2013年8月に書いた上記表題の記事が昨日読まれていた。靖国参拝の議論には、重要な点を追補する必要を感じたので、細かい点の編集を加え追補とともに再録する。

 

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週刊新潮8月15・22日号の連載コラム「日本ルネッサンス」(172頁)に掲載された櫻井よしこさんの文章を読んで、所謂右寄りの人たちが靖国に参拝する理由について、私は重要な誤解をしていることに気づいた。櫻井さんを始め多くの自民党議員たちは、単に戦死した多くの兵士達の慰霊だけではなく、戦争主導者達(所謂A級戦犯を含む)を含め全戦犯の慰霊も、重要な参拝理由であることが解ったのである。つまり、彼らは戦争責任者などいないという考えを持っているのである。

 

櫻井さんは書いている、「独立を回復したとき、全国で戦犯の赦免及び保釈の運動が湧き起こった。赦免を求めて署名した総数は4739万人だった。A級戦犯注1)をはじめとする全ての戦犯の赦免こそ、国民とほぼ全ての政党の切なる願いだった。」更に、「A級戦犯を含めた全ての戦犯は、日本国内外の合意と承認を得て赦されたのであり、合祀の時点ではもはやどの人も戦犯ではなかったのである。」と。


この文章において、櫻井さんは明解に、私にとってはとんでもない主張をされている。櫻井さんは、歴史的データを自分に都合の良い方向に解釈されていると思う:

 

1)4739万人の署名は、全ての戦犯の赦免を要求するものだったのか?

戦犯のほとんどはB・C級戦犯であり、極限情況での捕虜虐待などの犯罪行為を裁かれ投獄中の人たちである。国民のほとんどが、東京にいて戦争を指揮し、既に絞首刑になったA級戦犯たちを念頭において署名しただろうか? しかし、櫻井さんは強引に、「A級戦犯を始め全ての戦犯の赦免こそ、殆ど全ての国民の願いだった」としている。

 

追補1:戦争指導者達を国民が処罰する気持ちがなかったのなら、あの時点でも尚、あの戦争の遂行を支持していたということになる。更に、櫻井さんは上記論理を根拠に、現時点でも首相の靖国参拝を要求しているのだから、現在でも国民はあの戦争を支持する当時の人たちの思いを共有していると考えていることになる。2021/10/17) 

 

 

2)「全ての戦犯が赦免されたのだから、靖国に合祀された段階では戦犯では無かったのである」と勝手に解釈している。赦されたのだからその人達は戦犯ではなかったという、とんでもない理屈である。注2) ボケた頭のせいなら兎も角、全体的に練られた文章の中に、このようなとんでもない理屈を入れるという手口は悪質としか言い様が無い。

 

追補2:赦免とは「罪を許し、刑罰を免除すること」であり、罪がなかったことではない。強盗犯が赦免されても、強盗犯ではなかったことを意味しない。2021/10/17)


また、絞首刑にされたA級戦犯の多くは、終戦時内閣を組織し、原爆や空襲で数十万人の民間人に死者を出しながら、尚、自分達ではポツダム宣言受諾を決められなかった指導者である。注3) 急激に大きくなる黄色人種の国に、脅威を抱く西欧諸国側(西欧のエゴであったとしても)の見地に立つ想像力の欠片もない彼らは、破竹の勢いでアジアに侵攻するか、或は西欧諸国に戦争を挑み国家の存立さえ危うくするかの選択という愚かな賭けをしたのである。

 

国民の平穏な生活を守るというような視点はなく、国民全てを自分達の危険な賭けのチップとしたのである。そのような人たちを英霊として何故拝まなければならないのか? 戦争は、ましてや一億玉砕や神風特攻隊は日本国民全員の本来の意志ではない筈である。そのように国民を煽動した者達の霊を拝む必要はない。

 

それに、神社ではなく何故墓地に戦没者を埋葬し、墓参しないのだ? 靖国神社は、戦死したら神になるというごまかしを用い、兵を消耗品の如く戦場に送り込むために用いられた独裁国家の施設なのである。


注釈:


1)日米開戦には慎重派の閣僚でも、開戦時内閣の構成員だったという理由でA級戦犯となった人もおり、一括りにして論じるのは不適切であると思う。櫻井さんは全ての戦犯を同等に考えておられるから、文字通りで良いが、私は、A級戦犯を以下戦争指導者の意味で用いる。


