1)安倍内閣の新型肺炎ウイルスに対する水際作戦は、実質的にはなにも無かった。その不作為の故意(補足1)の理由がわからないので、一昨日の記事では、安倍内閣にその流行に対する期待があるという、自民党幹部たちの“ヒソヒソ話”について書いた。

https://kovlog.net/possibility-biological-weapon/

 

上記記事では、内閣の片隅で「新型肺炎流行を安倍内閣延命の神風」と内閣長老らがコソコソ話していると書いてあるが、私は「新型肺炎流行を周近平訪日中止の為の神風」と安倍総理が密かに考えていると想像した。

 

日本政府が新型肺炎の流行に期待しているなんて、信じられないだろう。しかし実際に、保健所は、新型肺炎が体調不良の原因だと十分疑われるケースでもPCR検査を拒否している。今朝の記事に書いたように、責任者の指示がなければ、その姿勢を改めるべきだという類の議論は起こらない。それが日本の弱点である。(補足1)

 

具体的な数字をあげると、韓国では25日夕型の時点で一週間に7800件程のPCR検査を実施しているが、日本では数百件にとどまっている。(2月26日中部地方5チャンネル、グッドラック、午前9:10ころから放映)つまり、日本政府は疑わしい者にPCR検査を実施して、正しく人命第一の治療をしたくないのだ。(補足2)

 

ここで神風の話を続ける。安倍内閣が新型肺炎の蔓延を望むのは、中国側から今回の周主席の訪問は中止しましょうという発言を期待しているからである。安倍政権は、“何らかの事情”で親中姿勢に舵を切ることになったが、流石に習近平の国賓招聘はあり得ないと、総理自身が考えるようになったのだと思う。しかし、自分の立場からは、中止を申し出られないのだ。

 

しかし、中国政府はそれでもそのような筋書きを簡単には許さないだろう。人民日報の記事には、以下のような耿報道官の声明が掲載されている。日中友好の雰囲気を盛り上げて、日本政府側から変な申込み(つまり、習近平招聘の中止)が来ないようにしているのだろう。

 

感染が拡大して以来、日本政府と日本国民はすぐに中国へ支援の手をさしのべ、中国に貴重な支持と支援を与えてくれた。中国は日本の友情を心に刻み、大切にする。今は日本国内の感染状況が中国国民の心を動かし、私たち中国国民はまるで自分のことのように感じている」(人民日報日本語版、2月22日号)http://j.people.com.cn/n3/2020/0222/c94474-9660817.html

 

25日の人民日報では、別の報道官(趙立堅報道官)が上記よりは遥かにクールな声明をだしているので、上記は耿報道官による最後の任務として発言した、安倍総理への「ゆめゆめ習近平訪日中止など考えるではないぞ」という警告なのだろう。

 

2)今後の安倍総理に望むこと:

 

日本政府の責任は、国民の生命と財産の保全である。安倍総理は、新型肺炎の対策を具体的に出し、日本の総力を注ぎ込んで抑え込むべきである。大相撲の春場所の中止、プロ野球など開幕を後ろにずらすことなど、大勢が狭い場所に集まることを、新型肺炎流行の終息の目処がたつまで禁止すべきである。

 

更に、感染者は隔離するようにし、そのための法整備などをすべきである。隔離施設としては、誰かが言っていたと思うが、過疎地域の再開発を兼ねる形で行うのが良いと思う。住民の合意は、相応の経済的利益で得れば良い。更に、今回の新型肺炎流行により冷え込んだ経済を支えるために、大型補正を考えるなどの対策も、当面、財政赤字など気にする必要なく実施できる筈である(MMTを元内閣参与などが言っている位だから)。

 

その結果、新型肺炎がおさまり、中国の習近平国家主席を国賓で呼ぶことになれば、日中両民族間の友好関係樹立という視点で、進めるべきである。あくまで、中国国民と日本国民の友好関係を全面に出し、現在の政権間の協力という短い視野の合意はしないのが良いと思う。

 

一旦動きだした習近平主席の国賓としての招聘は、余程のことがない限り、最早中止するわけにはいかないだろう。少しだけでも日中両国民の間の理解を進める方向に利用すべきである。天皇主催の晩餐会でのスピーチには、そのような視点に相応しい内容を盛り込んでもらうべきである。それは共同声明の摺合せの時点で交渉できる筈だと思う。

 

なお、下記のサイトでは、及川幸久氏は習近平主席のスピーチを予測している。私は、このようなスピーチにはならないと思うが、一応リファーしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=4wSOKFHJt7U&t=542s

