昨年の11月4日の本サイトにおけるブログ記事は、「人の幼児期が長いことと、言葉と道徳とを学ぶことの関係について」であった。自分の書いた記事に、なるほどと改めて納得し、新しい角度からリブログすることを思いついた。昨年の記事の内容を用いて、表題の視点から議論する。

 

1)人にとって乳幼児期は、人間として生きる為の基礎を学ぶ最も重要な時期だと思う。丁度一年前の記事では、他の動物に比較して非常に長い人の幼児期を考え、「言葉を話し、言葉を信じる動物」として育つ為にその期間が必要である結論した。(補足1)

 

補足1に引用の記事(https://copel.co.jp/article/childhood-ability-statistics/)に、「乳幼児は、統計パターンに基づいて学習する」という話がある。これは非常に重要な指摘である。乳幼児は、統計の標本と母集団の関係を理解していて、自分の統計分析に基づいて、周囲の世界についての理論を組み立てているというのである。カリフォルニア大バークレーのアリソンという先生の考えだという。

 

一般に、周囲と自分の関係を知るには、原点の自分を明確に確認し、その自分を物差しにして他を測る、つまり、認識する。しかし、自分の存在に気づいた時には全くの白紙状態であるから、世界の概略を理解するのは容易ではないだろう。その理解の前半は、周囲特に母親や家族との関係から帰納的に、自分を知ることに費やされるだろう。(補足2)

 

つまり、自分は母に依存し、母は自分を無二の存在として大事にしてくれる存在であることを、多くの体験から帰納的に習得する。それが、乳児が世界を認識する第一歩である。父親や兄弟姉妹がその周囲に存在するが、母から受ける体験とはかなり統計的に異なる。それが、「自分、自分に対峙する者、そして、第三者」という形式で世界を理解する第一歩だと思う。

 

世界を以上のように帰納的に知るということは、上記アリソン教授の理論、乳児は「統計分析により周囲を知る能力を持つ」と同じであり、白紙の乳児にとっては当たり前のことだと私は思う。

 

アリソン教授の理論を紹介したブログ記事は、幼児教室コペルホームという企業のものであるが、その記事で導いている「多くの情報に触れさせることが、より高い成長のために重要だ」という結論は、必ずしも真とは言えないだろう。むしろ、統計処理をして、真実を抽出する時、あまり困難を感じない安定な環境が必要だろう。

 

もし人を信じ、人としての情を豊かに持つ人間を育てるのなら、乳児期には保育園による育児ではなく、基礎がしっかりした家庭で母親に直接育てられるのが大事だということになるだろう。

 

2)昨年の記事に書いたことを一言でいうと、「乳幼児が言葉を学ぶことは、世界を理解することである」と言えるだろう。そして前のセクションで議論したように、その世界のモデルを自分の中に創り出すために統計処理的思考を用いているということになる。

 

例えば、「母」という言葉を理解するには、周囲の人を個別認識し、それぞれの自分にたいする接し方を観察して、(自分を殊の外大事にしてくれる)異質な一人を抽出し、それが常に同じ人であることを知らなければならない。更に、他の子供にも、自分の母とは違う個人だが同じような一人が存在することを知るようになる。そして、新しい概念として「母」を抽象化するのである。これらの作業は全て、頭脳が自分の目前の画像と自分に及ぶ(他人の)作用を、記憶領域に積み重ね、統計的な処理をして習得される。

 

この幼児期の作業で、言葉の意味と信憑性を、論理的思考により判断するのではない。 ただ、信じることを前提にその言葉を聞くのである。人が「止まれ」と言えば、それを聞いた人は先ず止まるだろう。その後長じて、「嘘」に接するようになる。嘘が社会生活の上で一定の効果を持つのは、その嘘の言葉を人が信じるからである。

 

聞いた言葉をそのまま信じるという習性が全く出来ていない場合、嘘にも引っかからない。全く嘘に引っかからないヒトは、全く真実も知らないヒトである。しかし、それは言葉を理解しない野生のヒトに留まっているということである。

 

従って、乳幼児期の段階から、周囲からの情報に嘘が交じると、子供は言葉を習得できにくくなる筈である。乳児期には、なるべく母親とその家族が育てるべきである。まわりの人は皆、その乳幼児の味方であるという情況で聞いた言葉と自分の体験から、言語の習得ができる。そして幼児は、言葉を学習すると同時に“言葉を信じる性質”を獲得するのである。

