1)米国のフォーブスが発表している世界の長者番付によると、世界一の富豪はアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスで、総資産は1310億ドルだと掲載されている。約15兆円であり、ウクライナのGDPを超える。この資産額は、米国の一人当たりGDP6万ドルとすると、250万人分の年収に相当する。
 
同ランキングによると、20位までに入っている米国人の資産合計は、ほとんど100兆円にもなる。それはインドネシアのGDPにほぼ等しい。この巨大な資産は、要するに保有する株などの金融資産がほとんどだろう。例えば、ジェフ・ベゾスは78.88百万株のアマゾンの株を保有するが、2019年の3月1日の株価1671ドルを用いれば、ほぼ上記資産額となる。
 
これは米国の富豪の極一部であり、トップ500迄に入っている300人近いビリオネアの全資産の合計は、この数倍に近くなり日本のGDPと比較出来る額となるだろう。
 
この金融資産の限られた個人への局在化は、資本主義社会の通常だとしても、どこか異常に見える。もし、人間は生まれながらに平等であると実感できる社会を理想だとすれば、そこからの離脱は極端である。更に、それらの資産を保有する(支配下に置いている)個人が、それを自分の個人的実力によると勘違いした場合、更に、それにより他人を支配できると考えた場合、社会全体が不安定化するだろう。
 
恐らく、上記億万長者たちは、上記の勘違いをしていないだろう。社会の一機関として、自分の地位が存在し、その機関の金融資産として上記額が帳簿に記載されていると考えているだろう。米国の投資家で有名なウォーレン・バフェットは毎年数千億円レベルの寄付を行っている。米国の多くの資産家が寄付をすることを義務のように感じている様子を、単に偽善と考えるのは僻み根性だろう。
 
 

ただ、会社の経営者や会社への投資を業としている者にも、更にそれ以外の分野で富豪となった人たちにも、勘違いしている人が大勢いる可能性があるだろう。その誤解を、ノーベル賞学者でもすることは、ある意味で驚きである。(補足1)また、2-3年前に話題になった隣国のナッツ姫を思い出せば、この勘違いは、社会とその教育を歪める迄になっている事がわかる。

 
2)現在までに作り上げられた社会的メカニズム、物理的施設、知的な財産などに、近未来社会で起こす経済活動の権利としての金額の札を付けたのが、金融資産である。未来社会に於いて、その資金を使う予定者と金額が決まっているという点で、金融資産は、現在の社会が全体として未来の社会に対して借金をし、それを特定に人(資産家)に分配した帳簿上の金額ということになる。
 
仮に、何らかの異変が人類に生じて書類が全て消失すれば、それらの殆どは消滅して、物理的構造物である建物や、自動車や製造機などの機械が残るだけである。突然人類が幻を見て、勤労意欲や記憶を無くした様な場合でも、その約束された経済活動が出来ないため、激しいインフレが発生し金融資産は実質的に殆ど消滅するだろう。それは極端な例だが、不安定な心理が恐慌を生む可能性が、資本主義社会の一つの欠陥である。(補足2)
 
金融資産は現在の社会の未来からの借金であるから、その運用は、社会の経済活動を円滑にするためにされなければならないと思う。上記ビリオネアたちは、その責任を担っていると考えるべきである。それが、経済発展と文明進展の二人三脚が成立する条件である。尚、巨大な隣国ではそれが成立しているかどうかが、日本にとって大きな不安要因である。
 
日本の明治以降の創業者は、実際にそのように考えただろう。松下幸之助や本田宗一郎などの名言が、それを示している。例えば、本田宗一郎は「会社は個人の持ち物ではない」という考えをもっており、身内を入社させなかったという。(ウィキペディア参照)
 
 
日本が社会全体にエネルギーを蓄積できた背景には、多くの会社創業者が本田宗一郎と同様に、帳簿上自分の資産である会社を、社会或いは国家の公機関と考えたことがあるだろう。多くの企業の不正を見ると、現在の日本にその面影は探さなければ残っていないのかもしれないと思う。
 
このような考えを、ホンダの創業者のように自由な思考の結果として得ることは、普通困難である。従って、過去の偉人の言葉を学び、それが自分の言葉となるように、その偉人の人生を追体験する類の道徳教育が大事だろう。そのような道徳を持たない資本主義社会は、将来崩壊すると思う。
 
