自民党は、敵領域内軍事基地の攻撃能力保持に関する提言を、4日午後に行ったようだ。その提出前の時刻に、河野太郎防衛相の閣議後の記者会見があり、そこでその提言に関する質問があった。

 

「今朝方、政調審議会(補足1)の方で、ミサイル防衛に対する提言がまとまりまして、相手国領域内でのミサイルを阻止する能力の保有の検討を求めている内容なのですが、午後政府に提出されるということですが、防衛省として、どのように提言を受け止めて、検討を進めていくか、改めて、お考えを教えていただけますでしょうか。」

 

それに対して河野防衛大臣は、「イージス・アショアの代替策について、そして、新たなミサイルの脅威に対応できるようにどうするか、政府としてもしっかり検討してまいります」と答えた。

 

それに続いて、東京新聞の上野実輝彦という記者から、事実上の「敵基地攻撃能力」保有の検討を政府に求める自民党の提言について、「中国の理解を得られる状況ではないのでは」と問われ(補足2)、「中国がミサイルを増強しているときに、なぜ了解がいるのか」という若干怒気を含む発言があった。https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2020/0804a.html 

この件、youtubeで多くの人に取り上げられ、話題になっている。

 

 

 

==== 以下付録の雑談 ====

 

1)この質問と答弁における日本語の解説:

 

「周辺国の理解」を「周辺国の了解」と解釈しての防衛大臣の答弁だが、この場合「理解」は「了解」と同意義である。この日本語特有の曖昧さを含む質問と答弁であるが、質問をした人は恐らく非常に「理解力」に乏しい人か、中国から給与がでているかのどちらかだろう。

 

河野太郎大臣は語学に堪能なので、理解=了解として正しい文意がとれたのだろう。質問者も“好意的”に解釈すれば、自分が何を質問しているのかさえ、わかっていなかったのかもしれない。理解は、単に「意味が判る」という意味だが、「理解を得る」という風に、得るをつけると、その「理解」は「了解」に等しく、了解は「了承」及び「許可」に等しくなる。

 

理解の「理」は「理にかなっている」という意味の「理」である。「解」は「解けている」(=ほぐれている)という意味である。つまり、「理解」は、ある複雑な件の理由や事情が「ときほぐれている」ことを意味する。

 

また、了解と了承は殆ど同じ意味で用いられる。これらは、「許可」という言葉を使いたくない場合、同じ意味を柔らかく言う場合に用いられる。言葉の硬軟に特別に広い範囲があるのは、日本語の特徴である。(補足3)東京新聞の記者の質問は、硬い言葉を用いれば「日本の防衛システム整備計画は中国の許可を得ているのか?」である。防衛大臣は、それを直ちに“理解”し、「何をアホな事を言っとる」と反論した。

 

尚、了解の「了」は「終わること」を意味し、「解」は上記のように(ほぐれている)という意味である。従って、「了解を得る」は相手の理解の確認が済んでいるという意味である。相手が、その件を通常自分の利益に反すると予想される上位者なら、この「了解を得る」は「許可を得る」に等しくなる。(補足4)

 

2)千年経っても”ブラッシュアップ”されない日本語について

 

漢語の導入により、日本語の言語空間が整理されていない学者の書斎のような状態にある。それにも拘らず、或いはそれ故に、議論を嫌う傾向が強い。またその言葉を使う場合でも、解りにくい言語の共通理解を得るよりも、英語など外来語を使う方が簡単な場合が多い。(補足5)

 

勿論、他の言語例えば英語の場合にも、同様の複雑さはあるだろう。しかし、日本語と違って、言語の共通理解は、常に議論の習慣で達成されている可能性がたかい。(補足4)

 

 

補足:

 

1)自民党政務調査会の決定機関として政務審議会が置かれる。構成は政務調査会長と同副会長である。(ウィキペディアの記事を借用)

 

