人権重視や法治の原則を歴史の中で育てたことのない中国は、太古からの基本的価値である「利益」を追求する上で、民主国の様な縛りがない。今日の世界秩序は、それら人権重視や法治の原則を中心的価値におく民主主義体制で成り立っているので、その政治経済の付き合いの中に中国を招き入れるのには無理がある。巨大化した中国共産党支配の中国(CCP)が存在感を増すにつれ、民主主義体制諸国からなる世界の危機が次第に大きくなっている。

 

この危機にある民主主義世界を支えるギリシャ神話のアトラスのような役割を、米国は担わざるを得ない。神話によると、天空を支えるアトラスはその重荷に耐えているが、何とか他者にその役割を代わってもらおうと画策する。

 

1)米軍の台湾軍への深い浸透

 

昨日のYou TuberHanaro Timesさんは、米陸軍の兵が台湾軍の中に入って米軍との連携を深めているというニュースを紹介した。 このことは米国からなかなか公表されないので、台湾が意図的にある兵の愚痴を公開する形で、民主国台湾の防衛に協力する米国の姿を世界に知らしめたようだ。(補足1)

 

現在、多くの国が知っている米国の台湾軍への「テコ入れ」を、CCP外交部が知らない筈はない。従って、CCPの沈黙は、それに対する対策の準備が出来ていないのだろうと、Harano Timesさんは話す。https://www.youtube.com/watch?v=qDPStSa6krg

 

 

 

また、512日にブリンケン米国務長官は、CCPの法輪功弾圧を専門とする秘密警察組織「610弁公室」の主任を制裁した。更にアメリカ独立出版社協会(IBPA;アメリカ最大の出版社協会)は514日の授賞式で、明慧出版センターが出版した英語書籍『明慧レポート法輪功が中国で迫害された20年間』がベンジャミン・フランクリン賞を受賞したことを発表した。(補足2)

https://jp.minghui.org/2021/05/20/75870.html

 

これらの人権無視の中国を国際社会に周知する米国の措置は、トランプ政権の対中国政策の延長上にある。しかし、それは共和党だけの姿勢ではない。民主党を含めて米国議会全体の姿勢であることは、民主党の下院議長ナンシー・ペロシが、CCPのウイグル等での人権無視を攻撃し、「米国は北京オリンピックへ選手以外の派遣をしないようにすべき」と主張したことでもわかる。https://www.bbc.com/japanese/57166910

 

更に、米国政治の支配層の中心部分に位置すると考えられる大富豪ジョージ・ソロスが、2019年のダボス会議で中国と習近平国家主席を非難し、世界は「これまでにない危険」に直面していると聴衆(世界)に警告した。以上から、一部グローバル企業を除いて米国の殆どは、中国を敵国であるという意志を明確にしている。https://www.businessinsider.jp/post-183960

 

Harano Timesさんが言うように、米軍の台湾軍への深い浸透は、このような米国の姿勢の一環である。ここで重要なのは、台湾軍への明確な協力は、CCPが設定しているレッドラインであることである。それを踏んだにも拘らず沈黙するのは、上に書いたように、CCPが米国の統一した意志を怖れて、身動きが取れない状態なのだろうと分析する。

 

レッドラインを超えた米国に対して反応するなら、非常に強い反発でなければならない。そして、それは台湾侵攻レベルの強い行動であるべきである。しかし勝算がなければ、この米国の強烈な敵対行為に対して知らない振りをする以外にない。

 

台湾に侵攻すれば、それは真珠湾攻撃をした日本の結末を再現することになる。つまり、日本を敗戦後の共産革命に導こうとしたと思われる山本五十六のような存在がなければ、中国共産党による台湾侵攻は無いということだろう。

 

2)今後の米国の戦略:

 

民主主義国家群のリーダーである米国には、世界の民主国を束ねて中国共産党政権(CCP)の弱体化或いは体制転覆を、粘り強く待つ以外に手はない。ただ、米国の国力の相対的低下を考慮すれば、他の先進民主国の共同作戦レベルの参加がなくてはならない。つまり、米国が今後進めていく戦略は、世界の各地域に軍事的拠点を置き、その地域の有力国の力を利用してそれを運営することだろう。

 

CCPが崩壊するまで、その体制強化が続くだろう。アジア太平洋地域では日本がその中心的役割を果たす様期待されている。

 

米中軍事衝突シナリオとアジアの同盟体制:(上野英詞)

 

しかし、オーストラリアなど多くの先進国が感じる「民主体制の危機の感覚」を平和ボケの日本及び日本国民はは共有できていない。そして、日本はこの一人前の国家になるチャンスを逸し、最後までCCPに対する曖昧な姿勢を続けるのではないだろうか。

 

