差別は悪であるが、好き嫌いの表明は自由である

 

「差別」とは、一群の人たちを「区別」した上で、その区別とは無関係な場面において、感情的、経済的、或いはその他の冷遇をすることである。本文章は、「差別はどうして“悪”なのか?」という疑問に答えるのが主目的である。その際の重要なポイントは、差別を悪として議論の対象とするのは、宗教的場面を別にすれば、近代社会の公空間においてのみである。

 

1)善悪という概念:

 

善悪という概念は、人類が社会を形成する様になって初めて生まれた。つまり、善悪は社会が発生し、公的な空間が出来た後に生じた概念であり、個人の内部や完全に私的な関係においては善悪は無意味な概念である。

 

その後、人格神を持つ一神教において、善悪は私的な空間においても意味を持つようになった。これが一神教の特徴であり、それ以外の宗教との決定的な違いである。一神教を信じる方々を含めて議論する為には、社会的善悪と人格的善悪(補足1)とを区別することになる。そうすると、今回の話は社会的善悪についてと言うことになる。私は一神教の信者ではないので、後者を単に善悪と呼ぶ。

 

古来、人と人間という二つの言葉を区別して用いる場合、前者を動物としてのホモ・エレクトス(Homo erectusの意味とし、後者を社会の中で生きる人の意味に用いる。善悪は人間を対象とした場合の概念であるが、厳密に個としての空間に閉じ込められた人には存在しない概念だということになる。(補足2)

 

私はここで何時も引用するのが、親鸞の教え、「人は誰でも、死の間際に“南無阿弥陀仏”と唱えるだけで、極楽往生をとげる事ができる」という言葉である。最後の瞬間、どのような人間も完全に個の空間に閉じ込められ、その空間とともに消滅する。

 

その時、善悪は全く無意味な概念となり、南無阿弥陀仏という念仏を最後に消滅する命は、その瞬間には無意味となった生前の悪行の記憶を放棄することが出来、阿弥陀仏を思う気持ちのままに消滅するのである。

 

それは鎌倉仏教には無かったものであり、比叡山の横川中堂を後にした親鸞は、この善悪という言葉に込められた社会の装置が、仏教の教えの通り本質的ではないことを知った上で、四苦に苦しむ衆生の救済のための宗教、浄土真宗を拓いたのだと思う。(補足3)

 

2)差別は、社会の存立を危うくする悪である

 

差別の悪は、他の悪と同様、社会をつくることによって発生し、その悪が蔓延することで社会の存続が危うくなる。

 

人間は社会を作ることによって、他の動物との生存競争に勝つようになった。そして、社会が時間とともに発展し、現在高度な文明により維持されるようになった。その結果、人間はより楽な生活が可能となり、人口も増加した。(補足4)

 

その結果、複雑化した社会の維持(発展)には、様々な人材を必要とするようになった。社会における適材適所の原則は、取り敢えず平等を人物評価の原点とし、外見や個人的趣味、一つや二つの評価ポイントでの優劣と待遇の判断を避けることが賢明だとする“道徳”が出来上あがった。

 

例えば、だれでも美人を好み、醜人を嫌う。それは人の生物的感覚の結果であり、人が動物ホモエ・レクトスである以上不可避である。しかし、その美人に扠したる能力がなく、その醜い人にまれに見る能力や知恵があれば、公的な空間では、つまり社会は、その醜い人を重用することで大きな利益を得る。

 

その結果、「外見で人物の判断をしてはならない」という道徳が出来上がる。つまり、美醜で予め人を差別することは、その社会の利益に反するという事実の、道徳への翻訳である。

 

美醜を肌の色に変えても同様である。肌の透けるような白い人たちが主な構成員となっている地域に、肌の色が黄色いアジア人が居たとする。その白人たちは、そのアジア人とは幾分疎遠になる可能性が高い。しかし、そのアジア人が知的で勤勉であれば、社会で重要な役割を果たす可能性がある。