2)東京新聞上野記者の質問は、以下の通り。

「関連でお伺いします。安全保障政策の見直しに関して、自民党提言にあったような相手国の領域でのミサイル阻止能力を検討する場合はですね、周辺国からの理解というのは重要になってくると思われますが、現状では特に中国や韓国といった国からは、防衛政策の見直しについて、十分に理解を得る状況ではないようではないかと思いますが、防衛政策の責任者として、現状の認識と、今後もし理解を得る際に、必要だと思われることがあればお願いします。」https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2020/0804a.html

 

3)日本は、井沢元彦氏の本にあるように、言霊の国である。言葉は大衆の道具ではなく、神仏のものである。一旦口に出した言葉が否定された場合、人格が否定されるので、話はしない方が無難である。日本のあちこちに標語が溢れているのは、なるべく話したく無いからである。つまり、「沈黙は金、雄弁は銀」である。

https://www.contact.co.jp/blog/index.php?/archives/532-unknown.html 

 

4)「理解する」は英語のunderstandである。前半のunderは「下で」くらいの意味で、standには立つ又は耐えるという意味があるので、「自分に不利でも下で耐える或いはポジションを変えない」くらいの意味だろう。「理解する」と「その下で我慢する」は、現実的には非常に近い意味がある。

尚、語源辞書には"comprehend, grasp the idea of,"などとゴタゴタ書いてある。https://www.etymonline.com/search?q=understand 

 

5)企画書などを議論するとき、スキームとかロードマップとか外来語を多用しがちである。新型コロナ肺炎の話で、クラスターとかオーバーシュートとかいう言葉を抵抗感なく使っている。モラハラ、セクハラ、コンセプト、チェックなどなど。

これらに日本語訳として漢語表現は存在する。しかし本質的な話をすれば、古代日本人にとっても現代日本人にとっても、どちらも外国語なのだ。(コンセプト=概念、どちらも外国語なのだ。)

この文章は2016年2月21に投稿したものである。姉妹サイト、グーグルブログの統計によると、昨日閲覧が5あったようだ。そこで、誤り1字を取り除いたものを、再掲する。再度読んでみて、中曽根の薄っぺらい政治に吐き気がする。それが自民党という政党の政治である。自由党と民主党のキメラが今まで生き残るのは、試験管かシャーレの中だけで可能だろう。
ーーー 以下再録 ーーー
 
戦後総理の中でも長期政権を誇った中曽根氏が何を考えていたか知りたかったのが、表題の本を読んだ理由である。しかし、内容が薄いという印象をもった。戦後日本を代表する元総理の一人が、日本政治を動かしたのがどのような力であったか、日本の世界における位置をどうかんがえていたか、将来の日本をどう予測していたのか、などを知る上で参考になるだろうと思って最後まで読んだ。
 
日本の戦後政治はGHQの日本改造計画を元に進められた。それは、旧日本を数領域に分断(南北朝鮮、千島、台湾、日本列島)し、強力な軍備は持たさず、愛国心を国民から払拭して、二度と強国として立ち上がれない国にするという方針である。
 
日本独立後も、米国の対日方針が統治方針から外交方針になっただけで、内容が変わったわけではないと思う。GHQの影、或いは、GHQの残像が強く日本政治に残ったはずだが、この自省録にはそれがいくつかの具体例に見られるだけであり、体系的な記述は全く見られない。
 
例えば、吉田茂総理が、「(GHQから日本に)与えられた憲法の改正、日本の安全保障を担当する自衛隊(軍?)の必要性、教育基本法の改正などを訴え、堂々と“自分の国は自分で守り、米軍は早く返す”と、まっとうな議論をやっていたなら、今日これほどひどい後遺症は残らなかったと思います」と書いている。それは吉田茂の怠慢なのか、無能さなのか、米国の反対があってのことなのか、何の議論もない。
 
