表題の「」内は、トランプ政権の政策顧問であるピーターナバロ氏の本の題名である。日本語翻訳版はこのタイトルで出版されたが、原題は”Crouching Tiger What China’s Militarism Means for the World”(身構えるトラ:世界にとっての中国軍国主義の意味)である。実際は、米中間で平和を維持するにはどうすれば良いかを考察している。
 
1)具体的には、中国が何故急速な軍備増強を行なっているか、それに対する友好国への影響、米国のとるべき戦略などについて、解説した本である。歴史的な面から見て、阿片戦争から日中戦争にかけての100年間の屈辱により中国に植えつけられた、防衛意識が背景にある。現実問題としては、中国経済を支える資源の輸送路の確保、中国の支配域とその周辺に存在する資源の確保が主な理由である。それらの確保に障害となり得る存在として、海上に存在する米国の第六艦隊(中東)や第七艦隊(アジア)、太平洋やインド洋に駐留する米軍がある。米国は仮想敵国であるという明確な判断が中国にはある。(補足1)
 
米国側から見て、中国は現在の覇権国である米国をアジアから追い出して、アジア地域の覇権国になるという戦略を持っていると考えられる。そして、中国の経済発展がこのまま進めば必然的に軍事大国となり、軍事予算を削減しつつある米国にとっての直接的脅威ともなり得る。もし、経済的に米国を圧倒するようになれば、世界の覇権国になり米国の深刻な脅威となる可能性もある。(補足2)
 
本には書かれていないが、トランプ大統領は就任演説で、孤立主義によって米国の繁栄を取り戻すと言っている。(補足3)しかし、それを徹底的に実行することはないだろう。なぜなら、軍事的には孤立主義を取るわけにはいかないからである。中国に恐怖感を抱く米国には、キューバ危機の記憶が鮮明に生きている筈だからである。つまり、米国の軍事専門家や戦略家は、中国の潜水艦がカリフォルニアの近海まで来ることを絶対に防がなければならないと考えて居る筈である。そして、中国軍に第二列島線を突破されれば、そのような危険が具体的になる。それを防ぐには、第一列島線までに中国を抑える必要がある。つまり、台湾、沖縄、日本列島は米国の防波堤である。(補足4)
 
トランプ大統領の演説の上記部分(補足3)は、その米国の基本戦略に触れるので、トランプ体制が続く内に、孤立主義は放棄される筈である。その第一歩が、早々と韓国と日本にマティス国防長官を派遣したことである。この本の著者を近くに置くトランプ大統領はそのことを十分承知している。
 
2)中国の国家としての矛盾点:
中国が軍国主義を取ることと関連して、以下の指摘をしている。それは、「中国共産党の目標は中国という国家の存続ではなく、中国共産党の存続である」(P200)こと、国民と共産党指導者とを結ぶ共産主義というイデオロギーを既に捨て去っていること、そして市場経済を取り入れて経済規模が飛躍的に大きくなる一方、大きな貧富の差が生じていること(補足5)などが、深刻な内政問題となって国家体制を不安定にしていることである。
 
この格差に対する不満を、内部では官憲による弾圧と外部に敵を作りナショナリズムを喚起することで体制の維持を図っている。その結果起こる米国の友好国(日本や台湾など)との摩擦を強圧的に解消するためには、強力な軍事力が必要である。また、人口14億人を静かにさせるもう一つの方法は、更に経済成長することである。
 
別の表現で眺めれば、中国はその都市部で先進国経済の一翼を担いながら、大多数の人口を抱える農村部を途上国型(安い労働力の供給元)としてもち、全体としては独裁国という発展途上国型の体制を維持している。独自の技術をほとんど持たない国が、都市部と共産党幹部の先進国的生活を維持するには、貧しい農村部が必要である。農村部やそこから都市に出てきた人たちの不満と外国との摩擦を“乗り切る”には、軍事と警察の強化しか答えが見つからないのだと思う。
 
外国に敵を必要とする一方で、外国との経済交流も必要であるという矛盾も抱えている中国は、必然的に経済交流とそれによる経済発展が平和に貢献するというこれまでの考え方が通用しない国である。
 
