政治を考える上で、国家の成り立ちの経緯を理解することは非常に大事である。現在とるべき政策は、将来の日本の方向を考えて定めるのだが、その為に必須なのは現在の日本が十分理解されていることである。しかし、それは日本国だけの事ではないかもしれないが、時の権力は国家の歴史を隠し、国民から正常な歴史感覚と政治における理解力と判断力を奪っている。
 
日本の近代を知る上で、明治維新の理解は非常に大事である。しかし、そこに大きな歴史の捏造が行われたのでは無いかという疑いが浮上している。(補足1)2年前に、それまでに読んだ本などから、明治維新について整理しブログ記事として書いた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42241483.html
 
今回焦点を当てるのは、愛知県知多郡武豊町にある寂れた神社、玉鉾神社である。そこは、薩長に協力した下級貴族(岩倉具視など)に暗殺されたかもしれない、孝明天皇を祀る神社である。孝明天皇は、薩長の下級武士たちが中心となった倒幕運動において、最も邪魔な存在であった。(補足2)その創建に至る話は異常に思え、孝明天皇暗殺説や明治天皇すり替え説をサポートする情況証拠のように思えるので、ここで紹介したい。
 
異常だと思うのは、孝明天皇を祭祀する神社を新政府は作らなかったことであり、作ることを妨害し、そして出来た神社を冷遇したことである。新政府側が孝明天皇を祀ったのは、1940年(昭和15年)になってからであり、しかも平安神宮の祭神に加えるという形だった。それと対照的なのは、明治天皇の祭祀である。明治神宮が創建されたのは、大正9111日であり、それは天皇没後8年、皇后の没後6年のことである。
 
孝明天皇を祀る神社が無いことを悲しんだのか、一民間人である旭形亀太郎という人が創建を願い出た。旭形亀太郎は、幕末の文久3年に宮中警備隊長になり、蛤御門の変では玉座の守備にあたった人である。(補足3)長い間の運動で漸く正式に許可されたのは、明治32年のことであった。ただし、祭祀されているのは孝明天皇だけではなく、神話時代の神が含まれているとのことである。https://ameblo.jp/zonebalance/entry-12085958158.html
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玉鉾神社をグーグルマップでみると、まともな駐車場も無く、アクセスも悪いように思う。元天皇の神社であるにも拘らず、神宮と呼ばれない寂れた神社である理由は、その維持管理に国家から何の援助もなかったからだと思われる。
 
明治中期以降、日本の神社は社格制度で分類され、それに従って一部は国家から支援をうけた。その社格による分類は、官社、諸社、無格社である。官社は神祇官が祀る官幣社と地方官が祀る国幣社に分けられ、夫々に大、中、小に分類されていた。その中で、玉鉾神社は最低の無格社だった。無格社に支援金は出ない。(補足4)
 
武豊町のホームページには何の紹介記事もなく、http://www.town.taketoyo.lg.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=874&frmCd=4-2-10-0-0
武豊町史の中に他の神社の詳細な記事と比べて、ほとんど何も書かれていない。詳細な記述を避けていると思うのは考えすぎだろうか。http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tak.html#玉鉾神社
 
これらのことを知れば、今まで不思議だったことの説明が簡単に出来ることに気づく。その一つは、明治政府に皇室祭祀の主導権が移されると、南朝関係者を祀る神社の創建・再興や贈位などが行われるようになったことである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%AD%A3%E9%96%8F%E8%AB%96
そして、後醍醐天皇の建武の新政の立役者である楠木正成の像が、現在の皇居(北朝の子孫の宮殿)外苑に設置されている理由も、はっきりと分かる。この件については、以下のブログにかなり書かれている。http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24
 
明治天皇の即位は満年齢で14歳の時である。皇子であったときと即位した明治天皇の体格に大差があるという指摘をする記事も多い。また、何故素早く東京遷都をしたのかという疑問も、すり替え説をとれば簡単に説明できる。孝明天皇が実父でないなら、それを祀る神社を作らず、作らせず、またできた神社を厚遇しない理由も、簡単に説明可能なのである。
 
