この問題を考える動機は、ウクライナ戦争のニュースに接したときの疑問から生じた。何故、多くの国民の命を無くし、美しい街と生活インフラを破壊してまで、ロシアと戦う必要があったのかがさっぱり分からなかったからである。(追補参照)

 

ロシアとウクライナの二か国の範囲では、幾ら考えても答えが出そうに無かった。そして得たのは、この戦争は米国の代理としてウクライナがロシア潰しのために戦っているという結論である。
 

それは米国のシカゴ大のミアシャイマー教授の考えであり、在米評論家の伊藤貫氏の考えであり、日本の馬渕睦夫氏の考えでもある。https://www.eui.eu/news-hub?id=john-mearsheimers-lecture-on-the-causes-and-consequences-of-the-ukraine-war  
 

記事中に引用されている動画:https://www.youtube.com/watch?v=qciVozNtCDM

 

ミアシャイマー教授は、仮にプーチンが最初にウクライナに侵攻したという事実を考慮しても尚、この戦争の責任は米国にあると明言している。ただ、伊藤貫氏によると、米国においても高名なミアシャイマー教授の意見はマスコミには完全に無視されているようだ。(補足1)

 

国家を形成する目的について:

 

国家の主なる目的は、① 現在の国民の命と生活を守ることである。領土の確保は、そのための手段である(領土の確保は目的の二番目)。

 

今回のウクライナ戦争にその見方を適用すれば、ロシア人が住民の大半を占めるドネツクやルガンスクを独立させるべきだった。 そうすれば、プーチンも戦争を始める理由など存在しないということになる。
 

つまり、今回のウクライナ戦争は、為政者のエゴイズムが米国の世界戦略に利用された結果である。この件についての基本的な理解は213日の記事に書いた通りである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html
 

そして、今回の戦争が日本に与える影響について、特に中国問題との関連を中心に書いたのが2月24日の記事である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12728559999.html
 

国家の目的の第二は、② (自分達国民の)社会を守ることである。それは、領土とその上にあるインフラを含めた国家の機関、多くの社会的機関からなる。株式会社もその中に含まれる。(補足2)
 

主なる目的と二番目の目的の順番を考えてほしい。入れ替わることは絶対にあり得ない。ただ、国民は一人ではないので、最大多数の最大幸福という別次元の原則との折り合いから、職業的軍人による国防軍を組織することになる。

 

今回のウクライナ戦争でのロシアの意図はロシアにしかわからない。ミンスク合意を完全実施した後にロシアが訳なく進攻してきたときには、戦うのが本来の政治と外交のプロセスだろう。

 

国家の目的の第三は、➂ 自分たちの文化と伝統を守ることだろう。勿論、文化と伝統は時代の流れとともに日々変化してゆくので、何でも継続することを意味しない。文化の変化は、自然に自分たちの裁量で行うことを意味する。

 

に生活を守ると書いたが、それは「より豊かな生活を実現する」という風に、”攻めの表現”に替えることが可能である。同じ趣旨で書き替えると、②は「社会をより発展させる」となり、➂は「新しい伝統となる創造的な活動を進める」などとなるだろう。


この攻めの表現を含めて、上記①~➂は、西欧文化が辿り着いた民主国家の目的であると私は考えている。

 

大事な点は、現実の政治と外交は、その目的に立ち戻って、つまり原点思考を採用して、その方策を自分たちで考えることである。そのプロセスが、意図を以て外国の干渉によって歪められると、やがて国の崩壊に繋がる。現在(特に岸田政権)の日本の姿は、正にそのような情況にある様に見える。

 

この原点に戻って、20世紀後半からの政治と経済のグローバル化を見ると異常であり、背後に何らかの勢力による隠れた企みがあることに気付く筈である。例えば、移民を受け入れるべきだという考え、更に、資本の完全自由化など、上記国家の目的という観点からは簡単には実行できないことである。

 

追補: 最初の数行の文章は、ゼレンスキー大統領によるミンスク合意無視がプーチンの進攻を招きいれたという理解、そして、2月13日の記事におけるウクライナ戦争の理解を前提にしています。本文における国家は、国家主権とその諸機関であり、民主制を前提としています。尚、以上はオリジナルな考えです。(18:00,追補と数か所の編集)