 

兎に角、新しい時代の日中友好を謳うという未来志向のものにするべきである。更に、共同声明において「法治の原則、自由と人権を重視して、両国は国際社会で名誉ある地位を目指す」ことを確認するべきである。現在の中国政府が人権侵害を犯しているのなら、その件について火の粉をかぶらないように、すべきである。

 

現在の時点で、習近平の国賓招請の中止を日本側から言うのは、最初から何も話が無かった場合よりも、日中政府間と日中国民間の両方の関係を数段悪くする。それは、朝鮮有事なども考えると、非常に危険である。

 

国際情勢は動いている。中国も一年前の中国とは違うだろう。国際環境は、簡単には、20世紀の冷戦時代の形には戻らないだろう。日本国は独り立ちして、中国とも米国の背後からの支援や指示のない環境で付き合う必要がある。

 

そこで、できるだけの自由度を確保するために、日中両民族間関係の改善は「本来」悪い話ではない。もし、現政権により痛い目に合うのなら、できるだけ早い方が民族生き残りのためには良いだろう。

 

 

補足:

 

1)安倍政権の昨日発表の方針、及び23日書いたように、厚労省の指針における一般患者にPCR検査をする際の限定条項にある。そこには、「渡航歴や患者との接触歴などから、都道府県が必要と判断した場合に検査が行われる」と書かれて居る。欧米なら、このルールは改めるべきで、現場の医師の判断に任せるべきだという議論が、厚労省のどこかから発生する筈である。日本では、そのような業務マニュアルにない発言は、業績を稼ぐための目立つ行為であり、組織の和を乱すものだと周囲から白い目で見られるのである。

 

2)新型ウイルスに効く薬などないのだから、早期にPCRテストしても意味がないという意見が出されていた。(上記テレビ番組)しかし、陽性になれば、その患者を隔離できるし、例えばHIVの薬などが効く場合も確認されており、治療にもプラスである。

安倍内閣の新型肺炎ウイルスに対する水際作戦は、実質的になにも無かった。その不作為の故意の理由がわからないので、前回の記事では、安倍内閣にその流行に対する期待があるという、自民党幹部たちの“ヒソヒソ話”について書いた。https://kovlog.net/possibility-biological-weapon/

 

その記事は、新型肺炎を安倍内閣延命の神風と書いていたが、私は「新型肺炎流行を周近平訪日中止の神風と考えている安倍総理」を想像した。

 

そのような政府の不作為を許しているのは日本人の民意である。それについて書いた文章を紹介したい。25日のヤフーニュースにあった静岡大の楊海英という方の記事である。ニューズウィーク(多分日本語版)の3月3日号に掲載予定の記事らしい。(スマホで見つけたのだが、パソコンで探したが見つからなかった)

 

新型コロナウイルスが猛威をふるい始めてから、10日間ほど米国を調査旅行した時の体験談である。米国では、外でマスクをする習慣がなく、マスクをして街なかを歩くと、病院から抜け出してきたと思われるらしい。その一方、帰りの飛行機の中では、日本人たち乗客のほとんどが、マスクをしていたことに驚いたと書いている。

 

米国の人は、世界で最も清潔な国の日本が、何故中国について世界第二位の感染者数を出したのか関心を持っていたという。その謎を解く一つのヒントを筆者は成田に着陸する時に体験する。

 

機内アナウンスで英語と日本語で、「豚コレラ流行のために肉製品の持ち込みは禁止されている」そして、「一昨年からアフリカの一部でエボラ出血熱がはやっているので、体調に異常を覚える人は名乗り出るように」とアナウンスしたが、新型肺炎には一切触れ無かったという。

 

たまたまその客室乗務員の隣にいた楊氏が疑問をぶつけると、「マニュアルにないので、放送できません。上からそのように指示されています」と応えたという。入国手続を終えて荷物の到着を待つ間の税関当局の注意喚起も、機内放送とほぼ同じだった。好奇心に強く動かされたのだろう、楊氏は動植物検疫センターに行き、「新型肺炎の感染に対して何故注意の放送をしないのか?」と聞いた。答えはやはり「上司の指示がない」だったという。

 

このような話を聞くと、安倍政権の水際対策の失敗の理由として、最初に書いたような神風に期待している安倍政権とか、その神風を団扇であおいでいる安倍政権を考えるよりも、あってはならないことだが、単にこの日本人の平和ボケに安倍政権も罹患していたことを、考えるべきかもしれない。

 

