1)人間は「自分」という意識を持つ動物である。その意識とは何なのか、何処で生じるのかなどについては、ほとんど永遠の謎である(補足1)。ニコラス・ハンフリーは、意識を“自分の心の中を観察する能力”と解釈し、それを“内なる目”と表現した。“内なる目”は出版された本のタイトルでもある(補足2)。つまり、自分の心の動きを見ることが、意識ということになる。
 
「意識を持つ動物にとっては、あらゆる知的動作には、それに関与する思考過程の“自覚”が伴い、あらゆる知覚にはそれに付随する感覚が、あらゆる情動には感情がともなうだろう」とハンフリーの本には書かれている(補足3)。自分という意識は、自分を外から眺め、且つ、自分の心の中をも見ることになる。内なる目は自分の全てを内部から見るため、ごまかすことは出来ない(フィルターは掛けられるが、それについては後述)。
 
2)人間は自殺する唯一の動物である。その根本的原因の一つは、人間は、自分とその心の動きまでも観察対象にする“内なる目”を持つことだと思う。
 人間の心には、自分とそれを取り巻く世界のイメージが投影される(補足4)。そこには重要なものは大きく、そうでないものは小さく、また、好ましいものから悍しいものまで、“色分け”されて投影されるだろう。つまり、人によって独特のフィルターがかかっているのである。通常、“内なる目”で観測された(追補参照)自分の像は中心に大きく存在する。その自分の像が耐えられないくらいに、醜悪且つ大きくなり、投影面からはみ出してしまう時、人は生き続けることが出来なくなるのだろうと思う。 
 
例えば犬や猫のような動物の場合、脳の中に投影した世界の図には自分は存在せず、自分は単に世界を覗く窓である。これが人間と、明確に自分という意識のないこれら動物との大きな差である。それは決して知能における差ではない。動物にも人並みの知能を持つものもいるかもしれない。因みに、コンピュータが記憶&計算能力では世界一の人間の頭脳よりも上であることを、最近の囲碁ソフトの世界チャンピオンに対する勝利が証明した。
 
この“内なる目”と自分の頭脳で再構成した自分と自分を取り巻く世界の投影図の中には、当然多くの人も存在する。“内なる目”は、他人の像とその動きを把握することが、社会生活をする人間にとって生存上有利であるため、進化の過程で生じたとハンフリーは考えたのである。つまり、”内なる目”は他人の心のシミュレーションのために生じたのである(補足5)。或いは、“内なる目”が生じた為にある種の猿が人間に進化した(補足6)とも言える。 
 
3)社会が成立する原理は個人が“利他”の精神を持つことであり、生物が生存する本能は“利己”の追求である。利他の精神を持ち、且つ、利己の本能と共存させることを可能にするのが、高度な知能と“内なる目”である。つまり、社会の構成員の全てが、内なる目で他人の考えと行動をシミュレーションすることにより、社会の中での利他を自分の利益、つまり“利己”、に転化するのである。 
 
たとえば、自分が他を利する行動をとったとして、他の社会構成員が利己的にその恵みを受け取るだけなら、社会は壊れてしまう。従って、利他的行動は他人の考えと動きをシミュレーションしながら、行う必要がある。それが“内なる目”というシミュレーション装置が、高度な社会生活をする上で必須である理由である。
 
その複雑なシミュレーションを互いに繰り返して社会で生きる中で、発生した概念が“善”であり、それを元に多くのルールが積み重ねられ“人間文化”となったと思う。“善”の定義と行動の物差しとしての応用は、複雑なシミュレーションなしに社会を安定に維持できるので便利である。しかし、その一方で人間のシミュレーション能力を衰えさせる危険性がある。 
 
従って、“善”は人工的な概念(約束)であり、生命にとって本質的な“悪”(利己を追求すること)とは、本来真正面から対立する概念ではない。また、社会における善の体系を中心に置く政治姿勢を“理想主義”というが、それは従って“現実主義”とは真正面から対立する概念ではない。つまり、政治家にとっての原点は本来、現実主義であるべきである。 
 
4)“内なる目”は、醜悪なる他人だけでなく醜悪なる自分にも向けられることが多いかもしれない。醜悪な、つまり、利己的な行動は生命に本質的だからである。それを善良なる姿に変えるには、つまり社会を維持すべく紳士的(人工的(artificial))に生きる(補足7)には、エネルギーを要する。 
 
そのエネルギーを減少させるために、ある人はその“内なる目”に後天的な(学習の結果としての)フィルターをかけるだろう。また、ある人はそのフィルターを真っ黒にすることすらできるかもしれない(補足8)。地理的なある範囲での宗教や文化の存在は、その地域の人が独特のフィルターを”内なる目”に持つと言い換えられる。
 
