1)嘘つきは泥棒の始まりなのか?

 

「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉がある。嘘をつくことにより、泥棒までの距離が近くなり、遂には泥棒をするようになるという意味である。そして、泥棒という悪の道に一旦迷い込めば、その人は悪の螺旋を落ちることになる。

 

しかし、親鸞は「善人なほもて往生す、いかにいはんや悪人をや」と悪人正機説を唱えた。この辺りで、善悪、嘘と真実などの関係が危うくなる人が多いだろう。そのような動機から、嘘の意味を考えて来た。今回、その疑問に対する一応の答えを記す。

 

嘘は真実の対語のように考える人が大半だろうが、そうではない。「真実」が点だとすれば、「嘘」はその点以外の空間に広がりを持つ。それらが、現実の「言葉」の成分となっている。その言葉の一部である「嘘」の人間社会における作用や意味を考える。

 

嘘は、犯罪の一部を形成することもあるが、その一方で人と人の間の潤滑油的役割もある。つまり、考え方によれば、人間社会は思いやりのある嘘で成立していると思う。

 

「嘘のない世界には住めない」という考え方を基に、ネット検索したところ、ある短編SF小説を見つけた。嘘の監視を目的に巡回するロボットに、多くの人が射殺される光景を描いている。

 

ある家族が、その恐ろしい国から隣国に逃れる計画をして、沈黙を誓って出発する。言葉を発すれば、嘘が混じる可能性があるからである。隣国にたどり着き、その入国審査のところで、夫が嘘により殺され、妻ひとりが隣国にたどり着く。つまり、隣国も同様の国だったようだ。

 

恐ろしい光景が描かれているのだが、嘘に関する理解を助ける為に書かれたのかもしれない。或いは、ジェノサイドのC国の姿を、比喩的に描いているのかもしれないとも思った。巡回ロボットを街中の監視カメラや顔認証システム、スマホに組み込まれているかもしれないシステムに置き換えれば、殆ど実話に近いと思えなくもないからである。https://kakuyomu.jp/works/1177354054885498520/episodes/1177354054885498527

 

2)ヒトは言葉を纏って人間になる:

 

話を原点に戻す。先ず、「真実」の話からしたい。日本人なら真実は一つと簡単に思い込む。例えば、命題A:「地球は平面ではなく球状であり、宇宙の中に浮かんでいる」ということを、日本人の殆ど全ては「真実」として、納得しているだろう。

 

同様に、命題B:「人の体は蛋白質や水と油、それにカルシウムやリンなどの物質で出来ている。死ねば、骨のカルシウム分が灰として残るが、それ以外は完全に消滅する」を真実だと思っているだろう。

 

しかし、その真意をしつこく確認すると、命題Bには言葉を濁す人は多くなるだろう。自分の墓の購入に数百万円を支払う人に、そのようなタイプが多いだろう。真実だと思って来たことも、命題によっては、その信念は思いのほか軽いことが暴かれる。

 

ここで書いておきたいことは、これら2つの命題は、人類が得た科学的知識だということである。現代人は科学を真実だと思っているだろうが、科学は集積した真実とその体系化ではない。単に、人類の自然に対する理解を仮説(仮定)として整理したものに過ぎないのである。(補足1)

 

真実は、英語で「truth」と訳される。ここで、真実「truth」の意味を英語の語源辞書で調べると、 "faith, faithfulness, fidelity, loyalty; veracity, quality of being true; pledge, covenant"などの意味が記されている。https://www.etymonline.com/search?q=truth

 

そして、faithの意味は、信用、信仰、キリスト教の信仰などである。要するに、「真実(truth)」とは「信仰」である。我々「ヒト」には、真実を定義する能力などない。それは神の領域であるということを、英単語「truth」は教えている。(補足2)

 

つまり、上記2つの命題も、真実かどうかは人の信仰に依存する。従って、信仰の非常に固いひとと、信仰が全く無い人は、上記2つの命題に重みの差を感じないだろう。

 

後者の人たちは、「他人の身体は単に”蛋白、リン、カルシウム、水それに油の集合”に過ぎない」と思うだろう。それ故、その国の文化に信仰がない国は、恐ろしい。生きたままに、他人から移植用の臓器取り出すことに、さほどの抵抗を感じない人が多いからである。

 