 

補足:


1) 2月27日のブログ記事に、及川幸久氏のyoutube動画からの引用で、米国の元財務長官顧問のPaul Craig Roberts博士の言葉を紹介している。

https://usawatchdog.com/no-shooting-war-in-ukraine-dr-paul-craig-roberts/

その中でRoberts博士は、「オバマーバイデン政権は、明らかにその地域で戦争を引き起こそうとしている」と書いている。その一つの証拠として、ウクライナのゼレンスキー大統領によるミンスク合意実行を、米国が妨害したことが語られている。

 

2) 前回記事で尖閣問題を議論した。尖閣など日中平和条約の時に中国領と明記すべきだと書いた。その目的は沖縄と小笠原を日本領と書き込むためである。 尖閣や沖縄の領有権は、日本は返還されたとのんきに構えているが、中国はそのようには考えていない。その理由は、沖縄返還協定は日米間の条約であり、あの第二次大戦の戦勝国全てとの条約ではないからである。

勿論、条約は本質的に野生の原理で動く国際社会においては、紙切れである。しかし、国際社会が、その紙切れにより辛うじて完全野生から、インチキながら公正を演じているのである。

 

(投稿:7/7午前6時)

及川幸久氏が72日のyoutube動画で:

 

 

明治学院大の鶴田順氏による米国のThe Diplomat421日の記事「日本は尖閣の防衛に備えよ」(補足1)を紹介する形で、日本は自衛隊を出動させて尖閣防衛できない法的環境にあると主張している。つまり、自衛隊法改正或いは新法制定が必要だというのである。

https://thediplomat.com/2022/04/japan-needs-to-prepare-for-a-possible-senkaku-islands-crisis/

 

(紹介された記事の内容)

 

中国は1992年に、中華人民共和国領海及び接続水域に関する法律第二条第二項に、尖閣諸島を中国領土と明記している。そして、2012年尖閣諸島を囲む境界線を設定し、その後日本漁船を尖閣海域から排除する行動を、海警局(最近軍隊化した)がとっている。

 

中国の軍隊が尖閣諸島に上陸しただけの場合、現在の法律では自衛隊は防衛行動としての戦いが出来ない。何故なら、政府は自衛隊の防衛行動が”外部からの日本に対する組織的かつ計画的な軍隊の使用”があった場合のみ可能であると自衛隊法を解釈しているからである。

 

したがって、中国人が島に上陸することは明らかに外部の力による日本の領土の完全性の侵害であるとしても、自衛隊は日本の主権を保護することを目的とした行動を起こせないだろう。対応は警察組織の法的措置でとるしかない。現在の法律の下でできることは、有効性の点で制限されている。

 

尖閣防衛には、自衛隊に”外部からの日本に対する組織的かつ計画的な軍隊の使用”とはまったく同じではない侵害に対応することを許可しなければならない。自衛隊法を改正するか、自衛隊による新たな活動を可能にするための新法を制定する必要がある。

 

この解説だが、私には訳が分からない。ここで自衛隊法76条本文とその第一項をまとめて書くと、以下の様になる。「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態には、国会の承認を得て、内閣総理大臣が出動を命じることができる」。

 

つまり、鶴田氏の記事に書かれている組織的とか計画的などの言葉が無い。軍隊が武器を持って自国の領土内に侵入する行為を、武力攻撃と見做さないで、一体何を武力攻撃と見做すのか。自衛隊法は国内法であり、自国の言葉を自分風に解釈すればよい。

 

問題は、日本政府に尖閣が自国領土であり、それを国家として防衛する必要があると信じ、それにふさわしい行動を執る覚悟があるかどうかである。そこで、その動画に自衛隊法76条とその第一項をまとめた上記文章をコメント欄に投じた。

 

及川氏の解説では紹介されていないが、鶴田氏の記事には、以下のようことも書かれている。:

 

政治家は危機の瞬間に決定を下さなければならない。内閣の政治家は、防衛作戦の命令につながるプロセスをリハーサルする必要がある。どのような状況が危機を構成するかを事前に正確に定義することも重要である。

 