3)上記の考えは、資産は負債を具体的な存在に割り振ったものに過ぎないという考え(貸借対照表の考え)に基づいている。その根源には、国家或いは中央銀行の負債が、一定の根拠として存在するだろう。
 

一定の根拠というのは、株価と保有株数の積を資産として計算するが、上記資産の計算に想定される株は、市場に出ていない株がほとんどだからである。つまり、市場で売買される部分以外については、中央銀行が発行するお金(中央銀行の負債)が直接的に対応していないだろう。これが信用収縮の大きな要因だと理解している。

 
金融資産が未来からの借金だとすれば、その運用は公の仕事に見えてくる。米国のビリオネアたちの多くは、その責任を果たしているだろうと思う。それが、グローバル化経済の中の先進工業国の中で唯一、2-3%の経済成長率を誇っている理由だろう。
 
 
この点をもう少し考えてみる。
 
経済活動の計画と実行を全て国家で行うというシステムが共産主義社会である。そこでは、政治的に重要な限られた特定の人物が、国家(社会)の経済活動の計画と管理までを閉鎖的空間で行う。その計画経済がうまく行かないのは、人間の能力が有限であり、巨大化した社会システムを一人で運転する技量は無いからである。(補足3)
 
従って、共産主義を取り入れた国家の全てが、経済的困窮を極める結果となる。一方、資本主義社会では、人(自然人)の他に株式会社や財団法人などの法人が、経済活動を分担する。その人事は、会社と社会の利益を指標にして、間接的だが社会全体が決定する。そしてこの、“間接的オープンシステム”しかありえないというのが、現在の常識となっていると思う。(補足4)
 
資本主義社会では、多くの会社等が経済活動を分担する。例えば株式会社の経営は、数人が人生のある期間をその任務にあてる。その人材を割り振るのが、会社の人事である。最初に述べた米国のビリオネアたちは、会社の経営者として、或いは、投資先として、正しい人事(業績の上がる会社)が決定出来る会社を選ぶことで、直接的或いは間接的に会社の経営に関わっている。
 
その力の根拠が、彼らのその会社の株式など金融資産である。その経営判断が正しいかどうかは、会社の業績という形で社会が判断することになる。その最終判定は、消費者が行う。このオープンなシステムは完璧ではないが、何重にも補完的であり、人間のシステムとしては最高だろう。
 
この会社の経営と評価の構造が、資本主義社会の発展を可能にした。一つは創業者を含めた投資家による四半期毎の疑似リアルタイムの会社運営の監視、もうひとつは消費者による業績の最終判定である。
 
米国では会社経営監視の上記2つのメカニズムが機能しているが、日本では、投資家が会社経営に口を出すことが非常に少ない。(補足5)それでは、会社の経営を決める2つのメカニズムのうちの一つが無いことになる。消費者の最終判定のみが残り、それが具体的に働いた結果が、例えば東芝の経営危機などである。もう一つがあったなら、東芝、日産、シャープなどの経営危機は無かっただろう。
 (以上は、理系人間が極めて好意的に米国の資本主義を評価して文章にしたもので、社会学的裏付けはありません。)
 
補足:
 
1)企業人では、以前話題にした身の程を知らない人のケース、芸能人やスポーツ関連で富豪のレベルに達した有名人なども含まれる。彼らが要求する特許料は、確かに現行制度からは要求可能である。しかし、かれらは社会の機関としてそれらの資金を持つ立場には無い。単に、自分自身や子孫の消費のための資金として、例えば、「26億円では少なすぎる」と言うのは強欲だろう。
 
2)この値札の額は、社会の経済活動が順調に進むという雰囲気により大きく異なる。それを信用(クレジット、credit)という言葉を用いて表す。資本主義社会の一つの弱点は、このクレジットが特別な理由なしに大きく毀損される危険性である。
 
 
3)中国の毛沢東は経済の舵取りに大失敗をする。鉄の生産こそ、経済発展のために大事であると考えて、製鉄の知識のないままに号令をかけた。その結果、粗悪な鉄の生産を溜め込むのみで、大不況になる。それが大躍進運動である。そして政治の実権を劉少奇にわたしたのだが、自分の権威失墜を恐れて権力奪回を図ったのが、文化大革命である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/10/wild-swans.html
 