神の前でヒトは、真実の姿、つまり裸になるしかない。ヒトは社会を作って生きる際に、纏うのが(その社会の)言葉である。(補足3)七色に変化する言葉を纏ったヒトの姿が、人間として社会に生きるヒトの現実の姿だと思う。良く聞く言葉であるが、「ヒトは社会に生きて人間となる」と思う。

 

つまり、現実の言葉は、真実を核にもつだろうが、その周囲に広く様々な嘘を含んだ空間を形成している。そして、嘘の付き方は、その言葉を話す民族の文化である。以上は、言葉と宗教と社会は、3本螺旋のように進化したという私の仮設を基礎に考えた「嘘の由来」である。(20196月に投稿した言葉の進化論1〜3;解説)

 

3)嘘の分類

 

嘘は、敵に対する嘘、味方に対する嘘、自分に対する嘘に、大きく分類される。(補足4)人は、社会の中でしか生きられないので、味方に対する嘘を多用して生活を可能にしている。その事実に気づかないで、嘘を厳格に禁止すれば、冒頭に引用した短編SFの世界となるだろう。家族関係を含め、全ての人間関係は破壊される。

 

敵に対する嘘は、例えば韓国や中国が捏造した対日歴史である。それを利用して、彼らの社会の大きな枠組みである国家の安定と繁栄の基礎としている。この対日関係の嘘の多用は、特に前者に著しい。それに対して「真実ではない」という形の反論を対策と考えるのは、戦略的ではない。何故なら、それが彼らの真実であり信仰だからである。日本人にとって真実かどうかには彼らの関心事ではないからである。(補足5)

 

嘘も言葉の中の重要な要素である。言葉で書かれた歴史も同様である。

 

我々は言葉と意志と力で生きている。言葉の核心に真実という信仰があり、その周りの多次元空間に嘘の空間が広がっている。人は言葉のみにて生きるに非ず、意志と力を必要とするのである。

 

日本の戦前には、それは常識だったかもしれない。しかし戦後、言葉があれば意志や力は本質的でないという新しい宗教、左翼思想(或いは理想論)が力を持つようになった。意志や力は、嘘が交じる(真実を曲げる)という左翼には、国家という現実的装置を運営する能力はない。

 

言葉の核にある真実は、信仰がなければ虚しさに等しい。自分に対する嘘は、自己の崩壊であり、生きる意志の喪失となり得る。それは人間にとって信仰が非常に大事であることを示している。

 

追補: 重要なことを書き忘れていた。社会の中の公的な空間では、嘘は厳禁となる。法と論理が支配すべき空間では、それは当然のことである。本稿は、主として私的な空間についての話である。因みに政治は、例えば国を構成する民の私的な世界を、公的に規制誘導することだと思う。遅くまで編集が続き、申し訳ありませんでした。

(追補は15日22時追加、16日早朝編集あり;17日早朝表題のみ変更)

 

補足:

 

1)大学の理系学部の初年度辺りで学ぶのが、この“真実”である。ニュートンの力学が現れたときに、全てがそれにより説明出来ると考え、Am Anfang war Mechanik (はじめに力学があった)という聖書のヨハネによる福音書の最初のことばを捩った言葉を信じる人もあった。しかし、20世紀の量子論の出現により、ニュートン力学は「古典力学」と呼ばれるようになり,物理学の基礎としてだけでなく、「仮説の集合である科学」を教える教材ともなった。

 

2)何故言葉の意味を理解するのに英語の語源辞書に頼るのか? そう思われる方が多いだろう。(単に西部邁氏を真似ている訳ではない。)その理由だが、日本語は、基本的概念の多くを中国語(つまり漢字)に依存し、社会や科学など文明に関する言葉は西欧語に依存する言語であり、日本語だけで論理的思考が十分できないと思うからである。日本語で、信仰と侵攻(更に、進行、新興、親交)が発音上区別できないことが、上記日本語の性格を端的に示している。

更に、真実は「reality」だろうという人も居るかも知れない。しかし、Realityは真実よりも現実或いは実在に近く、人によっては幻覚と区別出来ない事が多い。Realityは、Truthより曖昧であり、本来主観的なものであると思う。

 

3)ヨハネによる福音書の最初の言葉、「始めに言葉があった」は、キリスト教の信者にはキリストを指す。キリスト教の信者以外にとっては、言語の核、或いは背骨を形成する、本質的な部分を示していると解釈できる。キリスト教が「絶対」ではないとしても、そこから学ぶべきことは多いと、私は思う。