2)A級戦犯合祀が1979年4月に毎日新聞のスクープ記事となった直後、靖国へ参拝した大平首相は、6月の参議院内閣委員会での質問には、「(A級戦犯についての)審判は歴史が下すであろうとかんがえています」と答えた。その後12月には中国を訪問した際、多いに歓迎された。中国の姿勢が変化したのは、中曽根首相が85年8月15日に10回目の参拝をした後の9月20日である。明らかに政治的な理由がある」と書いておられる。中曽根首相の終戦記念日での参拝に対する批判までに、6年近く経っていることから、中国は政治的に利用していると結論している。明確に先の大戦と関係つけて参拝したのが終戦記念日に参拝した中曽根首相であるのなら、中国の批判は瞬時ということになるが、その点には何もふれていない。


3)ポツダム宣言は前の米国の駐日大使であった、グルーの努力により日本を救う為に出されたということである。厳しい内容の中に、そのような意図が汲み取れない指導者は、一国の指導者たる資格はないと思う。
 

追補3.ここで最初に書いた重要な点にふれる。それは最近何度か書いた講和条約で遵守を約束した点と靖国参拝は調和的でないということである。 国家と国家の基本的な関係は条約という約束により成立する。戦争後のサンフランシスコ講和条約では、日本が東京裁判の結果を受け入れるという条件で講和した。それは、現在の日本国の国際的立場の基本である。

 

 

在米の伊藤貫さんは、「米国国務省の意向は、韓国など日本の近隣国が全て核武装しても、日本だけにはそれを許さないことだ」と直接聞き取っていると言う。その理由は、日本国に対する根深い不信感である。

占領が終るやいなや、A級戦犯赦免の決議をして、全国民があの戦争を正義の戦いだと確認したのなら、米国側は、何のための東京裁判だったのか、何のための講和条約だったのか分からないという気持ちになるのは想像に難くない。

 

勿論、大きく人類の歴史を俯瞰すれば、日本は正義の戦争を戦ったと言えるかもしれない。しかし、その前提では現在の世界は動いていない以上、そしてその世界の中で生きていくつもりである以上、その民族としての思いを、半永久的に表に出さない様に飲み込んで乾いた文字としてのみ残すのが大人の対応だろう。

 

そうしなければ、最重要な同盟国と歴代の自民党政権が言及している国からも裏切られる危険がある。今後数年間、米国は分裂の危機にあり、中国共産党政権も台湾占領か崩壊かの危機的情況にある。その国難にあって、大事なのは、我々日本国民が生き残ることである。戦争で無くなった多くの英霊も、それを最も大事なことだと考え、上記分析を支持して下さることと信じる。

コインを入れ回転式レバーを回すとカプセル入りの小型玩具一つが出てくる自動販売機がある。その販売機やそのカプセルの中の玩具をガチャと云う。(補足1)透明の容器の中に多くの種類の小型玩具が見えているが、選択してえ買う事ができないので、うまく行けば目的のものが手に入るがそうでない場合も多い。希望の玩具が手に入るかどうかは、運次第である。その当たり外れの賭博性も、その玩具販売様式の人気の理由だろう。

 

最近、その運次第という意味で、何にでもガチャを語尾としてつけて使うことが流行っている。その切っ掛けになり、世の親御さんにショッキングだったのが、子どもたちの間で流行った「親ガチャ」という言葉である。それは、どのような親のもとに生まれてくるかによって人生が決まってしまうという意味でネットなどで使用されている。

NHKニュースの記事より

 

 

1)日本の労働運動家今野晴貴氏の「親ガチャ」分析について
 

雇用・労働政策研究者の今野晴貴氏の執筆によるヤフーニュースによると、この言葉が話題となったのは、地上波の情報番組「スッキリ」(日本テレビ系)の916日での放送がきっかけのようだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/20210925-00259912

 

以下、今野氏の発言をまとめてみる。

 

その後この流行について、「親ガチャという言葉で自分の境遇を親のせいにするのはよくない」といった自己責任論的議論や、「経済的格差や虐待などの問題が背景にある」という社会的背景に言及する議論などが聞かれるようだが、「この問題は単純に“不謹慎”や”冗談”では片づけることはできない。若者たちの人生が、親の存在におおきく左右してされてしまうということが、以前にもましてリアリティーをもっているからだ」と今野氏は語る。
 

また、「“親ガチャ”の流行に対するもっとも一般的な反応は、“すべてを親のせいにして努力しない若者の戯言だ”という意見だが、こうした見方には、努力すればなんとかなる、だから努力することを諦めるな、というメッセージが込められている。しかし、本当に努力すればなんとかなるのだろうか? 」、更に、「若者は、親のもとで無理なほどの努力を強いられている。そして、その努力ではどうにもならない現実に直面し、人生の可能性を大きく制限されている。親ガチャという言葉には、こうした若者の実感が反映させられている」と語る。

