(帝国の慰安婦)の著者である韓国Sejong大学の朴裕河氏のブログと思われる記事(2016年4月)が掲載されているサイトを見つけた。英語で書かれていること、そして著作権の留保の意思が特別に表明されていないので、ここに和訳をして掲載する。なお、Korea及びKoreanの訳は全て朝鮮及び朝鮮人、South Koreaの訳は韓国とします。感想及びコメントは、翻訳が終わった後に記載します。表題を朴裕河さんのブログとしましたが、それは元の記事が「"Comfort Women of the Empire" by Professor Park Yuha」だからです。朴裕河さんの本の内容よりは幾分日本の保守系の意見に近いと感じました。ブログの主のハンドルネームはKorean institute of historyです。)以後()内に理解を助けるための訳者の注釈文が入る場合があります。
 
(ブログサイトの容量の都合上、注釈は入りませんでした。それらは分割して投稿した記事をご覧ください。或いは姉妹サイトで全体をご覧ください。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/07/blog-post_15.html

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 "ComfortWomen of the Empire" by Professor Park Yuha


"ComfortWomen of the Empire" (帝国の慰安婦)は韓国Sejong大学の朴裕河教授 によって書かれた。どうかこの本のニューヨークタイムズの書評を合わせてお読みください.: http://goo.gl/tKcbxg

 
日本留学の終わり近くの1991年に、私は初めて慰安婦問題を知った。当時ボランティアとして、私はNHKの依頼で韓国の元慰安婦の証言を翻訳していた。私が韓国に帰国したとき、韓国のナショナリズムは制御不能な状態でした。そして、韓国共産主義者により、反日活動家グループ「軍事性奴隷制として徴用された女性のための韓国委員会」(挺対協)が結成された。その指導者は、公然と、今後200年間日本を卑しめることに決めたと述べた。
 
そのプロパガンダは私のこの問題への関心を失わせ、何年もこの問題から離れることになった。2000年代初頭、挺対協が生き残った元慰安婦女性をナヌムの家という養護施設に閉じ込めていると聞き、私は再びこの問題に関心を持ち出した。これらの女性が外部と話すことが許された唯一の時期は、挺対協が国連特別審査官または米国の政治家への彼女らの証言を必要としたときだった。 
 
しかしある理由で、私は2003年のある日、彼女らと話すことが許可された。私は、彼女らがこの場所に閉じ込められいることが、幸せではないと感じることが出来た。女性の一人(ペ・チョンヒ;Bae Chun-hee)は、彼女が日本の兵士とのロマンスの思い出を語ってくれた。そして、彼女は彼女を売った父親が憎いと言った。
 
彼女はまた、そこにいる女性たちが、挺対協が虚偽の証言をするように指導することを評価できるとは思えなかったが、挺対協の命令に従わなければならないと言った。1995年に日本がアジア女性基金を通じて補償金の支払いを申し入れた時、61人の元韓国の慰安婦が挺対協の命令に反して補償を受けた。<br><br>
 
その結果、彼女ら61人は裏切り者として罵倒された。彼女らは売春婦として、彼女らの名前と住所とともに新聞に掲載され、残りの人生を不名誉の烙印を押されて暮らさなければならなかった。そのため、残りの女性たちは挺対協を恐れ、再び彼らの意思をあえて無視するつもりはない。
 
挺対協(何人かは北朝鮮のスパイとして逮捕された)は、慰安婦問題を日米韓の安全保障関係に楔を打ち込むために、政治利用してきたのである。
 
§慰安所   
 
戦争時時として兵士たちは罪のない女性を強姦する。このようなことの無いように、日本軍は1930年代初期の満州において既存の売春宿を慰安所として用いた。その方針が中国本土や東南アジアに広がるに伴い、より多くの慰安所が必要になった。 
 
そこで売春を事業とする男たちは、増加する需要に対応するために女性を募集し、慰安所を運営した。日本の業者は日本で女性を募集した。彼らは日本女性を雇い慰安所を所有し運営した。同様に、朝鮮の業者は朝鮮で女性を募集雇用して、慰安所を所有運営した。(注釈3,4参照)
 
§二つのタイプの慰安婦
 
慰安婦にも二通りあった。一つは日本及び朝鮮の婦人(両方共日本国市民)で全体の95%以上を占めており、慰安所経営者らにより募集された人たちであり、日本軍により強制されたわけではない。もう一つのタイプは、戦場で日本兵により強制的に慰安婦とされた婦人たち(例えばインドネシアでのオランダ人女性、フィリピンでのフィリピン女性など)であり、5%に満たない。これらに関与した日本兵士は、裁判(軍事裁判及び東京裁判:訳者注)により裁かれ何人かの兵士はその罪により処刑された。 
 
