1)ローマ法王の核兵器廃絶パーフォーマンスには別の目的がある?

 

今日、ローマ法王フランシスコが日本に来る。日本では、広島と長崎を訪問して、例のごとく核廃絶を口にするだろう。それは、「ピストルで殺された人の家族を訪問して、あなた方を始め世界の人類はピストルを持つべきではない」と言うに等しい。何故、ピストルを持つ殺人予備軍のところに行かないのか? それでも、広島と長崎の市民たちは、ローマ法王の核廃絶宣言を有難がるのか。

 

この件については既にブログ記事として書いている。ローマ法王が執拗に日本に来て、核廃絶プロパガンダを行うのには何か他に理由がありそうである。ローマ法王も十分知的な人物だろうから、日本で核廃絶を訴えることの無意味さや虚しさには気付いている筈である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html

 

それなのに、何故日本に来てそのようなパーフォーマンスをするのだろうか。私は、あの米国オバマ大統領による広島訪問を思い出す。核廃絶に努力すると言って、被爆者の方と抱擁する場面を感激的だとして称賛する人も多い。しかし、その前日か前々日、オバマは米国における核兵器開発予算の大幅増加する案に署名している。その記憶を明確に頭に置きながら、あのパーフォーマンスが出来るのである。(ワシントン在住の伊藤貫氏の講演)

 

その神経は、凄いとしかいいようがない。ローマ法王の核廃絶宣言も、それと同様の政治的プロパガンダだと考えて間違いない。何故なら、核廃絶など現在の世界の枠組みでは不可能だからだ。それは、ロシアとそれに引き続いて米国の中距離核の開発と増産を考えれば分かる。また、北朝鮮から核兵器が無くならないことでもわかる。あのカダフィの核放棄宣言と、その後彼が殺害されたことの関係を、金正恩は知っている。

 

ローマ法王フランシスコは、イエズス会のトップである。嘗てイエズス会は、16世紀に世界中にキリスト教を布教して、人々に神の愛を説き、キリスト教の足場を作った。その後、西欧の国々がそこを植民地にし、そこから奴隷を調達した。そのような奴隷商人への協力(未必の故意的協力)を日本でも行おうとしたことを、広島長崎の人たちも知るべきである。

 

16世紀の日本には、イエズス会のフランシスコ・ザビエル、その後ルイス・フロイスが来ている。彼らは直接日本人奴隷を南方のポルトガルの植民地に売買したのではないが、結果的であるにしても、そのシステムの最初の段階、つまり奴隷調達地での基地作りを、受け持ったことは事実である。秀吉がバテレン追放令を出した主な理由は日本人奴隷売買の事実を知って激怒したのである。https://ironna.jp/article/11884?p=1

 

今回の日本訪問も、バチカンの“営業活動”と関係がありそうに感じる。ヨーロッパではもはや布教余地の少ないバチカンは、アジア特に中国を布教可能地域と捉えているようである。中国と一旦トラブルを抱えたが、それでも法王フランシスコが和解したのも、その大きな市場への配慮である。つまり、ヨーロッパの中国宥和姿勢と同じ構図である。https://www.afpbb.com/articles/-/3194951?cx_part=search

 

バチカンは独立国である。金を稼がなくてはならない。歴史的遺産だけではやりくりが大変である。マネーロンダリングに利用されても、仕方がないと考えている可能性もある。それは受け身で悪事へ加担することだが、その姿勢はイエズス会の16世紀と共通すると思う。https://www.newsweekjapan.jp/column/ikegami/2012/03/post-483.php

 

2)バチカンは、中国のアジアでの覇権拡大の尖兵的役割をするのか?

 

上記のように、バチカンが中国を有望市場と捉えているという考え方は、共同通信の記事による。https://www.businessinsider.jp/post-177501 この通りだと、イエズス会が植民地拡大の尖兵となったことの歴史の繰り返しではないだろうか?

