1)近藤紘子さんの反戦活動:

 

ヤフーが紹介した神戸新聞の記事に、“「憎むべきは原爆を落とした人間ではなく、戦争」 生後8カ月で被爆した女性、広島で祈り”と題する記事が掲載されている。多くのことを考えさせる記事である。ある76歳の被爆者(つまり当時ゼロ歳)の近藤紘子さんが、牧師の父と米国のテレビに出演し、そこで「エノラ・ゲイ」の副操縦士ロバート・ルイス氏にあった時の話を紹介している。https://news.yahoo.co.jp/articles/6809a5fb51f99b3bd47196a25e90d3175fa8b5f7

 

ルイス氏は、消えた広島の街を見て「神様、私たちは何ということをしたのか」と飛行日誌に書いたことを明かした。近藤さんがにらみつけていたルイス氏の目から静かに涙が伝った。「ショックだった。多くの人を殺した鬼だと思っていたのに。自分と同じ人間だった」。近藤さんは「憎むべきは原爆を落とした人間ではなく、戦争。彼に出会わなければ、こうしておばあちゃんになっても気付かなかったかもしれない」と振り返った。

 

その後、近藤さんはその思いを国内外で講演しているという。ウィキペディアにも近藤紘子さんとその活動は紹介されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%B4%98%E5%AD%90

そのウィキペディアの記事によれば、2016年に広島を訪問したバラク・オバマは、演説で紘子さんについても言及して、「被爆者には、原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、本当に憎むべきなのは戦争そのものだとわかったからです。」と述べている。

 

オバマはこの様な意見を持っている訳ではない。このような意見を世界に宣伝することで、世界中の国々をある一部の勢力の支配下に起きやすく洗脳したいだけである。何故なら、近代に於いて戦争は、無知な後進国を近代的な強国が支配するための道具であった。大航海時代以降の西欧諸国の米大陸やアジアなどへの進出(侵略)を思い出せば、それは明らかである。戦争には明確な行為者が存在する。戦争が悪いというのはマヤカシである。

 

戦争の原因を追求すれば、必ず特定の国、そして特定の利益集団が現れるだろう。その追求を避けるセリフとして、戦争そのものに責任を負わせることは非常に便利である。オバマのセリフは、無知な老婦人の言葉を利用して、そのような意図のもとに発せられたものである。(補足1)

 

そのオバマが同意した論理を今回のパンデミックを対象にして再現すれば以下のようになる。今回のCovid-19肺炎の被害を前にして、叔母楽氏は「その原因となるウイルスをばら撒いた奴が悪いのではない、そのCovid-19という肺炎が悪いのだ」と言った。

 

2)昨日の再録記事についてコメント:

 

昨日の記事の要点は、① 核廃絶は現実問題としては不可能である。「世界平和のために核廃絶を目指す」という方針は、従って間違。② 核兵器の存在を条件に、日本も生き残りを賭けて同盟関係構築など現実的対応をすべきである。

 

21世紀の現在、地球上の諸民族或は諸国の全てが、文明を享受しつつ生きる程の空間と資源を人類は持っていない。従って、地球上の国家群は、表通りでは”平和共存の国際社会”という看板を掛けながら、裏通りでは生き残りをかけて、出来るだけ有利なポジションを確保すべく争う、野生の世界を成している。そのポジションの文字通り核となるのが、核兵器を中心とした軍事力である。

 

② の提言は、①の前提を基にして、自由と人権を重視する政治文化を共有する国家間で連合を作り、その中に日本も参加すべきであるということである。その中心となるべき米国が「民主主義と主権国家体制を重視する人たち」の支配下にあり続け、決して独裁を目指す人達の下に置かれないように、日本は協力すべきである。(補足2)

 

昨日の記事に、以下のようなコメントをもらった。これも日本人特有の間違いが含まれているので、返答でそれを指摘した。その概要をここで紹介する

 

