1)作日の南北朝鮮首脳会談は、北朝鮮の非核化について具体的に何も言及せず、期待はずれだった。
「核のない朝鮮半島の実現を共通目標にする」とか、「統一に向けた定期的な会談を開催する」などというセリフは、発表しない方がましなくらいである。何故なら、朝鮮半島の非核化を目標にするということは、現在北朝鮮が核保有国であることを、南北首脳は既に前提としているからである。
非核化を世界にアピールするつもりなら、5年以内に廃絶するとか、最低でも、具体的には米中等との会議で議論するとかいう言葉がなければならない。金正恩の朝鮮半島の非核化の論理は、オバマ大統領の核廃絶運動と同じ論理である。
安倍総理のコメントは、平和へ向かう宣言であるので一応評価し、「今回の会談、米朝首脳会談を通じ、北朝鮮が具体的な行動を取ることを強く期待している」と述べた。
中国の習近平は、中華圏が釜山まで拡大する話なので、無条件に評価するのは当然である。トランプ大統領の反応は一件だけ見つかったのだが、何も言っていないに等しい。
Donald Trump, who is due to meet Kim Jung-un in thecoming weeks, hailed the end of the Korean war. “Good things are happening, but only time will tell,” hetweeted. South Korea praised Trump for bringing the two leaders together.
要するに「良いことが起こっているように見える。しかし、真に何が結果として起こるかは時間がたたなければ判らないだろう」と言っているにすぎない。今朝の7時のNHKニュースを今見たが、メルケル氏と並んだ会見場での発言は上記と同じである。
ちなみに、櫻井よしこさんの話によると、米国のCSIS(戦略国際問題研究所)のマイケル・グリーン(Michael Jonathan Greenが、米朝会談が行われない可能性が40%、会談が行われても殆ど何の結果も出ないのが40%、会談が行われて結果が出た振りをするのが18%だと分析しているという。
 
今回の共同声明を聞いたら、マイケル・グリーンという人は、上記予想が自信から確信にかわったというかもしれない。しかし、CSISなどは、従来の米国政府なら、政策への影響力が大きかったかもしれないが、現在では全くわからない。
櫻井さんの言葉では、ムーン・ジェインは憲法改正を考えている。6月の地方選挙の時に、憲法前文から「韓国は自由民主の秩序の国である」という文から、「自由」を取るという改正を考えているという。韓国を人民民主主義の国としても良いと考えているようである。
 
この東アジアの重大で流動的な時に、日本の国会はセクハラ問題に揺れている。この体たらくを見る限り、野党は(そして与党の反安倍派の一部も)、外国の支配下にあることは今や明白だろう。中心的人物は外国と密接な関係にあったり、ピンクトラップやマネートラップにはまっている人間の可能性もあると思う。
 
マスコミも同様である。この動きを見ても尚、朝鮮の南北首脳会談で拉致問題への言及がなかったというのが評価の中心的項目なのだから。
 
2)原点に戻って考える:
 
原点に戻れば、朝鮮半島の住民は「日本列島の民族」と同様の意味で、一つの民族で構成されている。彼らが統一する方向に動くのは至極当然の話である。そして、これまで多くの犠牲を払うことになった、20世紀の外国支配から逃れる手段として、核兵器を持ちたいと思うのも当然である。
 
上記引用のyoutube動画で、櫻井さんはムーン・ジェインが憲法改正を考えていると言っている。6月の地方選挙の時に、憲法前文の「韓国は自由民主の秩序の国である」という文から、「自由」を取る改正を考えているらしい。韓国を人民民主主義の国としても良いと考えているようである。南北統一こそ、最優先課題であるというのだろう。

その路線を進むのなら、韓国は今後特に経済的に大変になるだろう。北朝鮮との統一を具体的に考えることは、韓国からの富の流出を意味するからである。これから、韓国民の同意を得ることは、一時の熱狂が過ぎれば困難を極めるだろう。何か重大なことが今後起こる可能性すらあると思う。
 
ここで今回の上記共同宣言に戻って考えると、非核化は米国の朝鮮半島からの撤退を期待した言葉であり、本心からの言葉でないことは議論する余地がないことが分かる。(補足1)

韓国は、南北統一の暁には核保有国としての朝鮮を希望しているのである。そこで日本は、その朝鮮半島の動きに対して英米の旧来の戦略に協力し、そのフロンティアを受け持つ形で、何時までも全面的に反対するのは愚かなことである。
 