 

4)味方と敵の区別も、問題に依存し、且つ、現実には灰色部分を含め峻別は困難である。従って、この分類は非常にあらい。

 

5)「人類にとっての真実」という視点が現れれば、この種の日韓問題を真実論争で解決することは可能になる。或いは、日韓が非常に親密な関係になった場合も同様である。日韓が親密な関係になる為に、その障害物を、人類にとっての真実論争で取り除こうとするのは、愚かである。

大紀元の情報によると、国連の人権問題当局者らが、中国の反体制派や人権活動家の情報を「慣行として」りークしていることが明らかになったという。

 

 

 

この国連による情報リークで、中国の女性人権活動家が中国当局により拘束され、死亡したという。在ジュネーブ国際機関中国政府代表部の外交官は、201297日に送った電子メールで、「添付ファイルにある二人が、第21回人権理事会に出席するか確認してほしい」と、国連職員に要求した。国連職員は返信メイルで、「二人の出席は認められた」と送った。

 

この内の一人は、世界ウイグル会議総裁のドルクン・エイサ氏(中国以外に住む)であり、エイサ氏は大紀元の取材に応じて、中国在住の家族の何人もが、死亡したり行方不明になったと明かした。これ以降の話は、実際に動画を見て確認してほしい。

 

この情報の信憑性を確かめる為に検索をしたところ、比較的容易にトルコ最大の通信社Anadol Agencyが同じニュースを流していることがわかった。そのサイトを以下に示す。

https://www.aa.com.tr/en/europe/leaked-emails-confirm-un-passed-info-to-china-in-name-sharing-scandal/2114163

 

 

 

記事の表題は、Leaked emails confirm UN passed info to China in name-sharing scandalは以下のように翻訳される。 暴露された電子メイルにより国連が中国に情報を送っていたことが判明:(人権活動家の)氏名共有スキャンダル

 

表題からこの件は、既に関係者間ではスキャンダルとして騒がれているようだ。内容は、上と同様だが、以下のような文章が見える。

 

Emma Reilly, a staffer at the Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights (OHCHR) and a human rights lawyer, has repeatedly alleged that the office shared the names of dissidents with the Chinese government.

In an e-mail on Sept.7, 2012, a diplomat from the Cinese mission to the UN office in Geneva asked - - as a “usual practice” - - an NGO liaison officer at the OHCHR whether anybody from the list the diplomat had sent to the 21 st session of the Human Rights Council requested accreditation.

The officer passed on two names, Dolkun Isa and He Geng, to the Chinese diplomat in a responding email.

 

翻訳: 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の職員であり、人権弁護士であるエマ・ライリー氏は、国連オフィスと中国政府が、中国反政府主義者の名前を共有していると繰り返し主張している。

201297日の電子メールで、中国の使節団からジュネーブの国連事務所への外交官は、「通常の慣行」として、OHCHRNGO連絡官に、外交官が人権理事会の第21回会合に送ったリストに載っている人の誰かが、参加認定を要請したかどうかを尋ねた。

その国連の連絡官は2名の名前、Dolkun Isa氏とHe Geng氏、を返信メイルで送った。

 

あとがき: WHOだけでなく、現在の国際機関の多くは、中国に取り込まれている。その証拠の一つとして、上記は重要な報道だと思う。IOCも同様に中国に取り込まれていることが疑われる。

バッハIOC会長は、パンデミックが終息しそうにない現状でも、東京と北京でのオリンピック開催に向けて強い意志を示している。そして、中国の新型コロナ用ワクチンの提供を評価するコメントを発表した。

 

3月9日の記事で、米国の政治を支配する大金持ちには二種類存在すると書いた。そこでは、「意志を持ったお金」と「ナイーブなお金」という表現を用いた。前者が米国を牛耳るDeep Stateの人達であり、後者がビックテック(GAFAM)の人達である。

 

現在、大きな話題になっているのがGAFAMらであり、その無法ぶりは現職大統領が政治的メッセージを出す為に用いたアカウントを消去したフェイスブックやツイッターの姿勢で判る。その傲慢さは、幼稚さであり、昨日はナイーブという形容詞を用いて表現した。

 

GAFAMの経営者全てがそのような幼稚さを持っているとは言えないだろう。しかし、そのようなビッグテックの横暴を予言をした書物が、茂木誠さんのyoutube 動画で紹介されていた。この茂木氏の動画は、社会と個人の関係に関する思想史を分かりやすく総括している。ここでは、その最後の部分を紹介したい。https://www.youtube.com/watch?v=aP1q_i4YXYk