4)計画経済政治が何故歴史に登場したのか分からない。そんな思想が部分的に世界を支配するまでになったことは、不思議である。社会主義的政治が、高性能のAIを利用して徐々に実現すると考える人は、現在かなりいるだろう。ベーシックインカム制度がその出発点として存在するかもしれない。
 
5)銀行は債権者なので、融資の段階で会社に何らかの経営上の情報を与えることができる。しかし、それは主に不良債権化を危惧する観点で為されるので、それほど大きな役割は果たせないだろう。

以下は、国際政治に全くの素人の理系人間が、想像を逞しくして書いた記事です。注意してお読みください。個人的なメモですので、責任はとりません。
 
1)馬渕睦夫元ウクライナ大使の動画が指摘すること:
2019年は、日本にとって決断の時である。それは、日本がインド太平洋構想の一角を担うか、中国の影響圏に入るかの選択である。 ペンス副大統領の昨年10月の演説は、中国に対する米国の姿勢を明確にしたものだが、日本は上記課題を突きつけられて居ることに気づかなければならない。しかし現在のところ、日本政府はその決断ができないでいる。下に引用の馬渕大使の動画の前半は、このように要約できるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=L0w0FYLvmhk
 
その動画後半の話は、新入国管理法の問題とアイヌを先住民と認定する法案についての危険性に言及している。前者の問題点として、来年4月には30万人以上の単純労働者が外国から日本に入ることになり、彼らは日本に治外法権的な区域を作るだろうと、指摘している。

 

また、後者も今後様々なマイノリティーの権利拡大という、政治的混乱の切掛を作るという点で非常に大きな問題である。これらの問題に関しては、既に色んな形ですでに本ブログでも議論している。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/02/blog-post_7.html
 
本記事のテーマは、安倍総理がいち早く打ち出した「インド太平洋構想」の中核的存在に日本がなることを、米国支配層は嫌う可能性が高いかもしれないとの推測である。上記後半の二本の法案が何故非常に急ぐ形で国会に出され、自民党の賛成により成立した真の理由は、多くの政治評論家にとって謎である。馬渕大使も、その謎に答えられていない。
 
これら二つの法案を並べると、直ぐに気がつくのだが、アイヌで代表されるマイノリティーの権利拡大の図式が、その後、琉球人の権利拡大、更に来年から続々と日本に入ってくるイスラム圏、中華圏、小乗仏教圏の人たちの権利拡大に利用される可能性がたかい。つまり、その導入を指示した勢力の最終目標は、日本国と日本文化の完全破壊である。
 
兎に角、元々5-6の民族の混合である日本人の中に、既に完全に同化しているアイヌ民族を、殊更分離して法整備ことには、遠い目標がある筈である。
 
2)馬渕氏の分析では、インド太平洋構想への参加は安倍総理の正しい外交であり、後者の日本の内政でのゴタゴタは安倍総理とは無関係であるとしている。そして、後者内政問題は自民党政治家に危機感がないからであり、安倍安定政権の上にアグラをかく自民党議員たちの認識不足が原因であるとしている。
 
しかし、この認識は間違いだと思う。安倍総理自身の賛同がなければ、これら重要な法律二本があのようにスムースに成立する筈がない。「自民党議員たちの気の緩みが、あの重要法案二本がスムースに成立した理由だ」というのは、言語感覚からしておかしい。
 
繰り返しになるが、私は、上記二本の法律は、安倍総理も少なくとも外見上は積極的に賛成したと思う。
 
上記二本の法律は、上述のように日本文化の破壊工作であり、それをなし得るのは安倍総理の意思か、安倍総理を操る存在の意思だと考えるべきである。以前のブログでは、中露韓の反日同盟の戦略の一環だと捉えたが、その場合は自民党の中に強力な反対意見くらいは出る筈である。私は、米国の深層に位置するユダヤ支配層による、日本と日本文化破壊の最後のチャプターと考える方が自然だと思う。
 
日本の経済界が安い労働力調達という要請を政府にしたのは事実だろう。更に、アイヌ先住民認定の法律は、方々の人権団体などから強い要請があったのだろう。その両者が深層で、ある勢力の明確な戦略に順って、連携して居ると考えるのである。
 
