1)第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(Herbert Hoover;任期19291933)の大著“裏切られた自由”を翻訳した渡辺惣樹氏が、主に同書から引用して日本人向けに紹介したのが表題の本である。この本の内容にそって、第二次大戦の原因について考えてみた。
現在の第二次大戦の歴史解釈は、ウインストン・チャーチルやフランクリン・ルーズベルトらの政治を絶対善として解釈したものであり、フーバーは真実とは程遠いと指摘する。この本の中ではその現在標準的に受け入れられている歴史観を釈明歴史観という名称で呼んでいる。一方、フーバーが調査研究し、“裏切られた自由”の中に書いた歴史を、修正主義歴史観と呼んだ。
 
この本の中で一貫しているのは、つまり、フーバーの“裏切られた自由”の中で一貫しているとかんがえられるのは、フランクリン・ルーズベルトは、周囲の意見を聞かずに独断専行的に動いたこと、更に、ソ連を挟む仮想敵国のドイツと日本(それにイタリア)に対して非常に厳しい見方をとっていたことである。
 
それを示したのが1937105日にシカゴで行った、日独伊を国際社会から隔離すべきだという内容の演説である。(「隔離演説」と呼ばれる)シカゴ市政100年記念式典という全く関係のない場所で、今後国際社会で敵対すべき国々を上げて批判している。ここでソ連に全く言及がないのは、ルーズベルトは隠れ共産主義者だからである。或いは、共産党の世界革命を至上命題と考える一派の、雇われ者かもしれない。(補足1)
 
 
第一次大戦の教訓として、米国の第28代大統領のウィッドロー・ウィルソン大統領が出した14条の平和原則の提案とそれによる国際連盟の設立が挙げられる(補足2)。西欧諸国が多大の犠牲を払って得た、平和原則を紙屑同然に扱ったのは、第二次大戦時の米国大統領フランクリン・ルーズベルトと英国のチャーチル、そしてソ連のスターリンである。その事実はまた、一般市民特に兵士など実際に戦争に参加する人たちの命の重みなど、彼らの心の中には全く無かったということである。(補足3)
 
ウイルソンの14条の平和原則の最初の条文は、「秘密外交の廃止と、外交における公開原則」であるが、これら世界のリーダー達のエゴと秘密外交が、第二次大戦を防止でき無かっただけではなく、人類が経験したこともない程の巨大な戦争にまで大きくした原因だったと思われる。
 
2)第一次大戦とその後のベルサイユ条約で課された重い制裁により、疲弊したドイツ国家を、国家社会主義という独裁体制を採用して急速に立て直したのがヒトラーである。議会を無視する体制ではあるが、その成果から国民の高い評価を得た。世界大恐慌(1929年)の時でも、成長が止まることが無かった。
 
ヒトラーが最初にベルサイユ体制へ挑戦したのはオーストリアとチェコスロバキアのズデーテンランドの併合だった。オーストリアの併合では、ヒトラーの優れた経済政策もあり、住民にも歓迎された。(81頁の写真参照)また、ズデーテン地方の併合は恫喝外交的だったが、仲介者である英国チェンバレン首相との会談(ミュンヘン会談)などで同意を得、その後チェコスロバキア(第二共和国)のハーハ大統領との条約によって合法的に進められた。(86頁)
 
ヒトラーが次に目標にしたのは第一次世界大戦で奪われたダンツィヒ(グダニスク)とソ連侵攻へのルートであるポーランド回廊と呼ばれる部分であった。ダンツィヒまでの奪回は、チェンバレン内閣のハリファックス卿も認めていた。しかし、ポーランド回廊と呼ばれる部分の交渉で、思わぬ事態になった。それは、チェンバレン首相がポーランドの独立を保証したからである。気を強くしたポーランドはドイツとの二国間交渉を決裂させた。そしてヒトラーはポーランドに侵攻し、第二次大戦が始まったのである。
 
このチェンバレンの愚策の背景に、ルーズベルトの対ドイツ戦略への秘密の約束があったのではないかとフーバーは考えた。その後、当時の米国駐英大使のジョセフ・P・ケネディはフーバーに彼の考えの通りであると打ち明けた。フーバーはその事実を、当時の海軍次官であるジェイムズ・フォレスタルの日記で補強した。(補足4)
 