 

人の乳幼児の期間が長いのは、言葉の創造とそれを用いて周囲と情報交換することに、長時間を要するからだろう。「言語の創造」は、外国語を学ぶのとは、全く異なる次元のことである。

 

尚、道徳もこの時期に同時に習得されるだろう。例えば、「駄々をこねる」のは、道徳を学ぶ一環である。それに対する、親の反応を見ることで、幼児は何かを要求する際の限度などを学ぶだろう。道徳とは、個人が要求できる範囲を自覚することであり、この幼児期に習得される。

 

3)昨年のブログ記事の言葉と、議論の延長

 

以上、幼児教育の大切さ、特に、母親と家庭が言葉と道徳の学習大事であることが理解できるだろう。現在、男女平等や女性の自立が議論されている。また、それを助ける保育施設の拡充が課題だと考えられている。心配なのは、その様な議論をする人たちは、人の言語習得や道徳学習などにとって非常に大事な幼児期を対象にしていることを、十分自覚しているかということである。

 

尚、今回の議論は、ダーウィンの進化論を仮定している。そして、言葉でのコミュニケーション能力のある人が、肉体的に丈夫な人よりも人間社会に適応できることを、適者生存の原理として仮定している。特別なスペシャリスト(例えば兵士や運動選手)の育成は、この記事の対象ではない。

 

やや禁句に近いことを言うと、豊かさと平等は、人の平均としての社会的能力を低下させる。また、男女が分業的に生きてきた過去の歴史を否定し、同じことを権利として主張することも同様である。

 

乳幼児は不満を泣き声で表現し、母親は愛情でそれに対応するが、母親が自動販売機的に泣き声というコインで、乳幼児の要求に応じるのでは、愛情という概念の抽出に失敗する可能性がある。社会の多様性、環境の多様性を理解し、それに対応する能力を育てるには、体験も年齢に応じて多様化しなくてはならない。

 

少年期には、その体験を先人の体験にまで延長するべきである。つまり、歴史教育が何よりも大事だろう。ユダヤ人の能力が高いのは、家庭レベルで聖典(聖書とタルムード)により歴史教育が成されることだろう。宗教とは、民族の歴史教育なのだろう。

 

西欧では、都市が城壁で囲まれていることは何故なのか? その事実を、どれだけの少年が学校で教わるだろうか? 廃仏毀釈が何故、明治の日本で行われたか? その議論を中学校で行ったのか?

 

重要な事実とそれに対する何故という疑問の提出、更に、それに対する議論が、日本の教育には欠けている。 先人の体験を追体験するには、現在の歴史教育には無駄が多いように思う。

 

(5日、題目を少し変えました。)

 

補足:

1)下に引用の記事では、幼児の学習能力の高さについて解説している。そして、幼児期に多くの情報にふれさせることが、より高い成長のために重要だと結論している。

https://copel.co.jp/article/childhood-ability-statistics/

 

2)真実を抽出する方法として、演繹と帰納の二つがある。演繹とは、前提から論理的に次(の命題)に至る思考であり、帰納とは多くの現象から一つの事実を抽出する思考である。

 

補足2への蛇足: 複雑な系における未来の予測にも、同様の二つの方法があるだろう。私の乏しい知識、カルタゴの滅亡、クレタ文明の滅亡、19世紀のモリオリ族の滅亡などから、将来の日本の滅亡を予想するのも、帰納法的な思考による。(=>地政学)

1)現在の政権に正統性があるのか?