 

従って、アジア人差別は、その社会にとって大きな損失になる可能性が高い。それが人種差別を悪とする道徳の存在理由である。差別の感情が私的な空間に閉じ込められ表にでなければ、結果としてアジア人が社会の適材適所に分散され、その社会全体の能力が向上し安定化する。アジア人も白人も同様に満足して生きることが可能になるだろう。

 

ただ、私的な時間と空間で白人がアジア人を嫌う感情を持ったとしても、それはその白人達の自由である。アジア人も白人を嫌う感情を私的な空間に閉じ込めておれば、問題はない。大事なのは公的な空間においてどのように振る舞うかである。

 

近代国家では家を一歩出た瞬間から、人は公的な空間に入る。交通機関の利用、生活必需品の購入、住居の賃貸契約など、家の外で金銭が動く時の全ての行為は、公的な空間における法的な行為である。そのような時、誰かが誰かを予めそれらの行為と無関係な特徴において差別する行為は、道徳に反するだけでなく場合によっては違法であり、社会悪である。

 

宗教上の問題を別にすれば(再度、補足2)、善悪は公的な空間と時間に限られた概念である。現在の民主主義と法治の原則を最重視する近代社会では、宗教は最初に述べたようにあくまでも私的な空間での話であり、社会的善悪とは本来無関係である。(補足5)

 

3)階層社会と私空間における差別:

 

差別を悪として退けるのは、先進国を中心とした近代社会である。それは、個人の自由と平等、人権尊重、そして法治を原則とする公的空間である。階層社会はそれらの原則を受け入れない社会であり、従って差別を議論しても意味がない。(補足6)

 

また、私空間での差別は、普通問題にならない。例えば、親が子供への対応において個別に差を設けても、法令に違反しない限り問題にならない。(補足7)長子差別や末子差別については、社会(公空間)は批判する権限を持たない。

 

また、閉じたグループ内、例えば共同体内部での人間関係における待遇差も、その内部で話がとどまる以上差別にはならない。会社などの機能体組織内でも、上記差別を議論する前提が成立しないので、議論に意味はあまりない。(補足8)

 

ただ、これらの組織等と公空間の境界、例えば採用や解雇に関係する状況等では、公空間と関係するので差別は問題となり得る。

 

人の好き嫌いを処罰することは人権無視となる。一人の空間に閉じ込めることが可能なら、差別感情をもったり、差別の言葉をメモにしても罪にはならない。勿論、ある特定の人格神に私空間を渡した人(信者)には、その自由は無いだろう。(18時20分、編集)

 

 

補足:

 

1)「人格的善悪こそ、人の善悪である」と考える人が大勢いるだろう。しかし、人の評価で対象と出来るのは行為のみである。人の心の中は見ることが出来ない以上評価しようがないからである。「」の言葉を信じる人達の“人格”は、対象となる人のこれまでの行為を見て抱いた幻想に過ぎない。

 

2)人格神を崇める一神教の信者たちは、私空間にもその人格神が存在する。従って、個人は二つの人格の複合体ということになる。余談だが、日本の明治以降の政治の間違いは、天皇を人格神のように作り変えたことである。

 

3)これが私の浄土真宗に対する理解である。議論していただければ幸いである。

 

4)昨今の先進国における人口減少は、社会が住みにくくなったからである。それは文明の発展ではなく、崩壊が始まったことを示している。

 

5)古代において一神教は民族のリーダーの神格化により生じた。一神教は多民族との戦いの旗頭として存在し、従って私的空間に於けるよりも、社会的空間での意味の方が大きかった。しかし現代では、一神教の主なる存在空間は私空間となった。この一神教の位置における時代に伴った変化は、地球上の位置により異なる。