ヒトラーは東のソ連と対決する姿勢であったことは誰の目にも明らかであり、そこでその通路にあるポーランドとの交渉において、ポーランドに現実的判断が出来ず戦争となった場合、チェンバレンのポーランドの独立保障宣言は英国を戦争に巻き込むことになる。また、当時の英国やフランスの軍事力は明らかにドイツのそれに劣っていたというのなら、その背後に何かあると考えるのは当たり前である。それがジョセフ・P・ケネディの証言した事実の情況証拠でもある。
 
一方、ルーズベルトの工作の背景にあったのが米国経済の低迷である。経済政策の失敗の責任を問われたくないルーズベルトは、第一次大戦で米国の軍需産業が潤い、経済が大きく成長した記憶があったので、チェンバレンの背中を押したのだろうとフーバーは解釈している。正史において、ニューディール政策が成功して米国経済が復活したという風に書かれているが、客観的データがニューディール政策は完全に失敗だったことを示している。(107頁)
 
以上が表題の本の内容の前半部分を元に、第二次大戦の原因をまとめてみた文章である。私は素人なので、非常に勉強になった。次回は後半部分、日米戦争に関するルーズベルトの策略に関する記述をまとめるつもりである。
 
3)尚、全体的な印象を一言追加する。それは、戦争が政治(外交)の延長上にあるという認識(クラウゼビッツの戦争論など)は、現在正しい認識ではないということである。つまり、第一次大戦とその後のベルサイユ条約が、敗戦国ドイツに異常に厳しかったことや、第二次大戦での「無条件降伏」というフランクリン・ルーズベルトの野蛮な提案は、国家と国家の関係を完全に野生の原理に貶めたと思う。
 
それが、日本の自殺攻撃(真珠湾攻撃)を生み、そして現在の北朝鮮の瀬戸際外交の根拠をつくったのではないだろうか。つまり、戦争は外交の延長(兵士と兵士の戦闘)ではなく、民族と民族の殺し合いだということになる。「外交の延長としての戦争」という戦争の文化はもはや人類は持たない。ルトワックの「戦争にもチャンスを」の最初の命題「戦争が平和に繋がり、平和が戦争に繋がる」は第二次大戦後はあやまりではないのか。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43331789.html
 
補足:
1)ソビエト成立後4人の米国大統領はソ連を承認しなかった。しかし、ルーズベルトは就任後直ちにソ連を承認した。また、ルーズベルトの近くに何時も控えていた補佐官アルジャー・ヒスは共産主義者であった。政府内部への浸透は酷く、1949年には政府職員の内3,000人が共産党員であった。その内2000名が解雇された。機密保持計画のもと、1953年から2年間に政府職員20000名余が解雇された。(赤狩り或いはマッカーシズム参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%8B%A9%E3%82%8A
 世界での共産主義革命を目指す動きは、現在のグローバリストとその根の部分で共通するという意見もある。
2)第二次大戦の原因の主なるものとして、第一次大戦でのドイツに対する非常に厳しい制裁を含む体制(ベルサイユ体制)がある。この本ではベルサイユ条約の不正義と書いている。(76頁)これに、フランクリン・ルーズベルトは全く関心を示さず、第一次大戦で得た筈の教訓を持っていなかった。
3)この人命軽視の考え方は、砂漠で生まれた一神教の文化の中で生きた人間に固有だと思う。その中でも特に、そして温かい社会環境から遠ざかった人たち、更にその宗教すら幻に過ぎないと気付いた知性ある者は、恐ろしいほどに冷酷なのだろう。
4)この重要な日記を確認したければ、“裏切られた自由”という本を買うしかない。「歴史は細部に宿る」とは正にこのようなことだろう。
(語句等内容以外の編集あり:7/21/12:00)
1)昨日翻訳したブログ記事についての感想を書く。資料など一部は朴裕河氏のものを利用していると思われるが、内容は基本的な点を含めて朴裕河氏の意見とは違う。朴裕河氏の考えと「帝国の慰安婦」の内容は、大分前になるが本をざっと読んだ時の記憶と日本記者クラブでの朴裕河さんの話で新たに大凡の理解をした。
 
朴裕河氏の本では、挺身隊と慰安婦の違いを正しく指摘し、日本軍による組織としての拉致などが無かったことなどを客観的に記述している。しかし、慰安所経営&運営する業者と軍とは緊密な関係であったと記述している。さらに、慰安婦が単なる売春婦ではなく、兵士の疑似家族的な役割すら果たしたと書かれている。つまり、兵士と伴に戦う存在であった様である。
 