2)日本政府に防衛の意志がなければ、議論しても無駄である。

 

鶴田氏の記事以外の話だが、この動画の中で及川氏は①「尖閣は中国により台湾侵攻の基地として今にも侵略されそうだ」と海外メディアが報じているということと、②202010月に来日した際、

中国外相の王毅は、菅総理と茂木外相の前で、「尖閣は中国の領土であるので、領海侵犯しないようにしてほしい」と言ったが、総理と外相はその場では何も言えなかったことを紹介している。

 

この②の件、本ブログでも議論している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12640754195.html

この記事を読んでもらえば解るように、自民党の議員たちには防衛問題など口にはするが、国土防衛の意志など全く無い。

 

ここで現在の尖閣周辺の情況を思い出してほしい。中国は、尖閣領海への日本漁船の侵入を、中国領海の侵犯と見做して、海警局の船が追い払っている。

 

従って、日本国に尖閣を防衛する意思があるのなら、現状を自衛隊法第76条の「外部(中国)からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫している場合」とみて、既に自衛隊に防衛出動を命じている筈である。現行法令は完備している。その様な行動が取れないのは、日本政府に尖閣が自国領土であるという確信と、それを防衛する確固とした意志がないからである。

 

そこで一番重要なポイントは、”日本に尖閣領有権があるかどう”である。私自身は、日本には現状尖閣領有権など無いと考えて居る。つまり、第二次大戦で失ったのであり、関係諸国との平和条約で、領有権を回復していないのである。

 

ところで、日本の国力が中国を圧倒していた1972年、中華人民共和国との国交樹立を決定した共同声明を発表し、1978年に日中平和友好条約を締結した。その際、領土の範囲について明確にすることが出来た筈である。それが出来なかったのなら、何故、台湾を捨てて共産中国と国交樹立したのか?

 

その時、当時の田中角栄総理には、尖閣などどうでもよい小さな存在であったと思う。しかしそれを放棄し、沖縄や小笠原などの島々を日本の領土と定めて条文に書けなかったのではないのか? つまり、米国の了解が得られなかったのではないかと想像する。

 

私の想像は、それより約20年前の鳩山一郎内閣のとき二島返還で日ソ平和条約の締結直前で、ダレス米国務長官が「日米安保を止めるぞ」と脅した時の景色と相似的である。

 

なお、尖閣の領有権問題は何度も議論しているが、結論は「領有権は日本にあるとは言えない」である。下に再掲するのは、その点を指摘した2016年のブログ記事である。以下に章を改めて再録し、紹介する。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515268.html

 

補足:

 

1)及川氏は論文と言っているが、そのような体裁を取っていない単なる新聞記事である。

 

(13:00; タイトルを書き替えました。;20;30編集あり)

 

ーーーー以下再録部分ーーーー

 

尖閣及び沖縄領有権問題を考える:20160810()

 

尖閣問題:静かになれば問題を放置し、騒がしくなればおろおろする日本政府

 

尖閣諸島周辺での中国漁船風の船200隻と中国公船が領海侵犯を繰り返し、おおきな問題になっている。この問題について、多くの解説がyoutubeなどにアップロードされているが、ほとんど日本の立場や中国の脅威を強調するのみで、何の解決にも寄与するものではない。丁度、戦争前に多くのマスコミが鬼畜米英と騒ぎ立てて、ますます戦争を意識する空気を醸成したのと同様である。日本は何十年経っても何の進歩もしていない。 

 

重要な問題は何事でも、原点からスタートして考えることが肝心である。宙に存在する「中国は強引に国際法を無視して海上進出をしてくる」という点を仮の原点とし、そこから議論を始めてしまえば、議論の幅が限られ問題は解決しないだろう。 

 

 注釈: 以下に、素人の私が大胆なことを書きますが、根拠をあげて間違いを指摘してくださればと思います。本当は、尖閣も沖縄も国際法的に(論理的に)100%日本国が領有権を持っていると確認したいので、間違っていれば良いと思っています。 (2022/7/5追記:私は現在、このようには考えて居ない。)

 

§1: 