 

現在、日本の国会議員は選挙で選ばれている。しかしその選挙は、明治時代の廃藩置県を元に決められた選挙区割と大きな一票の格差とにより、完全な普通選挙ではない。その原因は、何度も選挙無効の裁判が行われても、最高裁が現行の一票の格差を認めてきたことである。結果として、明治維新の官軍の末裔が、未だに政治の中心に座る体制が維持されている。(補足1)

 

上記藩閥政治の支配層が自分たちの権力維持のために、選挙制度の改訂をしてこなかったことと、日本で三権分立が実際上成立していないこととは、密接な関係がある。司法が行政から独立していないので、日本での最高裁判決は国家行政上の重要なところを遡上に乗せることができない。その言い訳として、統治行為論なる理屈が都合よく用いられている。(補足2)

https://www.asahi.com/articles/ASLDM4TRXLDMUTIL02B.html

 

三権分立と言っても、その三権は本来国家元首の下に位置する。そうでなければ、3つ首がある動物のようで、にっちもさっちもいかなくなる場面がありえる。普通の国では、三権が三竦みの情況になれば、国家元首が結論をだす。しかし、日本には国家元首の規定が憲法にない。(補足3)


話を元に戻す。三権分立が成立していれば、最高裁は行政のトップと同等であるから、行政に対する憲法判断が可能となる。日本のように、総理大臣が最高裁長官を指名する国では、総理大臣の行政に最高裁はクレイムを付けられない。

 

日本国憲法41条には、「国権の最高機関は国会である」と書かれている。つまり、現行憲法のままでは、日本が国難の際に元首の役割をするのは、総理大臣ではなく、名誉職的になっている国会議長かもしれない。しかし、参議院議長なのか衆議院議長なのかは、分からない。

 

現在ような状況下でも、この国の根本的な体制(国体)が法的に整備されていないことが、大きな問題となったことはない。もちろん指摘はあっただろうが、それが国全体に広がらないのは、日本の政界や官界、それに報道関係者などが十分西欧の学問体系を学んでいないからだろう。(補足4)

 

2)日本国憲法の欠陥

 

日本国家が上記のような情況にあるもう一つの重要な原因は、敗戦後の戦争の総括を日本は何もやって来なかったことにある。400万人の軍人や民間人の死者を出しながら、日本はその戦争の総括をせず、その戦争責任者の末裔の可能性が高い人たちを、いまだに国家の要職においている。

 

日本の右よりの方々は、米国フランクリン・ルーズベルトによる戦争吹っ掛けや、戦後の東京裁判、それに占領軍の洗脳工作WGIP(War Guilt Information Program)こそ、戦後日本を国家としての体をなしていない情況に追い込んだ元凶だと言う。しかし、それは「敵が日本を倒した」「卑怯な奴らだ」と言い続けて75年間、今なお立ち上がろうとしない惨めな姿なのだ。

https://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080003-n1.html

 

日本の保守本流を辞任する自民党が、国家としての整合性回復の第一歩を踏み出せない理由は、天皇の存在だろう。現在の天皇性は、先の敗戦の結果日本全土を占領した国連軍(実質は米軍)の統治下において決定された。憲法が公布されたのは、1946年11月3日のことである。その第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。天皇は統治者(つまり国家元首)でなくなったのである。

 

つまり、日本国が祝日にしている11月3日の憲法記念日とは、日本の国家元首が消滅が決定した日なのである。この祝日を70回以上も迎えながら、この日にそのことに言及した人は居るのだろうか?もちろん、憲法制定当時は、最高権力者のマッカーサーが居り、被占領国なので別に不合理な点はないだろう。しかし、その憲法を日本国が独立したとされるサンフランシスコ講和条約以降も、そのままにしてきた。何故なのか?

 

その原因は、7年間国連軍に占領されていたとは言え、日本国憲法は大日本帝国憲法の規定に沿って改訂され、日本の天皇を中心とした国家体制が継続していたことである。その一方で、天皇を国家元首とし、日本国軍を復活させるという憲法改訂は、その当時の環境でも今でも無理である。

 

対外的には、一つには米国大統領トルーマンの態度が恐ろしかったことがあるだろう。もう一つの原因として、周辺国との国交回復が為されていなかったことがある。しかし、最も大きな原因は、国内にある。それは、日本国軍の保持と天皇元首制を謳う憲法への改訂は、国民の同意を得られないということである。それは戦争前の体制に戻るという印象を与えるからである。あの戦争は、深層心理にまで及ぶ深い傷跡を日本民族に残したのである。

 

憲法改正をする時としては、日韓基本条約、日ソ共同宣言、日中平和条約など一連の戦後処理が終わったとき以降の安定政権の時だろう。その最初のチャンスは、中曽根内閣の時である。中曽根康弘氏は、これまで皇族以外で大勲位菊花大綬章をもらった唯一の総理大臣である。それは、憲法改正しないで政治の面での天皇制を護った功績なのだろうか?(この勲章も明治の遺物である。)

