1)モチーフ:

 

陽水は日本の産んだ世界トップクラスのシンガー・ソングライターである。サイモンとガーファンクルなど多くの世界的アーティストと同レベル(日本ではそれ以上)の評価がされるべきだと思う。(補足1)以前、「傘がない」と「氷の世界」の歌詞について分析してみた。今回は陽水の歌詞の全体に見える「原点思考」について、考えてみる。(補足2)

 

この視点から最初に取り上げたいのは、「ワカンナイ」である。陽水に「君の言葉は誰にもワカンナイ」と歌われた対象は、宮沢賢治の遺作「雨ニモマケズ」である。今は知らないが、昔は義務教育の中で必ず教育されていたので、多くの日本人はこの詩を覚えているだろう。

 

以上は、最初に浮かんだモチーフである。しかし、ネットで調べ、色々と考えて行くと、途中で計画変更せざるを得なくなった。この部分をそのまま残すのは、以下の文章を含めて、全体としてわかりやすいと思うからである。

 

2) 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」について

 

一般には、「雨ニモマケズ」は不完全な形で引用され、議論されている。この詩は宮沢賢治が病床にあっても携帯していた手帳にメモ書きしたもので、発表することを前提に書かれたものとは断定できない、死後発見された作品(遺作)である。この発見に至るまでの情況も、この詩を鑑賞する上で欠かせない。

 

井上陽水が「ワカンナイ」のは当たり前である。60年ほど前に、私もこの詩を学校の国語の授業で習ったのだが、陽水同様に全く理解できなかった。その理由が今漸く解った。上記モチーフを抱きつつ、パソコンに向って

調べ、初めてわかったのである。

 

一般に引用されるこの詩の言語的な内容は、簡単である。つまり、「元気な体を持ち、自分の暮らしは質素で良いから、弱い人、困った人を助け、地域や社会の為に役立ち、目立たない人生を送りたい」という意味の詩である。

 

ただ、この詩を青空文庫でみると、最後に南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 が付け加わっている。しかも南無妙法蓮華経だけ大きく書かれているという。この事実は非常に重要である。つまり、この詩はこれらを含めて鑑賞しないと解らない。不完全な形で提供された詩が理解可能な筈がない。

 

つまり、仏教を信じていた宮澤賢治が、その実践として、清楚な人生を送り徳を積みたいという気持ちを詩にしたのである。その祈りの文章の前半がこの詩であり、それに続いて七行のお経が後半というか本体として存在するのである。この詩の記事や感想文などは多いが、宮澤賢治はこの詩を発表していないこと(発表する気は無かっただろう)、及び、この念仏の七行を無視している場合が多く、それではまともな鑑賞とは言えないと思う。(補足3)

 

ウィキペディアによると、この詩の評価について論争があったようで、戦前から戦中にかけて谷川徹三(哲学者で、宮澤賢治の研究家)は高く評価したが、戦後中村稔(詩人)は、過失のようなものと評した。二人の論争は、ウィキペディアの「雨ニモマケズ」や「谷川徹三」の欄に書かれている。

 

私は、論争そのものを資料で読んでは居ないのでわからないが、恐らく、上記七行のお経を含めないでなされた論争の可能性が高い。もし、手帳のままにこの詩を提供されていれば、論争など起こらないだろう。そして、秀作であるという谷川徹三の評価が多くの支持を得る筈である。中村稔は、後に不毛の論争であったと何かに書いたようだ。

 

資料を探しているうちに、優れた解説を見つけた。「あゆレビ」というブログである。そこには、七行のお経のことも、「宮澤賢治は発表する気がなかったのではないか」ということも書かれている。更に驚くべきことは、宮沢賢治が「こう言う人に私はなりたい」として「雨ニモマケズ」のモデルとなった人が実在したというのである。https://i-revue.com/amenimomakezu-arasuji/

 

その人とは、岩手県東和賀郡笹間村(現・花巻市)出身でキリスト教徒の、斎藤宗次郎であるとそのブログに書かれている。一部を再掲する。

 

斎藤は明治10年2月20日の生まれで昭和43年1月2日に亡くなっており、ちょうど賢治の活躍期と重なっている。斎藤は花巻市で小学校の教員をしていたが、キリスト教徒という理由で職を追われ、のちは新聞取次店を営みながら福音運動に励んでいた。賢治と斎藤は同郷の出身であり、日蓮宗(国柱会)の信者だった宮沢賢治とは宗派を超えた交流があったといわれる。

 

 

3)井上陽水の詩「ワカンナイ」

 