この日本文化の特徴については、何度もこのブログに書いてきた。日本文化は、民族を高度に家畜化する文化である。個性を伸ばす教育をと言いながら、6才で小学校に入学すると、皆6年生になるまでランドセルを背負って通学させる。それは空気中を伝搬する無言の強制を察知する能力と従順であることの教育である。中学生になってランドセルから開放される姿は、昆虫の脱皮のように見える。

 

社会の中では目立たないことが善であり、沈黙が金である。予め決められたルートを通って、全員が同じように振る舞うのが、日本文化における本来の姿である。何があろうと、上の方から指示がなければ動けない。

 

上が動かないのだから、新型コロナウイルスだろうが原爆だろうが、全て大いなる自然の神の完全なる意思なのだろう。従って、黙って耐えるしかない。私は、人間は部分的に「社会の家畜」であると思う。そして、その考え方に基づけば、日本人とは究極の家畜集団である。

 

もし、日本社会の頂点にある内閣のトップが優秀なら、安定で平和な社会ができるだろう。しかし、もし優秀な飼い主を日本人が獲得出来ない(選挙制度を改めるべき!)としたら、日本民族は迷う羊の群れに等しい。明治後期から昭和前記にかけて、実際そのようだった。

 

敗戦後、新しい飼い主としてマッカーサーのアメリカが現れたときから、国際社会の中で日本民族は安定した。しかし、トランプは、割の合わない飼い主なんか嫌だと言い出した。そこで、安倍総理は習近平にすり寄った。日本人は、トップがその意思を示せば、下は何もできない。我々日本民族は、習近平が日本羊は食用ではなく、観賞用だと言ってくれることに期待するだけだろう。

 

嫌なら、明確に嫌だと言え! 

今朝、及川幸久さんの動画を見た。米国の次期大統領選挙で、バーニー・サンダースが民主党候補になれば、トランプの再選が危ういかもしれないという話であった。サンダースの後ろで応援しているのが、オカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)という30才の女性下院議員である。伴に、社会主義者である。

 

 

バーニー・サンダースの公約は大学授業料の無償化、医療費の無償化、そして最低賃金15ドル(時給だろう)である。非常に良い政策であり、是非米国はサンダースを新大統領に選んで、冒険をしてもらいたいと思う。及川さんは何時ものように、手短に且つ要領よく素晴らいい解説をしてくれている。それらを、検索したデータや私の考えと伴に紹介したい。

 

1)高い大学授業料と医療費を無償化する?

 

米国の大学授業料は非常に高い。年間400万円以上(平均で年間36900ドル)だと言う。及川氏は、自分の感覚ではもっと高いと思うと言っていた。多分、アイビーリーグなど名門大では、もっと高いのだろう。その授業料を、日本のように(相当の年収があっても)親は支払わない。それが米国の文化だという。

 

それでも、米国の大学進学率は高い。短大を含めた世界ランキングでは、米国は世界第二位であり、94%にもなる。http://top10.sakura.ne.jp/IBRD-SE-TER-ENRR.html 実力社会の米国では、学力をつけることは死活問題であるので、当然の数値だろう。それを可能にしているのが、政府保障の学生ローンである。

 

政府保障なので、学生は簡単にローンで金を借りることができる。従って、大学も十分な授業料を設定できるのである。米国の美しい大学キャンパス、その中で教授たちは良い給料をもらい、十分な準備をして授業に臨み、学生に最高の知識と考え方などを教えるのである。ローンさえ無ければ、素晴らしい大学生活である。

 

大学卒業後には、学生に多額の借金が残る。丁度、日本の住宅ローン位の感じだろう。通常40才代まで残るローンを、サンダースが大統領になれば、直ちに国が面倒を見るのだそうだ。40代までの若い人たちの票を地引網で根こそぎ獲得する可能性がある。

 

それに米国の高い医療費には定評がある。現在、米国ではインフルエンザが猛威を奮っているが、下層階級にとっては簡単には医者にかかれないという事情が絡んでいるようだ。例えば、急性虫垂炎で入院治療すると、750万円かかるという記事もある。医療費で破産する人も多いらしい。https://halmek.co.jp/travel/c/preparation/254

 

オバマ元大統領は国民皆保険を目指した。しかし、保健でも何でも強制されることを嫌う個人主義の米国文化には適合せず、トランプが大統領になって一部廃止された。如何なる保健でも、平均すれば保険制度の維持や事務手続きなど、余分な経費がかかるので、一人あたりの受益額よりも負担額の方が大きい。米国中間層は、それを嫌がるのだろう。

 