ここで一言補足2に追加をする。一神教の世界では「善悪は神が決める」が、今回の議論における結論は「善悪は社会が決める」である。後者の考え方では、善悪は時代とともに変わる。それを裏返せば、一神教の善悪は時が経つに従って、時代遅れとなる。一神教の世界は、この事を真剣に考えるべきである。

 

6)階層社会でも、一つの階層の中では差別は問題になるだろう。しかし、ここでは議論しない。

 

7)法令に違反するのは、公空間に影響する行為である。しつけの範囲にあれば、子供に対する暴力(例えば平手打ち)に見えても、公空間の権力は及ばない。

 

8)ここで深刻なのは共同体的組織内でのイジメである。イジメの実態が刑法にある暴行や障害であっても、警察は動きにくい場合が多い。それは、閉じた共同体的空間での出来事だからである。一般にその種の事件では、当事者に所謂善良なる人物しか居ない場合が多く、警察も徒に刑法犯を作り上げることをためらうのである。8年ほど前の事件について書いた記事があるので、それを一つリファーしておく。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514013.html

オリンピックの開催まで60日も残されていない。今回のオリンピックは、日本の国際社会に於ける将来の位置を決める重要なイベントである。何故なら、東京オリンピックは北京の冬季オリンピックと一体となってしまったからである。

 

東京オリンピックの開催は、対コロナの問題だけではない。日本国の、米国を中心とした世界の民主国連合と中国共産党を中心とした全体主義連合の間の選択になる。その事を十分考えて、日本国民は東京オリンピックの中止デモやあくまでゴリ押し的にオリンピック開催に拘る菅首相の更迭に向けた運動をすべきである。

 

1)新型コロナとオリンピック:

 

新型コロナ(COVID-19)に感染する人数は、未だに世界で毎日60万人以上いる。その2%の人たちが毎日死亡している。その数は統計に載ったケースだけのものであり、実態はそれ以上だろうが、誰も知らない。

 

統計に一定の信頼が置ける国々の中では、インドでは毎日20万人、ブラジルでは6万人、米国でも2万数千人が新たに感染している。https://www.worldometers.info/coronavirus/country/us/

 

そんな中で、オリンピックを開催しても、発展途上国は参加できな国も多いだろう。また、参加できたとしても、選手たちは十分な準備が出来ておらず、実力を発揮できないだろう。

 

世界が新型コロナと戦争している状況で、「平和の祭典」オリンピックの開催に意味があるのか?この内容の投稿を本ブログで何度もしてきた。その直近の再録記事が513日のものである。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12674242110.html

 

更に、このオリンピックは国際政治の中で重要な意味を持っていることを524日の記事に書いた。その部分を再録させて頂く。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12676414706.html

 

日本政府が中国共産党政権に対する忖度を続けるのは、自民党幹事長の周辺や公明党などの親中勢力の所為だろう。この日本の姿勢が続く結果、日本の民主国の中での地位低下或いは孤立に繋がる。

 

中国への忖度の例として、私は菅政権が東京オリンピック開催に拘っていることを考える。習近平主席は、2022北京冬季五輪を国際的地位や評判を高める機会と捉え期待している。そのため、コロナ肺炎でオリンピックが中止になることを警戒し、東京での開催を支持している。菅政権のオリンピック開催に拘る姿勢は、その中国に対する上記親中派の忖度が反映した結果だと思う。(一部編集)

 

今日本は、開催の意味をオリンピックの精神から考察するだけではなく、オリンピックが国際政治のフロンティアにあることを考えた上で、その開催中止を決断すべきである。

 

現在、米国を始めとする民主主義国は連合を成して、ウイグル人、法輪功の人たち、香港の人たち、そしてチベットや内モンゴルの人たちの人権を無視し、国際的な標準である「人権重視と法治主義」を無視する中国共産党政権とそれに取り込まれた途上国や東アジアの国々との冷戦に突入している。

 