私も、開発してしまった以上、核兵器の廃絶は不可能と思います。世界で唯一核爆弾を受けた日本、身をもってその悲惨さを世に示した日本こそ、核兵器を保有する権利があるとさえ、私は考えています。それを認めることこそが、核兵器を使用した国の贖罪になるとさえ思います。些か暴論かもしれませんが。

 

このコメントへの返答で指摘したのは、国際空間には本来、権利も義務も罪も無いということである。当時の米国は敵国であり、完全に共同体の外にあるので、米国の原爆投下は野生の生存競争の中の出来事と同様である。ハーグ陸戦条約などは“裏通りの紳士協定”のようなものである。

一般的に共同体の外では、共同体の運営とそのためのルールに関係して発生した言葉と概念は、意味を失うか意味が変化する。権利、義務、罪などのその典型例である。

 

この様に、言葉の意味の適用範囲を明確に意識することが、外交及び国際政治を考える上に非常に大事である。それと同様の境界が、私的空間と外の共同体の空間の間にも存在する。その境界でも、善と悪、罪と罰などは、主として共同体内部だけに定義されるので、解釈には注意が必要である。(補足3)

 

このように、言葉には適用域が限られた部分が存在する。適用域が非常に狭い言葉を使う場合には、特に意識して使う知性が必要になる。それを間違うと小泉環境相のように、外国或は日本、場合によっては両方の世界で、恥をかくことになる。https://www.fnn.jp/articles/-/14039

(5月8日6時10分、タイトル一部変更、編集)

 

補足:

 

1)バラク・オバマの発言が悪質なのは、エノラ・ゲイの乗組員を許した老婦人の「戦争そのものが悪い」と云う間違った結論に同意し、それを利用したことである。原爆を落とした行為の主格(主語)が米国であり、その張本人でありながら、このような発言をする人間には、吐き気すら感じる。 近藤さんは、その命令に従ったパイロットに会って、兵士は任務の間は人格の無い存在であることを直感的に感じ、許したのだろう。しかし、そこから「戦争が悪い」と短絡的に結論したのは、日本の間違った戦後教育にもよるのだろう。GHQの日本人洗脳教育は非常に効果が高かった。何故なら、東大法学部教授すら、日本国憲法の軍事力放棄の条項を守るべきだと言っているのだから。

 

(最後の方に書いています。)

 

 

2)世界政府が出来れば話は随分変わるだろう。ただ、世界政府も現状の延長上では、独裁以外の形では出来ないだろう。独裁者として考えられるのは、WEF(世界経済フォーラム)も関連しているかもしれない「ユダヤ系+その他」の大資本家群(米国deep stateの世界版)、共産党中国、或はそれらの融合体の三択問題である。何れにしても、人口削減計画などが実施され、少なくとも普通の日本人には、恐ろしい世界となるだろう。何故なら、現在の価値基準で“人間的な生活”を77億人の人に与えられるほど、地球は広くはない。独裁世界政府が出来れば、何らかの形で人口抑制が地球規模でなされる可能性がある。そのテストケースが今回のパンデミックかもしれない。パンデミックとワクチンのセットを受け入れる様に、今世界中で人類の調教がなされていると見ることもできる。最後の段階で、そのワクチンに密かに混ぜられたもので、何らかの計画が実行されるというのも、一つのシナリオだろう。

(追補8日午後5時10分追加:この補足は不十分な資料に基づく過激な内容です。しかし、人類の人口を5億人以下に維持すると宣言したジョージア・ガイドストーンが、今だに堂々と存在する米国には、このガイドストーンを護る強力な組織があると推定されます。また、前回の大統領選挙の大規模な不正、ホンジュラスからの大量の移民の組織的送り込みなどを企んだ勢力、ケネディを暗殺した勢力など、米国政府を持ってしても解決できない不自然な大事件が多すぎる。このような不安な心理の下に、ここに根拠を示せないものの悪夢のシナリオ記した。)

 

 

3)言葉は社会と宗教とともに3本鎖のDNAのように進化したと、私は考えている。その考えは「言葉の進化論」として書いてきた。その解説記事を引用する。

 