日本も原点に戻って考えれば良い。つまり、トランプが大統領就任前に言っていたように、戦術核レベルの核武装をして、北朝鮮とも外交関係を開き、戦後処理を米朝基本条約締結という形で行うべきである。そして、中国とも毛沢東が田中角栄に期待したように、善隣友好の関係を構築するべきである。
 
20世紀前半の日本の大陸での振る舞いは、元々19世紀後半での英米仏との厳しい外交、ロシアからの圧力というか恐怖から来たものであり、西欧諸国の東アジアへの戦略的展開の中で、アジアで唯一の独立国として藻搔いた結果である。その結末は、日本にとっても非常に不幸で不本意な結果に終わった。
 
それは、日本の真摯なレビュー(反省を含めた科学的復習)で、朝鮮はともかく中国は理解する筈だと思う。それは、ロシアや西欧諸国も同様だろう。そして、日本の問題は日本が真の独立国になることであり、他国の核付き統一を不安視して全面反対するのは、正常な方向ではない。
 
勿論、憲法上だけでも非武装を宣言する日本が、核武装の朝鮮半島と平和共存はあり得ない。
 
3)結局、欧米の考え方もそのようになる可能性がある。つまり、トランプの米国も完全な非核化を諦めるだろう。 
 
米朝会談を前にして、ポンペイオやボルトンの人事は、単に脅しのための人事だと思う。トランプに北朝鮮を攻撃する理由は、今一つない。(補足2)米国本土が核攻撃を受けるとは考えていない。それは金正恩を知れば知るほど、明らかになっている。 

核の拡散は、誰が何をやろうが自然に進むし、元々トランプは核拡散を重視していなかった。コンドリーサ・ライスなども北の核を容認する方が、問題を大きくしないで済むので簡単だと考えてきた。 
 
元ウクライナ大使の外交評論家である馬渕睦夫さんは、後ろ楯を失った金正恩に残された道は、全面降伏しかないようなことを言っている。素人の私が反論するのは烏滸がましいのだが、そのようにはならないと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=CJCBDAMf3ME ;

追加:(18時)マティス国防長官は、北朝鮮問題を楽観していると言っている。つまり、トランプ大統領がボルトンだハリスだと言って、虚勢を張っても国防長官が全くやる気のない本音を暴露している。日本は圧力一辺倒で行けば、最終的に東アジアで孤立するだろう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180428-35118511-cnn-int

安倍さんのやり方は全く馬鹿げていると思う。馬渕元大使は、大統領立候補時代のトランプを虫眼鏡で拡大して見ているのだろうか?金正恩はリビアのカダフィの二の舞だけはしたくないと考えているだろうし、その考えが彼を守るだろう。

(以上、素人ですから戯言の可能性もあります。プロの評論家の皆さん、実力を見せてください。)

追加(2):(20:30) 上のように書きましたが、玄人の意見を発見しました。佐藤健志さんが、チャネル桜で上記とほとんど同じようなことを話しておられます。Mohkorigoriというハンドルネームで、ちょっとコメントも書きました。https://www.youtube.com/watch?v=okgi0XRx3to


補足:
1)つまり、文在寅は北朝鮮の核兵器を利用して、米国から自由になることを考えている可能性が高い。
2)ただ、北朝鮮との軍事衝突は完全にないと言い切る自信は素人の私にはない。トランプ大統領は太平洋艦隊司令長官のハリスを駐韓大使にするという。それを文在寅の韓国は受けるのだろうか? http://www.sankei.com/world/news/180425/wor1804250020-n1.html

1)“人は生かされているのか生きているのか?”という表題の投稿で、「自分の主人が自分であるのなら、自分の成果は自分のものである。周囲はあくまでその成果に対し、従なる貢献をしたに過ぎない。それが、自立した人間とその社会での出来事に対する然るべき見方である」と書いた。
 
主従を峻別する文化は、仕事とその責任の在処を決定する際に必須である。この仕事を犯罪に置き換えても同様の論理が成立する。
 
先ほどのテレビで、人気グループTOKIOの山口とか言う人が、記者会見を開いて自分の犯した行為「女子高生に対する強制わいせつ」について、釈明会見をしていた。NHKを始め公共の電波である筈のテレビ各局で、南北朝鮮会談の予想と同程度の時間をとって報道されていた。
 
更に私にとって不思議なのは、その主人公はそのような行為に至ったことについて謝っている。「世間を騒がせて申し訳ない」と言って謝っている。いったい彼は、誰に謝っているのだろうか。