明治維新と呼ぶに相応しい日本の夜明けなど無かったのではないのか?江戸時代は暗黒の時代などではなかったのだろう。そして、未だに明治から昭和の時代の負の遺産が、現在の四面楚歌の日本の情況を作っているのではないのか。江戸時代は、考えてみれば、今より遥かに地方分権社会であった。(補足1)
 
補足:
1)「明治維新の過ち」を書いた原田伊織氏は、近代史の総括なしに日本の未来はないと言っている。そして、世界は江戸システムに向かっていると書いている。http://manet.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201702_16.pdf 
2)孝明天皇は江戸の官僚組織を頼りにした。そこで、薩長下級武士たちや岩倉具視などの下級貴族は、病気で数日休んだ天皇とその皇子を暗殺し、代わりに長州の田布施地方出身で長州力士隊の一人(大室寅之助)を明治天皇に仕立て上げたという説がある(有力である)。孝明天皇の毒殺説は、半島一利著「幕末史」も支持している。その本の中に、英国外交官だったアーネスト・サトウの日記には、天皇が暗殺されたと明記されているとある。(幕末史、p260)ただ、半藤氏は明治天皇になる筈だった睦仁親王については何も書いていない。
3)旭形亀太郎は力士隊に属し、蛤御門の変で玉座を護った功績により、孝明天皇より天杯等を賜った。下記サイトに、日本相撲協会の『日本相撲史中巻』に、「旭形亀太郎の盡忠」という見出しで、旭形亀太郎について記載しているとある。 
 
4)なお、太田龍著「天皇破壊史」という本には、伊藤博文が玉鉾神社に弾圧した旨の記述がある。(P108)他に文献として、落合莞爾著、「南北朝こそ日本の機密」などがある。
 
(編集:11/1/7:40&10:00)
 
(追記13:00)以下は、安倍総理による衆議院解散を批判するためではなく、そのような解散に対する判断を避けてきた最高裁を批判するために書いた。

1)憲法第41条には、「国会は国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と書かれて居る。しかし、先日の安倍総理による衆議院解散は、内閣不信任案の可決などがなかったにもかかわらず行われた。従って、国権の最高機関をより下位にある内閣が、天皇を利用して(憲法7条)正当な理由もなく解散したことになり、憲法違反であると思う。
 
この件、理由なき解散と言われてきた。内閣に如何なる理由があったとしても、総理大臣の一存で衆議院の解散など憲法の規定によればできない。解散権は総理の大権だという与党議員の声をしばしば聞くが全くのインチキ発言である。もし、内閣が前回選挙の時に現在のような国難というべき事態を国民が考慮していないと考えて、内閣への信任を確認したいのなら、内閣信任案を与党(総理は与党の総裁である)から国会に提出し、国会の決議でそれは行われるべきだと思う。
 
その件についての指摘が憲法に戻って詳細に報道されないのは、この国のマスコミのレベルの低さだと思う。確かに慣例として総理大臣は衆議院を解散する権利を有するとされてきた。小泉首相のときの郵政解散も同種の解散であった。しかし、この慣例にたいして批判が強くないのは、野党議員の無知と日本の法律学者のレベルが異常に低いことが原因だろう。(補足1)
 
この件を憲法の条文に従って、以下復習する。衆議院の解散について記述した憲法の条文は、憲法7条と69条である。憲法7条には、天皇の国事行為に関して次のように書かれて居る。
 
憲法7条:天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1。憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること;2。国会を召集すること;3。衆議院を解散すること;以下省略(他に、国務大臣の任免、栄典授与等が含まれて居る)
 
憲法69条には次のように書かれて居る。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」
 
憲法7条によれば、解散を決定するのは、内閣である。その決定には、69条記載の国会による内閣不信任がなければならない。内閣不信任案の可決や、内閣の信任案の否決がないにもかかわらず、内閣総理大臣が天皇の国事行為の一つとして、衆議院解散を行うように助言と承認を行うのは、明らかに憲法69条に違反する。
 