3)この本はアメリカの対中戦略に関する本であるが、第一列島線上にある日本ではより直接的に中国の脅威と対峙することになるので、その日本がその生存を賭けてとる戦略をこの本が(米国が)分析することは自然である。
 
日本が強力な核装備国である中国と対峙し、その平和を維持する際当然考えるのが核武装である。それは、日本が中国にとっての格好の“生贄の羊”(ナショナリズムの標的)だからである(この本では明から様にはこの指摘はされていない)。核武装は日本国の国防に大きく寄与する可能性は高いが(この点も記述されていない)、しかし、アジアの不安定化を進めて、結局米国の利益とならないと記されている。
 
米国の直接脅威になる前に、中国はアジア地域で覇権を確立することを考えるだろう。そのためには、中国は米国の軍隊をアジアから遠ざける戦術をとるだろう。米国の軍隊が近づけないためには、機雷などの小さいコストで大きくて高価な空母などを破壊する兵器(非対象兵器)を用いて、第二列島線から追い出す戦略をとると考えている。これは中国には負担が小さくて米国に負担の大きい、米国とその同盟国にとって厄介な戦略である。
 
4)孤立主義について:
経済的に余裕のない米国にとって、孤立主義の誘惑があるが、それはアジアでの米軍のプレゼンスを確かなものに保つということよりも、米国民に対して時として強い説得力を持つ。(P268)しかし、孤立主義は米国経済からアジアという世界人口の60%を占める最大の市場を奪い取る結果となるだろう。
 
日本は、米国がアジアから撤退するとなると、残された道の一つとして独自に核武装して中国と対立する方を選択した場合(補足7)、アジアは米軍が居る場合よりもはるかに不安定化するだろう。もう一つの選択肢として、日本(そして韓国)が中華圏となった場合、中国の勢力は非常に大きくなり、米国の脅威はさらに大きくなるだろう。何にしても、米国にとって非常に危険なことになる。上でも述べたように、トランプ大統領は孤立主義は放棄するだろう(これは私見。本には直接このようには書かれていない)
 
 
その他、台湾を中国に引き渡すことで、中国から東シナ海や南シナ海での譲歩を引き出すことが可能かについても、米国では議論されたようである。この“大取引”を行えば、アジア各国に不信感を醸成して核武装するだろうから、あまり現実的でないと結論している。
 
結局、力による平和以外に中国と対峙する方法はないというのが結論である。それをより有利にするためには、中国の経済発展を低く抑えることが重要である。その方法として、現在トランプ大統領が計画している、米国の法人税の大幅減税などで中国に工場を置く魅力を低減させることなどがある。トランプ大統領は経済的な政策で中国を弱める戦略をとるだろう。
 
以上が、私の理解したこの本の大まかな内容に若干の私見を加えたものである。“木を見て森を見ず”という言葉があるが、森を見て書いたつもりである。しかし、木の部分も当然非常に参考になる。例えば、中国本土への攻撃における戦略とか、核抑止力が本当に有効かなど、中身は具体的で詳細に書かれている。したがって、“木を見なければ、森が理解できない”のが本当のところだろう。日本人にも必読の書だと思う。
 