日本政府がCCPに対する忖度を続けるのは、自民党幹事長の周辺や公明党などの親中勢力だろう。この日本の姿勢が続く結果、日本の民主国の中での地位低下或いは孤立に繋がる。

 

中国への忖度の例として、私は菅政権が東京オリンピック開催に拘っていることを考える。習近平主席は、2022北京冬季五輪を国際的地位や評判を高める機会と捉え期待している。そのため、コロナ肺炎でオリンピックが中止になることを警戒し、東京での開催も支持している。菅政権のオリンピック開催に拘る姿勢は、その中国に対する上記親中派の忖度が反映した結果だと思う。(補足3)

 

このままでは、孫正義氏が心配するように、コロナの蔓延に苦しむ日本は、東京オリンピックの開催という重荷を抱え込み、パンデミックからの立ち直りを遅らせるだろう。

 

 

そして、西欧型先進国群の中で、経済的停滞の中に取り残される代表的な国となる可能性が高い。

(25日6時編集、最終稿)

 

補足:

 

1)Harano Times さんによると、台湾軍のある兵が「最近キッチンの仕事が増え昼もろくに休めない」とか、「米兵は牛乳なのに我々は粉ミルクしかもらえない」などという愚痴をSNSに上げたことで、最近米兵が相当数台湾軍の中に入っていることが明らかになったと言う。それはバイデン政権が、明確に米軍と台湾軍の連携に言及しないので、台湾側からリークした可能性が高いと分析される。

 

2)中共批判の最前線にあるEpoch Times(大紀元時報)は法輪功 (Falun Gong) のメディアである。Falun Dafa (Falun Gong)運営の米国Minghui Net19996月に設立された。主な目的は、中国本土からの直接の情報を使用して、CCPによる法輪功への迫害を明らかにし、法輪功についての真実を明らかにすることと、自己紹介している。日本では2001年に明慧ネットが開設された。

 

3)何故菅政権が東京オリンピックに拘るのかは、大きな謎である。開催中止によりIOCに損害を生じても、パンデミックが日本の責任でない以上賠償責任は無いはず。恐らく、二階氏や公明党が、中国の意向を汲んで菅総理に働きかけているからだろう。それ以外に考えられない。

 

ヤフーブログ時代に書いた3年程前の記事を再録します。ブレジンスキー(Zbigniew Kazimierz Brzeziński )は、ポーランド生まれのユダヤ人で、カーター大統領時代の補佐官など米国政治の知恵袋的存在でした。彼は、同じく著名なキッシンジャーと違って、中国利権を持たないので特に反日という訳ではなく、日本を見るために半年ほど滞在し冷徹に観察して「ひ弱な花日本」という本を書いています。

 

以下再録部分:

 

 

 

馬渕睦夫氏が紹介したブレジンスキーの言葉は非常に興味深い。その言葉の意味は、①「米国の政治を握ってきたのはユダヤ系社会であり、その手法は簡潔に言うと、”マイノリティーの権利をまもれ”という政治活動であった。つまり:米国での黒人やヒスパニックはマイノリティーとして、政治的に軽視されてきた。知恵があり、マイノリティーの一つでもあるユダヤ社会が、その少数派の権利確保という名目で運動を組織化し、米国を牛耳ることに成功したというのである。 
 

この発言は、The Choice、Global Domination or Global Leadership、「選択:世界の支配者又は世界のリーダー」という題名の本に書かれているらしい。邦訳は、「孤独な帝国アメリカ」として出版されているが、現在アマゾンでも入手不可能である。

 

ブレジンスキーのもう一つの発言は、何度もこのブログで紹介している。それも馬渕睦夫氏のyoutube動画で知ったのだと思う。それは:②「この100年間に、人類史上初めて、大衆が政治的に目覚めた。これまでの時代では百万の人々をコントロールする事は簡単だったのです。しかし今日では、百万人をコントロールするよりも百万人を殺す方が限りなく簡単なのです。」 

 

上記発言は不真面目に言っているのではない。おお真面目に人類の将来を予測して言っているのである。それは、これまでの世界のリーダーであった勢力が、これら目覚めた人類を代表する100万人を支配することは非常に難しということである。元の動画を現在でもみることも出来る。

 

この動画で紹介されている、Strategic Vision という著書には、多分この発言と関係したことが書かれているのだろう。この100万人は、当然一つの勢力ではあり得ず、別々の利益を代表していると考えられるので、世界は混乱の時代に入るしかない。ブレジンスキーは多分、そのように言いたいのだろう。この本は2012年に出版された。5年後の2017年に死亡しているので、余命いくばくもないことをしりつつ、上記発言をしたのなら、一層重みを感じる。

 