被害者がいるのなら、被害者に直接謝るべきである。無関係の一般人に向かって謝るのに公共の電波を使うのは迷惑である。裁判で判決が出たのち、記者が居れば一言静かに社会の一員としてふさわしくないことをしたとコメントを出せば良い。謝罪は刑務所などでの罪の償いの形でするものである。
 
2)業績を上げた場合、「皆さんのお陰でこのような栄誉を与えられました。これはみなさんの応援を力にして頑張りました。これは皆さんの応援に対する栄誉なのです。」と会見を開き世間に向けて発言するのなら、犯罪で書類送検された場合、「みなさんの応援は、私をのぼせ上がり、ついには犯罪者になってしまいました。この送検は、みなさんが共に背負うべき不名誉です」と何故いわないのだろうか。
 
そういえば、その人の芸能人としての将来は完全に抹消されるだろう。つまり、「世間により生かされている」というイカサマの種は、このようなケースを考えれば明らかなのだ。素人の手品師以下の種の仕込み方である。
 
日本の世間は議論し、問題の核心を洗い出し、対策モデルを組み上げるべく、公論を行う場所ではない。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」の明治時代の丸暗記の知識は、日本国の知恵になっていないのだ。五箇条の御誓文など、右から左に手渡され、最後はゴミ箱の中だったのだろう。
 
世間はその種の事件について、騒ぐだろう。しかし、何故そのような事件が生じるのか、その事件の原因は何なのか、それを防ぐにはどうしたら良いのか、などは議論しない。三流週刊誌のレベルの駄弁りで終始するだろう。

騒がせてはならないのが日本の世間であり、従って常時沈黙が支配している。そして何よりも、有名人の醜聞に飢えている。(補足1)世間は山口氏に感謝しなくてはならない。週刊誌は売れ、日本の下らない分野のGDPは増加するだろう。
 
日本の世間とは、社会と違う。明治の時代の文化人はsocietyが世間と違うことを知って、社会という言葉を作ったのである。(補足2)現在の日本人はほとんどそれすら知らない。

補足:
1)万機公論に決すべしと言ったものの、公論で政治問題など支配者の政治を議論してもらっては困るだろう。世間をそのように沈黙の世界にし、エログロナンセンスを欲する世界にしたのは支配者の陰謀なのだろうか。
2)和製漢語は、そのほとんどは明治時代に作られた。http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/kanji/waseikango.htm
1)自立しない日本人:
 
日本国が自立しない理由は、自立しない日本人の集合だからである。日本人が自立しないのは、日本人は生きているのではなく、生かされているからである。
 
この後の文には反論があるだろう。しかし、「自分が独力で何か優れた成果をあげても、判で押したように“皆さんのおかげです。皆さんの応援があったから、この成果をあげることができたのです。”とコメントするでしょう?」と言えば、「いやいや、それは本心ではなく、周囲を丸く収めるために言っているだけですよ」と再度反論するだろう。
 
確かに個人の力は限られている。仮に何か歴史に残るような業績を挙げたとしても、その環境や条件のほとんどは過去から現在までの周囲の人たちが作ったのは事実だろう。しかし、その果実を摘み取ったという成果は、紛れもなくその業績の主(ぬし)のものである。もっと素直に、自分の成果を主張した方が、社会の風通しが良くなると思うのである。
 
自分の主人が自分であるのなら、自分の成果は自分のものである。周囲はあくまでその成果に対し、従なる貢献をしたに過ぎない。それが、自立した人間とその社会での出来事に対する見方である。主と従の峻別がなくては、論理が成立しない。
 
主従を峻別する文化は、仕事とその責任の在処を決定する際に必須である。それなくして、人々が協力して何かをすること、その延長上の”共同社会としての国家を国民の総意で運営すること”、などは無理である。日常のテレビのニュースなどを聞いていると、責任の在処が明白でない出来事であふれている。それが、日本社会の特徴だと感じる。
 
2)人は生かされているのか?
 
「人は生かされている」は筆者のオリジナルではなく、テレビなどでもよく聞く。結婚式などでの挨拶には欠かせないセリフだと、思う人も多いかもしれない。ネットで検索すると、すぐにそう主張する文章の良い例が見つかる。例えば、松下政経塾のHPにある以下の文章である。人は「生きる」のか「生かされている」のかと題する文章である。
 
書いた方が政治の世界の人であり、日本の防衛大臣の秘書をやっておられた方なので、失礼な言い方だが敢えて言う。最初の方だけ読んだのだが、後の方を読む気がしない文章である。https://www.mskj.or.jp/report/3172.html
 
