新型コロナウイルスによる社会全体の被害は、行政の良し悪しに大きく依存する

 

新型肺炎COVID-19に対する行政が取るべき対策について、少し書いて見たい。先ず言いたいのは、日本の行政は一般に警戒心が薄いことである。昨日の安倍総理の全国に向けた要請も、必要性と効果を熟慮して出されたものではなく、多分に選挙対策的(つまり口先介入的)である。

 

例えば、学校を3月始めから休みにした時、どのような効果や影響があるかについて、広視野での考察がなされていない。テレビでは、学校を長期休暇にすれば、子供は遊び廻って感染し、それを家庭に持ち込む危険性が増加すると言っていた。更に共稼ぎの夫婦の家庭の場合、子供を家に放置すると、何かと問題が起きそうである。

 

それを考えてか、大阪府の松井知事は、その期間中に子供を濃厚接触しない状態で、府下の学校が預かると発表している。橋下徹氏が知事になって以来、大阪維新の会の行政はしっかりして居ると思う。

 

今朝、地区の回覧がグループの長を務める人から回ってきた。たまたまだが、今年の回覧は最初に私の家の新聞受けに入る。それは、25日の日付の市長の新型肺炎対策についてのメッセージであった。先ず、28日になって一般住民に緊急回覧ではなく通常の回覧として回された点で、緊迫感の無さが分かる。

 

その回覧には、前回ブログ記事に書いたように、「感染力や重症化に関しては過度に心配する必要はないとされていますが、市民の皆様には、通常の風邪やインフルエンザ等の対策と同様、手洗いやアルコール消毒、咳が出る場合にはマスクの着用等、感染予防対策にご努力いただきますようお願いします。」という市長のメッセージが書かれていた。

 

「通常のインフルエンザ等の対策と同様」では、このウイルスへの対策としては全く不十分である。認識不足であり、市長は反省してもらいたい。

 

ここで、一つの動画を紹介したい。それは中国人医師のこの病気の特徴を述べたものである。掴み所がなく、非常に危険なこの病気の正体と、それに社会全体の対策について語られて居る。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=nvmORGDDCKQ

 

最初の中国人医師は先ず、このCOVID-19ウイルス病は、個人間で症状にばらつきがあり捉えどころがないので、乱破ウイルスと呼んで居ると話している。感染しても症状が出にくい人がいて、潜伏期間にも1−24日という広い範囲に散らばっている。そして、感染力も非常に大きいので、熱も咳も出ずに出歩いた人が病原ウイルスを広げてしまう可能性が高い。

 

そこで感染した人に重篤化する人もいるし、自分が病原ウイルスをばらまいたことに気が付かないうちに治ってしまう人もいる。全員検査する訳にはいかないし、検査の信頼性にも揺らぎがあるので、社会全体としての危害が大きい。

 

「PCR検査は信頼性が低いのは、この新型ウイルスが出てから発明されたことも関係している」と言う部分は、恐らく誤訳を含むだろう。PCR検査はずっと前から遺伝子操作を伴う研究で用いられ、犯罪操作などでも多用されていたからである。

 

発症前の検査での陽性になる確率の40−50%という発言も、恐らく、サンプルが含むウイルスの濃度が極めて低いことが原因だろう。PCR検査自体の問題というよりも、検査プロセスつまり、従来の検査マニュアルに問題があるのだろう。

 

従って、PCR検査においては、サンプリングの方法、検査における反応の増幅回数(検査時間)など、新型コロナ用に特別のマニュアルを急ぎ作る必要がある。つまり、低濃度でウイルスを保有している保菌者からの感染が考えられるので、ウイルス検出の精度を高める必要がある。

 

そのためには、喉からだけでなく鼻孔からのサンプリングも行い、複数回のPCR検査で結論を出すという工夫なども必要だろう。

 

また、CT検査で肺炎の症状を見落とす場合もあると言っている。このCOVIT-19は、免疫暴走による多臓器での様々な病変の結果無くなる人も多いという。常識をあてにした対応を戒めている。

 

3日間症状がなく二度のPCR検査で陰性を条件に退院した後も、14日間自宅で自己隔離が必要だと言っている。

 

二番目の医者は、風邪、インフルエンザ、新型肺炎の違いを解説している。新型肺炎では、発病後3日間症状は軽く、それ以降徐々に重くなり、二週目に重篤化するという。そして、肺炎と呼吸困難、そして多臓器不全を起こす。だから、本当に怖い病気だと言っている。

 

余談だが、これほど行政機関の成績をテストする機能を持つ感染症は、これまで無かったと思う。

新型肺炎(COVID−19肺炎)の特徴

 

