1)徴用工の問題で日韓関係が揺らいでいる。韓国最高裁は、韓国人元徴用工の主張を認めて、元徴用工に対し当該日本企業に賠償を命じる判決を出した。原告の要求は、未払い給与の支払いなどではなく、劣悪な環境で働かされた苦痛に対する賠償要求であり、当時の日本国家の決定に基づいてなされた徴用工制度に直接関係する。従ってそれは、日韓基本条約と同時にむずばれた請求権協定で、韓国側が一括放棄した権利である。この件、昨年8月のブログに既に議論している。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43380536.html
 
今朝(2018113日)のテレビ番組ウェイクで、中央大法科大学院教授の野村修也氏は、「韓国は三権分立の国だから、大統領もこの判断を覆すことは出来ないだろう」と言っていた。この発言は、意味不明である。司法の判断を大統領権限で覆すことなど、出来る訳がない。多分、野村氏の発言は、「大統領はその最高裁の判断に従って、日本企業へ賠償させる様に動かざるを得ない」という意味だろう。しかしそれは単純な解釈だと思う。通常なら、大統領がその司法判断に従って行政を動かすだろうが、国家にとって非常に重要な影響がある場合、それを無視することも考えられるからである。
 
民主国家における行政の最終判断は、主権者の国民によりなされるべきである。しかし、国民全体の意思を直接確認することは通常不可能であり、それを国民の選任による国家元首が行う。つまり、大統領が日韓関係を破壊し、国民全体が多大な損害を被ると考えた場合、特例として司法の判断をそのまま行政に直接反映させないことも可能だろう。
 
以上述べたことは、通常大統領と呼ばれる地位は国家元首であり、単なる行政官のトップではないということを根拠にする。つまり、大統領の権威は三権の上位に位置する。極端な例をあげれば、国家存亡の時には国家元首は、憲法などの国家の法体系を停止する国家緊急権を行使する。(補足1)
 
もし韓国がそのような国なら、当然文在寅大統領は、韓国の今後の行政に今回の最高裁判決に従った措置を取るかどうかの判断が可能である。それは、福田総理のときのダッカでの人質解放の時にとった措置と同類である。
 
この問題が大きくなるとした場合(この放送を観た感想だが)、テレビが国民に正しい情報を与え、考える材料を与える役割など出来そうにない。日本の電波は、レベルの低い人達や、仮面を被った反日スパイ的な人に支配されているからである。

おそらく文在寅大統領はベトナムのような統一朝鮮を考えているだろう。その場合、韓国経済はひどい情況になる可能性がたかい。また、北朝鮮は日本と日韓基本条約に相当する条約を結ぶことになる筈である。その際、巨額の戦後賠償を得るには、この問題を大きくしておくことが有利だろう。

韓国は消滅するのだから、韓国に相当する地域は、二度目の賠償金を日本から手にするチャンスであると考えているかもしれない。
 
2)今回の韓国最高裁の判決は、文在寅大統領の顔色をうかがって出された判断だろう。今後それを利用して、無から有を出す日本相手の韓国風錬金術として利用するためである。そのようなことをすれば、国際的な悪評を世界にばらまくことになると、ナイーブに日本人は考えるだろう。
 
Youtube動画などでも、韓国批判をして溜飲を下げるような内容の動画がほとんどであり、テレビ同様に視野の狭い内容を流布している。その中で、日本の多くが簡単に片付ける程には単純な問題ではないと指摘したのが、佐藤優氏である。佐藤氏は、以下のような問題点を指摘している。
 
①日本企業は、保障をする法的義務が無いとしても、人道的観点と企業イメージの毀損を防止する観点から、個別に保障をしてきた例がある。今回の判決で、それが出来なくなるだろう。それが、韓国内に日本に対する不満を更に大きく醸成することになる。
 
②韓国が、日本企業の韓国内資産を差し押さえることになれば、日韓の経済交流は大きく縮小し、多大な経済的損害を生じることになる。更に、韓国は米国に存在する資産を差し押さえるべく、弁護士を使って活動した場合、米国での経済活動においても、日本企業は韓国リスクを背負うことになるだろう。もし、中国が韓国に習って、同様の行動をとれば更に大変な問題になる可能性がある。
 
③法理論としては日本側に利があるとして、安閑としていては日本が巨大な罠にハマってしまう可能性がある。その方法は、日本の徴用工の悲惨さを慰安婦問題と同様に捏造宣伝することである。その様に、米国市民の感情に訴えた場合、日本の国際的イメージを大きく悪化させることになる可能性がある。中国と韓国がこのようなプロパガンダを展開することになれば、慰安婦問題との相乗効果で、日本が窮地に立たされる危険性もある。
 
