1)現在多くの先進国は、民主主義政治を採用していると言われている。民主主義とは英語のdemocracyの翻訳であり、普通の人々が国を統治するシステムのことである。(補足1)
 
“複雑で高度な社会構造をもつ現在の国家を、どうして民主主義という大衆に最終権力を置く統治方法で運営できるのか?”と言う疑問に対する答えを見つけようと考えても、あまり優秀でない頭の所為か、どうしても見つからないのである。半年前にニーチェの“アンチクリスト”を読み、その感想をブログに書いた。その中での議論を少し繰り返すところからスタートする。
 
人間は自然と三つの異なるタイプに分かれる。精神が優れた少数の人、筋肉や気性が特別に強い人、それ以外の大多数は凡人である。ごく少数の選ばれた精神に優れた人には「幸福」、「美」、「善意」などを地上に実現させたり味わったりする義務と特権がある。一方凡人には、社会が定めたルールに従う義務と、自分たちの生命に基づく醜さを鋭く捉える眼、社会に対して不満をいう“特権”がある。
 
もっとも精神的な人間は、自分の立場に対する自覚を持っている。所謂ノブレスオブリージュ(noblesse oblige)である。彼らは、担う重い課題を、自分たちの特権と見なす。彼らは人々(社会)を支配するが、彼らがそうしたいからではなく、彼らの存在がそもそもそういうものなのである。その下に、支配を行う時のゴタゴタした問題を引き受ける人(専門家)が存在する。
 
このように人間が区別され、其々に義務と特権があるのは自然である。何故なら、人は社会を作って生きる遺伝子を持って生まれ、高度な社会は必然的にピラミッドの様な構成を持つからである。これら全ての人は、社会の歯車になって働くのは自然であり、何かをする能力があると感じる幸福感がそれを支えている。その共通した特性は、社会を作って生きるヒトの遺伝子に由来する。ニーチェの批判の対象は、その健全なる社会に、悪しき平等の原理を多数の下層の人間に教え込み、この自然な社会を破壊する宗教であった。
 
ところで、全く同様の記述を別の著者の本にみた。オルテガ・イ・ガセットの「大衆の叛逆」である。そこにはこう書かれている。“ある少数者たちが、全ての人間は生まれたと言うだけの事実によって、ある種の基本的な政治的権利、つまり、いわゆる基本的人権と市民権をもっているものであり、その為には何ら特殊な資質を備える必要がないこと、しかも、それら万人に共通した権利こそが存在しうる唯一の権利であることを発見した。
 
かくして、特殊才能に関連した他の一切の権利は、特権として非難されることになった。”(大衆の反逆、P28)前節の語尾“発見した”は、オルテガがその少数者とは別種の人間であると主張しつつ、批判的に述べていることを示している。(補足2)
 
2)文明が飛躍的に発展した1819世紀において、人類は新しい社会を探すための旅を開始した。しかし、目的地が明確でないため、古い社会の否定の反跳とする他なかったのだろう。ニーチェは、共通の時間座標に於いてキリスト教を批判するのではなく、過去においてキリスト教の果たした役割を認め、その退役すべき時が訪れたと書くべきだったのだろうと私は思う。
 
オルテガの本に戻るが、そこには以下のような記述(要約)がある。“我々人間の生とは、あらゆる瞬間において自分の可能性を意識することである。そして、そのあらゆる生の可能性を集積したものが、世界である。つまり、世界とは我々の生の外周である。”(同PP54-55
 
文明の飛躍的発展(19世紀)以前の民衆にとって生とは(経済的にも肉体的にも)重苦しい運命だったのである。生まれながらにして、生きるということを耐え忍ぶ以外方法のない障害の堆積という風に感じ、それら障害に適応する以外に解決を見いだせないままに、自分たちに残された狭小な空間に住み着く以外に仕方がないと感じていたのである。(同P77
 