 

上記記事では、日本でのパーフォーマンスを評価した習近平が、ローマ法王フランシスコの訪中を認める可能性があると考えているようだ。その理由の一つとして、台湾がヨーロッパで唯一の国交を持っている国がバチカンであり、そのバチカンを台湾から剥がすことを習近平は考えている可能性である。

 

習近平は中国の覇権を世界に広げる中世的皇帝である。チンギスハンやフビライ・ハンが描いたような壮大な夢を持っているのかもしれない。例えば、中国が水面下で狡猾(こうかつ)に組織的なスパイ活動と利益誘導を駆使してオーストラリア政治体制の「乗っ取り」を企てていると、オーストラリア保安情報機構の元トップが豪紙とのインタビューで警告した。https://www.afpbb.com/articles/-/3256136?cx_part=topstory

 

また、イタリアのネット新聞「PRPチャンネル」は、「ニュージーランドにおける中国の影響は機密通信を脅かす」と題する記事を掲載し、以下のように記している。

 

カナダのセキュリティ情報機関(CSIS)の専門家が作成した「中国との戦略的競争の時代」と題する報告書によると、中国は貿易交渉で利益を得ること、中国に対する否定的見解を抑え、スパイ活動を促進し、ニュージーランドの中国駐在員コミュニティの見解をコントロールすることを目指している。 結局のところ、北京は、ニュージーランドを地域的かつ世界的な影響力を主張するための手段としてとらえようとしている。

 

ローマ法王の姿勢は、香港問題についてどのように発言するかを見ればわかるだろう。日本のマスコミは記者会見があるのなら、是非その件を詳細にぶつけてもらいたい。(EOF)

今朝のNHKの番組で、花岡事件に関する慰霊の催しが報道されていた。この件、以前にも放送され、その感想文を別サイトに掲載していた。そこで、そのまま再録することにした。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/07/nhk.html 

犠牲者の数など、今回の放送内容と違うことなど、色んな意味で参考になると思う。日本が、中国の覇権下にはいると、いろんなイジメの材料が出てくるだろう。その一つがこの事件だと思う。
 
その新しい日本の苦難を、できるだけ小さくするには、何度もブログに書いたように、日本独自に戦争を含めた近代史の総括が必要である。それは、世界全体の中での日本という視点でも大きなプラスになると思う。
 
そして、同時に一票の格差を全廃し、国政選挙の区割りを道州制にして、地方の利権と離した形で国政選挙を行うべきである。そうすれば、現在の自民党は存在根拠を失うだろう。米国に占領される前の自由党と民主党の2大政党制に類似した政治構造ができれば、もうすこし現実的な政治が出来ると思う。
 
その結果、明治以降の古い日本を統治する勢力と離れて、新生日本を建設出来るかもしれない。そこで、完全に薩長土肥による革命政府から、まともな日本政府ができるかもしれない。憲法改正は今ではなく、その段階ですれば良い。今後、米国が覇権を放棄した東アジアで生きていくには、その程度の大きな変革が日本に無ければならないだろう。

再録)花岡事件について(NHK夜9時のニュースを見ての感想)

太平洋戦争時に、日本国内で不足する労働力を補充する為に、中国人を動員することを定めた「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定し、1944年に重労働の為に中国人労務者3万人の動員計画が盛り込まれた。

花岡事件は、1945年6月30日に秋田県の花岡鉱山で動員された中国人労務者が蜂起し、集団脱走をはかり、その後鎮圧された事件。戦後、過酷な労働環境について損害賠償請求裁判が提訴された。

秋田県花岡川の改修工事などの為に鹿島組で戦争末期に使役についた中国人約1000人のうち、事件までに137人が亡くなった。彼らは過酷な労働条件に耐えきれず、1945年6月30日夜蜂起し、日本人補導員4人などを殺害し逃亡を図ったが、憲兵、警察、警防団の出動により、多数の労働者が拷問などを受け弾圧(殺害)され、総計419人が死亡した。

連合国によるBC級戦犯横浜裁判では、鹿島組の3名が絞首刑の判決を受けた後、終身刑等へ減刑されている。

今年大館市の十瀬野公園墓地で中国人犠牲者の慰霊式が、日中の関係者100人以上が出席して開かれた。大館市長や父が花岡鉱山に連行された遺族代表の王敬欣さんが慰霊の言葉を述べた。

この事件、日本側の担当者が戦犯として裁かれ、そして、日中が平和条約を締結したからと言っても、それでおしまいという訳にはいかないだろう。安倍さんの戦後70年談話を控えて、この談話のあるべき内容について考える為の材料にしなければならない。

 

1)職場での上司による「パワハラ」が屡々報道されている。例えば、郵便局では、年賀はがきを売る人にノルマを課し、その達成をパワハラ的に上司が要求するようだ。その達成が容易でないために悩んだ挙げ句に自殺した人がかなり居る。下のサイトのケースもその一つである。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191118-00010000-nishinp-soci