3)ブレジンスキーが言ったように、マイノリティーの権利拡大は米国の価値観として育てあげられ、それを足場にしてマイノリティーであるユダヤの民が米国の支配層となり得た。(補足1)移民の拡大も、自由と平等の国である米国の価値観に沿うもので、それが現在の米国を作り上げた。ホンジュラスから米国に向かった難民を支援する人が誰かを見れば、明らかである。(補足2)
 
米国資本がこれまで進めてきたグローバル化とトランプは戦って居るように見る人も居るが、トランプは親ユダヤの姿勢を貫いて居る。トランプは反グローバル化ではなく、米国身勝手主義に過ぎない。したがって、米国支配層の実態もその姿勢も、変化はしていないだろう。

 

理系人間の一人が、想像逞しくして考えた米国の大戦略が、日本を中国に近づけ、東アジアの高い知性を有するモンゴロイドの領域全てを、まとめて衰退のゾーンにすることなのである。反論期待したい。
 
安倍総理は、上記二本の法律制定に関して圧力を掛けてきた米国に嫌気が差し、中国寄りの姿勢をチラチラと示して居るのではないだろうか。親ロシアの姿勢も、同様の動機かもしれない。馬渕氏は、安倍総理とトランプ大統領を、反グローバリズムの姿勢を連携してとっている政治家と評価しているが、それは間違いだと思う。
 
(下線部修正、 2021/12/21)
 
補足
1)これは、昨年1030日に書いた記事「世界は混乱の時代にはいろうとしているのか?(ブレジンスキーの二つの発言をヒントにして)」に書いたことである。アイヌを先住民族として認める法案は、この米国ユダヤ支配層の「マイノリティーの権利拡大」の考え方に近い。
 
2)今回の新入管法は、「新たにホンジュラスから米国に向けて出発した移民キャラバンは日本に無関係か?」で書いたことだが、その移民を支援するユダヤ慈善団体Hiasの考え方に近い。

米国在住の方のブログ記事により、対日戦争にある米国の反日プロパガンダ映画の存在を教えてもらった。https://www.youtube.com/watch?v=zBIfnPyK4rw
ブログ記事の表題は、「続・敵国から見た日本文化」https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/MYBLOG/yblog.htmlである。

私から見てそのプロパガンダ映画の内容は、当然のことだが滅茶苦茶である。ただ、そのブログ記事(ハンドル名:chukaさん)では、そのプロパガンダ映画における日本文化の解釈を引用し、一定の評価を与え解説されている。今回は、その方のブログ記事の中で紹介された部分について、その誤りを指摘したい。以下に、chuka氏のブログ記事からの引用部分を緑字イタリックで示し、その後ろに私のコメントを書く。
 
この映画での武士道というのは権力奪取の道であり、その手段として奸計・裏切を常習とするとなっている。そして日本の歴史は武士階級が政権を握って以来、この熾烈な権力闘争のりピーとである、というのだ。
 
chukaさんは、この武士道の見方をユニークだとして引用されているので、一定の評価をされているのだろう。しかし、「武士道とは、奸計・裏切を常習とする権力奪取の道である」というのは、とんでも無い解釈である。武士道とは、儒教的な考えを柱にして、主人に仕える道である。諜報活動とそのための裏切りも、CIAMI6並に行うだけである。(補足1)
 
天皇は、大昔は宗教および武力の覇者であったが、明治以前は太陽神の子孫として単なる宗教的継承者に過ぎなかった。
 
これも誤解であり、江戸時代でも天皇は現在の英国王室のような「君臨すれども統治せず」に近い。何故なら、江戸の将軍は、天皇より征夷大将軍の称号を受けて初めてその地位を得ていたからである。因みに江戸幕府とは、征夷大将軍の率いる軍の基地(城)の意味である。
 
日本人は八百万の神を拝んで暮らしてきた。それは今日も変わっていない。天皇家というのも庶民にとっては諸々の神の一つに過ぎない筈である。
 
これも誤解である。神が八百万も存在する筈はない。自然神が、様々な所に現れるというだけである。富士山を拝むのも、御嶽山を拝むのも、実は同じ自然神を拝んでいるのである。神を一つ二つと数えることなど、本来の神道ではしないだろう。(補足2)天皇は神ではない。神道の筆頭神主であり、カトリックで言えばローマ法王に相当する。
 