朴氏は「帝国の慰安婦」の序文で、現在の認識として「支援者たちが要求してきた日本の法的責任や国家賠償とは異なりますが、植民地支配にかんしての謝罪の気持ちがあるとすれば、それを慰安婦問題に込めて、日本が主体的に示してほしいとする考えです」(11頁)と書いている。つまり、朴氏は慰安婦の支援者筆頭の挺対協の姿勢とは一線を画している。朴氏の考えを過激に言い換えれば、挺対協は慰安婦問題を乗っ取ったと言える。以下に挺対協と慰安婦問題について前・在韓国特命全権大使の武藤正敏氏が分析したサイトを紹介する。
 
昨日のブログ記事には、挺対協の主要メンバーが何人も北朝鮮スパイとして逮捕されているという記述があり、従って、北朝鮮のオルグ機関とみなせると思う。現在の韓国の情況を見れば、挺対協は慰安婦問題だけでなく韓国そのものを乗っ取る尖兵となったと解釈できる。
 
そして、その運動の目的は韓国と日本の間に楔を打ち込むことであり、それに慰安婦問題を大きく育てて用いたと書かれている。この指摘の少なくとも出発点は、朴氏の理解と共通であると思う。
 
2)朴氏の慰安婦問題に対する考えは、日本による朝鮮の植民地支配の一環として朝鮮人慰安婦は理解されるべきというものだろう。韓国の反日活動家たちが、その考えに基いて問題を世界に主張し日本を貶すことは非常に困難である。何故なら、当時は帝国主義の時代であり、時代を遡って植民地支配を(現在の政治活動の中で)批判することは、歴史修正主義者のすることだからである。
 
そこで、インドネシアやフィリピンで日本軍下級兵士が、そこに住む女性を強制連行して慰安所に連れ込んだ犯罪を、朝鮮人慰安婦全体に一般化する虚偽の話に作り、慰安婦の日本軍による強制連行説として世界中に宣伝したのである。
 
つまり、韓国人の不満の原点に朴氏の指摘する植民地支配があり、それに挺対協などの反日過激派組織と(慰安婦問題において挺対協に殆ど乗っ取られた)韓国政府が、虚偽の慰安婦物語を作り反日感情を大きく育て上げたのが、韓国に存在する慰安婦問題だと思う。しかし、核芯に植民地支配への民族的怨念がある限り、その問題は日本が韓国に植民地支配されない限り解消しない。
 
従って、韓国がその怨念を晴らすべく日本を対象として取る行動は、本心と建前に大きなズレがある。つまり表向きには、20世紀終わり頃から国際的に高まったフェミニズムや人権の考えを利用して、慰安婦問題を国際的にして日本を侮辱する方法である。つまり、本心には植民地支配にたいする怨念が不滅の核として存在するので、大きな反日を女性の人権という薄い衣(幻の衣)を付けて揚げたのが、あの少女像である。
 
従って、日本側からの史実と法的根拠を論理に基づいて説明する類のアプローチでは、門題は解決する筈がない。一言で言えば、朴氏の指摘した慰安婦問題は、日本が持てる手段を使い切った以上、今後は韓国自身が克服すべき問題だろう。朴槿恵大統領の様に、今後の多分全ての大統領が、「日本と韓国の加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」と言うだろうが、これは外交というよりも日本への宣戦布告というべき言葉である。韓国の遺伝病のとばっちりを、日本が受ける類の戦争である。
 
3)その観点に立ち、慰安婦問題を理路整然と整理したのが、昨日のブログ記事だろう。非常に分かり易く論理明快である。慰安婦問題を創造したのは、北朝鮮系の反日活動家とその中心にある挺対協であり、それをオルグしたのは北朝鮮など日韓の間に楔を打ち込みたい国の政治組織だという話である。
 
説得力があるのは、ストーリーに対応する資料がしっかりと揃っているからである。一方、慰安婦問題を作った人たちが虚偽の慰安婦問題の立証に用いたのは、朝日新聞の全くの捏造記事や、必ずしも信頼性の高くない慰安婦の方々の証言だけであった。
 