 

この職員が一般採用で入社したのなら、労働協約に年賀状売上枚数などの定めなど無かっただろうから、ノルマという形で販売目標が提示されたとすれば違法である。ここでノルマとは、達成できないなら、何らかの処罰があることを前提に提示された労働成果の数値目標である。

 

ノルマという言葉は、第二次大戦後、シベリアに抑留されていた人たちが帰国した際に日本に広まったという。個人の自由と人権の確保を、最重要と考える現行憲法の下の日本に、このような不正が今でも存在するのは非常に腹立たしい。国会の野党議員は一体なにをしているのか。

 

このケースでは、おそらく上司は“努力目標”と喋っているだろう。しかし記事によれば、人権侵害の可能性のある“処罰”が上司により下されていた。「お立ち台」と呼ばれる台に上がり、数百人の前で謝罪させられるのである。

以下この問題を掲載した記事から引用する。

 

毎年、年賀はがき7千~8千枚の販売ノルマが課せられた。金券ショップに転売する同僚もいたが、転売は禁止されており、真面目な夫は「俺にはできない」。自宅には、自腹で購入した年賀はがきが山積みになっていた。歳暮や中元、母の日…。歳事のたびにゆうパック商品も購入。夫は「時間内に配達するので精いっぱい。営業なんかできるわけがない」とこぼした。

 

この方は、うつ状態になり、最後は勤務局の4階から飛び降り自殺した。9年前の出来事である。その後、配偶者の方は、職場からこのような被害者を無くするよう訴える集会に出席するなどの活動をされているようだ。上記記事全文を読むと、腹立たしさと悲しさで胸が詰まるほどである。

 

2)このケースでは、実質的に上司による部下からの給与の剥奪である。それを非常に陰湿な方法、つまり、不可能な販売ノルマを課し、達成出来なかった分を自分で購入するように仕向けるという方法で行っているのである。

 

上記記事が中心的に取り上げたのは9年前の事件だが、2年前にも同様の理由で自殺者が出たと書かれている。つまり、このような事が、今でも多くの郵便局で行われているのだろう。現に、最近話題になっているかんぽ生命(日本郵政の一角)での不祥事も、その延長上の出来事である。(補足1)元日本政府の中にあった企業体で、このような方法が採られていることは、日本全体の問題、文化の問題であることを示している。

 

この目標設定をして業績を伸ばす方法の日本での起源は、実はソ連のノルマではなく、米国のピーター・ドラッガーの本で紹介された目標管理制度(Management by objective; MBO)という経営手法のようである。

 

ドラッガーの方法では、上司と部下が話し合いを通して、担当する仕事の目標を具体的に設定することで、その部下の仕事と会社の目標とをリンクさせる。そのプロセスを意識させ、労働意欲を高めることがMBOの目的であると解説されている。https://www.hrpro.co.jp/glossary_detail.php?id=24

 

仕事を神が与えた罰であると考える傾向にある欧米人(補足2)に対して、会社の目標と個人の目標を具体的にリンクさせることで、自分の労働の意味の理解と労働意欲の向上を喚起させるのである。その思想(手法)を、仕事を人生の中心に置く日本人に応用するのなら、単に会社の目標と自分の仕事をリンクさせる話し合いで十分であり、数値目標は参考程度で十分だろう。

 

日本におけるMBOの猿真似は、経営者のエゴイズムと重なり、ソ連のノルマに変身したのだろう。会社にとってはむしろマイナス作用であることが理解できないのは、経営陣の能力不足であると思う。(補足3)

 

この会社全体の業績向上を直接会社員全体に押し付ける方法は、後で述べるように、日本の会社が共同体的であることを利用している。つまり、労働者の人格は、名刺に書かれた会社の一員であることに一致するのである。それは、一定時間会社に労働を提供し、その対価を受け取るという西欧の機能社会的会社とはことなる。

 

日本の大企業経営者は、家族経営の延長上にある小企業の共同体的性格を大企業にまで持ち込むことの是非を、深く考えるべきである。飲み会や花見の会などの社内行事のあり方から、見直すべきである。

 

そして、社会全体としては、開かれた労働市場の実現により、労働力の流動性を高めることが大事である。つまり、適材適所を如何にして実現するのか、そしてそれら人材が能力を発揮できる環境(主体的に成果を求める環境)をどのように作るか、それをどのように組織全体の力として積み上げるか、を考えて日本の文化の中で実現すべきである。