原点から思考する場合には、先ず、「尖閣は日本の領土であると、大威張りで言えるのか?」という問題を、もう一度考える事になる。そう考えると、第二次世界大戦に戻らなければならない。つまり、戦争に負けた日本は、連合国に沖縄などの南方の島を奪われたのである。つまり、それ以前に日本が鰹節を釣魚島で作っていたと言う事実は、領有権を考える上での原点ではないのである。 

 

沖縄が米国(連合国)の占領状態から日本に返還されたのは、1972年である。この際、日本と米国は「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」に1971/6/17に調印し、1972/5/15に発効した。(ウィキペディアより)しかし、その際に返還された島の中に尖閣諸島の名前を明記するように日本側は要求したが、米国は尖閣諸島の施政権は返還したが領有権については態度を明確にしていない。ニクソン政権は中国に配慮したと下の記事には書かれている。緯度経度で線を引いて示しているという人はいるだろうが、それは尖閣諸島の存在など頭になかったという米側の言い訳や、米国だけの一存で日本に返せる島々ではないという反論があり得る。

 http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/163012

 

つまり、領有権については日本、中国、台湾で決めてくださいというのが米国の基本的姿勢である。また、中国は尖閣諸島の他に、沖縄についても領有権を主張しそうな雰囲気である。私は素人なので、自信を持って書けないのだが、中国側は沖縄返還条約にそれらの島々の領有権を決める能力はないと考えているのだろう。その議論を始めるには、サンフランシスコ講和条約の第3条に戻らなければならない。 

 

サンフランシスコ講和条約(第三条): 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

 

講和条約締結後、沖縄を支配していたのは連合国の承認を得た米国(上記3条)である。しかし、返還協定の締結は日本と米国の二国間で行われたのであり、他の連合国とは合意していないと思うのである。つまり、サンフランシスコ講和条約三条で米国が施政権を得たのであり、領有権まで得た訳ではない。(補足1)従って日本に返還されたのは施政権である。沖縄返還協定にはreversion(返還)という言葉が用いられており、米国からは領有権についても返還されたように思うが、それは連合国全体との協定ではない。 

 

以上のような事情を考えれば、100%一方的に中国が難癖をつけてきているとは言えないのではないのか。政府はそのような事実を国民に告げずに、反中親米の雰囲気作りに尖閣問題を利用しているのではないのか? もし、上記の解釈が間違っていないのなら、尖閣諸島よりも沖縄問題の方が重要であり、深刻化する前に考えておくべきである。まさに“胸襟を開いて”交渉できない状況下では、そのような大きな問題を、しかも原点から交渉して日中が妥結することは不可能だろう(補足2)。 

 

この件と関連して、2014年に中国漁船が大挙して小笠原諸島に現れ、サンゴを密漁したことがあった。これは、小笠原諸島の領有権についても未だ未確定な部分があると、中国は暗に主張しているのではないだろうか。サンフランシスコ講和条約3条との関係で、沖縄と小笠原は同じような地位にあるからである。 

 

§2: 

この一ヶ月ほど、中国漁船と公船による尖閣諸島周辺での領海侵犯は、非常に危険なレベルにあると思う。ある人はこの15日に中国民兵が尖閣に上陸する可能性があると指摘している。この件、一昨年の秋に行われた尖閣問題についての合意と関係があると思う。この時点で私は、尖閣は中国に盗られるだろうと、ブログに書いた。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/11/blog-post_8.html

 

それは、日本と中国双方は「尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識する」との合意である。この合意は、安倍総理と習近平主席との会談を実現するために日本側が尖閣問題について一歩譲歩した印象を与えた。その後すぐに、インドネシアのジャカルタで25分程の会談が実現した。

 

この合意により日本政府は、尖閣諸島をめぐる領有権問題の存在を事実上認める道を開いたのである。当時日本外務省幹部は、異なる見解は「緊張状態が生じている」にかかっているとして、尖閣の領有権問題をめぐるものではないと説明した。日本の外交官などは、この種の誤魔化しを頻繁にする。自分がその問題を担当する間何もなければ、それで自分の経歴に傷がつかないという浅ましい根性が原因だろう。この件、佐藤優氏の記事が詳しい。

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41113

 