これらオルテガの人間の生に関する思想を受け入れ、その上で上記一神教を考えると、それは大昔に「選ばれし智者により考え出された大衆のための物語である」との結論を得る。つまり、それには重苦しい運命を耐え忍ぶ大衆のために壮大な物語を提供して、生きる勇気を与える役割があったと私は考える。
 
科学技術文明の飛躍的発展は、人の生を飛躍的に増大させた。つまり、上記選択肢としての世界の拡大である。自分たちの生の外周を十分意識するまでに至っていない人間は、“今日の人間が古い伝統をもった文明の真只中に突然飛び出した原始人といった感じを与える”ことになったのである。
 
換言すれば、科学技術文明は大衆に近代生活の技術しか教えず、大衆を敎育することはついにできなかったのである。大衆はより強力に生きる道具は与えられたが、偉大なる歴史的使命にたいする感受性は授けられなかった。(同、P70
 
つまり、精神的少数者により考え出された至上の特権である、人権と市民権を持ちながら、その行使の方法をしらないままで大衆は主権者の位置に座っているのが、現在の民主政治の形だと思う。20世紀にその不安定な社会の政治制度は、大衆に悲劇をもたらした。共産主義やファシズムの誕生と戦争による社会の破壊である。
 
その失敗と並行して作りだされたのが、世渡りに長けた人たちによる、慎重で欺瞞的な国家支配の方法である。現代という時代は、それら支配者が大衆に主権者という幻の椅子を提供し、大衆にマスコミを用いて民主主義の劇を見せることで、大衆の怒りと不安を最小にすべく統治のシステムを改良するという保守主義の時代なのだろう。
 
労働時間の短縮と高等教育の浸透が行き渡った現在あるいは近い将来、上記“歴史的使命に対する感受性”を獲得することはありえないだろう。何故なら、人(つまり大衆)は益々傲慢になり、与えられた人権と市民権に酔っているように見えるからである。最近も話題になった、「保育園落ちた、日本死ね」の言葉はそれを暗示している。
 
その中で新しい政治システムの実験が中国で行われている。一部エリート層が政党をつくり、そのなかで支配者を選ぶというシステムである。このシステムは共産主義から鬼子的に誕生したため、その経験から脱却できる期間が必要である。現在は、大衆を支配する大きな力が必要だが、それが暴力的なものから法や規則によるものに変化して、成功をおさめるような気がする。
 
(正直言って、大衆の反逆は読了していない。読み終わった時に必要を感じたなら、再び書いてみたいと思っている。)
 
補足:
1)democracyは語源としてdemos(普通の人々)kratos(ルール、力)を持つ。普通の人々が国家権力を構成し、統治する意味になる。
2)微妙なレトリックであるが、同種の用法として「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」がある。つまり、ネイティヴ・インディアンはアメリカ大陸を当然知っているのだが、文章を書いた主は彼らを別種の人間と認識しているからである。つまり、オルテガは精神的に優れた人として、この本を書いていると言う意味である。
1)昨夜のBSプライムニュースでの北朝鮮問題に関する議論を聴いた(ネット配信版)。ゲスト出席者は櫻井よしこ氏、田中均氏、武藤正敏氏(元駐韓大使)であった。88分間の議論前半の55分間は視聴したが、本質的な話が出来ていないように思ったため、その後は見ることが出来なかった。
 
ゲスト達の議論の前提には、幾つもの欠陥がある。その前提でいくら議論しても正しい、つまり日本国民にとって有益な、結論には到達しない。従って、私にとって非常に退屈な話でしかなかった。
 
田中氏が後半部分で、六者協議での2005年9月の合意として以下のようなことを紹介した。それは「北朝鮮との米国等との平和条約締結、国交正常化及び経済協力は、検証できる形での核兵器放棄を条件に行う」ということであった。しかし、この紹介にはいろんな歪曲がある(補足1)。この重要な話を、歪曲して紹介するようでは話にならない。

彼らは、緊急的課題となった北朝鮮の核兵器による威嚇に関して、もっと踏み込んだ話をしなければならない時に、上記田中氏が六者協議の合意事項として紹介した話を周って堂々巡り的議論をしていたのである。

