17条憲法の第一条である(補足1)。日本の文化の特徴として頻繁に引用されるこの言葉は、現実的でなくイデオロギー的である。人と人の和は大切であるが、この条文だけではどの範囲の人を含むのかわからない。例えば、ある人ともう一人の人の間の和が、三人目の不和を含むなら、それは和の達成にはならない。
 
最も重要な社会の枠が、家族から、部族、民族、国家と拡大したのが、人類の歴史である。したがって、社会のあり方に関する法やルールは、その社会の枠内で一定の期間を通して、普遍性を持たなくてはならない。「和をもって貴しとなす」は家族や部族までの社会では普遍性を持ち得ても、複雑化した現代社会では普遍性を持ち得ない。つまり、17条憲法第1条など、この社会での何かを語るのに持ち出すことは間違いなのだ。
 
取って代わるべきは何か?国家全体の長期に亘る利益につながるものは、和ではなく真理だろう。真理は動かず、思考の原点になり得るからである。その原点から思考を開始し、何が国家にとって得かを論理を尽くして考え、道を導き出すのが為政者の仕事であると思う。
 
2)しかし、日本社会は17条憲法第1条の呪縛にかかっている。最近昭和史の本を少し読んでいるが、あの英米と戦争を始める際、データを元に(補足2)強く反対した冷静な意見は、熱くなり思考停止に陥った連中の楽観論に打ち勝たなかった。そんな時に標語となるのが「精神一到何事か成らざらん」である。そして、予定通り敗戦となり、その後も和を以て誰も責任を問われることはなかった(補足3)。
 
この時陸軍が主導的な役割をするが、その陸軍の組織としての特徴がノモンハン事件に関する本、「ノモンハンの夏」(半藤一利、文春文庫)に書かれている。このケースでは、和の範囲は陸軍でさえなく、関東軍限りになったのである。和の範囲が狭まると、思考力はないが親分肌の人間が座を支配し、自分たちにとって有利な楽観論が狭い空間での空気を支配する。
 
参謀本部の方針は、国境紛争不拡大だったが、関東軍司令部はそれとは全く逆の「満ソ国境紛争処理要綱」を将軍たちに示達した(1939年4月)。それはソ連軍の力を軽視した楽観的な分析を前提としており、広範な議論を経ず、関東軍司令部作戦課に集まった数人によりまとめられた。彼らは、陸軍大学を優秀な成績で卒業して恩賜の軍刀をもらった秀才たち、好戦的な辻少佐や服部中佐などである。(ノモンハンの夏、57頁)
 
盧溝橋事件から戦闘に入った対中国戦争で手がいっぱいの軍にとって、ソ連(外モンゴル)との戦争は避けたい。東京の参謀本部のこの方針を実質的に無視して、大敗する結果となった。秀才が集まった関東軍作戦課だったが、和を重視する文化の下での限られた議論では、数人の楽観論に収斂する危険が高いのだ。
 
辻参謀の「前後を通じて、当時の関東軍司令部ほど上下一体、水いらずの人間関係はなかった」という言葉は(同上、56頁)、“水入らずの(和の)人間関係が国を危うくした”ことを示している。辻氏は戦後、代議士となった。“和をもって貴しとなす”原理の支配下にあるこの国では、業績の客観的評価など期待すべくもない。
 
 
補足:
1)一に曰く、(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
口語訳:一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことに順わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調親睦(しんぼく)持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
2)英米と戦争すれば、石油はとまる。石油備蓄量から考えても、戦えるのは1年半くらいであった。(半藤一利、「昭和史」平凡社文庫308ページ)
3)東京裁判は敵国によってなされた戦争処理のようなものである。国内では、国民の署名と国会での議決に基づく、戦争犯罪者の釈放、処刑された者の公務死認定、靖国神社への合祀が全員を対象になされた。
米国大統領予備選が進んでいるが、ネバダ州では共和党トランプ氏と民主党クリントン氏が勝利した。トランプ氏は3月1日のスーパー・チューズデーでも勝利する可能性が高い。民主党ではヒラリー氏が有利だろう。
 
今朝のモーニングサテライトで、解説者の吉崎氏は米国中年白人の死亡率が増加しているというデータを元に、米国白人層は鬱憤状態にあると言っていた。自殺が肺がんでの死亡率より高いそうである。また、薬物中毒やアルコール中毒が肝硬変などでの死亡率上昇原因になっているとのことである。つまり、その鬱憤がトランプ氏の勝利につながっているというのである。
 
先日トランプ氏は、日米での自動車貿易の不均衡に言及していた。先日、フォード社が日本国内の直営販売店を全て閉じたことがニュースになっていたのも、その印象を強く米国に与えるだろう。日本はもし何か市場を閉鎖的にする制度などがあるのなら、その改訂を急ぎ、米国マスコミに流すことを考えるべきである。
 