2)内閣による衆議院の解散が、憲法69条により衆議院で内閣不信任案が可決された場合に限られるのか、それ以外の場合でも認められるのかは、古くから、憲法上の論点とされてきた。その点について議論しているブログがあった。http://ironna.jp/article/620
 
この衆議院で内閣の信任が否定されたことを理由にする解散(憲法69条による解散)ではなく、内閣が一方的に憲法7条を根拠に解散したことは違憲であると主張する裁判が1952年に起こされた。
 
その裁判は、高裁で合憲の判決が出された。その上告審で、最高裁でいわゆる統治行為論を採用し、高度に政治性のある国家行為については法律上の判断が可能であっても裁判所は審査権のそとにあるとし、違憲判断をせずに上告を棄却した。その後、憲法7条による衆議院解散が慣例化したと書かれて居る。ここでも最高裁が屁理屈を担ぎ出して責任を放棄し、日本の政治を悪くしているのである。
 
この国は最高裁の所為でガタガタである。以下のある法律家のブログ記事も参考になる。
1:00編集あり)
 
補足:
1)以前から書いて居るが、日本の大学における文系諸学部のレベルは異常に低い。それは、文系学問での国際交流が活発ではないからだろう。日本の情実人事が無能な人間を大学教授にしているのだろう。「一級の人間は一級の人間を雇う。二級の人間は三級の人間を雇う」という法則の通りである。
1)最近ビットコインが仮想通貨の代表として話題になっている。人によっては、中央銀行の役割を奪い取るのではないかと考えているようだ。しかし、決してそのようなことはないだろう。何故なら、通貨としての本質的に重要な要素を欠いて居ると思うのである。
 
通貨の要素として一番重要なのは、その価値があまり変動しないと人々が信じる根拠を持って居ることである。それは、国家などの安定した大きな組織が価値を保障したり、貨幣そのものに一定の価値が信じられることである。前者が国家や中央銀行が発行する紙幣などが持つ性質であり、後者が金などが貨幣として通用する根拠である。(補足1)他に、商品等と交換する(つまり売買)際の手軽さ、送金の簡便さなども通貨の要素であるが、それは二番目以降の要素である。
 
その様に考えると、ビットコインにはその一番重要な要素が欠けていると思う。送金手段としての簡便性に優れて居るとしても、現在の通貨の代わりをするには、全ての人たちがビットコインに一定の価値を信じ、且つ取引の終了や貯蓄の間に、その価値が大きく変動しないことが必要がある。しかし、ビットコインの価値は大きく変動し、投機目的で売買されているのが現状である。
 
最初に戻るが、紙幣とは一般に国家(正確には中央銀行)がその保持者に対して、額面だけの債務があることを示す証書である。従って、紙幣(貨幣)の信用は、中央銀行(または国家)に対する信用である。(補足2)しかし、ビットコインには世界中の不特定多数がその価値を信じていても、その根拠はそのグループ内の人たちが信じているだけで、外部の人のだれにもその価値を保障する人はいないのである。
 
2)ビットコインでの要素技術として重要なのは、非対称鍵(補足3)を用いる暗号通信を利用していることと、ブロックチェインと呼ばれるビットコインの移動の詳細を完全に記述したしたファイルを、一般の参加者有志(ノードと呼ばれる)全員で共同管理することである。
 
ビットコインの利用は、次の様に進められるだろう。無料のソフト(open source)をネットからダウンロードし、それを自分のパソコンにインストールする。暗号用の自分の秘密鍵とアドレス(公開鍵となる)は、そのソフトでその順に作る。ピットコインの送金は、例えば「自分(アドレスxxxxx)の財布(ウオレット)から0.1BTCA氏に送る」という情報を、ビットコインのネット上に公開鍵(自分のアドレス)で暗号化して投げ入れる(Broadcastという)。そのデータには自分のデジタル署名をつける。(補足4)送金手数料を一定量つけると、ネット上の仲間(ネットの網目に当たる仲間、node)が早く送金処理してくれる。
 