これら二つのタイプ慰安婦は峻別されるべきだった。しかし、慰安婦が問題化した1990年代初頭には、両者は混同され、そのことが大きな混乱を引き起こした。 
 
§朝鮮人女性らが日本軍により強制的に慰安婦にされたという作話
 
1990年代の始めに慰安婦であったと主張した婦人たちは戦争中に挺身隊に属していた。挺身隊は日本軍により徴用された婦人たちであり、軍需工場で軍用装置や軍用服などの製造に従事した。彼女は徴用されたので、慰安婦も同様に徴用されただろうと考えた。彼女がその話を作ったというよりも、無知による勘違いであった。 
 
朝鮮人慰安婦たちの殆どは、彼女らの父親により朝鮮人慰安所運営者に売られた。いくらかの朝鮮人婦人たちは、慰安所運営者のエージェントらに騙された。そしてその他の朝鮮人元慰安婦は世界最古の職業を生業とする人たちであり、良い稼ぎを求めて自ら応募した。
 
§20万人に上る慰安婦がいたという作り話
 
20万人という数字は、徴用工として工場で働かされた人の数である。この内、15 万人は日本人、5万人は朝鮮人であった。西欧諸国一般に広まった「20万人の慰安婦がいた」という誤解は、朝日新聞が慰安婦と工場での徴用工である挺身隊とを取り違え、1991811日の記事にそのように書いたのが始まりである。慰安婦の人数として見積もられた数は、5000人から20000人であり、見積もった歴史家により異る。 
 
§日本兵と朝鮮人慰安婦との関係
 
朝鮮人慰安婦の典型的な稼ぎはひと月あたり750円にチップを加えた額であった。因みに朝鮮で当時家1軒の建築費は1000円であった。寛大に呉れるチップを目的にパーティーで歌ったりする人もいた。女性たちは兵や司令官らと一緒に、スポーツの催し、ピクニック、社交ディナーなどに参加した。町へのショッピングも許されていた。朝鮮人慰安婦と日本兵とのロマンスは普通のことであり、結婚の申し込みも多くあり、実際に結婚に至ったケースもあった。 
 
§1965年の日本—韓国間条約(日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定)
 
日韓基本条約の交渉中、日本政府は被害者補償の確認をしたいので、韓国政府に個人補償の特定と基本条約からの分離を要求したが、韓国政府はそれを断り、完全な補償として8億ドル(現在の100億ドル以上)を市民に代わって受け取り、全てをインフラ整備に使った。従って、韓国政府が追加の補償を日本に要求し続ける根拠はない。(注:韓国被害者らは最近韓国政府を800万ドルは彼らのためであると訴訟をおこなった。)  
 
§1993年発表の河野談話 
 
河野談話はいくらかの朝鮮慰安婦は強制されたことを認めた。しかし、それは日本軍による強制だとは認めていない。ある人たちはもし朝鮮人慰安婦が朝鮮人業者により強制されたのなら、何故日本政府が河野談話という形で謝らなければならないのかと疑問を呈するだろう。そうだ、日本軍の中国と東南アジアに対する侵略が慰安婦を必要としたのだ。だから、日本軍が朝鮮人婦人に慰安婦を強制しなくても、慰安所を運営しなくても、婦人たちの苦しみに対して部分的な責任を負うのだ。 
 
§アジア女性基金  
 
アジア女性基金は1995年に日本政府により設立された。補償金は日本首相の個人的お詫びの手紙とともに手渡された。朝鮮(この場合は韓国)婦人の立場からは、日韓基本条約により個人の請求権が(国内のものとして)解決された後にも、日本政府が韓国の元慰安婦の方々に好意的な姿勢としてアジア基金を用意したのである。 
 
皮肉なことに韓国以外の国々は、アジア女性基金からの補償金を受取り、和解した。(注:韓国政府と韓国慰安婦はアジア女性基金の補償金を受け取ることに賛成であったが、反日過激派の挺対協はこの件を反日プロパガンダに使い続けるために、韓国慰安婦を受けないように脅した。そのような事情で殆どの韓国人慰安婦は日本の謝罪と補償を受けることができなかった。) 


§何故韓国との間だけ、慰安婦問題の解決がそれほど難しいのか?

 
挺対協は謝罪と補償が法的なものではないという根拠で、アジア女性基金に反対した。しかし、1965年の日韓基本条約等で個人補償は全て法的に解決済であることを考えると、アジア女性基金は日本政府が出来るベストなことであった。挺対協は北朝鮮と大変近い関係を持っている。リーダーの夫を含め何人かのメンバーが北朝鮮のスパイとして逮捕された。
 
挺対協がアジア女性基金に反対するのは、慰安婦の件を日本と韓国の和解をブロックに使うためであった。挺対協は1992年以来、毎週ソールの日本大使館前で「水曜抗議」を開催している。
 
反日活動家“挺対協”(軍の性奴隷として徴用された婦人のための韓国委員会)と北朝鮮の関係:
 