これら二つの発言を一緒に聞いたとしたら、その意味はもっと明確になる。「この100年間に世界の支配者となったユダヤ系勢力も、最早政治に目覚めた人たちを支配することは不可能である。大衆の群れとなった世界は、今後混乱の時代に入るだろう。」旧約聖書の時代の話には、異教徒や、羊の群れという言葉がよく出てくる。それらの話を思い出すと、「殺す方が簡単だ」という発言は、それほど特別ではなくスムースに耳に入るだろう。

 

ブレジンスキーの話の中で、世界的勢力として出てくるのは、ロシア、中国、ヨーロッパ諸国などである。日本は「ひ弱な花」だから、言及の必要はないだろう。それに、「世界は政治的に目覚めている」とは言うものの、日本は例外である。朝日や毎日は、必ずしもブレジンスキーの方向とも言えないが、未だにしっかり日本の目や耳を塞いでいる。

 
ここ2,3日の「自己責任論」すら、完全に制圧した感じである。NHKも当然、その一角にある。それに積極的ではないが同調するのが、テレビに出ている中立や多少右寄りを装った、体制派評論家群である。まともな意見は、youtubeで見聞きするしかない。
(元の文章には橋下徹氏の動画が引用されていましたが、現在見ることはできませんので、ここでは削除しておきます。)
 

社会の機能はその発展に従って多くの専門に分かれ、それぞれを各専門家が担当することで維持される。この傾向が進むほど、各専門家は全体的視野を失い、自己利益を優先することになる。専門の先鋭化と専門家の視野狭窄は、社会の老化の原因となる。その老化した社会の中で、自分の利益を優先する姿が堕落したプロの姿である。

 

典型例は日本の政治家であり、その地位は世代を超えて相続され、政治プロ化している。彼らは、視野が狭く、世界の政治経済全般を俯瞰する能力は素人よりも低い。これは日本国(日本社会)の末期的症状の主原因である。

 

1)オリンピック開催の是非:

 

今回のオリンピックの件だが、5月3日のTV放送だったと思うが、あるニュースバラエティ(補足1)で、橋下徹氏が「レベル3やレベル4の情況で流石にオリンピックは無理でしょう」と言った。しかし、自民党のワクチン対策PT座長・鴨下一郎氏は、オリンピック開催に執着する菅首相に忖度してか、オリンピック関係者と日本国民一般を分離して考えるとの自民案を披露した。

 

橋下徹氏とは、素人政治家として大阪府の財政を大きく改善した元大阪府知事である。(補足2)鴨下一郎氏は、元野党の日本新党から1993年に出馬し、政治家になった元素人政治家だが、その4年後には早々に自民党に入り、プロの政治屋になった人物である。2007年には、安倍改造内閣で環境大臣として初入閣、入閣後間もなく資産等報告書の記載の不備が発覚したことが早々とプロ化した証明だろう。

 

その番組の中だったと思うが、フランス在住の電子掲示板サイト2チャンネルの創設者であるひろゆき氏(西村博之氏)が、「オリンピックが中止になれば、オリンピック関連の職を得た人が失業するでしょう。高給で雇用されている彼らにとっては、そうなっては大変だから、開催に固執しているのです」という内容の話をした。

 

ひろゆき氏は、オリンピック関係者のための医療体制整備を考える人達を、オリンピックを国民の命に優先する姿勢だとして疑問の声を挙げている。「平和の祭典」も、プロ化した関係者が主役になると、堕落の祭典になってしまうのである。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bd63e312c4f5e26d56f9ef85af704c8a43942a3d

 

菅首相の戦略は、”新型コロナがなんとか低いレベルの被害に抑えられることに賭け、オリンピックが成功裏に終わったタイミングで解散総選挙して2期目を目指す”のだと、誰かがテレビで言っていた。このままでは、最低の首相として歴史に名を残すので、一発逆転の切り札にオリンピックを使いたいということのようだ。

 

何れにしても、堕落しきったプロの政治家により、日本国がズタズタにされようとして居る。それを直感的に感じてか、日本国民の多くはオリンピックを中止すべきと考えているようだ。

https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20210509-OYT1T50173/

 

 

 

2)プロによるその分野の堕落

 

アマチュア(amateur)とは、その分野を開拓し参加するが、職業の対象としない人を言う。アマチュアは、フランス語のamateur「それを愛する人」( one who loves, lover)に由来し、18世紀の西欧(英国やフランス)で 始まった考え方(精神、思想)である。そこには貴族の趣味という感じが存在する。しかし考えてみれば、人間文化の殆ど全ては貴族のアマチュア精神により作られた。

 

どのような分野でもプロ化により、ノーマルな人間の行いとしての軌道を外れ、異常なものに進化してしまう。プロ化すれば何でも堕落するのである。

 