 

その中で書いた考え方を、親鸞の言葉「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人おや」を例にして説明する。死を前にしたとき、人は共同体(社会、世間)から完全撤退し、”私の世界”に限定される。「あの世では欺瞞に満ちた世間(社会)の善と悪からは自由になり、阿弥陀仏を受け入れる宣言をすれば、そんな善悪の無いあの世に転生できますよ」と、親鸞は言っているのである。(蛇足:この宣言という部分に、キリスト教の影を感じる。)

 

 

今日は原爆の日、ある下らない記事が1月から核兵器禁止条約が発効したとかいている。しかし、核を保持する大国が参加していないことを報じていない。

 

戦争は絶対に駄目と涙を浮かべる人の姿を報じているが、そんな日本人の反戦感情が、日本を隣国による先制核攻撃の対象の筆頭に押し上げている事に言及しない。(例えば、本ブログの7月26日の記事)

 

どうせ、日本のマスコミの殆どが、同じような記事を掲載しているのだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/996e0be480eeaf42e84b68af4761f2d40c756f54

 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020102500169&g=int より借用

 

 

そこで、それらに何らかのレスポンスをするため、過去の記事をモディファイして再掲する。

 

1)核廃絶を直接的に訴えるのは宗教行為である

 

ある年の8月6日、「核廃絶の思いを継ぐときだ」という題で書かれた毎日新聞の社説は、核廃絶から遠い現状をうれえる内容である。そこでは、殆ど意味のない批判と称賛を書いている。批判とは、トランプ大統領の核兵器に対する現実的姿勢に向けられ、称賛は被爆者の悲惨な体験を国連で語るなど、核廃絶を主張する活動に向けられた。

 

トランプ発言は、核兵器の国際政治に関する現実的機能を認識した上での発言であり、その評価はスピーチ全体を国際政治の視点で語るべきである。被爆者の体験談を紹介するのは、核兵器の悲惨さを小学校などで教育する上では良い。しかし、現実の政治を考える立場の人に、核兵器の悲惨さを語る必要は不要だろう。(補足1) 

 

核廃絶は現実問題としては不可能である。「世界平和のために核廃絶を目指す」という方針は、従って間違いだろう。この75年間、米ソの間でも戦争は起きなかったのは、核兵器の脅威を米ソの指導者達が知っていたからである。少なくとも米ソの軍事衝突が無かったのは、彼らが核兵器の存在を前提に国益を考えたからである。

 

核兵器を高く評価しているのではない。核兵器を手にしたのは人類の運命であると言っているのだ。叶わぬ核廃絶を直接的に叫ぶのは、自分の誕生とその運命を呪う無意味な行為に似ている。核兵器の存在を条件に、国際平和を考えるのが現実的姿勢であり、未来における人類の生存をより確かにするだろう。世界の指導者達はすべて、核兵器の存在を条件に国際政治を考えている。

 

その国際政治の現実の中で核廃絶を訴えるのは、或いは一般人に訴える運動を喚起するのは、核兵器の存在を条件に国際政治を考えている人たちの戦略の一つである。つまり、以前にも書いたが、核兵器の存在を前提に考えるのなら、核保有国はその利益をなるべく独占したい。そのためには、自国は密かに核兵器の高性能化を目指し、他の工業的能力に優れた国々には核兵器を保持させないことを国際戦略としている。(補足2)

 

そのためには、被爆国日本の体験を国際社会で事あるごとに語ってもらい、能力の高い国々、ドイツ、日本、韓国、台湾、等の国に対して、核兵器保持の企みを潰すべきである。実際、米国、ロシア、中国は核兵器の高性能化を目指している。毎年、広島と長崎の原爆の日には、人類すべては原爆投下の被害を思い出すだろう。しかし、それは国際政治において利用されることはあっても、核廃絶には全く役立つことはない。

 