Yun Mi-Hyang(Chairwoman)2013年に北朝鮮のために働いているとして調査された。 
Kim Sam-Suk (YunMi-Hyangの夫) 1993年に北朝鮮のスパイとして逮捕 
Kim Eun-Ju (KimSam-Sukの姉妹)1993年に北朝鮮のスパイとして逮捕 
Choi Gi-Yong(Kim Eun-Juの夫) 2006年に北朝鮮スパイとして逮捕 
Lee Seok-Gi (挺対協メンバー) 2013年に北朝鮮スパイとして逮捕


§世界はどう見ているのか

 
日本の謝罪と補償を受け入れて和解する代わりに、挺対協と米国の関係者は元朝鮮人慰安婦(現在90代)を世界各国を連れ回って見せつけることで訴えた。そして、クマラスワミ報告などの国連の報告や米国下院121号議決などは、北朝鮮と緊密に連携した反日活動家の提供した資料に基いて出された。(挺対協の指導による嘘の証言など) 
 
西側諸国のメディアや学者は反日活動家のプロパガンダに陥落して、”20万人の朝鮮人婦人が日本軍により強制的に拉致された”と信じている。明らかにこの世界の見方は事実に基づいていない。確かに日本兵はオランダ人とフィリピン人をインドネシアとフィリピンの戦場で脅して連れ去った。しかし、朝鮮の婦人は日本軍に強制的に慰安婦にされたわけではない。何故なら、朝鮮半島は戦場ではなく、日本兵はわずかであり大多数の警察官は朝鮮人であったからである。 
 
日本は謝罪し償いをおこなった。そしてオランダとインドネシア、そしてフィリピンは日本の謝罪を受け入れ日本と和解した。したがって、これらの国々と日本の間に慰安婦問題は存在しない。慰安婦問題は韓国との間だけ残っている。それは挺対協が日本との和解を拒否し、嘘の主張——20万人婦人が日本軍によって慰安婦に強制されたーを世界中で続けているからである。
 
挺対協は韓国における非常に強力な活動グループであり、それに逆らえば韓国の政治家は殺すと脅されている。韓国政府はこの問題が解決されるためには、とにかく挺対協と距離をとらなければならない。結局、挺対協は元朝鮮人慰安婦の福祉などには関心がないのである。その目的は日本の信用を落とすことであり、日本と韓国の和解を邪魔することである。 


§帝国と慰安婦 

 
ヨーロッパの強国や日本により過去に帝国が作られたように、米国は世界中に軍事基地を置いている。そして、米軍基地がおかれているところはどこであれ、米国軍関係者に性を提供する女性たちがいる。ベトナムやイラクなどへの米国軍の介入は、現地の人々特に女性を苦しめることに疑いはない。米国が日本批判決議を出し続け、慰安婦像が米国で建ち続けるのは、むしろ皮肉的である。
 
日本は帝国主義(中国や東南アジアへの侵略)が慰安婦の需要を作ったため部分的に有罪である。しかし、韓国の物語(日本軍が戸口に来て若い朝鮮人女性を誘拐した)のようなことは起こらなかった。朝鮮人ビジネスマン(慰安所所有者)がその需要を目標に投資し、朝鮮人婦人を募集し、慰安所を運営して、たくさんのお金をもうけた。日本は自分の部分については謝罪した。韓国はその共謀をみとめ、日本から更に多くの謝罪を求めるべきではない。 
 
脚注:
朴裕河教授の著書「帝国の慰安婦」は韓国での出版を禁止された。また朴教授は反日活動家により名誉毀損で訴えられると同時に頻繁に殺害するという脅しを受けている。韓国では、政府が都合の悪い真実を語るものを捕獲するために市民グループを時々使う。現在朴教授が韓国で迫害をうけることなく何かを出版することは非常に困難な情況である。彼女の本は他のアジア諸国では購入可能である。 
 
注釈:
 
1)以下のサイトは元慰安婦のムンオクチュ(Mun Oku-chu)さんの回想録です。慰安婦であることとはどのようなことかが分かります。
 
(翻訳者の注釈:上記は表題回想録として書かれた本からの抜粋のようである。以下から入手可能なようである。ただし朝鮮語。http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9788991066106&orderClick=LAA)
 
 
2)米軍は、日本軍に所属した何百人もの韓国捕虜を尋問した。 彼らは慰安所を頻繁に訪れた経験があり、韓国の慰安婦について以下のように述べた。
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上記秘密の記録は、以下のように読める。
「捕虜が太平洋地域で見た韓国のすべての売春婦は、ボランティアであったか、両親から売られて売春婦となった。朝鮮風の考え方からは正当なものだろう。もしそうでなく、日本人が女性を慰安婦としての直接徴用すれば、年齢に関係なく男性は怒りで後の影響を考えずに日本人を殺してしまうだろう」 
 

アメリカのジャーナリスト、マイケル・ヨンは、「第二次世界大戦中の韓国人の臆病者だったのか?」という記事を書いている。
https://www.facebook.com/MichaelYonFanPage/posts/10152528332430665:0

(訳者注:つまり、強制連行を示すものは何もでなかったということ。後ほど紹介する予定。)