 

今野氏の以上の見方は、はっきり言って日本人特有の甘えを良しとする病的な見方である。その根拠について以下書く。


 

2)「親ガチャ」の人生をどう受け入れるべきか

 

子供の人生の出発点は、親に大きく依存する。それは当たり前である。親が裕福なら子供もその恩恵を受けて、裕福な青少年時代を送るだろう。その逆に、親が貧乏なら、子供の青少年時代は暗く惨めに見えるだろう。客観的な観測結果として、それらは事実である。

 

この客観的な事実を、その玩具に例えるのなら、「親ガチャ」は真実である。従って、「現在の自分の境遇を親の所為にするのは良くない。若者の戯言だ。」というだけでは、反論に今ひとつ説得力がない。「親ガチャ」という言葉に毒された人に馬鹿にされ、反論されるだけだろう。
 

青少年時代には、親元を離れて独り立ちする「人生の節目」をむかえる。その時の自分の位置は、両親の努力の結果でもある。その自分の位置と自分の能力は、自分という生命体の全てである。それを貶すというのが「親ガチャ」という言葉である。

 

人生を航空に擬えると、そこから"自分機の操縦桿”を自分自身が握ることになる。人生は一度きりであり、自分機が墜落したら死があるのみである。それが生命としての厳粛な真理である。「親ガチャ」などと、その現在の自分の位置を呪う人は、その真理が分かっていない。

 

自分の人生は自分が切り開くのだと云う覚悟を持って生きることは、楽なことではない。しかしそれが生命としての人間の宿命である。そんなことを考えないでも誰かが最低限生きていけるようにして呉れるだろうという甘えが言葉になったのが「親ガチャ」である。この甘えの構造は、残念ながら日本人に特有の心理である。(補足2)

 

繰り返すが、"親ガチャ”は、「この情況では巣立ちしたくない」という甘えの表現であり、駄々をこねる幼児の姿そのものである。つまり、独り立ちの時期にあって、或いはその時期を過ぎて、尚“親ガチャ”などと安易に発言する行為は、自虐行為である。被害者意識という麻薬に手を出して自分と自分の恩人を貶し、その“恍惚状態”の中で死を待つのなら、それも良いだろう。(補足3)

 

 

補足:

 

1)このガチャだが、「ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方」という解説もあった。多分、オリジナルは本文のカプセル玩具販売機で小型玩具を買うことのプロセスだろう。

 

2)被害者意識という言葉は日本独特のようである。土居健郎著「甘えの構造」で日本人独特の言葉であると解説されている。つまり、親ガチャの流行は日本人の甘えの構造による病的一症状だろう。

 

3)今野氏の文章に出てくるように、努力しても新自由主義グローバリズムの経済で創られた貧富の差は超えられないのは事実だろう。それに不満があるのなら、もっと政治的に行動すべきである。昨年来の香港の若者の戦いを見ていないのか。それを報道しないマスコミが悪いのなら、現在のマスコミを潰すべく行動すれば良い。戦わずして死をまつのは愚かである。

今年のノーベル化学賞は有機不斉触媒を開発した業績が対象であるとノーベル財団が解説しているが、厳密にはその表現は正しくないようだ。彼ら受賞者よりも早くそのような研究をドイツの雑誌に発表した人が居たからである。有機合成の専門家ではないので、この点をクローズアップする形で授賞内容を紹介する記事を書く。

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2021年のノーベル化学賞の授賞アナウンス・記者会見がノーベル委員会によりなされ、ネットでも公開されている。 

https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2021/prize-announcement/

 

それによると、受賞者は二人でBenjamin List氏とDavid MacMillan氏である。今年の授賞の理由を一言でいうと、金属を含まない有機不斉触媒(補足1)の開発のようである。二人の略歴は動画の最初の方で司会者によりなされた。

 

それに続く2分程の時間で(6分まで)、ノーベル委員会の女性教授の方が授賞の題目とその意味を解説している。そこでは、分子と触媒(生体内では酵素)の関係が丁寧に説明されている。続いて、有用な不斉分子の合成には、生体内では酵素が働き、人工的には金属原子を含む触媒がこれまで用いられてきたと説明し、更に以下のような文章で二人の業績を紹介している。

 

2020年からは全てが変わった。二人の受賞者は、小さくて安価で即座に入手でき、環境に優しい有機分子が、酵素や金属を含む触媒と同じ働き(不斉触媒)をするという発見をした。その発見は化学合成の方法に全く新しい考え方を導入(initiate)した。この新しい“道具”は薬の開発やファインケミカルの製造に使われており、既に人類に大きく貢献している。」 