その勢力争いの中で、中国はオリンピックを利用して日本も自分達の勢力範囲に取り込もうとしている。このまま東京オリンピックが開催されれば、中国は大選手団を組んで東京に送り込み、世界中に放映されるテレビを利用して、中国を国際協力を推進する国として宣伝するだろう。そして、閉会の時には、世界に向かって北京で再会しようと呼びかけるだろう。

 

 

 

2)北京オリンピックボイコットの環

 

ポンペオ前国務長官は、中国共産党政権によるウイグル人の非人道的な虐待を「ジェノサイド」という言葉を用いて非難した。更に、トランプ政権は一貫して、今回の新型コロナウイルスをチャイナウイルスと呼び、中国のP4実験室から故意又は事故的に漏れ出たものだと主張していた。

 

就任当初のバイデン新大統領はその考えかたを否定して、トランプ政権が行っていたウイルスの出所調査を中止させた。しかし、最近米国全体がバイデンの考え方よりもトランプの考え方を継承する様になり、大手メディアも意見を180度替えることになった。その姿勢を、バイデンも渋々取り入れて、調査機関に90日以内にウイルスの出所に関する調査をして報告するようにという命令を出した。

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-57260009

 

その昔、米国を中心とした自由主義圏とソ連を中心とした共産主義圏の間の冷戦が半世紀続いた。自由主義圏にとってそれよりも遥かに荷の重い冷戦が、ソ連の代わりに中国を置く形で始まったことになる。今後対中貿易に関しても、嘗てのココムのような制度が持ち込まれ、制限されることになるだろう。

 

仮に自由主義圏の冷戦勝利となれば、その終結後出来上がる新しい戦勝国連合(United Nations)は米国と民主主義を共有する諸国が作り上げるだろう。その中に、まともな形で参加出来るか、そうではなく敵国条項の対象国に含まれるのか、現在その境目に日本と韓国は存在するのである。

 

2つの道の間の選択は、最初は何方でも大して変わらないような状況で行われる。日本のそれは、オリンピックに大選手団を送り込んで、国際関係をオープンにして広げると称する中国共産党政権のプロパガンダに加担するかどうかである。二階幹事長と菅総裁の自由民主党と公明党の連立政権は、コロナ下で国民が苦しむ中、その方向で動いている。

 

更に、IOCWHO同様、完全に中国に取り込まれている。バッハ会長以下のIOC幹部は、何が何でも東京オリンピックは開催するとの強い意志を示し、中国の書くシナリオに全面的に協力する姿勢である。そのことは519日のバッハ会長の言葉:大会が可能になるのは日本人がユニークな粘り強さと逆境に耐え抜く能力をもっているからだ。その美徳に感謝したい」というふざけた言葉にあらわれているhttps://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20210526-00239899/

 

ここで、日本国の主権の及ぶ範囲として、IOCへの協力を中止すべきである。この決断をしなければ、その後の上記2つの道の境目は深くなり、日本は“人権と法の支配を無視する全体主義国家の連合”の協力国として、最後までその道にロックインされるだろう。(補足2)

 

このオリンピック開催の3つの問題点、1.新型コロナと戦う国民への医療サービスを一部犠牲にするという問題、2. 多くの国が新型コロナとの戦いで苦しみ、満足な形で参加できない状況で平和の祭典「オリンピック」を開催する意味などがあるのかという疑問、更に、3.オリンピックは中国共産党政権の一大プロパガンダとして利用されるだろうという国際政治の問題を考え、国民は菅首相更迭の運動を始めるべきである。

 

米国は最後の警告として、或いは日本国民を目覚めさせるために、日本を渡航禁止の国の中に含めた。未だに2万数千人の新規感染者を出しているにも拘らずにである。日本国民は、菅総理の米国訪問時の冷遇、例えば晩餐会の豪華な食事の代わりにハンバーバーが出されたこと等をもっと深く考えるべきである。また、韓国文在寅大統領が米国を訪問した時には、飛行場には儀仗兵も配置されなかったことの意味を考察すべきである。