ここで、井上陽水が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を取り上げ、「ワカンナイ」という詩にして歌った背景などを考えてみる。非常に”硬い話”から始まるが、最後まで読んでもらいたい。

 

以下は近現代史を視野においた歴史の4段階である。

 

① 言語、社会、宗教は、3点セットで発生発展した。

宗教は社会の形成(別の言葉で、人々の集団としての団結)を目的として作られた。その宗教と同時に発生したのが言語であると私は考えている。それら言語、社会、宗教のセットは、太古から古代に大きく成長した。”眼に見える”社会の成長のみが歴史学として注目されるが、言語と宗教の成長も同時に注目すれば、全体が一括して理解できると思う。(補足4)

 

② 宗教から科学へなど、宗教からの解放の時代:

宗教から科学へ(バートランド・ラッセル)は、近代の合言葉となった。これは、ルネッサンスに始まり、産業革命で加速される。

 

③ 言語、社会、法律という新しい3点セット:

社会が成長して、宗教に取って代わるものが出現した。それが「科学と法」である。このモデルは既に本ブログ全体の基本的考え方として、明確に書いている。しかし、ここでは抜けている重要な視点がある。それは「大衆の反逆」(オルテガ著、岩波)という視点である。(補足5)

 

④ 脱近代化の時代:新しい社会主義が、今後10年間で議論される筈である。資本主義とそのグローバル化は既に破綻の時期である。限界に近い自由主義&民主主義へのアンチテーゼが中国の独裁だろう。トランプ米大統領は、その止揚のプロセスを模索しているようにも見える。勿論、単なる米国のエゴイズムの可能性もある。米国のエゴイズムなら三度目のニクソンショックとして、欧州と日本を驚かす筈であるが、今回は三度目の正直だろう。(23日の記事参照)

 

「科学と法」の論理では、個人の大部分(行動と時間)は社会(法で定められた社会)から解放される(③)。その結果、獲得されたのが「人権と自由」であり、束縛として残されたのが「公共の福祉に反しないという義務」である。井上陽水は、「科学と法」の世界に生まれ育っている。そして、新しい世界(近代と呼ぶ)の中に残る残渣としての宗教臭強い宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」に反発を感じたのである。

 

近代はあくまで近代であり、現代でも未来でもない。「科学と法」が万能かといえばそうではない。法は網に過ぎず、連続した空気のような媒体ではない。科学はモデルあるいは仮説に過ぎず、真実とはいえない。宮澤賢治が歌った宗教的思想は、その弱点を埋める連続した媒体あるいは「空気」として社会に充満させる道徳として存在し得る。

 

近代西欧人は、人類を解放した。宗教改革やルネッサンスである。しかし、その結果作り上げた法と科学の世界は、行き詰まりかけている。大衆の叛逆を裏底の政府(ディープステート)で誤魔化したものの、限界である。人間は神には程遠いからである(②)。その事実を”これでもか”と確認するように見せつけているのが、行き過ぎたグローバル経済であり、それを共に築き上げた中国の共産党政権である(④)。

 

井上陽水の「ワカンナイ」は、「雨ニモマケズ」へ疑問を呈したものだが、陽水のこの詩に返答するべきなのは、我々現代人である。つまり、上記④の段階の歴史構築である。

 

歴史は周る。近代は宗教から人間解放への方向に進んだ。そして、現在の世界の政治経済は原点を通過し、ウォール街の巨大資本などの暴走の結果としてのグローバル化経済と、中国の厚黒学(厚かましく腹黒く生きよ)や超限戦(あらゆる角度から戦争を行うべき)を産み出した。従って、原点に回帰し、再度新しいバージョンの宗教(たかい教え)への方向、或いは、新しい科学的政治の構築を目指すべきである。そうでないと、人類は死滅するだろう。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=OKHZpLffhZQ

(編集あり、17:12;再度編集、9月29日午前9時)

 

補足:

 

1)本当はビートルズと比較したいのだが、ビートルズの詩は陽水のように斜めに構えた詩ではない。yesterday にしろ、let it be にしろ、楽曲は美しいし、歌詞の意味も明快である。サイモンとガーファンクルの例えば、明日に懸ける橋(bridge over troubled water)は、意味深長だが若干解りにくい。堅牢な常識に挑戦するには、斜めに構えるしか方法がない。従って、ビートルズと井上陽水は比較の対象にはなりにくい。

 

2)このモチーフで進めば、「夢の中へ」を取り上げる筈だった。「探しものはなんですか?」尚、斜めからという視点ではない名曲に、「少年時代」や「心もよう」などがある。

 