つまり、日本軍による組織としての強制や、一般的に虐待と看做される性サービスを強要されたということは、挺対協の用意する元慰安婦の方々の証言以外の証拠は無い。(一般的ではなく)特別な例として、虐待に近いケースは在っただろうが、それは個別補償の対象となっても慰安婦(全体の)問題とはならない。
 
慰安婦制度の中で犯罪的なケースがあれば、その個別補償は日韓基本条約締結時に日本政府も考えただろう。それを韓国は拒否して一括としての経済協力金という名称の補償金を手にした。従って、韓国がこの件で日本攻撃が出来るのは、改めて確認した慰安婦制度の一般的違法性でなくてはならないのである。
 
ただ、日本人は汚い言葉で、慰安婦の方々や正当に主張する代理人の言葉を罵るのは止めるべきである。朝鮮は嘗て日本の一部であり、未だ存命中で日本と朝鮮の過去の関係を知る人々を窮地に陥れるからである。(補足1)また、朝鮮人慰安婦の方々も元兵士の方々も日本国の一員として伴に戦ったことを忘れてはならないと思う。その意味でアジア女性基金は、一定の役割を持ったと思う。
 
また、韓国の方々は近代史を勉強し直し、李氏朝鮮の末期の停滞した国家の姿を知り(補足2)、そこからの近代化の一環の中で、(腹立たしいことでもあるだろうが)日本への併合時代が果たした一定の役割を学べば、「千年の恨み」などという後ろ向きの姿勢は消えるだろうと思う。しかし、朴裕河氏の慰安婦への考え方には、植民地時代への強い拘りがある。失礼だが、例えば、両班と下層民という身分制度の下で、李氏朝鮮時代の社会の暗い雰囲気と荒んだ人々の心に対する十分な理解がなされていないのではと思う。(私もあまり知らないので、このような台詞を言う資格があるとは思えないのだが、敢えて言う。)
 
補足:
1)韓国で、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こった。「愛国心ゆえ」の犯行だと男は供述、韓国ネットユーザーなどからも擁護の声が上がる。https://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html?p=all
この事件で犯人を擁護する意見がでるところが、韓国の病気を証明している。同様に、併合時代の韓国を評価する意見は、その時代を知る層に多い様である。http://scholarsinenglish.blogspot.jp/2014/10/i-am-91-years-old-and-i-want-to-tell.html

2)中学校か高校の歴史教科書にでている漫画である。韓国の方は何故、一方的に日本を敵対視するのか、もう一度考えてもらいたい。
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ジョルジュ・ビゴー(フランス人)の日清戦争前の情況を表した風刺画
魚は朝鮮、橋の上で横取りを狙うのはロシアである。
(帝国の慰安婦)の著者である韓国Sejong大学の朴裕河氏のブログと思われる記事(2016年4月)が掲載されているサイトを見つけた。英語で書かれていること、そして著作権の留保の意思が特別に表明されていないので、ここに和訳をして掲載する。なお、Korea及びKoreanの訳は全て朝鮮及び朝鮮人、South Koreaの訳は韓国とします。感想及びコメントは、翻訳が終わった後に記載します。表題を朴裕河さんのブログとしましたが、それは元の記事が「"Comfort Women of the Empire" by Professor Park Yuha」だからです。朴裕河さんの本の内容よりは幾分日本の保守系の意見に近いと感じました。ブログの主のハンドルネームはKorean institute of historyです。)以後()内に理解を助けるための訳者の注釈文が入る場合があります。
 
(ブログサイトの容量の都合上、注釈は入りませんでした。それらは分割して投稿した記事をご覧ください。或いは姉妹サイトで全体をご覧ください。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/07/blog-post_15.html

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 "ComfortWomen of the Empire" by Professor Park Yuha


"ComfortWomen of the Empire" (帝国の慰安婦)は韓国Sejong大学の朴裕河教授 によって書かれた。どうかこの本のニューヨークタイムズの書評を合わせてお読みください.: http://goo.gl/tKcbxg

 
日本留学の終わり近くの1991年に、私は初めて慰安婦問題を知った。当時ボランティアとして、私はNHKの依頼で韓国の元慰安婦の証言を翻訳していた。私が韓国に帰国したとき、韓国のナショナリズムは制御不能な状態でした。そして、韓国共産主義者により、反日活動家グループ「軍事性奴隷制として徴用された女性のための韓国委員会」(挺対協)が結成された。その指導者は、公然と、今後200年間日本を卑しめることに決めたと述べた。
 