COVID-19肺炎が世界に広がっている。新型なので当然だが、その病気の詳細はわかっていない。関心事は、夏に収まるかどうかである。私の考えは、一応収まるだろうということである。ただ、秋に再燃した場合、ワクチンなどが用意できているかどうかが、次の年の被害に重要なファクターとなるだろう。

 

この病気の特徴として、最初は微熱と倦怠感のような症状で病院を訪れるようである。しかし、咳や痰があまりないようだ。大凡一週間後に症状が急変し、従来の肺炎と異なり両側の肺が同時に冒され呼吸が困難になる。

 

中国・武漢市で多くの患者を診察し、自身も新型コロナウイルスに感染し克服した余昌平医師によると、発症当時は発熱もあまり高くなく、風邪の症状(咳、クシャミ、鼻水)も殆どなかった。入院して3日後、発症して6日後、突然呼吸が困難となり5日間立ち上がることすら出来なかったという。

 

これらの特徴を、医療従事者が共有することが、患者の見落としを少なくする上で重要である。しかし、この重症で死亡率もインフルエンザの10倍以上のCOVID−19 肺炎に対して、未だに普通の風邪程度だという俗説が流布されている。2月25日付だが今日(28日)回覧されてきた書類には、市長の「感染力や重症化に関しては過度に心配する必要はないとされていますが、市民の皆様には、通常の風邪やインフルエンザ等の対策と同様、(以下省略)」というメッセージが書かれていた。認識不足である。

 

政府の方針、重症者を中心に対策を考えるのは、非常に愚かである。以下のデータが示すように、早期発見、早期隔離及び治療を原則とし、その有効性に疑問があるのなら、ドイツや英国の高い治療実績を視察すべきである。

 

死亡率について:

 

このCOVID-19の特徴は、高齢者と寒い地域に死亡者が多いことである。それが、現代の楢山節考という小説の題名を用いて言及した理由である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12577306468.html

 

これについて考えるとき、非常に参考になるのが、米国ジョーンホプキンス大のCoronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSEというページである。そこには、各国(中国は各地方毎)での検知感染者数、死亡者数、治癒者数が掲載されている。

https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6

 

本日午前7時現在、日本ではダイヤモンド・プリンセス号での感染者を除いて、189名が感染し、3人死亡、22人が回復している。韓国では、(1766名感染、13人死亡、22人回復)、イタリア(528、14、40)、ドイツ(26、0、15)、英国(15、0、8)である。中国河北省(65600、2641、 23400)、中国重慶(576、6,384)、タイ(40、0、22)、シンガポール(93、0、62)、マレーシア(23、0,18)、台湾(32、1、5)

 

注目されるのは、死亡者と回復者の比である。感染者の数は、政治的に抑えられている国があるだろうから、あまり参考にならない。勿論、死亡者数も単なる細菌型肺炎として処理されている地方もあるだろう。それらを考慮して、ここで取り上げるデータは、①タイ、シンガポール、マレーシアで死亡者が0で、回復者の割合が高いということである。一方、②韓国では回復者に対する死亡者の割合が50%以上ある。③既に書いたように、ドイツや英国での高い治癒率である。(補足2)

 

①と②から、COVID-19肺炎も、通常のインフルエンザ同様、温暖な地域では流行(補足3)しないということである。③から、早期に発見して隔離し、先進治療をすることで、高い治癒率が期待できるということである。早期発見、早期治療はどの病気でも治療の原則である。

 

以上から、日本でも7月には新たな感染者が出ず、長期療養の人は残るだろうがほぼ終息するだろう。オリンピックは開催可能だと思うが、その結論を5月に出さないといけないのなら、一年延期となる可能性が大きいと思う。

 

補足:

 

1)この流行という言葉が嫌いだ。英語の   epidemicという言葉の方が良い。ここで、epiはcommonを表し、demoは大衆を表し、形容詞の「ic」からなり、通常病気を対象に使われる。しかし、流行はそのような意味がなく、ファッションも病気も同様に使われる。日本語の貧困の一例である。

 

2)更に、治癒者数の感染者数に対する割合も、症状の重さの指標となるだろう。ただし、感染者数に政治的力が作用していない場合という前提がつく。ドイツの完璧な押さえ込みは、ドイツは完全な先進国であることを示して居る。

 

3)イランでの高い死亡率は、原因として、内陸部はさほど暖かくないのかもしれないこと、医療サービスが低い可能性、などが考えられる。また、中国と日本のデータは信頼性に乏しいので、参考にならない。

 

追補:あてにならない中国政府筋による患者数の発表 (2月28日、午後8時35分追加)

 

中国のデータ、特に武漢での患者数や死者数の政府発表データは当てにならない。それは、武漢から若者が現状を報告する動画を紹介した記事にも書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12571289335.html