また学校などは、教育とか暗示という言葉で形容されるフィルターを構成員に与える為の機関という面もある。例えば、軍隊における訓練などでは、”内なる目”には、極めて偏ったフィルターが掛けられるだろう。この“内なる目”という心理学的な考え方は、人間と社会を考える上で非常に便利な人間の意識のモデルである。
 
追補:(翌日の編集で追加)
 内なる目と意識では、意識の方が概念として広い領域を持つだろう。しかし、ここでは同一視して総合的に「内なる目」を用いる。二番目のセクションからは、ハンフリーの本を参考にして、独自の考えを書いた。
 
補足: 
1)意識は魂の作用と考え、物質界の存在である人体と霊界の存在である魂を考える人も多い。もしそうなら、人間の意識を使って霊界が物質界に作用を及ぼすことが可能となる。現代その考えは否定されていると思う。ニーチェの言葉として、「ツアラトストラ」の第一部に「自分はどこまでも肉体であって、それ以外のなにものでもない。そして魂とは、肉体に属するあるものを言いあらわす言葉にすぎないのだ。」という文章がある。 
2)内なる目、ニコラス・ハンフリー著、垂水雄二訳、紀伊国屋書店(1993); 原著はNicholas Humphrey著、“The Inner Eye”, 1986. 
3)ここで、知覚と感覚を分けている。信号が脳におくられて、なんらかの感情を伴って感覚となり、思考のプロセスとともに、内なる目の対象となるのだろう。例えば、人間は何かが手に触ったという知覚を持つ。その信号は脳に送られて、手を引っ込めるとか、触ったものに攻撃を加えるとかの動作となる。しかし、刺激を受けて、それを知能で解析して行動するだけなら、その解析のプロセスを内なる目で見る必要はない。脳の視覚野に損傷を受けた人や猿は、“見たという感覚”なしに見て、その知覚情報を利用する。(pp68-72) 
4)「内なる目により、心の面に自分をふくめ世界の像が投影される」という考えは、ハンフリーの本にはありません。本稿のオリジナルです。 
5)チンパンジーやイルカの一種は、鏡に映る自分の像をみて、他の個体ではなく自分であると理解できる人間以外では例外的動物である。しかし、自分のこころの動きまで観察対象にはできないだろう。 
6)“内なる目”は、進化論的心理学と呼ばれる分野の一つの成果である。 
7)人工的とは紳士的と言い換えても良い。紳士(淑女)とは社会生活を営む人間が、生物としての本性を抑えて“内なる目”に美しく映る姿の人間である。社会とは本来無力な人間が地球上に君臨すべくつくられた人工的な構造である。そこでの人の振る舞いはアート的(artificial)でなくてはならない。ナイーブ(naïve)に振る舞えば、社会は破壊されるからである。 
8)典型例を挙げる。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U
この動画は、内なる目に真っ黒なフィルターを掛けた、米国の知性の姿である。
 
 
1)このブログでも、市販の水素水に体内で発生した活性酸素を除去する能力はゼロに等しいとブログで書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42686335.html

問題は、このような商売を行政が長期間許すことである。今日の産経新聞のネット記事で、消費者庁はこの3月、「がんに効く」などとうたって水素水を販売した事業者に対して、商品の効能に関する不実告知(実際は認められていないのに告知すること)などを理由に一部業務停止命令を出したという。

しかし、販売した商品を買った人たちの損害にたいする責任をどう取るのか? 裁判すればよいだろうが、数万円程度の損害でいちいち消費者は裁判など出来無い。全く行政の怠慢である。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160514-00000526-san-life 納得でき無いのは、体内を還元雰囲気にするという類の宣伝で、販売が許されることである。

上記記事によると、水素水にはアルカリイオン水と水素ガスを直接溶かした水の両方のタイプがあるらしい。支持電解質(例えば食塩;補足1)を入れなければ、アルカリ性にならないので、陰極付近で水素がわずかに溶け込んだ苛性ソーダ水のようなものだろう。水素は疎水性なので、ほとんど水に解けず、濃度は薄いだろう。従って、そのような水素水を飲むことは苛性ソーダの薄い溶液を飲むのと同じだろう。そんなものに高い金を支払うのは馬鹿げている。

もう一つのタイプはボンベから高圧水素を吹き込むタイプらしい。前のブログにも書いたと思うが、この場合ナノメートルレベルの気泡なら、かなりの時間水中に存在するだろう。おそらく、シクロデキストリンなどの存在下では、その時間は一層伸びるだろう(補足2)。しかし、それも効果を確かめたのちでなければ、健康食品として販売すべきでないと思う。

2)消費者庁に専門的知識がないなどという言い訳はゆるされ無い。少しでも自然科学を学んだものなら、この種のものは怪しいと分かる筈である。数多く存在する独立行政法人を動員して体制を整えれば、研究時間を少しだけ融通するだけでその種の判断はできる筈である。