これら高額の大学授業料や医療費は、保健やローンなどを設定して対応するよりも、全廃するのが全体として安上がりである。社会主義が将来の人類の政治システムとして、大きな地位を占める理由の一つもそこにあるだろう。社会主義政権は大きな政府となるというのが定説だが、小さくなる場合もあるのだ。

 

 

2)新しい社会主義とネット時代の直接民主主義:

 

北欧型社会主義を目指すというのが、サンダース上院議員の方針だという。社会主義は独裁になり、独裁は国家を崩壊させるという過去の歴史による呪縛をどう乗り越えるのか? インターネットの時代の社会主義という考え方、つまり、オープンに政策を批判し提言する方式が採用されれば、小さな国家組織の社会主義国ができる可能性がある。

 

以下はサンダースの意見とは無関係に新しい社会主義のあり方を夢想してみる。この社会主義は資本主義と対立しない。以下は、素人の戯言として読み飛ばしてもらっても良い。何れ、独立した記事にしたいが、何時になるかわからないので、ここに書く。それはネット時代の直接民主主義である。

 

国民の意見をビッグデータとして積み上げ、その評価・分析をオープンなシステムで行う。そこでは過去において知恵ある意見を出したものの意見が、大きな重みをつけられて、分析システムの中央部分に投入されるようにする。それら全ての意見のベクトル的合成が得られた時点で、それを元に国民の代表者が政策立案を行う。そのサイクルを二三度繰り返して行政を遂行するのである。

 

何か新しく起業する場合でも、起業システムに提言を出す。それをオープンな評価の場(サイバー空間)に出して、議論の対象とする。この議論において、新規起業の方向と予算が決定され、その立案に功績のあったものに、ICO (initial coin offering) 或いはIPOにおいて、その会社の持ち分が与えられる。この方が、企業経営においても独裁的な経営方針で破産する危険性を防止できるだろう。これらの情報処理には、AIが大きな役割をするだろう。

 

この時、外国からのサイバー攻撃が大きな問題になるだろう。従って、国内だけに接続された“政治的国内ネット”を作り上げるのが良いかもしれない。一家に一台、従来のインターネットとは別に国内独立ネットに接続するマシンを持つのである。例えば、日本なら、二つの光ケーブル網を平行に走らせて、一つを国内ネット専用に利用するのである。

 

 

3)MMTについて:

 

上記、オカシオ・コルテスが主張するMMTは、バーニー・サンダースの経済アドバイザーのニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授などが1990年代から主張しているものである。つまり、社会主義政策を行う時、お金は必要なだけ政府が発行すればよいではないかという考えである。

 

クラシックな経済学者や実業界からは批判が出ているが、MMTにはそれなりの合理性があると思う。MMTの考え方は、一定以上のインフレにならない限り、財政を新たに発行した政府通貨により行っても良いという説である。中央銀行が通貨を仕切っている場合、国債を直接中央銀行に買い取らせて、その金を財政支出に使えば良いというのである。

 

この件、経済評論家の三橋貴明氏や京大工学部教授で内閣参与だった藤井聡氏が、政府の財政拡大策を支持するために提唱していた。上記ケルトン教授の講演会も開催していたと記憶している。しかし、私は素人ながら、MMT理論は日本には適用できないとブログに書いた。何故なら、日本は食料もエネルギーも外国に頼っているので、円売りが生じた時、耐えられない可能性が高いからである。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/mmt.html

 

MMTの考え方は、政府が放漫財政に陥らなければ、採用しうると思う。再び以下は、素人の戯言として読み飛ばしてもらって良いのだが、私の夢想した考えを書く。財政の健全性や政府の予算案に対して、オープンなネット評価システムを用いるのである。

 

これは行政に直接民主主義を取り入れる一方法である。ビットコインのマイニングのように、有効な評価を提出したものに対して、税金控除というメリットを与えるのが良いだろう。

 

一般に、MMTの採用には、自国通貨たての国債が発行できる国、一定以下のインフレであることなどの条件があるというが、それだけではないと私は思う。国家としての信用がある国、自国だけで最低限の経済生活が維持できる国でなくてはならないだろう。その候補の第一が米国である。オーストラリアやカナダなどの英連邦諸国も可能だろう。

 

通貨には信用が必要である。日本のような大勢の知恵の集積の結果として、国家の方向が決められない国、組織の上下で議論や情報の円滑な伝達のない国では、放漫財政になって通貨価値の急落が起こる可能性がある。その時、日常生活に必須の食料やエネルギーが外国から入手できなくなるような国では、MMTは無理である。

 

(以上です。議論や玄人によるお叱りの言葉を期待します。)