3)先日のテレビ番組「プレバト」で、俳句に前文をつけることがあると言っていた。この「雨ニモマケズ」という詩では、後のお経が前半の詩の理解に不可欠だと思う。

 

4)この「言語の進化論」については、このブログでも書いている。:

「言語の進化論(1)」https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482529650.html

この着想は、既に5年以上前にあった。そこには以下のように書いている。

 

人間の進化も、言語と文化および社会の進化と、不可分だと思う。その人間と文化(文明)の相互進化は、人間の文明(文明化社会)に対する家畜化という形で理解できる。(2015年3月12日のブログ記事:「文明により改造、家畜化される人間」)https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/03/blog-post_36.html

 

 

5)重要な誤解があれば、後に記事として書きます。二冊の本を読んだ次期が10年以上離れており、検証するには多少の時間を要しますので。

追補:

この件、30日の大紀元ニュースによれば、菅氏は日中首脳会談で香港問題に触れたと報じています。

https://www.youtube.com/watch?v=uNtOIyG1yGg

 

 

 

 

「Microsoft News」がネットで報じたニュースから日中首脳電話会談の内容を紹介する。

 

共同通信(2020/9/26/0:31)によると、習近平の来日問題は協議されなかったようだ。その記事掲載の会談内容を書く(菅首相側からの表現):

 

①尖閣周辺での領海侵犯を念頭に東シナ海情勢への懸念を伝えた。

②拉致問題を含む北朝鮮への対応について提起し、日中が連携することを確認した。

 

一方、産経新聞(2020/9/26/0:35)によると、新華社通信が以下のような報告をしているという:

 

習近平主席は電話会談で、中国が日本の新政権とともに「歴史などの重大な問題を適切に処理」し、「新時代の要求に合致した中日関係の構築に努めていきたい」と述べた。

 

また周氏は、来年予定されている東京五輪の開催を支持。自国第一主義を掲げるトランプ米政権を念頭に、「中日双方が積極的に多国間主義を提唱・実践しなければならない」と主張した。

 

感想:

 

非常につまらない会談内容である。菅氏は日本国の将来を明るくするレベルの首相ではない。非常につまらない永田町界隈の人物だ。

 

なぜ、香港、ウイグル、チベットなどでの非人権的政治に対して、マイルドな表現で良いから、懸念の一言が言えなかったのか。相手に対する非難でなくても、せめて「香港での出来事に関心を持っています」くらい言っても良い筈である。

 

拉致問題を中国相手に出すのは、国際感覚ゼロだ。それは北朝鮮と日本の問題であり、中国は無関係である。習近平にもバカにされている筈である。一昨日の記事にも書いたが、中国は日本を非常に軽く見ている。理由は、日本はまともな軍事力を持たないからだ。

 

オリンピックなどどうでも良い。中国と話し合うべきことではない。習近平の来日問題について話さなかったことなど、菅氏は自慢すべきではない。「俺は強盗はしなかった」という言葉が自慢にはならないのと同じ論理である。第一、習近平は国内に敵を多く抱えており、外に出られる状況ではないと言われている。

 

更に、習近平が言った歴史問題とは何か、まさか、一昨日紹介した人民解放軍の空軍を作った日本人や、第四野戦軍で蒋介石との戦いに参加した万を超える日本人の話ではあるまい。そうでなければ、歴史問題は、日中平和友好条約で解決済みの筈だ。この情況でも、強請り道具の確認をしてきているのに、それを黙って聞いているとは、最低だ。(9時50分編集)

 

補足:

 

習近平の「トランプ政権は自国第一主義」も今や時代遅れの批判である。現在は、東ヨーロッパを含む欧州全域と連携して、中国の中世的覇権主義に対抗しようと言っている。

1)中華人民共和国建国後の日中交流

 

日中国交回復のとき、毛沢東は日本に感謝すると言った。その意味の詳細を田中角栄は知っていたのだろうか? 年齢から考えると知っていただろう。しかし、戦後生まれの我々には、知らない歴史があったようだ。私は、毛沢東によるこのお礼の言葉は、単に日本軍が蒋介石と戦ったという事に対する謝意の表明だと思っていた。しかし、今回そうではないということが解った。(関係する日本の首相及び米国大統領については補足1参照)

 

一言で言えば、日本の敗戦後、満州在住の旧軍人や医師ら一部は、毛沢東の共産軍と一緒になって蒋介石軍と戦ったのである。その事実を中国のユーチューバーのMOTOYAMA氏が語った。https://www.youtube.com/watch?v=RhNiF7_shN8

手元にある中島嶺雄著の「中国(中公新書)」の中には一切書かれていない。しかしそれは事実である。中国の政権幹部はこの事実をよく知っていたようだ。

 