例を挙げる。高度に発展した科学は、偉大なギリシャ市民のアマチュアリズム、知を愛する人達が築いた。「知を愛する」は、英語ではphilosophy(フィロソフィー )というのだが、明治時代の誰かが「哲学」という訳の解らない漢語に翻訳してしまった。都道府県名に名を残す「愛知」が本来のフィロソフィーである。(補足3)

 

アマチュアリズムとは、その分野への参加者が他人に比較して優れた成績を残すことを必死に追求するのは愚かなことだと考えることである。そしてその考え方を持つことが、その分野の本来のあり方を維持するのである。

 

科学は知を愛する人達のアマチュアリズムが支えているのである。成績を必死に追い求めると、個人は不正に走ってしまう。それは高度な「科学という文化」の中に紛れ込むと、高度な生命体の中の微量毒素のように働いて、科学の発展を遅らせる。スタップ細胞事件など数多くの捏造事件の発生の遠因は、科学のプロ化である。

 

科学と技術の分野で成功した人に送られるノーベル賞は、元々は金のない優秀な若い人に奨学金を与え、彼らから金の心配を取り除き、その分野の研究に没頭できるようにと、アルフレッド・ノーベルの遺言で作られた。

 

それが何時の間にか、ノーベルの遺産を運用するプロの人たち(その管理団体というプロ集団)の利権と絡んで、現在のような形になったのである。それは、既に職業化していた科学者の堕落を加速した。ノーベル賞獲得が世界における地位と栄誉の保障になるまで、その賞の価値が上昇したことと平行して、人々は科学と技術という二つの独立した言葉の意味を理解できなくなり、科学という人類の作り上げた優れた文化を忘れさった。(補足4)

 

3)スポーツはアマチュアの楽しむものである:

 

アマチュア規定がスポーツに持ち込まれたのは、1839年にイギリスで行われたボートレースのヘンリー・ロイヤル・レガッタでの参加資格だった。成文化されたのは1866年イギリスの陸上競技選手権大会である。

 

この情報の出典である日本大百科全書によれば、「アマチュアamateurは、ラテン語のamator(愛好家)という語に由来し、スポートsport(職場を離れて楽しむ)の語とともに用いられるようになった」という。

 

そのスポーツをプロ化し堕落させたのが、資本主義経済と絡んで発展したオリンピックだろう。たとへば水泳の選手の筋骨隆々とした姿は、まるでサイボーグ(改造人間)のようであり、彼らの記録とそれをめぐる争いは、人類文化の何を為すのか? 

 

そのように考えれば、オリンピックを開催して、経済的利益を得ようとする菅首相の姿は、異様な世界の視点からみればノーマルなのかもしれない。

 

オリンピックが、世界の平和と人類の福祉に貢献するとした場合、「オリンピックで重要なのは、勝つことでなく、参加することである」(クーベルタンの言葉)。従って、過度な商業主義を排し、もっとシンプルで何処の国からでも参加できる形で開催されるべきだと思う。

 

そのように考えた場合、インドやアフリカ諸国、ブラジルやチリなどの南アメリカ諸国などから殆ど参加出来ない形では、オリンピックを開催する意味がない。

(12時:三木谷浩史氏の記事追加、14時追加の編集)

 

補足:

 

1)ニュースバラエティとは、ニュースを専門にしながら視聴率のためにそれをお笑い番組的に変形した視聴者を欺く番組である。このブログでも屡々出てくる「そこまで言って委員会」は、最初はかなり真面目に最近の政治などについて議論していたが、そのうちにお笑い番組のようになった。TV局のバラエティ化の方針に唯々諾々として協力した人は最近退陣した。

 

2)元官僚で現在自民党参議院議員の太田房江知事の後を継いで大阪府知事となった橋下徹氏は、職員の前で「あなた方は財政再建団体の職員である」という類の挨拶をして、その深刻さと今後の財政健全化の方針を訴えた。プロの太田房江氏は、依然自民党政治屋の一角を占める。

 

3)英語のphilosophyphilは愛するとか相性がいいという意味で用いられる。たとへばhydrophilicは「親水性の」という意味である。その反対の意味の意味は、phob(嫌う、避ける)が受け持ち、hydrophobic「疎水性の」として用いられている。

 

4)科学は哲学の一分野、自然を対象にした哲学である。科学的発明の多くは、哲学者により成された。パスカルの原理、ピタゴラスの定理などのように、哲学者として有名な人の名前で数学や自然科学の原理が呼ばれているのは、哲学と科学の間に垣根など無かったからである。ニュートンも、イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者とウィキペディアには紹介されている。一方、技術は何らかの目的が最初にあり、それを解決する方法として開発された方法である。発光ダイオードの開発でノーベル賞を与えられたのは、青色発光ダイオードを開発した中村氏や赤崎氏だが、最初に発光ダイオードを開発した米国人ではなかったことが、現在のノーベル賞の性質を雄弁に語っている。