それは、不可能だと分かったことについて、それをどう可能にするかと議論するようなものである。つまり、最初に書いたように、狭い枠内に問題を閉じ込めて議論しているから堂々巡りになるのは当然なのである。
2)以下にゲスト達の議論の不十分な点をあげる。
①オバマ政権のときの米国大統領補佐官であった、スーザン・ライスの「現状の核装備は認めるということでしか、解決できないのではないか」という話を誰か紹介していたが、「それでは、日本はどうしようもない」と話すだけであった。現在、北朝鮮問題を議論する場合、それが一つのメインな話題である筈のことを、いとも簡単に捨て去っているのである。
②北朝鮮の核武装&威嚇問題についての中国の責任については重要だとして議論されているが、ロシアについては単に付け足しとして、言及されているだけであった。現在、北朝鮮問題解決の鍵はロシアが持っていると思うのだが、それを全く無視しては話にならない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43398865.html
③中国を単一の人格的に扱っているが、北朝鮮に近い北部戦区では江沢民派が力をもち、そこの軍は習近平の意思では自由に動かないという話など、無視している。
④米国は朝鮮戦争を何故今まで引きずって来たのか、休戦協定に平和条約の締結についての話が書かれているにも拘らず、何故いままで講和しなかったのか等についての議論を避けている。つまり、体制保障のための米朝直接会談が、金日成と金正日時代の北朝鮮の要求だったのだが、それについては殆ど何も言及していない。
3)この番組の評価:
つまり、このような議論をテレビで放送するのなら、ゲストの人選をもう少し慎重にすべきである。何故、馬淵睦夫氏や孫崎亨氏など米国の政治の裏を議論している人たち、そして東アジアの近代史に詳しい人達、中国やロシアの国情に詳しい人などを加え、全角度から問題を眺め議論する番組を作らないのか。
米国大好き人間ばかり集めて、しかも日本の核装備の可能性を排除して、現在の北朝鮮危機を議論しても何も出てこないだろう。つまり、米国は今まで東アジアで覇権を確保するために、朝鮮戦争を終結しなかったことが、北朝鮮を威嚇してきたのである。それが北朝鮮が核兵器開発に国家の命運を賭ける理由である。それを全く無視して、まともな話など出来る訳がない。
昨日配信された田中宇氏の国際ニュースでは、現時点では日本と韓国の核武装を議論する段階であるとの話が、米国の外交専門家の間で次々と出ているという。しかし、日本でこの議論を避けるのは、対米従属による権力維持の永続を望む官僚機構が、日本独自の核武装に反対しているからだと書いている。対米従属型の官僚独裁を主導してきた日本外務省とその傀儡「専門家」たちは、核武装論になると、急に平和主義者として振る舞い、核武装に強く反対する。http://tanakanews.com/170910japan.htm
実際、自民党次期総理かと噂されている石破茂氏が、日本への核持ち込みを議論している。そんな時に、米国大好き人間の元外務官僚と櫻井よしこ氏のみを招いて、北朝鮮問題を「北朝鮮に核兵器を放棄させるにはどうするか」という視点からのみ議論する意図は何なのか。
補足:
1)合意事項を要約すると、①北朝鮮は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、米国と韓国は韓国内に核兵器を持たない、米国は北朝鮮を攻撃したり侵略したりしない。②北朝鮮と米国は国交を正常化するための措置をとる。北朝鮮と日本は平壌宣言に従って、国交正常化の為の措置をとる。③6者は二国間、多国間で経済協力を推進することを約した。④六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する。ただ、時期については明確な合意はなされていない。
また、それらの間の前後関係や相互関連は書かれていない。ただ、5番目の項目に、“「約束対約束、行動対行動」の原則に従い、前記の意見が一致した事項についてこれらを段階的に実施していくために、調整された措置をとることに合意した”と非常に分かりにくい書き方で関連性が無いわけではないと記しているだけである。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html
(21:15分に編集:本文最後の節の一部修正、補足の文献引用の位置を変更)
北朝鮮問題を議論する部分を視聴した。ゲストは中谷元氏と丹羽宇一郎氏であった。以下に私の主観で要点をまとめる。
 
