所属するグループの為になる行いが善、それに反する行いが悪だと考えるのが、前回までの結論だった。そのグループ(種族、民族、国家)内で、処罰に相当する程度の悪い行いが罪ということになる。しかし、ただそれだけの定義だと、罪と罰の関係は労働と賃金のような等価交換できる関係になり、随分と軽い感じがする。しかし、罪は元々もっと重い宗教的な意味を持つと思う。つまり、罪という言葉は、本来神の教義に反した行為に対して与えられる。
そう考えると、宗教と民族や国家といったグループとの関係を明らかにしないと罪と罰が理解できないことになる。
そこで、前回までの話を簡単に繰り返すところから思考をスタートする。善と悪は、血縁を中心としたボス支配のグループで生きる状態(自然状態)では存在せず、人が大きな多層的なグループを作るようになった時に発生すると考えた。そして、そのグループ内で生きる人に対してグループの成長と安定にプラスになる行為及びそれを形容する言葉が善であり、その逆が悪であると結論した。
多層的で大きなグループは、種族とよばれたレベルから国と言う現在の段階まで発展する。そのグループが種族と呼ばれる段階では、その寿命は人の自然寿命よりはるかに長くなるが、その運命は他の種族との争いの勝敗に依存する。種族は運命共同体であり、そのことをメンバーは強く意識している筈である。
他の種族と競争して最終的に生き残るには、リーダーには世代を超えて特別に強い指導力が必要である。そのレベルは、非常に優秀な人レベル程度ではなく、それを圧倒的に超えるレベル、つまり神のレベルである。従って、長く続いた種族の中に神話が生じ、嘗ての英雄が神として崇められるのは自然である。その神の権威の下に、リーダーの権威を置くのが世代を超えた権威を持つ秘訣である。その結果、リーダーの下す罰は、神の罰となるのである。善と悪そして罪と罰は、この様にして神の権威を得ると考えるのである。(補足1)
その段階で、リーダーの地位やグループ内の掟などは全て種族の神の権威の下に集約される。歴代のリーダーの考えが集約され、聖典となって纏められることもある。キリスト教の聖典である旧約聖書では、人が神と契約を交わし、種族のメンバーに神の掟を守るように書かれている。(補足2)
2)罪を犯した者には罰があたえられるが、罰には日本語では二つの読み方がある。バチとバツである。バチには、“罰当たり”という派生語の意味からわかるように、悪事に対して神が与えるこらしめの意味がある。バツにも、やはり教育的な意味がある。つまり、罰を与える側と受ける側に共通の絶対的な権威がなければならない。従って、罪と罰の関係は種族内部の話であり、異邦人との関係ではありえない。異邦人との間には無視、敵対、戦争、報復、駆除など、民族(種族)の神の裁きとは無関係な対応がなされる。(補足3)
刑事裁判などでよく問題にされる言葉に、“罪の意識”がある。罪の意識がない犯罪人にはふた通りある。片方は幼児であり、もう片方は現在住んでいる社会のメンバーでは無いと考える犯罪人である。幼児の場合(刑法では14歳以下)は、悪事を為しても罪の意識がないので、罰しない。そのような罪を犯さないように、今後の教育は主として家庭でなされる。罰せられないのは、今も今後もグループ内の人間であるからである。もう片方の罪の意識のない犯罪として、精神に障害のある人間の犯罪と反国家(反民族)的犯罪(テロリスト的犯罪)があり、後者には元々国内の犯罪人を裁く法律を適用する理由はない。
前者の場合、明らかに精神が未発達な場合には、幼児と同様の根拠で、然るべき場所での隔離あるいは治療が適当な措置だと考える。一方、精神的発達が正常だが、サイコパスのように特別に反社会的性格を持つ人間の場合、知識として犯罪が処罰の対象になることを承知しているのだから、罪の意識の無い場合でも、少なくとも正常人と同等かそれ以上の処分が相当である。