そのプロパガンダは私のこの問題への関心を失わせ、何年もこの問題から離れることになった。2000年代初頭、挺対協が生き残った元慰安婦女性をナヌムの家という養護施設に閉じ込めていると聞き、私は再びこの問題に関心を持ち出した。これらの女性が外部と話すことが許された唯一の時期は、挺対協が国連特別審査官または米国の政治家への彼女らの証言を必要としたときだった。 
 
しかしある理由で、私は2003年のある日、彼女らと話すことが許可された。私は、彼女らがこの場所に閉じ込められいることが、幸せではないと感じることが出来た。女性の一人(ペ・チョンヒ;Bae Chun-hee)は、彼女が日本の兵士とのロマンスの思い出を語ってくれた。そして、彼女は彼女を売った父親が憎いと言った。
 
彼女はまた、そこにいる女性たちが、挺対協が虚偽の証言をするように指導することを評価できるとは思えなかったが、挺対協の命令に従わなければならないと言った。1995年に日本がアジア女性基金を通じて補償金の支払いを申し入れた時、61人の元韓国の慰安婦が挺対協の命令に反して補償を受けた。<br><br>
 
その結果、彼女ら61人は裏切り者として罵倒された。彼女らは売春婦として、彼女らの名前と住所とともに新聞に掲載され、残りの人生を不名誉の烙印を押されて暮らさなければならなかった。そのため、残りの女性たちは挺対協を恐れ、再び彼らの意思をあえて無視するつもりはない。
 
挺対協(何人かは北朝鮮のスパイとして逮捕された)は、慰安婦問題を日米韓の安全保障関係に楔を打ち込むために、政治利用してきたのである。
 
§慰安所   
 
戦争時時として兵士たちは罪のない女性を強姦する。このようなことの無いように、日本軍は1930年代初期の満州において既存の売春宿を慰安所として用いた。その方針が中国本土や東南アジアに広がるに伴い、より多くの慰安所が必要になった。 
 
そこで売春を事業とする男たちは、増加する需要に対応するために女性を募集し、慰安所を運営した。日本の業者は日本で女性を募集した。彼らは日本女性を雇い慰安所を所有し運営した。同様に、朝鮮の業者は朝鮮で女性を募集雇用して、慰安所を所有運営した。(注釈3,4参照)
 
§二つのタイプの慰安婦
 
慰安婦にも二通りあった。一つは日本及び朝鮮の婦人(両方共日本国市民)で全体の95%以上を占めており、慰安所経営者らにより募集された人たちであり、日本軍により強制されたわけではない。もう一つのタイプは、戦場で日本兵により強制的に慰安婦とされた婦人たち(例えばインドネシアでのオランダ人女性、フィリピンでのフィリピン女性など)であり、5%に満たない。これらに関与した日本兵士は、裁判(軍事裁判及び東京裁判:訳者注)により裁かれ何人かの兵士はその罪により処刑された。 
 
これら二つのタイプ慰安婦は峻別されるべきだった。しかし、慰安婦が問題化した1990年代初頭には、両者は混同され、そのことが大きな混乱を引き起こした。 
 
§朝鮮人女性らが日本軍により強制的に慰安婦にされたという作話
 
1990年代の始めに慰安婦であったと主張した婦人たちは戦争中に挺身隊に属していた。挺身隊は日本軍により徴用された婦人たちであり、軍需工場で軍用装置や軍用服などの製造に従事した。彼女は徴用されたので、慰安婦も同様に徴用されただろうと考えた。彼女がその話を作ったというよりも、無知による勘違いであった。 
 
朝鮮人慰安婦たちの殆どは、彼女らの父親により朝鮮人慰安所運営者に売られた。いくらかの朝鮮人婦人たちは、慰安所運営者のエージェントらに騙された。そしてその他の朝鮮人元慰安婦は世界最古の職業を生業とする人たちであり、良い稼ぎを求めて自ら応募した。
 
§20万人に上る慰安婦がいたという作り話
 
20万人という数字は、徴用工として工場で働かされた人の数である。この内、15 万人は日本人、5万人は朝鮮人であった。西欧諸国一般に広まった「20万人の慰安婦がいた」という誤解は、朝日新聞が慰安婦と工場での徴用工である挺身隊とを取り違え、1991811日の記事にそのように書いたのが始まりである。慰安婦の人数として見積もられた数は、5000人から20000人であり、見積もった歴史家により異る。 
 