この問題の解決には、すでに§1で書いたように米国の影に影響を受けることなく原点から考える必要があると思う。問題の本質が見えて来れば、解決の方法はある筈である。

 

補足:

 

1)サンフランシスコ講和条約において沖縄に対する潜在的領有権が日本にあることが確認されたという意見もある。しかし、明確にはわからない。

http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/c/b76a28892b58e4049e4208c73f299ada

2)その交渉の落とし所は、おそらく尖閣は中国領と日本は認め、それ以外の日本が実効支配している沖縄とその周辺には、中国は一切権利を主張しないというところである。しかし、その合意を条約の形で確認できるのは、安倍総理ではないだろう。(2022/7/5時点での考え:現在は、この”落としどころ”にも中国は同意しないだろう。)

 

2年ほど前に書いた、「ハラースメントとは何か?ハラースメントと社会との関係も考えてみる」という文章が今日読まれていた。自分でも読み返してみて、非常に面白いと思ったので、注目部分を変えて再掲する。

 

今日面白いと思ったのは、(補足1)に紹介した動画とブログ記事である。補足は、インチキyoutube動画に騙されてブログ記事(「いいね」が10、コメント13)を書いた方に対し、コメント欄で「そんな馬鹿なことを信じなさんな」と説得したのだが、失敗したという話である。それは、「日本には議論する文化がない」という持論を補足するために紹介した。

 

その動画は、社会を混乱させようとしているのか、日本のネット環境の調査のために誰かが実験しているのかどうかは分からないが、日本社会に対する一つのハラースメントである。

 

以下、2020/10/22の記事中の(補足1)を再掲します。それに続いて、全文も再掲します。

 

ーーーーーーー2020/10/22の記事の補足1ーーーーーーーーー

 

昨日、「空気からエネルギーをとり、食事を取らなくても生きられる」ということを言う人がおり、その人のことを信じる方と議論になった。(私の方としては、説得に等しい)しかし、「議論とは口論ではなく、当事者二人で真実を探すことだ」と言ったが、それを聞いたその方は、椅子を蹴って去った。議論は、https://ameblo.jp/6317-513/entry-12631284170.html のコメントの欄にあります。興味のある方はご覧ください。尚、その方が信じる不食の人については:https://www.youtube.com/watch?v=R06K氏TfyzwP4

 

このyoutubeの方の本のコメントをみるのも面白いかもしれない。

ーーーーーーーーー以下2020/10/22の記事の再掲ーーーーーーーーーーーー

 

昨日朝のテレビ番組「グッドラック」で“ロジハラ”が議論されていた。ロジハラとは、正論を振りかざしてのハラースメントのことを言うらしい。このハラースメントという言葉が世界でも多用されているので、少し考えて見た。

 

1)個人の尊厳

 

他人の尊厳を踏みにじり、他人を騙し、自己の利益を暴力に訴えてでも優先するタイプの人は社会にかなりいる。そのような、他人の領域に鈍感なヒトは、この社会から何らかの規制を受けても当然である。そのような人の餌食となるのは、大抵威厳のない、体力的に弱く、優柔不断な人である。この世に生を受けたのなら、どちらのタイプにもなりたくはない。特に、後者のように虐められるタイプにはなりたくは無い。

 

学校教育では、両方のタイプを無くすることを目標とすべきであるが、日本では前者だけを問題視する傾向が強い。そのような「ナヨナヨ平和主義」が日本国の姿であり、GHQの検閲下で決定された戦後の学校教育の結果だろう。知的な人にはわかっていても改良できないのは、憲法の場合と同じで、日本人は何かを提案して、議論し改善することが、苦手な国民だからである。何度も言うが、日本は、議論と口論と喧嘩の区別が十分にできていない文化の国である。(補足1)

 

ここでの「威厳」を私流に定義すると、社会の中で、独立した人格の保持と、他人との健全な関係を保つ意思であり、人格を穢されることを防止する力となる。それは、知的、精神的、及び身体的に優れていることを前提にして、他の人と連携して社会(地域社会)の健全化に寄与するだろう。もし、規格外の迷惑な人物が現れれば、その矯正や排除は行政が受け持つべきである。(補足2)

 