昨日、ロシアのラブロフ外相は、広島原爆の日に合わせて平和記念式典の参列者向けに声明を出し、米軍の原爆投下を「武力の誇示であり、民間人に対する核兵器の軍事実験だった」と批判した。この声明も、被爆者の体験を語っている日本に向けて、何らかの国際政治上の目的をもった発言である。それは、日米の連携を妨害する意図もあるだろうし、米国の対中政策に日本を協力させないための雰囲気作りの可能性もある。

 

2)核兵器による国際政治の変化と理想論の中に巣食う悪意

 

「世界平和実現」という問題の立て方も完全な宗教的行為か、或いは、世界の混乱をむしろ利用する人々の企みの一つだろう。平和というのは紛争のない状態であり、個々の紛争を解決することにより達成される。従って、「平和を目指す」という標語は、偽善者のものである。本来は具体的な「XXの紛争を解決する」で無くてはならない。

 

そのためには、具体的な問題を抱える当事者を特定し、その問題の発生のプロセスを明らかにし、双方の見方の相違部分を明確にすることが最初の紛争解決のプロセスである。その次に、相違部分の解消を試みる。そこに超えられない壁がある場合は、あるところで戦争によって解決するのが、近代の国際政治文化であった。(補足3)

 

しかし、核兵器の出現は、紛争当事国二つともに核兵器を保持する国なら、戦争を出来なくした。そこで、問題解決の時間軸を大きく伸ばし、紛争の範囲を拡大することで、紛争の希薄化を図ることになる。つまり、戦争にチャンスを与えられないのである。(補足3に引用のルトワックの書物参照)

 

その一つは、第三国や国際機構を巻き込む形で地理的に拡大すること、経済や金融、など、より全体的総合的な形に拡散させることで、対立による局所的な圧力の解消を図ることや時間稼ぎをすることになる。この時間軸の拡大、地理的分野的拡大により、紛争当事国の内部変化を含めた歴史の大きな流れのなかで、解消されることに期待するようになった。

 

その一つの例が、米ソ冷戦とその解消である。長時間の対立ののち、ソ連の崩壊という形で冷戦は終了した。しかし、このような解決が何時も可能だとは限らない。今回の新冷戦も、最終的には当事国どちらかの内部崩壊という形を取る可能性が高い。それは現在のところ、米国なのか中国なのか分からない。この問題は、別の機会にしたい。

 

もし、紛争当事国の一方が核兵器保持国であり、もう一方が非保持国の場合、戦争にはならないが、核保持国の一方的な要求に非保持国は従う以外に道はないだろう。つまり、核兵器はそのように国際政治の中で重要な位置を占め、現実に機能している。

 

それは、17世紀に成立した主権国家体制の部分的崩壊を意味している。核兵器の誕生と高性能化により、非核保有国は主権国家としての存立の危機に立たされていること、その危機にどのように対峙すべきか、という難題を投げつけられたことを肝に銘じるべきである。「核廃絶」なんて、叫んでいる悠長な情況にはないのだ。

 

選択肢は現状二つしかない。一つは北朝鮮の取った戦略であり、自前で核保持を目指す道である。もう一つは、主要核保有国の傘下に入り、半ば衛星国的な同盟国として存在する方向であり、それは部分的な主権の放棄を意味する。

 

現在、我が国は米国の傘下に入っている。米国は、主要核保持国の中で、もっとも近代的な国家形態をもつ、世界最大最強の国である。北朝鮮の困難な情況を見れば、更に、中国やロシアといった独裁国との比較を行えば、米国の傘下に入ることが賢明な選択であることは明らかである。

 

この状況で、中国と米国の新冷戦において、日本がとるべき外交方針は、米国を支持し米国の方針に役立つように振る舞うことは言うまでもないが、そのために米中両国の内部情況を出来るだけ深く知る方法を手にいれる必要がある。それは、この新冷戦も何方か一方の崩壊という形で終了する可能性があるからである。

 

崩壊する方は、必ずしも中国とは限らない。中国には共産党独裁という強みがあり、米国には最強の軍事力と世界の金融を支配するという強みがある。しかし、米国には、多民族国家であることと、民主主義政治をとるという二つの弱みがある。今回は核軍縮という視点からの議論なので、これで終わる。