(5月30日早朝、編集あり)

 

補足:

 

1)この文章中「 もし日本国憲法に契約が違反していないのなら、IOCの決定が国家主権に優先する筈はない」は「もし日本国憲法に契約が違反していないとしても、IOCの決定が国家主権に優先する筈はない に訂正したい。

 

2)日本の没落に関して、評論家の中野剛志氏はそのように表現したと思う。それをネタに記事を書いたのは2019年のことであった。“国家の没落を我々は食い止められるのか:ロックインモデルを用いた考察https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560835048.html

 

前立腺は男性のみに存在する器官である。大多数の男性の前立腺は、高齢になると肥大し排尿障害の原因となる。薬物療法により手術の必要がない場合が多いが、それを躊躇っていると、場合によっては腎臓機能の悪化の原因となる場合もあり、その場合の殆どは手術が最善の治療法となる。

 

今回の記事は、素人だが体験者として、主に前立腺肥大の手術に関しての情報をまとめる。誠意を込めて書いたつもりだが、素人ゆえにその責任は取りかねる。読者は各自の責任で内容をご確認いただきたい。

 

1)前立腺肥大による排尿障害と手術法について

 

腎臓でつくられた尿は、膀胱に貯められる。それが、一定量(健常者は400L程度)に達すると、膀胱の内圧が増加し、その情報が脳に伝達される。そして、脳から膀胱壁を収縮させ、内尿道括約筋を弛緩させる信号が送られ、随意筋である外尿道括約筋を弛緩させると放尿となる。

https://www.kango-roo.com/learning/3287/

 

前立腺は、この内尿道括約筋とその下にある外尿道括約筋の間の尿道を取り巻くように存在し、その肥大は尿道を圧迫し狭窄させ、排尿障害の原因となる。排尿障害が時として、腎臓機能を悪化させると、悲劇的な場合は透析患者となる場合もあるので、早期の治療が望まれる。

 

最初の選択は、薬物療法である。それで十分な効果を発揮できないのなら、手術をするべきである。現在、様々な低侵襲性の方法が存在するので、その中から自分に適した方法を選択して、手術するのが正しい対処法だと思う。

 

手術をしないで排尿障害を解消する方法として、自己導尿という方法があるが、社会的に活動できる人なら全く勧められた方法ではない。被介護の状況にある方或いはそれに近い高齢者のみが用いるべき方法であり、バルーンカテーテルの留置か自己導尿かの選択肢としてのみ存在する方法だろう。https://kaigo.homes.co.jp/manual/healthcare/medical_practice/balloon/

 

前立腺肥大症の外科的治療として、例えば、米国ケンブリッジ大の泌尿器科のホームページには、HoLEPREZUMUroLift、およびTURPが紹介されている。日本では、REZUMUroLiftは殆ど用いられていない様なので、その簡単な解説は補足に廻す。(補足1)https://www.cambridgeurologypartnership.co.uk/urology-info-for-patients/prostate/holep-urolift/

 

日本で行われている前立腺肥大症の経尿道的外科療法は、大きく分けて3つに分類される。これらは尿道にレゼクトスコープ(補足2)を挿入して、行われる。

 

一つ目は、前立腺の内腺全体を外腺部分との境界から剥がすように切り取り、その後内腺部分を細かくして外部に取り出す方法(経尿道的前立腺核出術)で、HoLEP(近赤外線レーザーによる)とTUEBTransurethral Enucleation with Bipolar;特殊電気メスによる)がある。

 

前者はホルミュームYAGレーザー(波長2.1μm)を用い、(補足3)後者はオリンパスが開発した特殊な電気メスを用いて、内腺を除去する方法である。(後者の装置については、https://www.medicaltown.net/urology/product/lowerpart/esg400turis/

 

