森友学園が小学校校舎の建設補助金を詐欺したようだ。松井大阪府知事は、報道されたことが事実なら詐欺になると言っている。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170307/k10010901531000.html

NHKの報道によれば、学園側が補助金申請の際の建設費として国に報告した額が、大阪府への申告費用7億5000万円の約3倍の21億8000万円だったという。森友学園側は、修正申告のうえ受け取った金を一部返金すると言っているのだから、報道の資料だけで詐欺は明確だろう。

森友学園の詐欺だけ、実証が難しいのだろうか? あるいは、単純な計算違いとかで建設費修正申告の上で返金することで、無罪放免となるのだろうか。この件、これまで山ほど不審なことがあるのに、森友学園の理事長の国会召喚を自民党側が拒否するのは不思議だ。

この国はメチャクチャに見える。安倍総理と同じく、麻生副総理と同じく、日本会議にいるだけで、籠池という人は刑法も無視できるのだろうか?


1)森友学園騒動:
森友学園騒動から学ぶべきことは多い。その一つは政治の腐敗は未だに深刻であることである。近畿財務局の官僚たちに、そして官僚一般に関心があるのは、自分たちの身分と出世のみであり、良識など期待できないことである。(補足1)
 
更に重要なことは、①森友学園の理事長が日本会議の執行委員の一人であること、その籠池理事長が経営する②塚本幼稚園での異常な教育、更に、③自民党主力議員の多く(安倍総理や麻生副総理を含めて240名ほど)が日本会議の重要メンバーであること、(補足2)以上3点の交差するところに何があるかということである。
 
塚本幼稚園での異常な教育は、園児に教育勅語を暗唱させたり、運動会で「安保法制国会通過よかったです」などと宣誓させたりしていることで明らかである。(補足3)この異常さは、日本会議の政治方向と無関係ではないと思う。日本会議の本音が強調されて出ているのだろうが(補足4)、それは我々一般国民にとって、今後の政治と日本会議との関係を考える良いヒントを与えてくれると思う。
 
日本会議は、自主憲法制定や皇室典範を改定して天皇家が男系で安定的に継続されるようにすることなどを、重要な日本の課題と考えている。そして、現在政権を担当している自民党議員の主力がそこに参加し、且つ、党の日本国憲法草案を作った中心もそこに含まれている点に注目すべきである。
 
2)現政権の考える日本国憲法改正のポイントについて:
日本国憲法の改正のポイントは、現在の第9条2項に関するものだとおもうだろう。しかし、私はそれだけではないと思う。自衛軍の保持は、どの独立国も当然のことと考えているだろうから、何の問題も生じないだろう。日本国も、憲法を改正して独立国家らしく自衛隊を自衛軍と改名し、「交戦権を持たない」などの法的な縛りをなくすべきだと思う。また、現在のように国家の自衛を他国の軍事力に大幅に頼る体制を改めるべきだと思う。
 
ただし、それを指揮するのは100%国民の代表と言える存在であるべきであり、それが、昭和の大戦時のように、どこにあるのか分からないようになる可能性を残すべきではない。つまり、憲法を改正する際に注意すべきは、自民党憲法草案第一条にある天皇を国家元首にするという思想である。(補足5)
 
私は、明治維新以降の日本の政治を国家として再評価することなく、天皇を再び国家元首にすることには反対である。その理由は、天皇がその時代の権力に屡々利用されてきたからである。明治時代初めには薩長勢力に利用されてきたし、また、昭和の大戦時においては軍部に利用されてきた。その歴史について国家としての再評価がなされていないし、歴史教育として国民に周知されてもいない。
 
日本会議は、天皇元首制を用いることで国民を統合して、その統治を容易にすることを考えているのだと思う。そして、その様な真実と論理に基づかない権力の行使が、非常に危険であることを示したのが今回の森友学園の騒動である。14億円の国民の財産を奪い取ることなど小さなことである。それよりも国民の命を消耗品の如く使った、先の大戦をおもいだすべきである。
 
3)前進するためにはこれまでの総括が必要:
国民の総意で政治を行うには、公の空間とそこでの議論が必須である。しかし明治以降の日本国には、それを支える文化も言語空間もなかったと思う。そして現在も、東アジアの半文明国の状態から抜け出せていない。つまり、日本のこの130年間は、西欧の模倣(もっと悪く言えば猿真似)の歴史だったと思う。
 
その証拠に、既に述べたことであるが、近代史のレビューは(補足6)一切されていない。それは、行動の一つ一つに論理的説明を付けることが不可能だからである。論理的でない政治には強引な力が必要である。時の権力が、その力として利用してきたのが天皇という存在ではなかったか?
 
例えば、明治維新では、天皇という地位を乗っ取り利用して、時の権力者を葬るのに利用した。(補足7)その後の政治システムの近代化は確かに偉大な革命であったが、それは西欧の国の指南のままに行われたという考えが有力である。何故なら、薩長の武士にそれを生み出す歴史も知性もある筈がないからである。(補足8)
 
先の大戦において、天皇の統帥権という明治憲法の条文を利用した軍の暴走があったにも関わらず、それに関する日本国独自のレビューは一切されず、それらの責任者を尊い命を捧げた英霊とともに、靖国神社に合祀した。そして戦後、国家のトップは何の抵抗も感じることなくそこへの拝礼を繰り返してきた。このことは、中国などの批判などなくとも、国内からも批判されるべきである。(補足9)
 