ヒラリー・クリントン氏もTPPに反対し、自由貿易ではなく米国を内向きにすることで、米国市民特に大学を出ていない白人労働者階級の票を狙っている。先日も、中国や日本の不公正な為替介入と称して、日中の経済政策を批判している。いずれの候補が大統領になっても、日本にとってはやりにくい相手になるだろう。
 
米国は経済をグローバル化して、米国国際や米ドルを米国以外の国家の財産や決済通貨とすることで、巨大な赤字を垂れ流してきた。橋本龍太郎総理が、米国の記者の誘導に乗った形で「米国債を売りたくなることもある」と発言して、命を縮めることになったことはよく知られている。つまり、米国債は日本のような米国の衛星国家には実質的には売れない債権なのである。
 
それらの経緯から、米国は世界経済の状況を考えて、金融政策を行う責任があると思う。しかし、その義務を放棄するのが、昨年の利上げと今後計画中の利上げだと思う。連銀の量的緩和は米国経済の立て直しだけでなく、それと同期した形での発展途上国の経済発展を進めてきた。その結果、世界経済が大きく膨張し、低利のドル札に依存する体質にある。今、連銀の私的な利益確保と安全確保(資本の縮小)のために利上げするのは、身勝手ではないのか。
 
ヒラリー氏も連銀には何も言えないので、日本や中国を叩くという身勝手(で暴力的)で楽な方を選択して、大統領になろうとするのだろう。とにかく、今年は大変な年になるかもしれない。その決定的なファクターは米国の新大統領だと思う。
=これは素人の書きなぐりです。読み飛ばしてください。=
1)菅沼光弘氏は、日本外国特派員協会で”日本の裏社会について”という講演をし、注目された元公安調査庁調査第二部長である。https://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40 
公安調査庁は法務省の外局であり、調査部門として国内を対象にする調査第一部と国際情報を担当する調査第二部を持つ。限られた陣容と権限の中で活動しており、諸外国が持つ諜報機関とは性格もレベルも違う。表題の本は、2009年出版である。
 
まず、著者の国際関係についての基本的な考え方は、「主権国家の上に立つ超国家的な公権力は存在せず、無政府状態にあると言っていい」、そして「政治&経済力、特に軍事力において優位に立つ国が自由自在に世界を動かしている」である。
 
日本が、独立自尊の国家として国際社会で国益を守るには、日本国民が自覚と国家意識を持つことが前提である。その上で、国際社会の現実(諸外国の意向、世界戦略、対日政策の本当の狙い)を把握し、それを踏まえて的確な国家戦略を構築する必要がある。それは、多数の専門家による集団の努力により初めて得られるものである。第二次大戦後、主要国は何れも強大な中央情報機関を設立して、自らの判断で国民の安全と繁栄を守ろうとしている。しかし、我が国だけがそのような中央情報機関の設立をせず、不可欠な対外情報をアメリカに依存しているのが実情である。(序章)
 
2)1952年4月の講和条約の後、緒方竹虎元副総理らが中心になって中央情報機構をつくるべく動いたが、実現しなかった。左翼勢力が強くてできなかったという公式の説明があるが、調査によると本当は米国が作らせなかったのである。(207頁) その理由は、調査の対象をアメリカに向かわせない為と、アメリカの情報に依存させるためである。(202頁)
  
冷戦が終結しソ連が解体されたのち、CIAの方針を議会で問われた当時のロバート・ゲーツCIA長官は、「これまでCIAの能力の90%を対ソ問題に費やしてきたが、これからはその能力の60%を経済戦争につぎ込む」と公言した。手始めにアメリカの大使館などにCIAの経済分析官を入れ、日本研究を行った。その研究結果を基に、大蔵省、大蔵官僚、大蔵省傘下の組織の腐敗等を批判し、大蔵省を財務省と金融庁とに分割させた。そして、新自由主義・市場経済の導入など、米国の価値観の共有を強いた。(178-181頁)
 
つまり、日本の情報源である米国は、日本を敵対国と考えているようなのだ。(175ページ;CIAのターゲットはソ連から、経済戦争の敵対国・日本へ)
 
3)日本の現在の危機的状況について、菅沼氏は“日清戦争や日露戦争前夜のような状況に置かれている”(47頁)と考えている。明治の日本の指導者には危機感があった。そして的を射た判断に基づいて、戦略戦術を練りあげた。当時の日本に比べて、現在日本には独立自尊(の気概)がない。
 