 

補足:

 

1)核兵器の悲惨さは、あの戦争全体の中で評価すべきである。例えば、20歳前後の学生が、片道の燃料だけを充填した飛行機にのって、敵戦艦に体当たりするために空母から飛び立つ姿の悲惨さ、その特攻隊の若者の笑顔の集合写真などを含めて、総合的に評価する際の一つとすべきである。https://www.chichi.co.jp/web/20191211_simahama/

更に、もっと遡って、あの戦争の原因は何だったのか? あの時代のアジアは、そして世界は? その全ての歴史の中で考えるべきである。敢えて例え話を書く。名作映画の一場面を紹介することに意味あるのは、殆ど全ての人がその映画全体をよく知っている時である。我々日本人は、日本政府の隠蔽により、あの戦争の全容は殆ど知らない。江戸時代末期からの近代史を一応学ばなければ、あの戦争は全くわからない。核廃絶を叫ぶ前にするべきことは、その日本の近代史の学習である。

 

2)オバマ米国大統領は2016年5月27日、広島を訪問し核兵器廃絶を訴えた。その一方、同年1月オバマ大統領は30年間で一兆ドル(年間平均で3兆円以上)を投資して、核兵器の更新を計画した。https://business.nikkei.com/atcl/report/16/040400028/060800007/?P=4

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/08/blog-post_6.html

 

3)この事に言及したのが、エドワード・ルトワックの「戦争にもチャンスを与えよ」という本である。尚、「戦争は外交の一形態である」は、クラウゼヴィッツの戦争論の中の一環した見方である。

 

1)「固有の領土」という言葉が示す貧弱な政治

 

日本国は、民主党系の米国に支配されており、ロシアと対立しなければならない。そのために用いているのが、「北方4島は、日本固有の領土である」という標語である。同じ表現を竹島や尖閣諸島などにも用いて、国民に現実的な外交問題として考えないように仕向けているのである。

「固有の領土」という強い表現を用いるのは、これら領土問題に対する現在の対応を、現実的合理的だとして説得する能力が無いので、その議論を門前払いするためである。そして、“宗主国”の意向に沿って、現在の対応を続けなければならないと考えているからである。

 

この種の言葉の用い方は、日本政府だけでなく米国のDeep State(政治的大資本)なども頻繁に用いる手法である。陰謀論やBLMなどの没理性的表現は、大衆を操縦する方法として用いているのである。BLMと言えば泣く子も黙るように、マスコミで言霊コート(被覆)するのである。

 

一般に予め一つの単語に、論理を用いずに価値をもたせるのは(そのような言葉を創作するのは)、宗教的行為である。その筆頭の言葉が「善と悪」である。善と悪は、緻密な論理と長いタイムスケールで、社会が決定した評価に対して、便宜的に貼り付ける宗教的”ラベル”である。

 

「固有」という言葉も同様の“ラベル用語”である。例えば、西欧の数百年の歴史の中で発生した「基本的人権」という概念を、「人が持つ固有の(=生まれながらの)権利」と翻訳すれば、「固有」の言語としての重みが分るだろう。それは、人=歩く「基本的人権」 のように強く二つの言葉を結びつける。(補足1)

 

ここで、固有の領土に話を戻す。日本はサンフランシスコ条約で国後島や択捉島は放棄している。その事実は、政府に提出された質問とそれに答えた当時の西村条約局長の言葉でも明確である。つまり、ソ連に戦争の結果として獲られたのであり、それを連合国全体に対して日本は受け入れたのである。その後の日ソ共同宣言では、国後と択捉は問題になっていない。(補足2)

 

日本政府はそれにも拘らず、その二島を固有の領土だと言っているのである。つまり、二島が日本に帰属しなければ、日本を名乗っていても、本来の日本ではないと云う意味で、これは、外に向かっては、ロシアとの関係が悪化しても良いという意志表明していることになる。そして、日本国が国家としての体裁などから全てにわたって依存している米国の現政府(民主党系政府)がロシアと敵対関係にあるので、ロシアとの国交を前身させることができないという現実を、国民から隠蔽するためである。