1990年4月に、人民解放軍47軍団のトップの「ろう」という人(以下老と書く)が、特別な任務を受けた。それは、日本から久しぶりに中国を訪れた、中共軍と伴に戦った人達を接待するという任務である。

 

戦後の国共内戦の際、中国人民解放軍の第4野戦軍に大勢の日本人が参加していたのである。その日本人が久しぶりに中国を訪れるというので、人民解放軍の上層部からの指示で、老氏が接待することになったのである。中国の国民はそれまで、日本軍人が蒋介石との戦いに参加していたことを知らなかったという。老が連絡をとった人たちは、現在の陸軍病院院長など軍の幹部であった。

 

彼ら日本人は、1956年にも一度訪問しており、そのとき周恩来が言ったという:「日本の方に感謝します。解放戦争のとき、たくさんの日本の方が参加してくれました。このようなことがあり、中国人民は日本人民と仲良くなる自信があります。」と。周恩来は、日本のその人たちを戦友と呼んだという。

 

周恩来死去から30年たった現在、中国共産党はそのようなことは言わなくなった。1990年の訪問のとき、中国の老陸軍病院院長は、「もう年を取りました。会いたいです。もう合う機会が無いかもしれないです。この歴史は隠してはいけないです。」と言った。日本から来た同志とは、中村義光さんをリーダーとする17名だった。

 

1972年の国交回復後初めて、自腹で中国を訪問したという。「里帰りという感覚だ」という言葉は、その事実と整合性がある。そして、中国側もその実現に協力する重大な意味があった。天安門事件による国際社会からの孤立と、それによる経済の疲弊である。

 

日本は中国の悲惨な状況を見て、そして、鄧小平の要請もあって、G7で中国制裁を解くことを提案したようだ。そして、その先頭にたって、中国支援を再開した。この件、現在では、日本側の「弱腰或いは愚かな外交」と理解されているが、その背景には「卑怯な米国」の存在もあった。後者が表題の二度のニクソンショックの意味である。

 

それを上手く利用して、日本から支援を引き出したのが当時の最高実力者(つまり、中国共産党中央軍事委員会主席)鄧小平であった。党総書記には、民主化要求に同情的だった胡耀邦が死亡し、天安門事件で後任の趙紫陽が失脚し、江沢民が就任していた。中国も動乱の次期だった。

 

2)日本人の共産軍への参加:

 

MOTOYAMA氏の語り以外で独立した文献を探した。それによると、中国共産党は、日本の敗戦後満州(現在の中国東北部)に残留した日本人に蒋介石と戦うことを要請し、それを受けてその戦いに青春をささげた若者も大勢いたという。http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200601.htm

 

この記事は2006年に書かれ、その記事の著者である武吉次朗氏は、その後中国の中日関係史学会の編集した本を翻訳している。『新中国に貢献した日本人たち』の題で出版されたのは、2019年10月1日である。この日付も何か中国の国際社会での位置を反映しているようにも見える。それは兎も角、上記記事は以下の文で始まる。(補足2)

 

「留用」という言葉をご存知だろうか。「一定期間留めて任用する」という意味の中国語だが、「留用」に人生を賭け、青春を捧げた日本人が、60年前の中国東北部におおぜいいた。

そして、「中国側の史料によると、東北に進駐した八路軍の医療要員は千600人だったが、「留用」された日本人の医師・看護師など専門職は3000人いたという。「留用」者は全部で1万数千人、家族を含めると2万数千人にのぼった」と書かれている。

 

それに続いて:

人民空軍創設のためパイロットと地上勤務要員の育成に協力したのは、林弥一郎氏の率いる元関東軍第四錬成飛行隊の300人だった。また民主連軍の蕭勁光副総司令官の運転手は元日本兵だったし、筆者の友人も、ある兵団司令官の運転手を務めた。

 

上記林弥一郎氏は、MOTOYAMA氏の動画では、中国人民解放軍で初めて空軍を作った人として紹介されている。そして、中国空軍の指令官の王海(ウイキペディア参照)という人は林氏の生徒だという。http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200603/zhuanwen64.htm

 

この歴史は日本も中国も喋りたくない歴史のようである。ただし、国交30周年を記念して2002年にNHKで放送されたという。

 

 

3)天安門事件後の中国に対する日本及び米国の姿勢

 

中国人民解放軍第4野戦軍で戦った日本人17名が中国を訪れ、中国側からも篤い接待を受けたのは、1989年6月4日の天安門事件の次の年の事である。日本記者クラブのサイトに、その直後の日中関係の動きを解説するある記事を見つけた。その一節を紹介する。https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35017