補足:
1)韓国の朴槿恵大統領を戦勝70周年記念式典に招待し、習近平の隣で閲兵した姿が鮮明に思い出される。その見せかけの親密さは、日米韓の切り崩しであり、習近平の目は米国に向けられていたことは明白である。日本の二階氏や小沢氏の大歓迎も同様であると、彼らは知るべきだと思う。
2)この点に関して、以下の指摘をしている。この経済発展の直接的契機となったのは、ビル・クリントン大統領が中国のWTO加盟を進めたことである。「米国では7万もの工場が閉鎖し、最終的に2700万人の失業者や非正規労働者を生んだ。そして、貿易赤字は年間3000億ドル以上に膨らみ、米国経済に大打撃を与えた。これほど誤った判断を下したアメリカ大統領は他にいない(筆者の要約)」と書いている。(280頁)経済発展により自由で開かれた社会になるとの期待は裏切られたのである。
3)就任演説のこの部分:We must protect ourborders from the ravages of other countries making our products, stealing ourcompanies, and destroying our jobs. Protection will lead to great prosperityand strength.私たちは、私たちの製品を作り、私たちの企業から盗み、私たちの職を破壊する外国の侵害から、この国の国境を守らなくてはならない。保護(主義)によって、繁栄と力は拡大します。
4)第一列島線を沖縄からフィリピンに引いた防衛ライン(アチソンライン)の外にある韓国には、米韓同盟に不安をもつ。第二列島線上の島々には、経済的基盤も何もないので、実質的に第一列島線が米国の大事な防衛ラインだと思う。
5)貧富の差を示す中国のジニ係数は、悪い方から世界27位の47.3%である。先進国トップはアメリカで45%(世界41位)、日本は37.9%(世界73位)でEU30.6%; 世界117位)よりもはるかに悪い。
6)佐藤内閣の時に強引に核武装するチャンスがニクソン大統領により与えられた。それを無駄にした佐藤栄作総理は、売国奴的政治屋と言える。
7)韓国は北朝鮮との関係もあって1960年代から核武装を考えたが、1975年に米軍が守ることを条件に、米国により核保持の計画を放棄させられた。
1)今日は節分で豆まきをする日だが、それに加えて恵方巻きの日だそうだ。この変わった新しくできた風習が短期間に広がるような国は日本だけだろう。恵方巻きの風習は、あるコンビニ店が1998年に初めてから急激に広がったという。(ウィキペディアの恵方巻きの項参照)日本中で、ある方角(恵方)を向いて巻き寿司に黙ってかじりつく姿を想像して欲しい。なんと滑稽な光景だろうか。由緒ただしく”恵方巻き”を行う方法は以下のサイトにある。http://xn--365-4k4bodqhlg.com/archives/575.html
 
今日のスーパーマーケットのチラシ(読売新聞に添付)は3枚あったが、その全てに恵方巻きの宣伝が大きく掲載されていた。数年前まではこのようなことはなかったと思う。日本では、近隣が何かをやりだすと、同じことをやらないと不安になるらしい。この風習を奇異に感じるのだが、そのようなひねくれ者は少数派だろう。
 
2)ずっと前の話だが、大都会の公務員住宅に住んでいた頃、子供の体格などを考えてナップサックで通学させたことがあった。交通事故などの危険性がランドセルでは高くなると考えたからである。2ヶ月も経たないうちに、周囲から変な家だと思われたらしく、ある家の奥さんから嫌味を言われた。子供のいじめに繋がっては大変と思い、ランドセルに変えざるを得なかった。何もかも横を睨んで決めるこの国の異常さを示す一例であると以前どこかに書いた。
 
私は、恵方巻きや豆まき、その他の多くの日本の風習に疑問というか不快感を持っている。この種の風習が短期間に広がることに滑稽というより気味悪さを感じる。それは、誰かがある説を唱えると、日本人の多くがそれに容易に従属することを示しているからである。「まあ国民が揃って楽しむことを一つ創り出したのだから、良いではないか」という言葉は理解できるのだが、それはその他の場面で自立した個人の姿が見られる場合に限られる。
 
なぜ横並びになんでもしたがるのか?それは、自分の感覚や能力に自信がないからだが、それを獲得すべく努力する切迫感も持ち合わせていないのだ。そして、現状を受け入れるとか、あるいは周囲に合わせておくと言う“楽な道”を選択する。この国では、目立たないことが徳であり得なのだから。
 
“楽な道”の選択が可能なのは、一応豊かな環境に育ったからである。そして“切迫感がない”のは、その豊かさは祖父などの世代が血を流して得た豊かさであることなど知らないからである。近代史を一切教育されていないので、今の青壮年は世界の厳しさを理解していないのである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42338886.html
 
自分に能力や感覚がないのなら、それを付けるべく努力すべきである。何もかも、一から自分の考えを組み上げようとするのが、自立した成人の姿である。こちらが恵方だと見知らぬ怪しげな人が自信ありげに言っても、その根拠を自分で考えるべきなのだ。豊かな時代が終われば、その恵方には罠があるかもしれないのだから。
 