世界は衆愚政治の時代に入ったと思う。その兆候は、米国や最近のブラジルなど、到るところに現れて来ている。法と論理による政治参加ではなく、感情と怒りによる政治参加を主張し、それを扇動することで利益を得ようとする勢力が世界に台頭している。日本はそのような世界の動きに鈍感である。未だに、法と論理で物事が運ぶと幼稚に考えている。
 
貧富の差の大きい中国と米国(補足1)で、そのような衆愚政治の嵐が吹けば、世界は混乱の時代に入る可能性が高い。経済のグローバル化と先進国での大きな貧富の差が、そのような素地を一層強く世界中に作り出した。高い貧富の差に苦しむ世界の衆愚は、生贄を必要としている。そこで、最初の犠牲に日本国がなる可能性がかなり大きいかもしれない。非常に心配である。
 
補足:
1)貧富の差を表す統計数値にジニ係数がある。主要国の中でそれが大きい代表的国家は、米国、ブラジル、中国である。低い国家として北欧諸国がある。http://top10.sakura.ne.jp/CIA-RANK2172R.html
馬渕睦夫氏が紹介したブレジンスキーの言葉は非常に興味深い。その言葉の意味は、①「米国の政治を握ってきたのはユダヤ系社会であり、その手法は簡潔に言うと、”マイノリティーの権利をまもれ”という政治活動であった。つまり:米国での黒人やヒスパニックはマイノリティーとして、政治的に軽視されてきた。知恵があり、マイノリティーの一つでもあるユダヤ社会が、その少数派の権利確保という名目で運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したというのである。 
 

この発言は、The Choice、Global Domination or Global Leadership、「選択:世界の支配者又は世界のリーダー」という題名の本に書かれているらしい。邦訳は、「孤独な帝国アメリカ」として出版されているが、現在アマゾンでも入手不可能である。

 

ブレジンスキーのもう一つの発言は、何度もこのブログで紹介している。それも馬渕睦夫氏のyoutube動画で知ったのだと思う。それは:②「この100年間に、人類史上初めて、大衆が政治的に目覚めた。これまでの時代では百万の人々をコントロールする事は簡単だったのです。しかし今日では、百万人をコントロールするよりも百万人を殺す方が限りなく簡単なのです。」 

 

上記発言は不真面目に言っているのではない。おお真面目に人類の将来を予測して言っているのである。それは、これまでの世界のリーダーであった勢力が、これら目覚めた人類を代表する100万人を支配することは非常に難しということである。元の動画を現在でもみることも出来る。

 

この動画で紹介されている、Strategic Vision という著書には、多分この発言と関係したことが書かれているのだろう。この100万人は、当然一つの勢力ではあり得ず、別々の利益を代表していると考えられるので、世界は混乱の時代に入るしかない。ブレジンスキーは多分、そのように言いたいのだろう。この本は2012年に出版された。5年後の2017年に死亡しているので、余命いくばくもないことをしりつつ、上記発言をしたのなら、一層重みを感じる。

 

これら二つの発言を一緒に聞いたとしたら、その意味はもっと明確になる。「この100年間に世界の支配者となったユダヤ系勢力も、最早政治に目覚めた人たちを支配することは不可能である。大衆の群れとなった世界は、今後混乱の時代に入るだろう。」旧約聖書の時代の話には、異教徒や、羊の群れという言葉がよく出てくる。それらの話を思い出すと、「殺す方が簡単だ」という発言は、それほど特別ではなくスムースに耳に入るだろう。

 

ブレジンスキーの話の中で、世界的勢力として出てくるのは、ロシア、中国、ヨーロッパ諸国などである。日本は「ひ弱な花」だから、言及の必要はないだろう。それに、「世界は政治的に目覚めている」とは言うものの、日本は例外である。朝日や毎日は、必ずしもブレジンスキーの方向とも言えないが、未だにしっかり日本の目や耳を塞いでいる。

 
ここ2,3日の「自己責任論」すら、完全に制圧した感じである。NHKも当然、その一角にある。それに積極的ではないが同調するのが、テレビに出ている中立や多少右寄りを装った、体制派評論家群である。有名人のまともな意見は、youtubeで見聞きするしかない。橋下徹氏の考え:
 
1)政府は、海外であれ国内であれ、国民保護に一定の尽力をするのは当然である。ただし、それは一定の範囲内、且つ、公平でなくてはならない。シリアで拘束され、今回解放された安田さんの件で、“自己責任論”を主張する人で、それを否定している人は皆無だろう。範囲があるのは、有限の資源・資金しか国は持たないからである。
 
国家の命令で行った行為の責任は、国家がとる。その最終的な形は、国家賠償である。戦死した兵士に軍人恩給がでること、勤務中にその業務が原因で死亡した国家公務員に出される賠償も、それが国家の責任においてなされた業務の結果なので当然である。(補足1)それ以外の国民の行為は、すべて自己責任で行われる。それについては、昨日ブログ記事として書いた。
 