根本的問題は、健康食品に関する法整備が不十分なことである。効果が無いと実証されなければ、規制出来無いと考えるのではなく、効果があると実証されたもののみ、販売を許可すべきである。なぜなら、害がないという証明を厳密にしていない以上、健康にマイナスの可能性もあるからである。

不景気風が吹き出した今日、家計の節約をしながらこの種のインチキ商品を国民が買うのは、金をドブにすてるようなものであり、経済効果も全くない。勿体無い限りである。

3)更に気になるのは、昨今の健康ブームの異常さである。テレビ番組でも健康問題を扱ったものが、政治問題を扱ったものより圧倒的に多い。自分が健康であれば、日本国が不健康でも良いと考えているのだろうか? 

この10年で、世界の形が随分変化するだろう。米国は内向きになるだろうし、中国は益々東アジアの覇権を目指すだろう。韓国は中国の朝貢国的になり、台湾は中国の支配下になる可能性が高いと思う。

すでに、オーストラリアは日本への潜水艦発注を止めて、技術レベルの低いフランスから導入することで、反日を国是とする中国へ配慮した。フィリピンの新しい大統領も親中姿勢を示すだろうし、東南アジア全体も何れ、中国の衛星国的になる可能性が高い。

米国の保守派は、日本、豪州、韓国などが、対中国の覇権拡大に抵抗する勢力としたかっただろうが、豪州に日本のそうりゅう型潜水艦の発注を強く要請しなかったことから、すでに諦めたようだ。孤立する日本は、やがて中国の植民地になるという人も多くいる。ウイグルやチベットなどを見れば、それはどういう意味を持つか?

健康食品などに金と神経をつかっている場合ではないのだ。


補足:
1)電気分解するには、水が電気を通さなければならない。水の電離度が低いため、通常は水の中でイオンになる塩などを添加し、その物質を支持電解質と呼ぶ。
2)気泡は互いに融合して泡を形成するまで、水の中に存在する。従って、ナノメートルレベルの小さい気泡であれば、水分子が取り囲む形で存在し、かなり長期間水中に存在するだろう。シクロデキストリンの効果は実験したことがないので断定できないが、水中で疎水的なガス分子を抱きこむ可能性が大と予想する。
オバマ米国大統領は広島を訪問するが、核攻撃の謝罪はしないという。謝罪をしないということは、あの時の核兵器の使用が正当であったという米国の公式見解を支持することになる。
 
米国の広島と長崎へのあの核攻撃が正当であるというのなら、自国軍が圧倒的に有利な場合でも、また、たとえ非核保有国相手の戦争であっても、できるだけ自国軍兵士の犠牲を少なくするために、核兵器は必要な兵器であるということになる。
 
オバマ氏が唱えた、核兵器廃絶の考えは、幼稚でなければ非核保有国に核兵器を持たせないためのプロパガンダである。世界の歴史は戦争の歴史である。産業革命から近代産業の発展により地球の可住人口が著しく増加し、この70年間は平和な時代であった。しかし、世界経済の成長に限界がくれば、更に、資源枯渇などで地球の可住人口が減少すれば、中国などの多くの人口を抱えた核大国は、核兵器を使った領土拡張を行うだろう。
 
古くは人肉を食い(孔子なども例外ではない;ウイキべディア参照)、数千万人死んでも中国には未だたくさんの人がいるとか、女は余っているから100万人でも米国に贈るというような発言をする人が国家の幹部になっていることでもわかるように、中国の文化は他人の命を軽視する文化である。
 
中国軍幹部の朱成虎中将などは、核兵器で地球上の余分な人口を削減する時が来るだろうと発言している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E 日本でそのような発言をすれば、すぐ首になるが、中国ではその発言で出世できるのである。
 
地球人口の削減を極秘に実行するのなら、一律に減らすのではなく、嫌なやつらと弱いやつらを処分しようと考えるのは自然なことだ。オバマ氏の核廃絶運動は、その準備ととれなくもない。なにせ、核大国は核兵器を千発単位で持ち続けるのだから。
 
青山繁晴氏のブログ:https://www.youtube.com/watch?v=bmD2GxbvfuA や、三橋貴明氏らのブログ:https://www.youtube.com/watch?v=ovIFA4AOK3U を参照してほしい。
 
いただいたコメントの件:2009年11月に初来日した米国オバマ大統領が当初、広島を訪問し原爆投下に対して謝罪する可能性を検討していたようである。これに対し、藪中外務事務次官(当時)が「時期尚早」と断念するようルース駐日大使(当時)に伝えていたようだ。http://pagent.seesaa.net/article/423628893.html