日本泌尿器科学会のガイドライン(以下ガイドライン)において、HoLEPは推奨グレードAでありTUEBは推奨グレードBである。(補足4)HoLEPは、大きく肥大した前立腺にも適用できる低侵襲外科治療である。レーザー光は前立腺の内腺を外腺から剥離するために用い、切り取られた内腺部分は一旦膀胱内に移される。その後、別の装置で吸引破砕され、体外に取り出される。

 

二つ目には、PVP(photoselective vaporization of the prostate)法と呼ばれる方法で、前立腺内腺の多くを緑色レーザー(KTPレーザー、波長532nm)で蒸散させ除去する。この光は酸化ヘモグロビンを含む組織を過熱蒸散させので、効率的に前立腺組織の蒸散させる。このPVP法は、ガイドラインの推奨グレードAである。

 

PVP法は、非常に大きく肥大した前立腺(80cc以上)には推奨されないようだ。これはガイドラインには明確には書いていないが、この治療法で著名な病院のHPや患者の口コミとして書かれている。例えば、原三信病院(2011年にPVP法を導入)のHPでは、80ccを超える場合、術後4年ほどして排尿障害を生じるので、CVP法を勧めていると書かれている。https://www.harasanshin.or.jp/medical/uro/pvp.html

 

CVP(Contact laser Vaporization of the Prostate)は、波長980nmのダイオードレーザーを用いる方法であり、直接組織に接触させてその部分を蒸散させるPVP法と似た方法である。波長980nmは「生体の窓」(補足3)に位置するので、蒸散させる箇所から離して照射するのは副作用の原因となるだろう。2017年のガイドラインにはCVPという用語は使われていない。半導体レーザー前立腺蒸散術として引用されているのが、CVP法だと思う。ただ、推奨グレードはCであり、泌尿器科学会には十分認められていない。

 

三つ目の方法は、TURPTransurethral Resection of Prostate :経尿道的前立腺切除術)であり、電気メスを用いて前立腺の尿路狭窄の原因となっている部分を切り取る。この方法は、ガイドラインにおいて推奨グレードAであり、現在でも前立腺肥大の外科治療のスタンダードな方法である。

 

しかし、この方法には様々な欠点がある。血管が多く存在する前立腺の内腺を電気メスで削るので、出血量が多く大きな肥大(80 cc以上)には適用出来ない。輸血をしなければならない場合もある。更に、還流液下で手術を行うが、その後遺症である低Na血症(TURP症候群)を引き起こす可能性がある。最後の欠陥は、バイボーラー型の電気メスを用いる(Bipolar TURPと言う)と、生理食塩水を還流液に用いることが可能になり、防ぐ事ができると文献には書かれている。

 

これらを総合して、80cc以上に肥大した前立腺にはHoLEPが、それ以下の場合にはHoLEP, PVPが推奨される。CVP法は、実績を積み上げることで推奨グレードが上がるかもしれないが、生体の窓(650-1000 nm;補足3参照)に位置する波長のレーザーを用いるので、私なら避ける。

 

2)日本での適用実態

 

2011年の日本泌尿器学会のガイドラインでは、TURPHoLEPに推奨グレードA(強く推奨する)を、PVPには推奨グレードB(推奨する)を、CVPには推奨グレードC1(根拠は十分でないが、行っても良い)を与えている。2017年では、PVP法は推奨グレードAに格上げされている。

 

TURP法、HoLEP法、TUEB法、CVP法の比較は、これらを用いて来た大阪警察病院のHPの記述が参考になる。http://www.oph.gr.jp/medical/treatment/hinyou/index.html 下に各年の実施件数の変遷を示す。

 

この病院のHPには、HoLEP法は202011月に導入された新しい方法であるとの記述があるが、

HoLEP法自体はそれほど新しい方法ではない。1998年にニュージーランドで開発され、21世紀のはじめには、日本でも導入されている。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsejje/25/2/25_351/_pdf

 