その送金情報を、nodeの仲間が掲示板に喩えられる同種の情報のあつまりに追加する。その中からひとかたまりを一定時間毎にまとめて確認し掲示板を確認済みとして閉じるのだが、その際に改竄ができないようにそのデータのハッシュ値(改竄検出用の要約)と呼ばれる数値を添付する。(補足5)
 
そのハッシュ値の計算の際に、データにランダムな数値を付け加えて、一定の条件に合う形(例えば最初に00が来るなど)になる様に、ビットコインのシステムは要請する。そのハッシュ計算に成功した者は、そのデータ(ブロック)を確認済みとして閉じ、新しいブロックを開くことになる。その時点で、上記送金プロセスは終了し、送金を受けたビットコインは利用可能となる。
 
そのブロックを閉じた者は、一定量のビットコインを報酬として得る。この作業をマイニング(採掘)と呼ぶ。ビットコインの取引の帳簿管理の動機づけは、このマイニングと送金者が設定した手数料である。
 
だいたい以上のような手続きで送金が出来る様である。素人なので十分ではないだろうが、参考になると思う。
 
3)現状日本国内では、現在の通貨との関連で、投機的な目的や単に送金手法として使われている。ただ、ビットコインとは送金手法として、特に政情不安な国家などからの外国送金には非常に有用である。
 
更に、ブロックチェインの分岐の問題がある。これは同時に複数の人がマイニングが成功したり、悪意ある人の仕業で同じブロックの後に、二つのブロックが繋がるケースである。この場合、最終的に長くなった方が勝ち残るが、その際短い方のブログでの採掘されたコインなどは無効となるなどの問題も大きい。https://www.crypto-currencies.jp/bitcoin/remittance/attack51.html
 
以上は自分の勉強の為に書いたメモです。不確かな部分もあるかと思いますが、詳しい人の意見をぜひ伺いたいと思います。尚、参考書としては、上記引用サイトの他に、岩村充著“「中央銀行が終わる日」ビットコインと通貨の未来”(新潮選書、2016)を参考にしました。詳細はそれらを御覧ください。後者には、非対称鍵を用いた暗号に関する整数論から出発した解説がありますが、正直分かりにくいという印象でした。
 
補足:
1)他にも米などの穀物も貨幣の代わりをする。世界の経済が大きくなり、それらが一般的な意味で貨幣の役割をする時代は終わったと思う。なお、商品券や販売店が発行するポイントなども準貨幣とみなせるだろう。
2)紙幣は最初は金の預り証であった。つまり、紙幣は銀行で金と交換できた。つまり兌換紙幣であった。その後、ニクソン大統領の時に米ドルが金と切り離され、不換紙幣となった。現在、中央銀行の債務を示す証明書と考えられる。(政府の下部機関とも言える)中央銀行の主な資産は国債であるから、結局国の債務証書と考えても良い。
3)非対象鍵暗号方式は、一方で暗号化した暗号文の復元は他方の鍵でしか行えないことを特徴とする一対の鍵を用いる暗号方式である。一方の鍵を公開して(公開鍵)暗号を送る当事者のIDとし、他方の鍵を秘密として保持する。プライバシーを保護した通信や、いわゆるデジタル署名として利用できる。(補足4参照)
 
4)デジタル署名は、この送金データのハッシュを、送り主の秘密鍵で暗号化したものだろう。受け取ったA氏は、送金データを送り主の公開鍵(=ID)で復元、そのハッシュを計算する。それと送り主の署名を送り主の公開鍵で復元したハッシュの比較をして一致した場合、それは真正な送金手続きであることがわかる。
 
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https://www.ipa.go.jp/security/pki/024.html

 

 5)コンピュータ上でのデータは全て数値である。そのデータから、ハッシュ関数と呼ばれる方法で要約としての数値であるハッシュを取り出す。その数値の桁数は、データの桁数よりもはるかに小さいが、データに少しでも改竄があればハッシュが変化する。稀に、異なるデータから同じハッシュを得ることがある。データとハッシュの関係は、個人とその印鑑との関係を考えるとわかり易いと思う。