 

3)まともな国になるには:憲法改正の要点

 

日本がまともな国になるには、国家元首と日本国軍を憲法に規定しなければならない。その唯一の方法は、明治維新以降の歴史、特に先の大戦の再評価を行い、天皇の地位を江戸時代以前の姿に戻すことであると思う。つまり、名実ともに共和制への移行である。

 

その事により、先の大戦で交戦国であった国々や、戦場となった国々、更に、日本の一部として当事国であった、韓国、北朝鮮、台湾などから、真の平和国家として再出発する日本の覚悟に対して、大きな理解が得られるだろう。

 

それは誰も言ってこなかったが、多くの人達は気づいていた筈である。その動きは、小泉内閣の時にあった女系天皇容認論である。天皇の地位を徐々に小さくして、最終的には権威を消滅させるという手法である。それは、日本民族から天皇を奪い去ることになり、日本人はアイデンティティを失うことになる。

 

そのような元も子もなくする方法ではなく、元をしっかりと残す方法を考えるべきである。つまり、天皇を日本人の精神文化の中心に置くが、世俗の政治とは切り離す英断を、憲法改正とともにすべきである。それは、天皇を政治利用した薩長藩閥政治からの完全脱却を意味する。

 

そのために、旧皇族を復帰させて、男系男子の皇位継承を将来に亘って可能にする。そして、実際の政治においては、米国のように大統領選挙人の選挙と、選挙人による投票という形で大統領を決定する規定を、憲法の中に書き込むのである。更に、日本国軍を再興する。実際には、自衛隊を自衛軍と現行の英語名をそのまま翻訳するだけである。

 

天皇を精神文化の中心に置くことは、近代国家として必須の政教分離原則も明確に担保され、同時に、天皇陛下が現実の政治の泥をかぶる可能性も取り除くことができる。そして、それが天皇軽視でないことを、天皇を尊崇する日本国民に納得してもらうには、明治維新からの歴史見直しが必須なのである。

 

それは、大日本帝国の天皇制は、薩長が倒幕のために天皇を利用したことが出発点にあることを、国民が学ぶことである。つまり、蛤御門の変などで、革命軍的な薩長軍が徳川軍を圧倒する方法として、錦の御旗を偽造して用いたことが関係している。

 

その利用が上手く行ったので、明治憲法の第11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と定め、賊軍の末裔と考えられる可能性が高かった薩長軍(軍の要職はほとんど薩長が占めた:ウイキペディアの藩閥政治参照)の権威を高め、その後の政治支配にも利用したのである。

 

因みに、この明治憲法の規定が、中国大陸における関東軍の暴走など、先の日中戦争の間接的な引き金であったことは良く知られている。

 

これらを成し遂げるには、かなりの努力を要する。しかし、国難が極めて高い確立で予想される現在、それを成し遂げなければ、日本は滅びる可能性が高い。

 

(11月3日夕刻:改訂、整理出来ていない文章で失礼しました。)

 

補足

 

1)大日本帝国の政治は藩閥政治と言われ、薩長土肥出身の有力者により政府要職が独占されていた。要職は、藩閥の周囲(縁故関係など)に拡散はしたが、その延長上に現在の日本もある。現在の総理も副総理もその系列下にある。https://www.mag2.com/p/news/215037/2

 

2)統治行為論は司法にも手の届かないところがあるというのだろうが、国家元首が規定されていない場合、行政の独走を許すことになる。歴代の最高裁判事は、私の考えでは、遊んで高給を食んでいる。

 

3)韓国大統領が、「徴用工問題で三権分立の原則を尊重し」というのは、国内用のセリフであり、外国つまり日本に向けてのメッセージではあり得ない。外交は元首の名に於いて成されるのであり、そこにはその国の最高裁の出る幕はない。

 

4)諸説あるようだが、Wikipediaの「日本の元首」欄をみると、元首など不要だという学者(浦部法穂)もいるようだ。元首が居なくて、誰が内乱のときに戒厳令をだすのか? 学者とはXXの別名なのか?