また、現在(2004年)の世界の紛争の理解も、アメリカと一部の“ならず者国家”との間のものと捉えている(212頁)。ならず者国家というのは政治家としては安っぽい表現だと思う。それらの国が何故ならず者になったのか、何故ならず者に見えるのか、それに大国の影響などないのか?それらについても、何も書いていない。
 
昭和の大戦と明治憲法の欠陥については述べているが、その欠陥が放置された理由については言及していない。また、運用の間違いについて、「明治の元老が亡くなった」ことに丸投げしている。軍、特に陸軍の奢りについて、少しでも議論すべきである。憲法改正(改訂でなく改正と書いている)についても、「一生懸命に説明しても国民が理解しれくれない」「何故理解しれもらえないのか?これは人間の壁だと思い至ったのです」(248-249頁)という、貧弱な理解である。
 
憲法改正の必要性を国民に理解させる為になすべきことは、国民と日本政府の間に信頼感を築くことである。そして、それには昭和の大戦の再評価を徹底的に国内の問題として行うことだと思う。中曽根氏の個人的総括は32頁に書かれているが、貧弱だと思う。最初に、「皇国史観は通用しない」としているが、誰が皇室史観で戦争を始めたのか?(補足1)自分が開戦反対を軍艦上でいうには勇気が必要だと言っているが、海軍では大臣(米内光政)も次官(山本五十六)も英米との開戦は反対だった筈だ。
 
自分の政権を回想するという章であるが、外交に関しては米国の要求をほぼ丸呑みであったが、米国の要請は米国の保護国である日本は受け入れるしか方法がないと受け取ったのだろう。ロンとヤスの関係については、内外の政治家の評価のところで書かれている。個人として仲良くやるのは比較的簡単だろうが、国家を背負って仲良くなるは困難な仕事だと思う。単に米国の対外方針に理解を示し“イエス”というだけでは、仲はよくなるが、国家を背負ったことにならないと思う。
 
繰り返しになるが、何故、吉田茂元総理が、国家としての政治的骨組作りに着手しなかったのか?それらを大事と思わなかったのか?時期尚早と思ったからなのか、議論がないのは非常に残念である。鳩山一郎が憲法改正と日ソ交渉という政策を掲げて昭和29年の選挙にかった。その鳩山一郎の政策は、脱占領政策、吉田政治からの脱却という面を持っていたが、何故鳩山内閣が短命に終わったのかについても書かれていない。(補足2)
 
田中角栄失脚の原因として米国石油メジャーの絶大な力に言及しているが、どのような経緯で石油メジャーとロッキード疑惑が関係しているのか? とにかく、これがこの本で唯一政治を動かす深部に潜って存在する本当の力に言及したことばである(補足3)。
 
田中角栄だけではなく、鳩山一郎内閣にも、短命に終わった内閣の影に米国があったのではないのか? それにどう対処するかにアイデアを出さなければ、米国の属国からの脱却はできないのである。つまり、それらすべてに、米国の日本を二度と立ち上がれない国にするという基本方針が反映されていた筈であるが、その重要な点についてほとんど気がついていないか隠している。
 
中曽根内閣は、何かを行うチャンスであったにも関わらず、自分にできないことはやらないし、できるだけ長期間総理大臣を務めるという世俗的目的を最優先したのではないのか。
 
内政では国鉄、日本専売高公社、電電公社などの行政改革を成し遂げた話と教育改革できなかった話が主である。最後に、「教育改革を私の政権時代に実現できなかったことは、最大の悔やみと思っています。」と述べている。つまり、上記国家の枠組の問題はさしあたり、それほど大きなものではなかったと言っていることになる。教育改革など、国家の骨組がまともになれば、自然に解決するのだ。
 
この本は結論として、永田町の住民内の勢力争いに最も多く頁数を割いた、政治屋的回想録である。この本では、米国や中国をはじめ、世界は日本が働きかけるべき対象と言うよりは、永田町内ポリティックスに与えられた土俵のような感覚である。
 