菅沼氏は、北朝鮮問題が落ち着き米中の対決が解消したのちの日本の置かれた状況を予想し、以下のように書いている。(補足1)六カ国協議を「北東アジアの平和と安全を守るための恒常的な多国間の機構としていこう」という機運が各国の間で高まる。既に冷戦は終わり、更に米中の対決が解消すれば、アメリカは日本を軍事拠点にする必然性はなくなり、日米安保条約に代わって六カ国協議で、北東アジアの平和と安全を守っていこうということになる。日本の安全は名目上、アメリカの核の傘から六カ国協議の枠組みの「核の傘」に依存することになる。(49頁)
 
更に、韓国は同じ民族であるし、そのほかは核大国であるから、六カ国協議構成国の中で北朝鮮の核兵器の脅威に晒されるのは、現実的に日本だけだ。(133頁)北朝鮮が核兵器を持つことになった時、日本でも核武装の是非について議論が出るのは当然である。しかし、ライス国務長官が日本に飛んできて、「米国は日本の防衛に対して強い決意を持っている。米国の核の傘は有効だ。」と発言し、議論を沈静化した。米国が日本の核保有論に過敏に反応した理由は、「日本が核兵器を持てば、いつか米国本土を核攻撃し、広島と長崎への原爆投下の復讐を果たそうとする」と考えているからだ。
 
報復は罪に問われないとするキリスト教的な価値観があるから、米国は日本の核報復を恐れるのである。(補足2)中国、韓国、そして、ロシアも、日本の軍事力を封じ込めたいのであり、各国にとっての最大の脅威は、北朝鮮の核武装ではなく、日本の核武装なのだ。(195-198頁)六カ国協議は北朝鮮を非核化させる機構から、日本の核武装を阻止し、軍事的台頭を抑える機構へと変質しているだろう。
 
4)以上がこの本のだいたいの内容であり、日本の危機的状況とそれまでの経緯である。それを乗り越えるには日本国民が危機感を持つこと、それには情報収集が国家によりなされ戦略構築の材料として提供しなければならないということである。そのほかに非常に示唆に富む文章が幾つかあった。

①その一つは、「拉致問題解決のためにも日朝国交正常化を最優先せよ」という文章である。これは既に、私がブログになんども書いたが、菅沼氏のこの本の中にあるとは思わなかった。ただし、それは韓国と米国の反対にあってできないだろう。(このブログで何度も書いている)また、「拉致問題にもたつく日本の状況は、北朝鮮の地下資源を狙う国々にとって有利だ」とある。(224-229頁)

②盧溝橋事件を引き起こしたのは実は中国共産党軍である。1949年の中華人民共和国の成立宣言の際、周恩来首相は「あの時、我々の軍隊が日本軍と国民党軍の両方に鉄砲を打ち込み、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々に今日の栄光をもたらせた」と語ったとされる。(150頁)

③外人記者クラブでの講演の概要と補足(62-77頁)と、日本のヤクザの撲滅運動がまさに米国の圧力のもとに進められたことが書かれている。(72頁;補足3)
 
5)感想の追加:
この本は、読む時にはスラスラと読めるのだが、感想文としてまとめる作業はかなり困難だった。ただ、情報機関のプロの視点から見た日本の危機的状況と国際環境について、直感的に分かりやすく書かれており、有用な本だと思った。
 
日本が危機的状況を乗り越えるには、置かれた状況に対する日本国民の自覚が何よりも必要だと私も思う。しかし、それはナショナリズムとポピュリズムの台頭を抑えつつ行わなければならない。その為、近代史に重点をおいた歴史教育と児童に独立した人格を育てるような教育が大切である。日本の「和を以て貴しとなす」という伝統を重視する姿勢は、むしろ障害になると考える。伝統に学ぶのは良いが、伝統に囚われては新しい時代の危機を乗り越えることはできない。
 
日本の伝統には、日本の近代化にふさわしくないものも多い。”和を以て貴しとなす文化”は、役割を分担し、それを多層に積み上げる近代的組織化には向かない。その日本の文化が、関東軍が参謀本部や天皇陛下の意向を無視して暴走した原因の一つである。かれらは、仲間内では”和を以て貴しとなしていた”のである。つまり、米国の圧力も、伝統ではなく論理的思考のフィルターを通して、正しいものは取り入れるべきだと思う。
また、マスコミは社会的役割を自覚して、積極的に意味のある情報伝達メカニズムとして寄与しなくてはならないと思う。
 
補足:
1)2009年当時、北朝鮮問題は現在ほど緊迫していなかったので、このような議論になったと思う。しかし、それが解決したあとのことを考えるのは現在も重要である。
2)キリストの言葉:「もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をむけてやりなさい。」は、元々存在する報復の文化を戒めている。その文化圏に米国があると言うことである。
3)菅沼氏がヤクザも日本の伝統であるとして擁護的なのは、一定の社会的役割を果たしてきたからである。しかし、その伝統は保持すべきものだとは思えない。ただ、ヤクザの構成員も日本国民として生きる権利を有しており、その取り締まりが権利侵害になってはいけないと思う。