一昨日の記事の続きを、二回に分けて書くつもりです。その一回目が以下の文です。元気を無くして二回目が書けない可能性もありますが、表題だけ二回分の題とします。素人の文章ですので、そのつもりでお読みください。

 

1)昨日の延長として、将来の東アジアを考えてみる。時間的には近い可能性があるが、内容的にはあまりにも遠い先の話なので、素人の私にも一定の発言権と発言力があるだろう。昨日は日本の暗い近未来を予想する文章を書いた。今日はそのように考える根拠と、その結果も想像して書いてみる。

 

その日本の将来に向けて、中国と日本の中心にある人達は、準備をしているのかもしれない。その法律が、新入管法とアイヌを先住民族として認定する法案である。中国は、北海道を重視し、李克強も王岐山も、来日した際には北海道に視察に出かけている。何故なのか?

 

恐らく、中国は将来の覇権構造として、米国、ヨーロッパ諸国、ロシア、中国の4領域を考えているのだろう。そのロシア圏と中国圏の領域の境界として、北海道を考えているのではないだろうか。

 

今年1月に、チャネル桜において、伊藤貫氏から話を聞く番組がyoutubeにアップロードされたとき、その感想をブログ記事に書いた。その時、後半部分は中国と米国の覇権争いの中の日本というテーマだったのだが、感想文は次回に書くとしながら、これまで書けなかった。それは、伊藤貫氏が話す日本の国際的位置が納得できなかったからである。それは、中国の覇権域の中の日本である。https://www.youtube.com/watch?v=0bwlpoETjxQ&t=5069s 

 

24日のペンス副大統領の演説では、トーンが昨年より相当宥和的になったという。それを予見するような話が、一年弱前の伊藤貫氏の話の中にあった。

 

トランプはある段階で取引を行うことで、この経済的封じ込めをやめるだろうという予測である。その考えは、オバマ政権時代のCIA副長官(2010-2013)のMichael Morellが分析していることだという。米国が現在の中国と折り合いを付けるということは、日本が中華圏に入るということになる。(補足1)

 

マイク・モレルの分析の基礎にあるのは、中国の確実な経済発展である。経済的封じ込めが出来ないと考えるのは、中国は2,014年に購買力ベースで殆ど米国と同じGDPに達し、その後、おそらく米国を抜き去っているとの予測による。冷戦時代のソ連との関係とは異なり、中国はすでに自由主義世界の経済にあまりにも深く入り込んでいる、そして、すでに中国は経済的に米国を超えているからだという。(補足2)

 

米国には、取引のオプションしか無いが、それは結局東アジアからの米国の撤退ということになる。その切っ掛けは、5-10年先に何らかの戦争が西方で起こったとして、米国と中国が第二のヤルタ会議のような会議をひらいた時、取り決められるだろうと言うのである。

 

2)安倍総理が日本の置かれた上記情況を知ったのなら、そしてそれを考えた上で上記2法案を通し中国人の大量移民の流入を考えたのなら、安倍総理は優秀なスタッフを抱えており、その説得による現実的判断なのかもしれない。

 

安倍総理は、ロシアとの連携を考えただろう。日米露印の連携により、中国の脅威(将来起こり得る理不尽な要求)を抑えて、日本の独立国としての体裁を高めるのである。これはモスクワにいる北野幸伯氏(恐らくプーチンに近いのだろう)の考えである。プーチンも世界一長い国境線を持つ中国との関係を対等な形に維持するには、日本を利用し米国との関係も改善して、経済力をつけるべきだと考えるだろう。

 

その際、日本との友情樹立の証として歯舞色丹を返還することなど、ソ連時代なら簡単だっただろう。しかし、ロシアには選挙がある。ロシアの一般市民は、日本が敗戦を受け入れると表明した後に、満州、朝鮮、樺太、北海道周辺などで、民間人を含め数十万人の日本人を捕まえてシベリヤ送りにしたことや、大量の日本人を虐殺、強盗、強姦したことなど、教えられていないだろう。そのような情況で、ロシアの一般市民を説得することは不可能である。プーチンは中国の下にあって、中国に協力する路を選択するだろう。

 

安倍総理も、誠意あるロシアの態度無くして、日露平和条約を結び、経済協力を大々的に開始するのは、ロシアへの属国化を意味するので出来ない。更に、トランプは東アジアを切り捨てる方針を決して捨てないだろうし、トランプでなくても米国の減退する実力がそれを強制するだろう。トランプはその姿勢を、早々にTPP(環太平洋パートナーシップ)からの脱退という形で示した。(補足3)