§日本兵と朝鮮人慰安婦との関係
 
朝鮮人慰安婦の典型的な稼ぎはひと月あたり750円にチップを加えた額であった。因みに朝鮮で当時家1軒の建築費は1000円であった。寛大に呉れるチップを目的にパーティーで歌ったりする人もいた。女性たちは兵や司令官らと一緒に、スポーツの催し、ピクニック、社交ディナーなどに参加した。町へのショッピングも許されていた。朝鮮人慰安婦と日本兵とのロマンスは普通のことであり、結婚の申し込みも多くあり、実際に結婚に至ったケースもあった。 
 
§1965年の日本—韓国間条約(日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定)
 
日韓基本条約の交渉中、日本政府は被害者補償の確認をしたいので、韓国政府に個人補償の特定と基本条約からの分離を要求したが、韓国政府はそれを断り、完全な補償として8億ドル(現在の100億ドル以上)を市民に代わって受け取り、全てをインフラ整備に使った。従って、韓国政府が追加の補償を日本に要求し続ける根拠はない。(注:韓国被害者らは最近韓国政府を800万ドルは彼らのためであると訴訟をおこなった。)  
 
§1993年発表の河野談話 
 
河野談話はいくらかの朝鮮慰安婦は強制されたことを認めた。しかし、それは日本軍による強制だとは認めていない。ある人たちはもし朝鮮人慰安婦が朝鮮人業者により強制されたのなら、何故日本政府が河野談話という形で謝らなければならないのかと疑問を呈するだろう。そうだ、日本軍の中国と東南アジアに対する侵略が慰安婦を必要としたのだ。だから、日本軍が朝鮮人婦人に慰安婦を強制しなくても、慰安所を運営しなくても、婦人たちの苦しみに対して部分的な責任を負うのだ。 
 
§アジア女性基金  
 
アジア女性基金は1995年に日本政府により設立された。補償金は日本首相の個人的お詫びの手紙とともに手渡された。朝鮮(この場合は韓国)婦人の立場からは、日韓基本条約により個人の請求権が(国内のものとして)解決された後にも、日本政府が韓国の元慰安婦の方々に好意的な姿勢としてアジア基金を用意したのである。 
 
皮肉なことに韓国以外の国々は、アジア女性基金からの補償金を受取り、和解した。(注:韓国政府と韓国慰安婦はアジア女性基金の補償金を受け取ることに賛成であったが、反日過激派の挺対協はこの件を反日プロパガンダに使い続けるために、韓国慰安婦を受けないように脅した。そのような事情で殆どの韓国人慰安婦は日本の謝罪と補償を受けることができなかった。) 


§何故韓国との間だけ、慰安婦問題の解決がそれほど難しいのか?

 
挺対協は謝罪と補償が法的なものではないという根拠で、アジア女性基金に反対した。しかし、1965年の日韓基本条約等で個人補償は全て法的に解決済であることを考えると、アジア女性基金は日本政府が出来るベストなことであった。挺対協は北朝鮮と大変近い関係を持っている。リーダーの夫を含め何人かのメンバーが北朝鮮のスパイとして逮捕された。
 
挺対協がアジア女性基金に反対するのは、慰安婦の件を日本と韓国の和解をブロックに使うためであった。挺対協は1992年以来、毎週ソールの日本大使館前で「水曜抗議」を開催している。
 
反日活動家“挺対協”(軍の性奴隷として徴用された婦人のための韓国委員会)と北朝鮮の関係:
 
Yun Mi-Hyang(Chairwoman)2013年に北朝鮮のために働いているとして調査された。 
Kim Sam-Suk (YunMi-Hyangの夫) 1993年に北朝鮮のスパイとして逮捕 
Kim Eun-Ju (KimSam-Sukの姉妹)1993年に北朝鮮のスパイとして逮捕 
Choi Gi-Yong(Kim Eun-Juの夫) 2006年に北朝鮮スパイとして逮捕 
Lee Seok-Gi (挺対協メンバー) 2013年に北朝鮮スパイとして逮捕


§世界はどう見ているのか

 
日本の謝罪と補償を受け入れて和解する代わりに、挺対協と米国の関係者は元朝鮮人慰安婦(現在90代)を世界各国を連れ回って見せつけることで訴えた。そして、クマラスワミ報告などの国連の報告や米国下院121号議決などは、北朝鮮と緊密に連携した反日活動家の提供した資料に基いて出された。(挺対協の指導による嘘の証言など) 
 