丹羽氏の意見:
 
北朝鮮への石油禁輸などの制裁が議論されている。しかし石油禁輸は北朝鮮の生命線を断つことになり、あの不良少年が”野垂れ死にするくらいなら”と考えて、何をするか分からない。日本がハル・ノートを受け取ったあとの情況と似てくる。ロケット戦争になり、日本の1年以上稼働した原発を攻撃された場合、多量の放射線物質(注:プルトニュウム)が放出されるという恐ろしい事態も考えるべきである。
 
北朝鮮はイラクなどの例もあり、絶対に核兵器を放棄することはないだろう。それに、核保有国9カ国のうち、北朝鮮にだけ放棄しろというのでは説得力がない。全核保有国が例えば2年間、核兵器の開発などを凍結するなどの議論と並行すべきである。
 
戦争体験者に聞き取りを行った経験があるが、全ての人が言うのが「丹羽さん、戦争だけはやめて下さい」という言葉である。石破氏による戦術核の日本国内持ち込みは、やはり戦争に近づく議論であり、避けるべきだと思う。
 
中谷氏の意見:
 
北朝鮮が核を持つことを許されるとしたら、それは日本にとって最悪のシナリオである。日本としては北朝鮮の核保持は絶対に認められない。米国が考えているレッドラインを北朝鮮は既に超えている。米国は軍事的オプションを背景に圧力をかけるべき。
 
原子力発電に対する対テロ対策など、安全性確保は当然考えなくてはならない。非核三原則は堅持すべきだが、石破氏の米国の核兵器を持ち込むことも議論する必要があるかもしれない。
 
防衛予算の拡大幅を小さくするために、防衛システム整備に関しても、国内調達を増やすべきだと思う。
 
以上のような議論があったと思う。記憶とメモだけに基づいたので(ビデオ録画とその再視聴などはしていない)、完全ではないだろうが、ニアンスを含めてまとめたつもりである。
 
時間が非常に短いこともあり、何時ものように全体的に非常にプアな議論に終わった。特に丹羽氏には、日本国民の生命についての論理の一貫した配慮が全く考えられないのが気になった。「戦争だけはやめてください」という戦争体験者の言葉を殊更ここで言うことが、戦争回避の戦略をたてる為になると思っているのだろうか。日本が戦争を抑止する手段を、有効な多くの手段から考えなくてはならない時に、その選択の幅を狭めさせることになることが分からない筈はなかろう。

つまり、戦争経験者の戦争に対する恐怖を判断力に乏しい大衆に聞かせ、戦争を避ける戦略を含めて、戦争に対する思考を一切停止させる為の発言だと疑う。中国の利益を考えたプロパガンダ的発言ではないかと思ってしまう。この方には、恐らく中国の力が相当及んでいるのだろう。
 
北朝鮮問題は、朝鮮戦争が未だ休戦状態であることが原因である。ここは、米国が先ず朝鮮戦争の終結と北朝鮮との講和を関係国とすべきであると思う。これまでの経緯から、米国に責任があることは明らかなのだが、それに全く言及がないのは、出席者の怠慢なのか知性不足なのか、兎に角そのどちらかだろう。
 
しかし、今となっては、朝鮮戦争の終結だけでは日本国民の安全確保は出来ない。やはり、戦争の出来ない世界の一角に日本を加える工夫として、核兵器の保持が最も大事な手段だろう。その途中の段階として、米国の核兵器の持ち込みとその共同管理まで実現すべきである。以前にも書いたが、韓国、日本、オーストラリア、米国などで環太平洋条約機構をつくり、核兵器の共有を目指すべきだろう。
 
また、原子力発電の爆撃は甚大な被害を出す可能性があるので、防衛の主要課題として今後検討すべきだと思う。