そのような歴史があるにも関わらず、日本会議の設立宣言の第二段落に「有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、云々」と書かれている。そのような思想的背景の下、日本会議とそれが主要なる力を持つ現在の自民党政権は、改正憲法において天皇を国家元首と規定し、自分たちの権力のバックアップを企んでいるのである。
 
補足:
1)官僚機構は手足であり、そこに“良識”という意思を期待する方が間違いだろう。それなら、パソコンやネットで大幅に事務効率が上がったのだから、もっと人員削減がされて良いと思う。
この件、司法のレベルでは不正があったと断定されていないが、これまで報道された事実から、不正が存在したと判断する。以下その前提で書く。
2)日本会議国会議員懇談会というのがある。そこに、参加する国会議員の名簿が掲載されている。
3)森友学園が運営する塚本幼稚園(大阪市淀川区)で201510月に行われた運動会において、組体操に先立って行われた園児4人が右手を挙げて行った選手宣誓の中身を以下に記す:「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いします」、「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」。http://www.j-cast.com/tv/2017/02/27291624.html
4)今回の騒動は、籠池氏が日本会議を利用して、大きな利益を得ようとしたものと考えられる。日本会議におもねるために、日本会議の方向に沿った教育を強調して実施して見せたのだと考えられる。
5)日本国民の統合を、安易に天皇を元首にして、それに頼るべきではないと思う。改正憲法では、天皇の国事行為を削減し、象徴と呼ぶにふさわしいようにすべきだと思う。国民の統合は、日本の歴史と文化を学ぶことで行うべきだと思う。明治以降の歴史においても、プラスとマイナスの両面あるが、誇りを持てる歴史であると思う。6)レビューとは審査や総括、或いは再度検討すること。
7)孝明天皇は大政奉還後も幕府とその官僚を頼っていた。それが邪魔になった薩長と下級貴族らは、孝明天皇を排除し、それがあまり周知されることのないように江戸に遷都したという説がある。
8)司馬遼太郎の明治維新の解釈は司馬史観と言われて人気があったが、現在の歴史家はそれを否定している。例えば、「明治維新という過ち」(原田伊織著)など参照。
9)これについては、3年ほど前に書いたブログ記事を引用します。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41369336.html
1)昨日日本記者クラブにおいて石原慎太郎元東京都知事の会見が開かれた。そこで、豊洲市場への移転問題についての石原氏の責任について議論された。この件、私には石原氏の言い分がほぼ正しいものと思えた。
 
先ず、築地市場の老朽化などがあり、新しい市場の建設が必要であることに異論はないことを確認したい。http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/faq/01/
その上で、どこが引越先にふさわしいかなどの検討と、その際にどの程度の予算を組む必要があるかなどの検討を東京都の職員がそれぞれの専門知識を用いて検討する。


予算案を決定する最終責任は都知事にあり、それを議会に提出し、議論の上で決定されたのだろう。その手続きに不正がない限り、都知事にその後責任問題は生じない。繰り返すが、決定責任は都知事にあるが、責任問題は生じないのである。
 
ここで、上記「都知事」と言う言葉を一般が正しく理解しているかが気になる。ここで言う「都知事」は、当時知事を務めていた石原慎太郎氏個人ではない。(補足1)
 
会見で石原氏が言っていた言葉を私流に理解して再現すると:夫々の専門家が自分の知識や技量を用いて、その地位に付随する責任を果たす形で決めたことに、口を挟む必要を感じなかった。そして、それを総合した移転案が当時の知識と知恵で適当であると判断したのである。
 
このように受け取ったので、私は石原慎太郎氏個人に対して責任追及する理由は何もないと思った。
 
2)購入土地に関する瑕疵担保責任について:
豊洲市場の土地を東京ガスから購入したのであるが、その際に瑕疵担保責任を外した形で購入したことが一部に問題視されている。しかし、これも手続き上、全く問題はないと思う。瑕疵担保責任を外して購入すると言うことは、それだけ安く購入することを意味しており、主として予算の問題である。
 
東京都は、その予算を節約して、将来土壌汚染が大きな問題にならないと判断したのである。もし、その思惑が外れたとしても、それは不運であったと言うことに過ぎない。
 
3)盛土の問題:
盛土の問題は、どこかに手続き上の不備がある可能性が高いと思う。その責任は、責任部署の誰かが、上に上げるほどの案件でないと判断してしまったのだろう。その責任を追及するのは、実りあることならすれば良いと思う。
 
しかし、専門家の意見では、盛土をしないで地下に空間を残す方が地下水の水質や建物の腐食の度合いなどの調査などに便利であり、且つ、建物の強度には全く影響がないと言う。それなら、盛り土をしなかったことに関する手続上の問題を調査しても、利益にはならないだろう。
 
4)豊洲に移転をしないでランニングコストを無駄にしている責任:
これは、明確に現在の知事の責任であると思う。これについてはすでに書いている。豊洲市場の建物の地下空間から、ベンゼンが飲用水用に設定された環境基準の79倍検出されたのが、まるで大問題の様に言うのは間違っている。それが地上に漏水で出てきて、空気中に環境基準を超えるレベルのベンゼン濃度を記録すれば別である。そんなことになる筈がない。長年化学の研究者としてやってきたものの一人として断言できる。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42953114.html

補足:
1)都知事には二つの意味がある。都知事というポストと、その地位にある個人である。豊洲移転とそれに関係したことを決定したのは都知事というポストであり、石原氏個人ではない。つまり、その決定の責任は都知事というポストにある。したがって、仮に都知事に私人に対する賠償責任が生じた場合、決済をするのは現都知事である。石原氏個人の責任問題に発展するとしたら、その決定の際に手続き上のミスがあった場合である。