最近あった名古屋大女子学生による殺人事件では、犯人は殺人嗜好がつよいタイプのサイコパスだろう。この種の人間は、殺人が所謂重罰に相当する犯罪であることはわかっているのだから、罪の意識が生じない精神障害者だとして無罪を主張する根拠はない。(補足4)山から出てきた熊や異邦人テロリストのように、駆除の対象になっても良い人間なのだ。知的に問題があるのは、その判決の際に、更生に期待するという言葉をかけた裁判官と、精神障害故に無罪であると主張した弁護士である。
外国人の単純犯罪の場合には、国際条約があり、国内法によって処罰される。それは、外国人と雖も、日本国内で生活する場合は日本人の仲間と看做して処遇するからである。しかし、日本社会の破壊工作には、日本人であっても外国人であっても、罪と罰の関係で論じる根拠はない。罪と罰の関係は、日本(社会)を共通の宇(いえ)と考える体制に最高の権威を認める場合にのみ成立するからである。テロリストには罰を受ける資格がないのだ。
補足:
1)現在国家を作って生き残っている種族には、そのような超人的なリーダーシップを作り出す工夫がされていたと言える。日本(大和朝廷)の建国神話もその一つである。
2)ユダヤの種族に対して、他の種族は異邦人という言葉(日本語訳の聖書)で語られている。異邦人という言葉には“何を考えているのか全く分からない人たち”という響を、聖書の中では特に感じる。異邦人による行いは、悪であるとして排斥するか侮蔑するかどちらかである。
3)戦争が外交の一環だという考え(クラウゼウィッツの戦争論)は共通の神を持つヨーロッパにしか本来(あるいは西欧人の感覚として)適用されないだろう。また、日本の上杉と武田の戦いにおいて「敵に塩を送った」と言う話も、両者ともに日本のメンバーであることの共通理解があったからこそである。
4)「人を殺してみたかった」というセリフは、社会を根本から否定する言葉であり、法を適用する理由はない。ただ、そのようなケースに対応できる法整備がなされていないので、さしあたり最高刑で対応すべきである。
その後人類が作った多層的な構造を持つ(高度に社会的な)グループ、つまり、種族、民族、そして国家と呼ばれるグループは、次のような性質を持つ。①グループの寿命は人の一生よりも長くなり、個人が命を賭ける主なる争いは、他のグループとの争い(戦争)になる;②メンバーの日常は殆どグループ内で終わる;③グループ内の統治とグループ間の折衝には、一部エリート層があたる。
このような背景で、グループ内の統治の簡素化効率化のために「善」、そしてその要素である義、和、忠、孝のような概念が教育されるようになった。そして生命活動を形成していた残りの部分は、「悪」に分けられ、悪の行為が正当性を持つのは主にグループ間の出来事に集約される。その結果我々人間は、本来一体であった「善と悪」を人の精神を構成する二つの要素のような錯覚を持つに至った。以上が前回の話を、別の角度から集約したものである。
2)人の性格は教育だけで決まるのではなく、融和的な性格や攻撃的な性格などには遺伝子が関わっていると思われる。例えば、他人の痛みを全く考慮しないサイコパスの人が一定の確率で存在しているが、それはほとんど遺伝であるとの研究発表がされている。(補足1)
社会をつくることで善悪が発生し、社会が大きくなり、その内部で生きる人が大多数になるのと並行して、善を強く意識する性格の人の生存が有利になり、人の心理はその方向に誘導される。これは「進化心理学」の結論だろう。その適者生存のメカニズムにより、冷徹な性格の遺伝子はグループの構成員が増加するに従って減少するだろう。
しかし、グループの境界で他のグループと対決するには、より攻撃的で冷徹な人間の方が有利である。その境界人間に有利な遺伝子を“悪の遺伝子”と以下呼ぶ。それと反対に境界内部で生きるに有利な温厚且つ凡庸な人間の遺伝子を“善の遺伝子”である。
現在、人の運命共同体的グループは国家である。その200程の国家をメンバーとする社会を考えた場合、未だに野生の原理が支配する。つまり、善と悪が分離して、社会内を善が支配するに至っていないからである。それは、ここ数日の米国によるシリア爆撃やアフガン爆撃を見ても明らかである。(補足2)