補足:
1)大東亜戦争の総括として中曽根氏は5項目あげている。
①昔の皇国史観には賛成しない。②東京裁判史観は正当でない。③⑤あの戦争は、対英米と対中国&アジアで性格がことなる。対英米仏蘭に対しては普通の戦争だが、アジアに対しては侵略戦争だった。④動員された国民大多数は祖国防衛の為に戦ったし、一部は反植民地主義・アジア解放の為に戦った。(32頁)
2)日ソ国交回復(1956)後に、退陣している。体調なのか、何なのかわからない。
3)これには孫崎亨氏の「アメリカに潰された政治家たち」の中で、日中国交回復が真の原因だろうと書かれている。石油政策なら、当時石油政策にかかわっていた中曽根通産大臣(孫崎氏は当時、イラクから石油利権獲得に動いていた通産省の石油開発課にいた。)が無傷である筈がないと書いている。因みに、この本の中で、中曽根康弘氏は代表的な対米追随路線の政治家とされている。

昨今の新聞記事は、新型コロナ肺炎と大雨災害に関するものばかりであった。辟易としているところに、昨日かなり本格的な国際情勢に関する記事が、購読している毎日新聞にも掲載された。(補足1)内容は、継続的にブログに書いてきた米中対立に関するものであり、興味をもって呼んだ。日本の新聞をどのように読むべきかという点を含めて、その要約と私の考えを記す。

 

1)毎日新聞の「対中包囲網:困惑と思惑」という記事

 

昨日朝刊の毎日新聞三面トップに表題のような記事が掲載された。「米中対立が先鋭化して、両国と安全保障及び経済の両面で関係の深い日本や東南アジア諸国を困惑させている。世界の二極化に対抗する動きが今後出てくるのだろうか」という導入部で始まっている。

 

主要部は、副見出しが、「日本:米国寄り迫られ」(青木純氏)と「インド:距離おき第三極」(松井聡氏)の二つに分かれている。()内の指名は執筆者だろう。視点は、現在の視点のみであり、毎日新聞が見た世界の政治的表面についての観測である。予備知識の想定や問題発生の背景についての記述はここには無い。副題「新冷戦、揺れる世界」及び南シナ海を中心にしたここ二ヶ月ほどの軍事的動きの要約が、地図とともに掲載されている。

 

日本の部分については、「日本は日米同盟を基軸としながら、中国とも協調する従来方針を維持する“両睨み”の外交戦略を描いてきた。だが、米中対立が“極めて異例なレベル”(外務省幹部)まで激化する中、徐々に米国よりの立場を取らざるを得なくなっている」と書いている。それに続いて、王毅外相の「主要な力を相互利益の協力に集中すべきだ」という言葉と会談相手の茂木外相の「日本は両国の協力関係を深めたい」と応じたとある。

 

この部分“極めて異例なレベル”は、米中関係に関する歴史的且つ必然的方向だという理解がない。(補足2)そう言った外務省幹部が居たとすれば、「異例」の意味をもっと聞くべきである。その後の、“徐々に米国寄りの立場を取らざるを得ない”という自分の運命の流れのような記述には、日本の意思は何もない。その外務省幹部に聞いたのかどうかもわからない。ただ言えるのは、毎日新聞が現在の日本の姿をそのように見たいのだろう。

 

インドに関する部分については、「民主主義国の新たな同盟が作られるときかもしれない」というポンペオの考えに、ジャイシャンカル外相の発言として「我々は同盟のシステムの一部になったことはないし、今後もならないだろう」を引用する。加えて防衛大准教授の伊藤融という方の考え、「インドにとっては、米中が適当に対立している情況が好ましい」を、インドの基本的姿勢と書いている。

 