安田さんのシリアでの取材も、アルジェリアにおいてプラント建設に従事した日揮の関係者の活動も、同様である。日揮の関係者10名は殺されたが、安田さんは生きて帰国できたのは幸運だった。<a href="https://sanpoturedure.blog.so-net.ne.jp/2013-01-25-9">https://sanpoturedure.blog.so-net.ne.jp/2013-01-25-9</a><br><br>
 
日揮の方々は、当然自己責任の原則でアルジェリアに入っている。今回のケースで一点異なるのは、政府が退避勧告を出していた地域に、安田さんはその勧告を無視して入ったことである。従って、政府の通常の業務としての邦人保護活動の対象になるのかどうかさえ疑わしい。しかし、同じ日本国民として見過ごすわけにはいかないというのが、おおかたの意見だろう。ただ、テロリストに対して数億円の国民の税金を支払った上での解放だったとしたら、スキャンダルの一つになり得る。
 
2)安田さんの開放について、政府はおそらくかなりの金銭的負担をするだろう。カタールが身代金として支払った3億円を、後々何らかの形で日本政府が支払う筈だからである。日本で自己責任論を巡って騒ぎが大きくなれば、政府はカタールと改めてその秘匿の交渉をする可能性があるが、もしそれがなければ、内閣官房機密費など隠れた予算が使われる可能性が高いと思う。
 
 
それは元毎日新聞記者の著名人であり、その配偶者の助命嘆願の様子もテレビで報道されていたことと関係しただろう。一般の無名の人間が海外で同じ様な目にあったとしても、そのようなことはしてくれないだろう。そのような裏があったとしても、それは政府を形成する政治家の判断であり、安田さん自身とその家族の方々は、この件で負担に思う必要など一切ない。
 
一般人の中には、そのような裏の可能性を敏感に察知している人も多いと思う。そのため、安田さんの拘束は、自己責任で退避勧告の出た地域に出かけた結果であり、自己で責任を負うべきだという意見がネット上で多く出された。多くは個人的且つ無名の声である。それに対して、大手メディアが介在する形での有名人の反論が、まるで消防士の火消しのようにネット上に出されている。毎日新聞などが、有名人のナイーブな反論を掲載するのは、その反論の最終的な責任を彼らに押し付けるためである。
 
その報道パターンから、左翼の言論封圧を想像する。この国の異常にレベルの低い言論空間は、言論弾圧などの事態に容易に進むことを示しており、一種の恐怖を感じる。例えば毎日新聞は(ヤフーニュース:毎日新聞10/27、21:19配信)、そのプロパガンダをアルピニストの野口健さんのツイッターを利用して行っている。
 
「邦人保護は国にとっての責務。事が起きてしまえば『自己責任だから』では片付けられない」「使命感あふれるジャーナリストや報道カメラマンの存在は社会にとって極めて重要」など。(補足2)
 
しかし、毎日新聞は社説「シリアで拘束の安田さん:先ずは無事な解放を喜ぶ」の中で、以下のように書いているようだ。以下の動画中に表示された記事から、その社説の一部を再録する。https://www.youtube.com/watch?v=MPjiv3P6Jew
 
政府が「退避勧告」を出しているような危険地帯での取材には周到な準備が必要だ。危険を察知する状況判断も重要になる。安田さんが海外で武装勢力に拘束されたのは2004年のイラクに続いて二回目だ。最初の開放時には自己責任を追求する意見もあった。安田さんはトルコで謝意を示す生命を発表した。映像を見る限りしっかりした口調だ。邦人保護や戦場巣材で共有すべき教訓はないか。帰国後、是非話してほしい。
 
新聞社としての公式見解として、“最初の開放時には自己責任を追求する意見もあった”という表現で、日和見的に自己責任論を述べているのである。公式にはまともな見解を社説として出しながら、著名人の意見を使って大衆の中のまともな意見を封圧し、その他の大衆を愚かなる方向に導いているのである。
 
朝日新聞のこの件での大衆誘導としては、10月24日の「羽島慎一モーニングショー」でのテレビ朝日の玉川徹氏の意見や、gooニュース7月12日21:30配信の記事中の石川智也氏の意見を、一昨日のブログで紹介し批判した。
 
補足:
 
補足1)テレビ朝日の玉川徹氏の、10月24日の「羽島慎一モーニングショー」での発言は、軍人が捕虜になった場合の責任と今回のケースでの責任を同一視している。
 
補足2)”企業戦士”たちも、それから社会で活躍するその他全てのひとも、社会にとって重要な部分を背負っている。そのような意見を言うのなら、「職業に貴賎なし」と別のところで言うべきではない。