戦争中、「天皇陛下万歳」と言って玉砕したという反論があるかもしれないが、万歳とは長寿繁栄を願う言葉であり、神に対する呼びかけではない。天皇に父祖の神への祈願をお願いしているという意味である。
 
キリスト教は多神教を認めない、また神の前では人間は平等、を信徒に厳しく要求する教えであるから、日本的な宗教観が破壊されるという事もあって豊臣秀吉と徳川家康がキリシタン弾圧に走り、鎖国を強行した。
 
これも間違いだと思う。キリスト教ではキリスト教信者でない人間を、まともには人間と認めない。それはイスラム教でも同様である。上記chuka氏の考えの通りなら、西欧の国王は全てキリスト教を信じるわけにはいかない。
 
また、秀吉がキリシタンを弾圧したのは、キリスト教の人種差別的思想が日本文化と相性が悪いからである。つまり、秀吉がキリシタン弾圧に踏み切ったのは、イエズス会の“連中”が日本の薩摩などの悪党から調達した婦女子を、東南アジア方面に“輸出”することに加担したからである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/バテレン追放令
 
李氏朝鮮も日本と同じく鎖国を続けたが、開国後日本によって併合され滅亡した。
 
これも誤解が多い表現である。
動画では、19世紀末の東アジアに関して、「清国は開国したが、日本は鎖国を続けた」という語りがあった。それも、とんでも無い誤りである。清は、英国などの好きなように料理されただけである。更に、上記のchuka氏ブログ内の李氏朝鮮の滅亡だが、日本の所為だけにしないでもらいたい。
 
日清戦争と日露戦争の原因は、ロシアの南下から日本を防衛するための戦争である。朝鮮が独立国としての体裁を整えていれば、日本が場合によっては大敗することを覚悟して、日露戦争など始めなかっただろう。(補足3)その日本を見て、東アジアでの野心を具体化しようと考え、積極的に協力したのが米国である。その一環として締結された密約が、日本が朝鮮を併合し米国がフィリピンを植民地化するという桂タフト協定である。
 
このような複雑な国際史の背景を無視して、李氏朝鮮の滅亡を日本の所為にするのは、単純明快だが、日本側にとっては迷惑な話である。
 
chukaさんの記事では、最後にもう一つの動画について(https://www.youtube.com/watch?v=3TY6tnNGORUの解説も追加されているが、それについては後ほど必要があれば、コメントを追加する。
 
補足:
1)武士道では、卑怯な態度を嫌う。一対一の戦いを好むのは、背後から敵を襲うことを卑怯だと考えるからである。「敵ながらあっぱれ」という言葉は、敵軍の戦士が実力を発揮した(つまり、自軍にとって大きなマイナスにつながった)時に送る言葉であり、裏切りや奸計が躊躇なく用いられる戦争文化の国には、そんな言葉などある筈がない。 また、1942年3月、インドネシアスラバヤ沖回線撃沈された、イギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた海軍軍人工藤俊作は、紛れもなく日本海軍軍人である。
 
2)多神教という言葉は、ほとんどの場合、神が多くの表現をとって(多くの神体に)現れるという意味だろう。神体とは神が宿る存在であり、神体が神自体ではない。そう考えると、古事記などに出てくる神話はインチキ臭い。それとの関わりで言えば、伊勢神道は本物の神道あるいはオリジナルな神道ではない。優秀な歴史家である岡田英弘氏は、古事記は偽書であるという立場をとる。
 
3)李氏朝鮮は、清国の属国であり、軍事に無関心であった。19世紀末、ロシアが南下して脅威となったので、朝鮮は清国にロシアとの戦いを強制されたが、ロシアに簡単に負ける。その後、王妃の閔妃を中心に親露派が勢力を増し、それに反対する勢力により閔妃は殺害されるなど、朝鮮の政治は混乱する。ロシアが強いと見た高宗は、一時期ロシア領事館に住み込んで、朝鮮の政治をする始末であった。このような朝鮮の状況を、上念司は強盗(ロシア)などに親近感を感じるストックホルム症候群という言葉で形容した。