更に、最近の中国の報道機関による調査でも、明らかになりつつある。中国の経済誌「財新」や北京の日刊紙「新京報」の報道は、当局発表に疑問を呈している。後者は、新華社の発表とは違って、「中国疾病予防管理センターは最新の研究の中で、2019年12月31日以前に15人の死亡と104人の感染があったことを確認している」と伝えている。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200228-00000004-courrier-int

まえがき:

 

前回、政府が新型肺炎(COVID-19肺炎)対策をしなかったことを、安倍政権の綱渡り的外交を中心におくモデルを建てて考えた。そのモデルを先ず説明する。

 

つまり、安倍内閣が中国と米国の間に入って、経済政治摩擦の決着に協力出来ると夢想し、中国に近寄ることになった。その結果、中国の習近平主席を国賓として日本に招聘して、中国の国際的地位の向上に協力することを決定した。(補足1)しかし、その思いつきによる約束を実行すれば、中国というしたたかな国に利用されるだけだという親米右翼に攻撃され、安倍氏自身の考え方も揺らぐことになった。

 

青山繁晴議員のように、真っ向から習近平主席の国賓招聘に反対する人も現れ、それ以前の右派の評論家たちの強い反対意見もあって、方針転換すべきだと真剣に考えるようになった。ただ、ここでそれを日本側から言い出すには、安倍総理の退陣が前提だろう。

 

そうこうしている時に、新型肺炎の流行が発表された。このまま流行が拡大すれば、中国側から周主席の訪日中止の申し入れがあるだろうと思うようになった。その申し入れを実現するには、中国での大流行、或いは、日本への飛び火が必要だろう。ところが、中国は直ちに完全な隔離政策をとり、患者数が横ばいになってきた。

 

新型肺炎の日本での流行は、安倍氏にとっては神風である。その神風が止んでしまえば、自分も自分がトップである日本国家も救われないと考えた。それが、前回ブログ記事で書いた安倍内閣の新型肺炎に対する無策のモデルである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12577898468.html

 

今朝、中国人の方のyoutube動画をいくつか見た。その中の一つがハンドルネーム「チャイチャイ」という方の動画である。そこでは、やる気の感じられない新型肺炎対策の理由は、準備に多額の資金を使った東京オリンピックを中止したくないので、新型肺炎の流行が進んでいるという数字を政府は発表したくないからだという解釈である。

 

 

似たような話が他にもある。それは、新型肺炎流行防止のために、中国からの入国の完全停止をしていないのは、中国そして諸外国からの観光客の入国を、経済対策アベノミクスの中心と考えているからだという分析である。両方のモデルとも、既に破綻していると思う。何故なら、それらの目的のためには新型肺炎を早期に抑え込む方が理にかなって居るからである。

 

上記動画に加えて今朝は、武漢と重慶の団地で暮らす人達の様子を写した動画を見た。中国の方々は自分の考えを躊躇なく動画配信している。人間としてのおおらかさに、日本人は学ぶべきである。私は、このチャイチャイさんの動画にコメントを書いた。それを中心にして、新しい分析を書きます。

 

1)中国の方の動画に触発され、新しいモデルを考えた:

 

今回の新型肺炎に対する無策の原因は、日本特有の官僚独裁の政治にある。官僚は政治的判断は出来ない。従って、政治的決断が最も必要な危機的な場面で、政治不在の事実が明らかになるのである。それは、過去の地震の際に何度も経験してきたことである。この日本の政治家の責任は、日本国民の責任でもある。肝心なときに怒らないのだ。

 

新型肺炎無策の責任は、官僚に政治を丸投げしている日本政府の責任である。一言で言えば、以下のモデルは官僚が大きな政府をつくり、権益拡大に励む習性が原因だが、それは官僚のDNAのようなもので、本来その部分のDNAは、政治が剪定すべきものである。

 

感染症研究対策に関する国家予算の配分の権限は厚生労働省にあるだろう。その配分を厚労省の縄張り内にできるだけ大きくすることが、官僚たちの利益を大きくする。従って、感染症に関する国家の大事においては、その中心となって国立感染症研究所が活躍しなければならない。患者として苦しんでいる人よりも自分たちの利益を優先するのが、日本でも中国でも政府上層の常である。

 

そして、国立感染症研究所がPCR検査などを独占して、それをマスコミなどの報道に乗せることが省益及び退役官僚の利益と直結する。民間や各地方の衛生試験所などに任せれば、自分たちの縄張り(国立感染症研究所)が狭くなってしまうのである。24日からPCR検査を地方の衛生試験所でもできるように方針を変えたが、民間業者を採用するまでには至っていない。

 

勿論、ダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大を防ぐのに、神戸大の岩田教授のようなよそ者を参加させれば、官僚とその下部組織である国立感染症研究所の勢力が陰ることになる。(多分、どうせ大した流行にならない筈だという甘い考えが最初にあったと思う。)