松下政経塾のHP管理人は、この文章が素晴らしいと思うのだろう。そして、同じように思う人が日本人に多いだろう。この塾で政治家として育った人間が、日本の政界に35名ほどいる。これらの方々が、上記のような考えに染まっているとは思わないが、万が一そのような考えで日本のリーダーになったのなら、日本は当に破滅への坂を転げ落ちるだろう。
 
日本人は本当に「人は生かされているのだ」と思う時があるだろう。他力本願など仏教とよく調和する考え方である。そして一人になった時、その人が普通の人なら、「本当は、自分は生かされているのではなく生きているのだ」と思うだろう。
 
西洋風に言えば、日本人はその両方の姿勢をずる賢く使い分けているのだが、日本人の立場に理解を持てば(つまり、日本文化に理解を持てば)、日本人は二つの世界、つまり世間(補足1)と一人の世界、の両方に生きているのである。つまり、世間(せけん)にいる時には「自分は生かされている」のだが、一人になると「自分で生きている」のである。
 
世間にいる時にも、「自分で生きている」人間は、支配者とはぐれ者である。「非支配者は、世間つまり”社会”(補足2)に棲息している間は、自分の意思を前面に出して生きてもらっては困る」というのが、日本社会(日本文化)の要請である。
 
上記政経塾HPの文章で、筆者は「人は社会を作って共同で暮らすという約束の下に生きている」ことを強調したかったのだろう。しかし、“社会”や“共同”という言葉が明治以前の日本に無く(補足3)、日本人の思考パターンに組みこまれていないため、いつの間にか意図が正しく伝達される文章にならなかったのだろう。しかし、主と従が逆転しては元も子もない。
 
3)日本の政治システム:
 
日本人は、①其々自分の意志で生き、②共同社会である国の形成し、そして③優れたリーダーを選び、その運営を委任する。非常時には命を賭けてその指示で共同社会である国家を護ために戦いぬく、という三連立方程式が解けなかった。
 
次善の策として、②と③を重視して、民族の国家(国民国家)をつくり、民族のリーダーの下に協力して国を運営することを考えた。その場合、天皇の下に集まるまでは比較的簡単に出来るが、各人が主人公として共同体を作るという考えが無いため、優れた実務リーダーを選ぶことができない。
 
そこでは、構成メンバーは自立し主張する個人ではない方が、政治システムに摩擦を起こさない。その代わりに、リーダーは、下々(しもじも)を思いやる姿勢が大事であり、それを為政者の道徳にする。「和をもって尊となす」とはそのような考え方だと思う。明治になって、その日本に西欧風の思想「広く会議を興し、万機公論に決すべし」を移植しても、竹に木を継ぐことになるだけである。
 
この場合、異なる部族や民族と接触しない限り、安定した時代が続くだろう。それが現在でも日本の姿のように思える。突出したリーダーに恵まれない状況と、国際的摩擦の時代に世界が入るようになったため、日本の将来を案じるのは、政治に関係する人なら自然な成り行きだろう。
 
なんとか現在の日本の旗印をより強力にしたいと考えたのが、天皇元首制や旧皇室復興などを主張する所謂右翼の方々である。
 
明治以前に戻るのでは、日本に将来はない。根本的解決に備えて取り敢えずすべきことは、まともな教育である。一流の大学を出て、大臣秘書までやった方が上記のような文章を書くようでは、日本の将来はない。個人を批判しているのではない。その程度の教育しか、今の日本にはないということが言いたいのである。
 
第一歩は、教育の現場から一人で生きる姿勢を徹底することだと思う。そして、お前はどう思うかと問われて、自分の考えが言える人間を育てるべきである。的を得た答えを出せないことが恥ではなく、沈黙が恥となる教育を16年間、小学校から大学まで継続すべきである。そこに、閉塞した日本政治の出口があると思う。
 
補足:
 
1)世間とは共同体意識のない社会である。日本の、お上(おかみ)と一般大衆との間の空間。其処は、お上の命(めい)と大衆の視線が往き来する空間であり、人々が共に話をし、議論を交わす空間(社会の公の空間)ではない。
2)日本の世間という言葉は普通「社会」に置き換えられる。しかし、前の補足に書いた通り、厳密には英語のsociety=社会という意味ではない。しかし世間以外には、特殊な例を除いて社会に代わる空間を持たないので、ここでは漠とした意味で用いている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%96%93 特殊な例とは、例えば「日本化学会」のような学会である。
3)和製漢語は明治時代に西欧の言葉の翻訳として作られた。有名なのは正岡子規の作った「野球」などである。和製漢語のリストが以下のサイトにある。