米中対立激化の中での将来の方向として、“インドシンクタンクのベテラン研究員”の言葉、「インドは従来行ってきた日米印の海上共同訓練マラバールにオーストラリアを招いて、4ヶ国での軍事面強化を目論んでいるが、中国の反発を考えると、連携強化はそう簡単ではない」を引用している。そして上記伊藤氏の言葉、「ロシアやフランスとの第三極を形成し、多極化を目指す可能性が高い」という言葉で締めくくっている。

 

2)記事の解釈:

 

上記毎日新聞の記事は、安倍総理によって提案されたインド太平洋構想のようには、世界は動かないという見方である。つまり、対中包囲網が出来るのではなく、米国中心の世界の動きは成長せず、世界は多極化の時代に入ると見ることも可能だという意味だろう。

 

しかし、まともな報道機関なら、問題の原点を考えるべきである。対中包囲網は単に中国いじめではなく、中国人民と中国共産党政権を明確に区別し、その後者に対する包囲網であること、それは言葉を替えれば「民主主義と独裁主義の対立」である。事情を殆ど知らない大衆向けの新聞メディアであるから、導入部にはその問題の本質を隠さず書くべきである。

 

毎日新聞は記事を書く際、現職例えば外務省幹部(日本)や外務大臣(インド)の発言と、民間人(学者や研究員)の発言を引用する際(引用する際)、何らかの区別をしているのだろうか? 現職は、公式見解を述べ、民間人は本音を述べる可能性が高い。

 

また、その発言をどういう意図でしたのか、それを書かないで発言者の氏名を併記して書くのは好ましくない。発言者に、印刷前に記事を送り了承を得たのなら、その旨も書くべきである。

 

専門家から意見を貰った場合、その鍵となる言葉の意味とその意見全体の意味を自分で解釈をして、自分の考えを書くべきである。最後に執筆者の名前が引用されている今回の記事の場合、尚更である。

 

私は以下の様に思う。インドは静かに問題の本質を考え、如何にして中国からの反発を避けながら、日米豪の海軍の輪に加わるか、ロシアやフランスと協力して三極目を装って、如何にして米国中心の極の支店的なものを作るかを考えている。つまり、スウィングしていても、片方を見る目と、もう一方を見る目は全く異なるだろう。三極といっても、次の次を狙う三極ではないだろう。

 

毎日新聞の記事は、米国の呼びかけは結局失敗或いは挫折に終わるであろうと、日本国民を洗脳するためなのかと疑わせる記事である。毎日新聞の記事の内容を殆ど変えずに、文章の語尾を少し変えるだけで、上記私の考えのように文章を変えることは可能だろう。それは、毎日新聞の記事内容とは全く逆を意味にする。

 

私は、最終的には中国共産党政権は崩壊すると考える。そして、これまでメディアにも完全に無視されてきた農村戸籍の人たち、ウイグル、内モンゴル、チベットなどの辺境の民なども、中国の都市戸籍の人たち、更に1億に満たない共産党員の人たちなどと、平等の地位を得るようになるだろう。

 

このような記事を書く場合、本来なら社説や解説記事などの形で、多数の視点の羅列の他に、この新聞の読者を含めて、日本国民の将来に利益になるように、日本が取るべき方向と考えることを明確に書くべきである。

 

しかしそのようなものは一切ない。つまり、日本国民が持つべきインテリジェンスが見つからない記事である。この記事は、中国の意向を相当汲んで書いたのだろうと私は推測する。

 

補足:

 

1)毎日新聞購読は、ただ折り込まれるスーパーの広告などを目的にしている以外には、日本の新聞の報道はどんなものかを知るためである。

 

2)米国がもたらした異例なレベルの米中関係に関して、例えばポンペオ国務長官のニクソン記念図書館でのスピーチなどの紹介があるべきだが、米国高官と日本外務省との話し合いの記載は全くない。”異例なレベル”とは何なのか、大衆紙であるから、その一般読者にこの言葉だけでよいのか? そのような配慮は全くない。しかも、”異例”は日本語の感覚では、良くない意味を持つ。