 

何故、そのような官僚の横暴が国家組織の中でまかり通るのか? その第一の原因は、政治家は官僚たちのシナリオのままに動いたり答弁したりするしか、能力がないことである。そして、個人や私的機関の自由な活動を制限する権力行使の危険性と新型肺炎の大流行による国民の大損害を比較するという類の、政治的決断などが出来る能力など最初から持っていない。

 

一般に政治家は、地方の名家の家業であり、その仕事は中央集権の日本にあって、国家予算を地方に運ぶパイプ役になっている。従って、国会議員らは日本全体の政治を考えるのではなく、交付金を要求する地方からの代議員に過ぎない。その結果、国家の政治は官僚の狭く浅い発想で進められる。

 

2)まともな政治家を産むには:

 

政治家が国家全体を考えるタイプに変えるには、地方の利権と中央の政治を明確に分ける必要がある。そのために地方分権と道州制の導入、その前段階として選挙区のみの道州制を導入すべきである。

 

それにより、「どぶ板選挙」つまり、思想やビジョンよりも、個人的な繋がりに頼るタイプの選挙から、日本の将来に対するビジョンを有権者の前で競うタイプの選挙に変更すべきである。「どぶ板選挙」で進む日本政治の貧困については、「中川一郎の死の謎(2)とドブ板選挙」で議論した。 https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

 

小さい政府の実現には、政治家が広い地理的及び人的空間から選別されることにより、政治的能力を獲得し、官僚を使って仕事をする本来の政治を実現することが第一歩である。そして、国会を能力が試される厳しい場とすべきである。議員や大臣が官僚メモに頼った国会答弁をする習慣を完全排除すべきである。

 

日本国民はチャイチャイさんの言うように、不甲斐ない行政府に対して怒るべきだが、日本には正当な怒りでも、それを蔑視する文化がある。それは、日本の金言となった言葉「和をもって尊と為す」に象徴される文化であり(補足3)、馴れ合い政治を推奨する文化である。

 

3)官僚独裁政治の存在理由:

 

西欧社会は、近代文明を生み出す中で得た、科学的合理性とキリスト教の精神という乖離した思考を、そのまま本音と建前という形で、複眼思考の形式としたと思う。理想論で政策や戦略を組み上げながら、現実論での実行性を保つ政治手法である。そして、他国には理想論を単独で武器として用いるのである。それは、西欧での与野党での争点にはならない。何故なら、理想論と現実論はともに国益実現に止揚されるべき思考だからである。

 

日本は、そのトリックを知らないため、日本国憲法の前文:「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(補足4)などという、非現実的な文章を建前論として棚上げする知恵を獲得しなかった。その結果、理想論の野党と現実論の与党という、両方とも単眼思考の人たちにより国会が占められた。そこでは、国益のための議論ではなく、「口論や喧嘩の類の議論」が行われることになった。

 

野党議員は、理想論を振りかざして現実政治を攻撃する愚で飯を食う。その一方で、与党議員は、国民を理想論の高原に残したまま、ひたすら現実を隠蔽するフェンスとなって、野党議員の口撃をかわしている。野党議員も元々問題解決をする能力などないので、適当に仕事をしている振りができれば満足である。

 

そして、政治屋のフェンスの裏で、現実的作業をしているのは官僚である。政治家がしてくれるのは、現実を隠すフェンス役と書類は短期間に廃棄して良いというルールを作ってくれる位である。もうとっくに日本国民は、チャイチャイさんの仰るように、この政治に対して怒るべきなのだが、日本文化は正当な怒りでも、それを蔑視する「和の文化」がある。何時も同じ結論だが、日本文化は若い世代が変えることが出来る。若い方の活躍に期待したい。

 

補足:

 

1)この考えは、イランと米国の間に入って、両者の対立を収めようと努力したことと同様の考えである。普通のセンスなら、そんなことは不可能だと分かるのだが、安倍総理には自分の立場や能力を客観的に見る能力もないのだろう。日露外交、日朝外交など全てにおいて、包装だけ立派な空箱のような外交である。

 

2)日本の停滞は、官僚たちが自分の天下先確保などのために大きな政府にしたのが原因である。日本の政治は、無能な政治家と一定の能力を持つ官僚が握っているが、選挙で選ばれない官僚は、政治家に国会などでの議事進行に協力する形で、政治家に恩をうることで、実際の権力を独占してきた。

 

3)怒りは思考の結果生まれる。しかも、集団で怒らないと政治的力とならない。つまり、思考と議論の文化が必要である。下らない訳の分からないお経を、おとなしく聞いて、しかも多額の金を支払うような人々にそれを要求しても無駄かもしれない。

 

4)日本国憲法の前文と似た文章が国連憲章の前文にもある。「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ...これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。