 

対米関係を維持しつつ対露関係を正常にするには、本来、領土問題を含めてゼロから論理的且つ戦略的に議論し、両国関係を構築しなければならない。それには、最初に国家としての体裁を取り戻す(本当の独立国家となる)などのプロセスを経るなど、大変な努力を要する。その能力のない現政権と自己の利益を優先する官僚たちには、そのプロセスは、仮に日本が滅んでも避けて通りたいのである。

 

日本政府が、国後と択捉の両島は日本固有の領土であるという主張を繰り返せば、サンフランシスコ講和条約、つまり第二次大戦後の国際政治秩序を、日本国は否定することになる。そのように、当時の連合国側に評価されることは、日本国には極めて危険である。国民は、この外務省の主張は、将来の自分たちに壊滅的打撃を与える可能性があることを知るべきである。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html (補足3)

 

「固有の領土」という言葉だが、有史以来、そんなものは存在しない。領土を奪ったり、奪われたりしたのが、歴史上の全ての国の姿であった。更に、これまで一度として外国の支配下に置かれたことがないという事実が仮にあったとしても、それが未来永劫その国の領土であると保障してくれる権威や権力は、どこにも存在しないのだ。(補足4)

 

国際関係は、本質的には未だ野生の関係である。その事実を直視することが日本人に欠けている。もし、そのような国際社会を理解した上で「国後択捉は固有の領土」と主張しているとしたら、それは日本国が世界のリーダーとなるという本心の吐露ということになる。そのように国際社会に誤解されてはたまらない。

 

もし仮に、日本は世界のリーダーになる野心を持っていると、悪意に連合国側諸国に解釈されたのなら、日本国を潰す口実として利用され、まともな防衛力を持たない現状では壊滅的打撃を受けるだろう。そのことを、日本国民は知るべきである。

 

2) 講和条約の意味

 

独立国家の間で例えば領土の帰属をめぐり戦争となったとき、一方が壊滅的打撃を受けた場合、第三国を仲介にして講和を申し込む場合が多い。講和しなければ、一方の国民は皆殺しになる可能性すら存在する。その国民の皆殺しや領土を奪い取ることを罰する権威と権力は、神のみに存在する。つまり、神がいなければ、それを罰する権威は何処にもない。それが国際間における究極の原則(野生の関係)である。

 

命と財産の一部の確保をするには、直接或は第三国の仲介で講和をする以外にない。その場合、通常は負けた方が勝った方の考え方を受け入れて、これまでの経緯を過去の歴史としてファイルに仕舞い込むことを条件に、その後の関係を構築する。その約束が、講和条約である。その単純な原理の理解すら、現在の日本国民には無い。

 

従って、講和条約で過去の歴史として送り込んだことを、再び掘り返して相手国に見せつけるのは、再び戦争をする意志の表明ととられる可能性がある。過去の戦争に陰謀の真実があったとしても、それを認めるか認めないかは、戦勝国の都合である。敗戦国は、戦争を再開する覚悟がなければ、それを指摘して問題化することはできないのである。

 

このように、歴史は将に捏造の産物である。戦勝国が自分の都合に合わせて作り上げた物語である。利益につながれば、理不尽な物語をその後も作っていく筈である。(補足5)そんな実情を知らず、国際政治の原点をおろそかにして、日本人一般は外交を考えているのである。このことを、最近二つの記事の中で指摘したのだが不人気であった。(補足6)

 

その文章に示した出来事の一つを再度紹介する。それはドイツのメルケル首相が日本に来て、当時の安倍首相に言った「ドイツの様に歴史を乗り越えたらもっと外交が楽になる」という進言が、安倍さんだけでなく、日本では全く理解されなかったことである。上の文章を最初から理解した人なら、メルケル首相は嫌がらせではなく、親切心で安倍総理に教えたことが分るだろう。(補足6に引用の後の方の記事の「3)講和条約の意味を日本人はもっと深く考えるべき」のところに説明した。)