この部分の公式アナウンスメントは今回の記事では重要なので、原語で補足2に掲載した。

 

それに続いて、もう少し詳細な業績の解説が、別の男性の学者らしき人物によりなされた(上記動画の6分から15分)。この解説では、先ず不斉化合物の解説が2分ほどかけてなされている。(補足1)更に、「その不斉化合物の合成(不斉合成)には酵素とか金属触媒が用いられるが、簡単なデザインした有機分子(不斉有機触媒)でも可能なことが分かった。それは、今回のノーベル化学賞受賞者二人による、2つの鍵となる観察により始まる」と続いた。

 

その後、二人の業績が別々に紹介された。最初にBenjamin Listによるプロリンにより触媒されたアルドール反応(ウィキペディア参照)の研究である。後で調べたのだが、その速報は米国化学会誌に発表されている。https://pubs.acs.org/doi/10.1021/ja994280y

 

続いて、David MacMillan の研究も同じ米国化学会誌に速報として発表されたものが紹介された。Diels-Alder反応として知られる有機合成で頻繁に用いられる有用な反応において、有機触媒を用いた不斉合成に初めて成功した実験であった。論文には、反応進行のモデルも提案されている。

http://chemlabs.princeton.edu/macmillan/wp-content/uploads/sites/6/aoxidation.pdf

 

ここで、二人の受賞研究 の論文の中からとった化学反応を下に示す。

 

ここで表題に書いた文章の意味について追加する。プロリンという簡単なアミノ酸を有機不斉触媒に初めて使ったのは、Eder, U. という人のグループであった。プロリンは、Listが用いた上の図の不斉有機触媒である。その論文は、ドイツの化学誌(Angew. Chem., Int. Ed. Engl. 1971, 10, 496 )に発表されている。およそ30年前のこの論文がそれほど注目されなかったのは、有機合成化学の中のこの専門分野に、多数の研究者が集まらず、進歩の速度もそれほどではなかったからだろう。

 

つまり、21世紀近くになって医薬品などの不斉合成の研究に大勢が参加して成長する機が熟したので、この1971年の論文が目指した方向に大きく進んだのだろう。このプロリン触媒による反応の総説は、今回の受賞者であるBenjamin Listにより、アメリカの総合科学雑誌のProceedings of the National Academy of Science of the United States of America (通称ProNAS)101巻  5839-5842頁(2004年)に発表されている。そこには、反応プロセスのモデルが紹介されている他、1971年の上記論文も引用されている。

 

ノーベル賞は科学の発展の歴史における一里塚のような存在であり、その間を埋める道には優れた研究がたくさん国を跨いで存在する。科学に関係する団体は、それらの研究が相互に影響しあって発展することを助けるべきであり、その中の少数の研究にあまり大きな権威付をすることはその目的に沿わない。従って、ノーベル委員会の上記公式アナウンスメント「In year 2000, everything changed. (補足2の冒頭)」には、素人向けと言う言い訳があるだろうが、30年前にもそのような芽となる研究が存在しており、従って多少違和感を感じる。

 

追補: 上記不斉触媒だが、当然光学異性体である。プロリンは天然のアミノ酸であり、光学異性体(Lープロリン)である。上記Listの論文には条件が書かれており、有機極性溶媒DSMOの中で30mol%のLプロリン存在下で反応を進める。(10/14/6:00追加)

 

補足:

 

1)右手と左手の形は殆ど同じと言える位に似ているが、互いに立体的に重ならない。不斉化合物(asymmetric compound)も同様であり、鏡に写った像を取り出したとすると、2つが重ならない。そこで、これらの化合物を互いに対掌体或いは光学異性体という。光学異性体が存在する化合物の一方を選択的に合成することを不斉合成と呼ぶ。2つの通常の化合物から、一つの光学異性体を選択的に合成する場合、その反応を加速する仲立ち(触媒)は通常複雑な構造を持つ。それを不斉触媒と呼ぶが、伝統的なものは金属イオンを中心に持つ場合がおおい。(例えば、2005年にノーベル賞を受賞した野依良治氏の研究)

 

2)In year 2000, everything changed. Benjamin List and David MacMillan independently reported that you can use small organic molecules to do the same job as big enzymes and metal catalyst in reactions that are precise, cheap, fast and environmentally friendly. The discovery initiated a totally new way of thinking for how to put together chemical molecules. This new toolbox is used widely today for example in drug discovery in finechemical pruduction. Its already benifiting humankind greatly.