 

 

それによると、GAFAを産み育てたのは、リバタリアニズムの考え方であり、その遺伝子は、①権威ではなく個人が夫々の目標と幸福を定義する「個人主義思想」、②少数の天才が社会を前進させる原動力になるという「英雄礼賛主義」、③最小限の国家の介入を理想とする「自由市場理論」、の特徴を持つ。(補足1)
 

リバタリアニズム(英: libertarianism)は、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治思想である。それは、上記遺伝子の3つの特徴と整合性がある。経済においては、上記③の立場は、市場原理主義の主張と同じだろう。


 

2)ノーランチャート

 

1971年に米国で、リバタリアン党という政党がデイビッド・ノーランという人により設立された。ノーランにより作られたチャート(ノーランチャート;補足2)が、リバタリアンの思想を知る助けになると思うので、下にそれを元に描いた図を掲載する。


縦軸は、個人の自由の尊重を主張する程度を表し、横軸は、経済的自由を主張する程度である。縦軸は、個人の人権尊重の主張を表すと考えるとわかりやすい。具体的には女性差別や人種差別などに反対する尺度だろう。

 

一方、横軸は経済活動に対する規制撤廃を主張する程度を表す。経済活動を行う主体には、個人と法人があるが、規制の対象となるのは専ら法人(或いは資本)であるので、横軸は法人(資本)の経済的自由度の尺度と考えるとわかりやすいだろう。ただ、法人を経営するのは、殆どの場合数人の個人である点に注意が必要である。

 

チャートの中の左翼と右翼、リバタリアンとポピュリズム(全体主義)であるが、直感的に解るような気がする。しかし、少し考えれば、様々な矛盾点があるように思える。この図が意味を持つのは、リバタリアンの考えを直感的に知る場合に限られるだろう。
 

上に述べたように、経済的自由は主に法人が主張し、その法人を少数の個人が所有運営するとすれば、リバタリアニズムとは、巨大化する”経済新貴族”を育てる社会を良しとする政治思想に他ならない。貴族以外は比較的裕福な農奴的平民ということになる。ここで一般の支持を得るために考えだされたのがトリクルダウン理論である。(補足3)

 

北欧の社会主義政策もトランプの個人の経済的地位を重視する立場も、この図には載せることは不可能である。そして何よりも、ポピュリズムと全体主義が同じ場所にしか、置くことが出来ないのはこの図の限界を明示している。


 

3)リバタリアニズムは米国金融資本家の創造した愚物

 

結論としては、上記表題の通り「リバタリアニズムは米国金融資本家の創造による愚物、愚劣な制度」である。少数の貴族とその他の比較的裕福な奴隷的存在を許す思想の発生は、科学と技術が発展した現代における、原始への回帰現象である。

 

経済力がそのまま政治力に転嫁されるように、長年の米国改造がリバタリアンを産みだしたと思う。改造された米国とは、馬渕睦夫氏が主張するディープステートの勢力が作り上げた米国であり、GAFA或いはGAFAMは、そこに誕生した私生児的巨大企業群である。

 

つまり、米国には二つの巨大な経済主体が存在し、一つは伝統的なディープステートの主人である思想的な巨大資本であり、もう一つはそこから突然変異的に生まれた経済至上主義の巨大だがナイーブな資本である。この二つに付いては、最初に述べたように一昨日の記事の主題である。

 

 

補足:

 

1)GAFAを産み育てた遺伝子は、2017年10月に米国で出版された本「the four GAFA-四騎士が創り変えた世界(訳書題名)」の翻訳者、脇坂あゆみ氏により示されている。上記本の著者Scott Gallowayは、ニューヨーク大学ビジネススクール教授。https://toyokeizai.net/articles/-/234258

2)英語版のウィキペディアには少し異なった図の表示がなされている。こちらの方がより原意に近いだろう。 https://en.wikipedia.org/wiki/Nolan_Chart

3)様々な経済的規制は、個人の権利を横暴化する経済的法人から護る為に制定されてきた。独占禁止法や様々なライセンスの制定などである。外国などとの取り決めなどもこの枠のなかに押し込めば、資本の国際間異動の自由を主張することは、経済的自由の主張の一つとなる。それは、国際政治問題と深く関わる。