地球は有限であるので、原始の時代には個人レベルや種族レベルでの殺し合いでヒトは自然淘汰されていたが、近代以降は国家間の戦争で淘汰される。その結果、サイコパス的に冷徹に長期的作戦をたて、敵となった国家を欺き攻撃し凋落させ、悪を用いて滅ぼす国の人間が生き残ることになる。
逆に、平和を愛する融和的な人間ばかりになった国は、将来的には滅びることになる。実際にそのような淘汰の例が19世紀にあった。ニュージランド沖の小島にモリオリ属という人たちが住んでいた。ある時、マウリ族が他のより大きな島から侵略したとき、モリオリ属は平和的な解決をしようとしたが、殆ど全員が虐殺されたのである。長い間に“悪の遺伝子(境界人間の遺伝子)”が少なくなった結果だと解釈できると思う。(ジャレド・ダイヤモンド著、「銃、病原菌、鉄」第二章参照)
3)国家や大企業(国家等)は、常に食うか食われるかの野生の空間に存在すると考えられる。国家等の争いにおいて他の国や個人を、(グループ内部に限られた)善の論理で扱っていては、その争いには勝てず、最終的には淘汰されてしまう可能性がある。また、緊急の場合にはグループの内部の人に、戦いというグループの境界を跨ぐ世界(悪の世界)に強制的に連れて出さなければならない。
戦争においては、司令官は非情な決断を下すし、そのような遺伝子を持たない人しか司令官に選べなかった国は滅びるだろう。その“悪の遺伝子”を持つ人は、流浪の民族や絶えず戦争を経験した民族に多いだろう。この“悪の遺伝子”がより強調されて存在するのがサイコパスだろう。(補足3)
ある本にサイコパス的な人の割合が西欧で4%と台湾や日本など東アジアに比較して数十倍も多いことが書かれているそうである。http://blog.midnightseminar.net/entry/2015/06/20/232909
東アジアの社会の方が、農耕民族として過ごす割合が多く、人と人の親密度が高いことがわかる。台湾や日本などは孤島であり、全体が統一された以降敵が現れる頻度が少ないので、悪の遺伝子が少ないのは進化心理学的に当然である。一方、西欧では民族の移動や民族間の抗争は有史以来頻繁に起こっていたため、サイコパス遺伝子が多く残るのだろう。
米国は流浪の民を多く抱えている。冷徹な知と“悪の遺伝子”を併せ持つ人が、政治や実業界で成功するチャンスが多い国である。それは、個が自立し自由を国是とする国だからである。それが、米国を地球上でもっとも多く、実業界や政治の世界での成功者を出し続ける国にしている理由ではないだろうか。「トランプはサイコパスか」という題目の記事が多いのは、世界が争い時期に入り、悪の遺伝子こそ民族を救うという時代なのかもしれない。http://www.independent.co.uk/news/world/americas/donald-trump-psychopath-researcher-oxford-university-kevin-dutton-a7204706.html
1)実験心理学者の調査によると、サイコパスの人が一卵性双生児の片方であった場合、全く異なった環境で育ったもう一方も同じ性質を持っているとの結果を得たという。
2)善悪の秩序は法の支配によりなされる。しかし、国際法は法としての権威を有していない。米国による中東での行為の殆どは国際法違反である。つまり、国際間は未だ野生の原理が支配している。
3)Kevin Dutton著の“The Wisdom of Psychopaths”に書かれているそうである。詳細は以下のサイトを参照:http://rocketnews24.com/2016/02/04/702271/
ここでは、1940年代に既に近代社会の成功者、例えば政治的な成功者、にはサイコパス遺伝子を持った人が多いとの説が発表されているという。(精神科医のハーヴェイ・クレックレーの説)