 

論理も真実も、現実の世界に存在する訳ではない。それらは人間が作った「言葉という世界のモデル」(補足7)の中に存在するだけである。その過去の世界のモデルに存在するのは、我々日本民族と、日本と敵対或は協調する他民族及び、それらの間の争いを記述したファイルである。それらファイルは“歴史”ではない。歴史の材料であり、夫々の国がその材料と虚構を混ぜて、それぞれの歴史をつくる。

 

歴史は科学ではなく文学である(歴史学者の岡田英弘先生の言葉)。

 

敗戦により講和したとき、日本は自分達の歴史ではなく、戦勝国の作り上げた歴史を受け入れた。それは自分達の命と生きる空間を守るためであった。今頃になって、国際政治に利用するという目的で、悪いのはFルーズベルトだと言う資格は日本国にはない。

 

右翼の方々は、それを知っているのだろうか。勿論、わたくしもFルーズベルトの策略とそれに協力する日本の政治家などにより、日本が戦争に導かれたと思う。しかし、そこから学ぶべきは、自分たちの愚かさである。それを米国批判のために喧伝するのは、中国に協力する政治的プロパガンダである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12684304810.html

 

(8月6日午前5時 編集)

 

補足:

 

1)我々が用いる言語には、複雑な意味が込められている。それは長い時間の言語活動の結果であり、地域によりその人々の属する社会により異なる。社会が大きくなるに従って、言語は共通に使えるように進化するが、それでも社会全体を一定の方向に動かすには、複雑な論理ではなく、ハッシュタグのようなラベルを必要とする。それが善、正義、陽気、固有、悪、醜悪、陰気などの“ラベル語”である。

 

2)北方領土問題は何度も議論した。国後択捉問題:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516752.html 尚、竹島問題も同様に日本の主張は非論理的である。その指摘は:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12658433723.html

 

3)この外務省の解説には根本的欠陥がある。それは国際関係が野生の関係であるという「外交の基礎」を無視していることである。ソ連が日ソ中立条約を無視して参戦し、南千島を奪いとったことを理由として、日本の固有の領土と主張しているのだが、その主張は、講和条約で連合国側の要求を飲んだ時、日本国が放棄している。日本がそれを主張するなら、戦争を再開する覚悟がなければならない。因みに、日本も多くの国際条約違反を第二次大戦中に行っている。例えば、重慶市を空爆し一般市民を殺害した行為は、米国による日本の大都市空襲同様、国際条約違反である。それらを全て政治的に今後取り上げないという約束が講和条約である。勿論、厳密な意味で歴史学として研究する自由は存在するが、政治的な主張と取られない様に慎重にすべきである。

 

4)法やルールは、それを定める権威とそれを実行させる権力があってこそ意味がある。世界政府など存在しない現状では、国家間での真実とか善悪とかの争いは本質的には意味がない。もちろん、プロパガンダとしての意味はある。しかし、こちらが仮に真実を主張し、相手国がでっち上げで対抗しても、プロパガンダの応酬として、互角の争いであることが普通である。

 

5)韓国が慰安婦問題を世界にばらまくことが可能なのは、それが韓国の現政権の利益だけでなく欧米の国の利益でもあるからである。それに対抗していく為に必要なことは、日本の辛抱強い真実の説明ではなく、軍事を含めた日本国の実力である。

 

6)https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12681571863.html (619日、新型コロナパンデミックのモデル大転換から歴史の作られ方を学ぶ)と、https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12686901508.html717日、世界史は混乱の中に入るのか? 捏造の歴史と今後の世界の政治文化)である。

上記記事のなかで、講和条約の意味と副題を立てたところが、私の重要な主張である。

 

7) このヨハネによる福音書の冒頭の言葉を利用して、私は自分の知的ファイルを整理している。しかし、私はキリスト教徒ではない。