ただ、80ccを超える前立腺肥大にも好成績を残す低侵襲な方法であり、この病院も導入に踏み切ったのだろう。従って、上記グラフには2021年以降にHoLEPの実施件数が入ってくる筈である。

 

岐阜総合医療センターも泌尿器科における前立腺肥大手術の詳細な実施統計を掲載している。その実施数の遷移を示すグラフを下に示す。

 

岐阜総合医療センターでは、HoLEP手術が、2009年に初めて実施され、その後TURP法による手術が激減している事がわかる。https://www.gifu-hp.jp/urology/#point03

 

更に、2011年には、これまで行われていた開腹による手術が完全に無くなっている。つまり、大きく肥大した前立腺にもHoLEP法が適用できることを如実に示している。(補足5)

 

HoLEP法の優れている点は、ホロニュームレーザーは波長が2100nmと長く、生体に強く吸収される。一方、PVP法で用いられているKTPレーザー光の波長は532 nmCVP法のダイオードレーザー光の波長は980nmであり、血液のないところでは両者とも生体内に深く浸透するので、潜在的な危険性を孕んでいる。後者は、所謂生体の窓と呼ばれる波長領域にある。

 

何れにしても、実施件数が多い病院がその方法に習熟しているということになるので、各病院のHPでそれを確認することが、患者としては大事だと思う。(27日15時編集し、最終バージョンとする)

 

 

補足:

 

1)REZUMは新しい低侵襲性の治療法である。蒸気を使用して前立腺を収縮させ、尿閉を改善する治療。デイケースとして運ばれ、患者は数日以内に通常の日常生活に戻ることができる。UroLiftは、前立腺の最小限から中程度の肥大による尿路症状のある男性のための新しい低侵襲治療である。それは尿道内から行われ、閉塞性前立腺組織を取り除くのではなく、ピンで留めることを伴います。この方法は全てに適している訳でなく、適用には泌尿器科医からのアドバイスが必要。

 

2)レゼクトスコープ(resectoscope)は、長さ30cmほど直径現在9ミリ程度の内視鏡である。現在改良が重ねられ、8ミリまで細くなっている様だ。細くなるほど当然患者への負担は小さくなる。(2018年第32回日本泌尿器内視鏡学会総合ランチョンセミナー)https://leaders.co.jp/wp/wp-content/uploads/2018/10/LuncheonSeminar20181127.pdf

 

3)この記事に現れるレーザー光の波長は以下の通り。ホロニュームレーザー、2100nm;

KTPレーザー、532nm; CVP用ダイオードレーザー、980nm; 因みに、生体による吸収の少ない近赤外の波長領域は、650nm~1000nmであり、生体の窓と呼ばれる。尚、ホルニュームレーザーを用いた手術の工学的見地からの記述は以下の文献に詳しい。

http://www.medicalphotonics.jp/pdf/mp0008/0008_024.pdf

 

4)日本泌尿器科学会、男性下部尿路症状・前立腺肥大症診療ガイドライン(2017年改訂)

https://www.urol.or.jp/lib/files/other/guideline/27_lower-urinary_prostatic-hyperplasia.pdf

推奨グレードA~Dは以下の通り: A:行うよう強く勧められる;B: 行うよう勧められる;C:行うよう勧めるだけの根拠が明確ではない;D: 行わないよう勧められる

 

 

5)愛知県下では、HoLEPによる実施件数が多いのは、名市大医学部付属東部医療センターである。ここではTURP法による手術件数もかなりあるが、それはTURP法に習熟した医師が居るということだろう。予後の良し悪しは、手術法の優劣も重要だが、その手術法に対する執刀医の習熟度も同様に大事である。因みに、筆者は非常に優れた医師の執刀によりHoLEP手術を受けることが出来たと、その執刀医に感謝している。

http://www.emc.med.nagoya-cu.ac.jp/category/sinryoukamoku/6033.html