3)私は無神論者ではない。しかし、既存の宗教を信じる者でもない。ただ、太陽や地球、そして、そこに生きる様々な生物の存在は奇跡であると思う。時間、空間、物質、そして何よりも自分という存在すら自分では理解できないのだから、絶対神の存在など否定できるわけがない。しかし、神が存在したとしても神は我々個人には無関心だと、私は思っている。
 
その一方で、自分以外の人たちが幻影ではなく、自分と同じ人間だとするなら、他の人たちが作ったことは自分にとって判断可能な範囲に含まれると信じる。歳徳神(恵方などを決める)とか古くからあるものでも、人がなんらかの都合で作ったと思われる神や、日本の多くの人格神など全てが、くだらない幻だと思っている。
 
賽銭を投げ入れて、木像や建物に手を合わすだけで、あるいは巻き寿司をある方向に向かって食べただけで、何か良いことが期待できるわけがない。ただし、それを考案した人には間違いなく、金銭的な利益が転がり込む。そんなことをして、そのようなことを企んだ人たちに利益をもたらして、悔しさや腹立たしさを感じないのが情けない。
 
この世界には、自分たちの企みを達成するために適当な情報を流し、巧みに世論を動かそうとする人が多くいる。「注文の多い料理店」なら、気付くかもしれない。しかし、注文の数を巧みに減らした料理店なら、我が国の人たちは進んで餌食になるだろう。

恵方巻きなんか小さいことでどうでも良いのだが、一言書きたかっただけである。(小言幸兵衛)

刑が消滅(刑法34条二)しても、ネットでの重い罰は続くのか?

 
1)先ず不思議に思ったのは、「逮捕歴の削除を認めず」となっていて、犯罪歴とはなっていない点である。最高裁判所の判決文でも逮捕歴という言葉が使われていて、犯罪歴という言葉はない。
 
最高裁決定の要旨(朝刊9面)の結論の中にも、「ウエブサイトに逮捕された事実の記事などが掲載されているとして本件検索結果の削除を求めている。」となっている。削除要求した人は、児童買春の容疑で逮捕され、201111月に逮捕され、12月に罰金刑に処せられている。従って、犯罪の事実はあったので、逮捕の記事は正しいので問題がないと思う人が大半だろう。
 
しかし、裁判所が命じたのは罰金刑であり、その逮捕を報じた記事を延々とネットに掲載されることは、事実上罰金刑よりも重い刑罰であるが、それでも良いのか?それは憲法第三十九条の規定:「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」に違反するのではないか。
 
最高裁決定の要旨の結論部分の文章を一部再録すると:「児童買春した容疑で逮捕された事実は、他人にみだりに知られたくないプライバシーに属するが、児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置づけられており、(中略)今尚公共の利害に関する事項であると言える。」とある。
 
そして、「抗告人が妻子と共に生活し、罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく、民間企業で働いていることがうかがわれるなどの事情を考慮しても、逮捕された事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとは言えない。」とある。この家庭内での抗告人とその家族の苦しみを想像すれば、それが罰金よりも重い刑であるとの判断が正しいと理解できるだろう。
 
2)ここでこの判断のもう一つの問題を提起したい。それは刑法第6章の刑の時効及び刑の消滅の中の、第34条の二の「刑の消滅の条項」に反するのではないかという疑問である。そこには、「罰金以下の刑の執行を終わり、罰金以上の刑に処せられないで5年を経過した時には、刑の言い渡しは効力を失う(要約)」と書かれている。
 
つまり、履歴書の賞罰の欄を作るように提出先に言われても、この期間が経過したのちには、その刑罰を記載する必要がないのである。つまり、今回の最高裁の判断は刑法34条の二に反するのではないだろうか?つまり、最高裁の判断が出た時点(20161231日)で、その刑は消滅しているのである。
 
この件、読売新聞では一面トップ記事として取り上げ、9面に詳報として全面を割いて掲載し、更に3面と33面に半分以上の紙面を割いて関連記事を掲載している。三面には社説でもこの件を論じている。しかし、刑の消滅との関連を報じた部分はない。兎に角、最近の新聞は政治面でもそうだが、ほとんど読むに値しない。
 
法律の素人なので、謝りがあればコメントをお願いします。