西側諸国のメディアや学者は反日活動家のプロパガンダに陥落して、”20万人の朝鮮人婦人が日本軍により強制的に拉致された”と信じている。明らかにこの世界の見方は事実に基づいていない。確かに日本兵はオランダ人とフィリピン人をインドネシアとフィリピンの戦場で脅して連れ去った。しかし、朝鮮の婦人は日本軍に強制的に慰安婦にされたわけではない。何故なら、朝鮮半島は戦場ではなく、日本兵はわずかであり大多数の警察官は朝鮮人であったからである。 
 
日本は謝罪し償いをおこなった。そしてオランダとインドネシア、そしてフィリピンは日本の謝罪を受け入れ日本と和解した。したがって、これらの国々と日本の間に慰安婦問題は存在しない。慰安婦問題は韓国との間だけ残っている。それは挺対協が日本との和解を拒否し、嘘の主張——20万人婦人が日本軍によって慰安婦に強制されたーを世界中で続けているからである。
 
挺対協は韓国における非常に強力な活動グループであり、それに逆らえば韓国の政治家は殺すと脅されている。韓国政府はこの問題が解決されるためには、とにかく挺対協と距離をとらなければならない。結局、挺対協は元朝鮮人慰安婦の福祉などには関心がないのである。その目的は日本の信用を落とすことであり、日本と韓国の和解を邪魔することである。 


§帝国と慰安婦 

 
ヨーロッパの強国や日本により過去に帝国が作られたように、米国は世界中に軍事基地を置いている。そして、米軍基地がおかれているところはどこであれ、米国軍関係者に性を提供する女性たちがいる。ベトナムやイラクなどへの米国軍の介入は、現地の人々特に女性を苦しめることに疑いはない。米国が日本批判決議を出し続け、慰安婦像が米国で建ち続けるのは、むしろ皮肉的である。
 
日本は帝国主義(中国や東南アジアへの侵略)が慰安婦の需要を作ったため部分的に有罪である。しかし、韓国の物語(日本軍が戸口に来て若い朝鮮人女性を誘拐した)のようなことは起こらなかった。朝鮮人ビジネスマン(慰安所所有者)がその需要を目標に投資し、朝鮮人婦人を募集し、慰安所を運営して、たくさんのお金をもうけた。日本は自分の部分については謝罪した。韓国はその共謀をみとめ、日本から更に多くの謝罪を求めるべきではない。 
 
脚注:
朴裕河教授の著書「帝国の慰安婦」は韓国での出版を禁止された。また朴教授は反日活動家により名誉毀損で訴えられると同時に頻繁に殺害するという脅しを受けている。韓国では、政府が都合の悪い真実を語るものを捕獲するために市民グループを時々使う。現在朴教授が韓国で迫害をうけることなく何かを出版することは非常に困難な情況である。彼女の本は他のアジア諸国では購入可能である。 
 
注釈:
 
1)以下のサイトは元慰安婦のムンオクチュ(Mun Oku-chu)さんの回想録です。慰安婦であることとはどのようなことかが分かります。
 
(翻訳者の注釈:上記は表題回想録として書かれた本からの抜粋のようである。以下から入手可能なようである。ただし朝鮮語。http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9788991066106&orderClick=LAA)
 
 
2)米軍は、日本軍に所属した何百人もの韓国捕虜を尋問した。 彼らは慰安所を頻繁に訪れた経験があり、韓国の慰安婦について以下のように述べた。
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上記秘密の記録は、以下のように読める。
「捕虜が太平洋地域で見た韓国のすべての売春婦は、ボランティアであったか、両親から売られて売春婦となった。朝鮮風の考え方からは正当なものだろう。もしそうでなく、日本人が女性を慰安婦としての直接徴用すれば、年齢に関係なく男性は怒りで後の影響を考えずに日本人を殺してしまうだろう」 
 

アメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨンは、「第二次世界大戦中の韓国人の臆病者だったのか?」という記事を書いている。
https://www.facebook.com/MichaelYonFanPage/posts/10152528332430665:0

(訳者注:つまり、強制連行を示すものは何もでなかったということ。後ほど紹介する予定。)