 

更に、日本は憲法改正もまともに出来ない国である。日本国民は、米国とそのコバンザメ的日本の官僚政治家により、徹底したWGIP(戦争犯罪史観の徹底)の教育を受けている。その結果、「戦争は外交の一環であり、軍備は国家の背骨である」など、人類史の常識すら完全に奪われている。

 

日本人の殆ど、特に婦人方は、平和教信者であり、日々平和という言葉を“お経”のように唱えることで、世界の国々は日本の平和に協力してくれるはずだと信じている。野党議員は、その層の代表であり、非武装中立と非核三原則を金科玉条のように考える人たちか、日本に対し敵意を心中深く抱く人たちだろう。

 

そのような情況で取りうるのは、これまで世界がコンセンサスとしてきた自由貿易の原則に反するトランプの姿勢を逆手に取って、日中友好を演出することだったのかもしれない。しかし、それは国家としては自殺行為に見える。

 

自由を奪われる香港のように、虐待されるウイグルやモンゴルのように、そして、完全隷属を演じた李氏朝鮮のように、日本はなるだろう。

 

その時になって、日本人は「戦争は外交の一環であり、そのための軍備は国家の背骨である」という言葉の意味を知るだろう。日本人得意の忖度でもって、天皇制は日本人自身の手で破壊することになるだろう。天皇家が、伊勢神道のトップとしての位置に残れるかどうかも明らかではない。

 

天皇の2文字は早々に憲法から消えるだろう。その時、日本は日本でなくなる。日本で無くなっても、日本国という名前、その時恐らく大勢の外国人を抱えているだろうが、日本国民という括りは存在するだろう。それに耐え難い苦しみを感じるのは、主として知識人、特に、右派系の知識人だろう。

 

日本人の必須科目は、英語ではなく中国語の習得となるだろう。数年して、殆どの人々の脳裏から天皇は消えるだろう。それを寂しく思うのは、少数だろう。あのマッカーサーも、直ぐに日本の神となったのだから。

 

補足:

 

1)勿論、中国が自己崩壊する可能性はあるが、それはずっと先の話である。また、自己崩壊なら米国の方が早いだろう。米国はともかく民主主義の国である。国民を束ねる箍(たが)が緩い木製であり、形がバラバラの板を束ねている情況である。中国は金属製の箍であり、板が変形するほどに締め付けられる。

 

2)伊藤貫氏の話では、中国は2010年に世界との貿易が最大になり、2014年購買力平価で計算したGDPで世界最大になった。世界諸国で、米国と取引が無くなった時よりも、中国と取引がなくなった時の方が経済的に困ってしまう国が多い。従って、中国は自由主義経済の世界におけるメインプレイヤーであり、経済的封じ込めには遅すぎ、現在では無理である。

 

3)CBS NEWS 7月3日の記事「Why the U.S. could "possibly lose" war against China in East Asia(何故米国は東アジアでの戦争に“恐らく負ける”可能性が高いのか)」

で、前CIA長官代理のマイク・モレルは以下のように言っている。

中国の世界で拡大する影響力は、米国の軍事的、経済的、技術的な面での直接的脅威となっている。多くの人は中国が米国の最大の国家的脅威であると考えている。

そして、中国は世界のどの国よりも急速に米国に追いつき、東アジアで戦争になれば米国は負ける可能性さえある。中国の脅威は、中国が米国の賞賛の対象から手強い競争相手になった経済の分野や、香港において明確になっているように、地政学的影響力において顕在化している。中国は、東アジアは過去自分たちの勢力圏であったし、それを今後回復するのだと考えている。

トランプは、米国大統領として初めて中国問題を主要課題と見なした。その解決策は多くの人が関係しているが未だ解決策がない難題だが、トランプの策は狭い視野での考察に基づいている。トランプが冒した特に大きな間違いは、環太平洋パートナーシップから抜け出したことだと思う。(訳は簡単な意訳ですので、詳細は元の文を御覧ください。)

https://www.cbsnews.com/news/us-could-possibly-lose-war-against-china-in-east-asia-michael-morell-says/