 

「言うことは素人でもできるだろうが、本当は非常に困難なのだ」という反論は、MBOの猿真似的なノルマを企業経営に持ち込むことを止めてからにしてもらいたい。

 

3)パワハラなどのハラースメントが頻発する背景と日本の社会の特徴

 

ハラースメントの意味は、迷惑行為に近い。ただ、「XXハラ」と呼ばれるものは、被害が繰り返得されることが特徴であり、そして、その背景は単純な犯行よりも広く複雑である場合が多い。従って、暴行や傷害などで加害者の処罰はあり得るが、それは本質的解決ではない。

 

身体的、心理的な犯罪性では、刑法で罰するレベルではない場合でも、その社会的、文化的な性格のため、被害者にとっては非常に深刻な場合も多い。上記郵便はがきの販売ノルマのケースも、会社ぐるみのことであり、一個人を例えば名誉毀損罪などで裁いたとしても、それだけでは済まされない、社会全体に関係する深刻な問題を含んでいる。

 

“XXハラ”の一種に分類される「学校でのイジメ」が大きな問題になった時、ブログの記事を書いたが、その時、いじめの定義を以下のように書いている。

「いじめとは、共同体内の特定の構成員を孤立した状態に置いて、心理的圧迫や肉体的暴行を集団で加える行為である。」https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/07/blog-post_12.html

 

つまり、通常ハラースメントと呼ばれる犯罪的行為は、共同体内で行なわれるという点が重要である。パワハラなども、一人の上司の特定の小言が怖いわけではない。それが(共同体的性格の濃い)日本型企業の中でのイジメ的な処罰につながるから恐ろしいのである。

 

上記「お立ち台での謝罪」も、この種の集団での心理的暴行の類である。つまり、数百人の前で謝罪させられるイジメでは、上司だけでなくお立ち台を眺める数百人の従業員は、気が付か無いかもしれないが、イジメの共犯になっているのである。(補足4)

 

更に視野を大きく採って、日本社会全体を眺めてみると重要なことがわかる。つまり日本の、学校、地域社会、会社など、全ての社会が共同体的性格を濃く持っているのである。その結果、日本全体も一つの大きな共同体となっている。

 

日本の民族主義者(右翼)は、国は民族共同体で在るべきだと考えるのだろう。しかし、それは全体主義への入り口である。その考えを拒否されたのが、上皇や今上天皇の「象徴としての天皇を追求する姿勢」である。民族共同体的国家を目指す連中に、世界の中の日本を客観的論理的に考えることなど出来る訳がない。(補足5)

 

日本社会の様々な非効率、不合理、不平等などは、本来機能社会的でなければならない国家、学校、会社などに、共同体的性質を過剰に持ち込んでいるところにあると思う。(22日早朝、編集)

 

補足:

 

1)保険の切替時に、保険金の二重取り、或いは、無保険期間が発生していたという事件。ここで、係員は二重取りになるケースを知りながら、その際に新規契約の実績となるので放置していた。https://newswitch.jp/p/19771

 

2)多くの人がご存知だと思う。欧米人が労働を苦役と考えるのは、旧約聖書の創世記にあるエデンの園での出来事が原点にある。つまり、神の戒めを破ったイブとその夫アダムは、神から罰をうける。アダムに対して神は言われた「あなたは一生、苦しんで地から食物をとる」この話は、新約聖書の有名な「山上の垂訓」の中にも現れる。

 

3)グローバル化の世界で会社が発展するには、業務における新規な展開とその方法を会社の角層が広い範囲の視野で見出すことである。このような安易な方法で業績上昇を目指すことは、その時間と機会を見逃すことになる。

 

4)最初の記事の中で、自殺した人配偶者の方の言葉に注目してもらいたい。

“ミスを起こした局員は「お立ち台」と呼ばれる台に上がり、数百人の局員の前で謝罪させられた。「怖い。絶対に上がりたくない」と夫は漏らしていた。”

 

5)共同体の中では、論理や利害を超える価値を、その共同体のメンバーであることに置く。共同体とは、情の集団である。機能社会とは、現実的利益を重視する社会である。国際社会の中で重要なのは、現実的利益を最重要視する姿勢であるのなら、日本は共同体的社会を重視する傾向にあることを自覚するべきである。