 

7月、フランスで開かれたG7アルシュ・サミットでは、中国を非難し制裁を実施する政治宣言(閣僚などその他ハイレベルの接触、武器貿易停止、世界銀行の新規融資の審査停止)が採択された。賛同した日本は第3次対中円借款を凍結した。宇野政権が短命に終わり、海部政権の下で、対中制裁に加わった日本と中国との関係は当然ながら悪化した。こうした中、日中修復への第一歩として白羽の矢が立ったのが、伊東正義だった。

 

伊東正義の訪中は、事件から約3ヶ月後(9月17日)のことである。その日、李鵬首相と会談したが、そこで李鵬は以下のような内容の話をした。① 米国が対中制裁の先頭に立つ一方で、「友好のシグナルを送ってきている」こと、②「西側の対中封鎖を打破するのに日本は大きな役割を果たせる」ことの二つだった。

 

前者は、ブッシュ米政権が天安門事件後いち早く送った大統領の親書であり、それをもって極秘裏に進められたブレント・スコウクロフト(米国家安全保障担当大統領補佐官)の訪中(7月1日)を指していた。その前日、米政府は対中制裁措置として「政府高官の接触禁止」を世界に向けて高らかに宣言したばかりだ。自らその「禁則」を破ったのである。

 

中国は、西欧諸国の作る制裁網の中に孤立していたが、最も修復したい米中関係の前に、西欧先進国の輪の中で、最も連携の弱い日本を標的にして、制裁網の破壊を企んだ。(補足3)日本は中国の積極的なアプローチに応え約2年後、他国に先駆けて対中円借款の凍結を解除する。中国の戦略は、1992年の天皇訪中までも視野に入れたものだった。当時の外交部長(外務大臣)銭其琛の回顧録にそう書かれているという。 

 

現在の日本では、この宮澤喜一など自民党の一連の対中政策を愚かなことと一刀両断にする。しかし、この米国の動きを見て、この記事の筆者である鈴木美勝氏は、三度目のニクソンショックもあり得ると書いている。

 

1度目は言うまでもない1972年のニクソン大統領の電撃訪中(2月21日)であり、同年9月田中角栄は中国を訪問した。https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/25230

毛沢東は田中に、「日本には4つの敵がある。米国、ロシア、ヨーロッパ、それに中国である。それでは今後大変だ。我々と手を組まないか」と言ったこと、ニクソンに随行したキッシンジャーが日中国交回復を知って「ジャップめ‼」と怒りと憎しみに震えたことなど、過去のブログにも書いた。

 

そして、2度目のニクソンショックとは、今回のテーマの「天安門事件の後でいち早く裏で動き出した米国のブッシュ政権」のことである。そして、あり得るかもしれない三度目とは、今年或いは来年のトランプ或いはバイデンによる米中の電撃和解である。

 

全てに関係するのは、キッシンジャーなる人物と、その背後の「ロックフェラー+ユダヤ系グローバル資本」などだろう。米国を、第一の反日国家にしてしまった不幸は、日本民族が滅びるまで続くのだろうか?その原因は、やはり満州利権を米国に一歩も譲らなかった明治の藩閥政治なのだろうか? 吉田茂の売国奴的政治も、破滅へロックインされた日本歴史の一里塚に過ぎないのだろうか?https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560835048.html

 

 

補足:

 

1)日本の総理大臣とその任期: 竹下登、1987/11/6〜1989/6/13; 宇野宗佑、〜1989/8/10;海部俊樹、〜1991/11/5; 宮澤喜一、〜1993/8/9;

米国大統領とその任期:George H.W. Bush, 1989/1/21〜1993/1/20; William J. Clinton,1993/1/20~2001/1/20;

 

2)『新中国に貢献した日本人たち』中国中日関係史学会編、武吉次朗訳、日本僑報社刊 http://duan.jp/item/57.html この本の推薦の言葉として、日本から後藤田正晴氏の言葉と、中国からが厲以寧氏(中国中日関係史学会会長)の言葉が掲載されている。

https://www.value-press.com/pressrelease/229202

 

3)中国は日本となら、政治的に配慮すべき借り貸し関係を無視して利用できると考えた。しかし、中国側が弱みを抱えたまま米国と制裁解除の交渉をすれば、その外交的貸し借り関係が発生すると考えたのである。如何に軽く日本を考えているか判るだろう。(日本を軽く見る第一の理由は、日本の非武装中立主義であり、非核宣言である。軍備は基本的に野生の関係で動く国際関係において絶対的である。)