また、個人としての尊厳を保つこと(=人格を穢されないこと)とは、他人からの迷惑行為や侮辱などから、自分の私的領域を守る事である。それらの行為は、犯罪と看做されない場合、「何とかハラースメント」と呼ばれることが多い。公私(パブリックとプライベート)の境界が明確でない文化の我が国では、様々なハラースメントがテレビなどで頻繁に議論されるが、誤解を多く含むようだ。

 

昨日のテレビ番組「グッドラック」での、ロジハラ(ロジカル・ハラースメント)のケース、仕事場でおこしたミスについて、上司からきつく叱責された場面だが、上記議論で区分けできると思うが、それは本来ハラースメント(迷惑行為)とは言えない。詳細は補足に譲る。(補足3)

 

2)社会とハラースメントとの関係

 

民主国家では、正当な理由なく、個人の尊厳を踏みにじることのない社会を目標としている。その為の法も、名誉毀損罪や侮辱罪など(を含めて)整備されている。勿論、行政や法人も処罰の対象となる。ただ、これらの犯罪成立要件は、公然と行われた場合である。(補足4)

 

つまり、公の空間でなされた侮蔑行為なら、対象となった人に代わってその人の訴えにより司法と行政がそれを罰する。(つまり、親告罪である。)しかし、一対一の閉鎖空間では、これらの犯罪は成立しない。その場合は、単に迷惑行為(ハラースメント)であり、法的処罰の対象とはならない。 

 

社会生活の中で、迷惑行為は必然的に発生する嫌なことだが、一定の範囲内なら話し合いを通して解決する(つまり、許し合う)か、互いに距離をとるかで解決すべきである。迷惑行為と片方が思っても、それが正当な行為である場合も考えられる。上記職場での「ロジハラ」のケースもその一つである。つまり、その“迷惑行為”はその方が現在適所に居ないことを示し、移動するきっかけを与えることになるからである。

 

社会での様々なハラースメントを話し合い等で解決することは、環境の改善とその能力を社会全体が付けることにつながる。迷惑にたいしてロジカルに苦情を表現する社会が、我慢して”ロジハラ”を避ける社会よりも、開放的で住みやすい環境に改善される。

 

この犯罪と迷惑行為の境界は、文化圏により異なる。個人では担いきれない“犯罪的迷惑行為”への対処は、国家行政の中で、その固有の文化に沿ってなされる。国家によってなされる社会の平穏と信用の維持は、個人の自由を束縛しない形でなされなければならない。

 

 

3)国家間のハラースメント

 

上記個人間のハラースメントなどとの類推で、国際関係を考えるヒントが得られる。その場合、上記個人は主権国家に相当し、法令は国際法あるいは国際条約に相当する。ただ、主権国家を罰する国際執行機関がないので、主権国家がつくる国際社会は、本質として野生の世界に近い。(補足5)

 

国際社会にも、威厳のある国家があり、他国と協力して、迷惑行為を解決する文化が積み上げられてきた。ハーグ陸戦条約やパリ不戦条約などは、その成果である。それでも、異質の文化圏から、西欧が積み上げた国際社会の文化を無視する国家が現れた場合、その迷惑行為、あるいは犯罪的行為の対象にされることのないよう、国家は軍事力と外交力を備えなければならない。最初に書いた”威厳のない、体力的に弱く、優柔不断な国家”であってはならない。

 

日本国について:

 

日本は、非武装平和主義という非現実的な憲法を、占領軍(米国)により与えられた。その後、同じ国の強制(あるいは、要請、指導)により、世界有数の軍隊である自衛隊を持ち、米国の戦略に協力する形で、自国の安全保障としている。主権国家とは言えない状況だと思う。

 

本質的に野生の世界にあって、現実的な主権国家になるには、憲法改正は必須である。しかし、最高裁は、「統治行為論」という訳のわからない理論をつくり、自衛隊の違憲判決を避けてきた。他国の利益を代表すると思われる野党(以前は社会党、今は立憲民主党など)の理想論の「ロジハラ」を、日本政府は最高裁と結託することでごまかしてきたのである。(補足6)

 

日本政府を形成する自民党は、家業の政治家の椅子に長く座るために、危険な(選挙で落ちる可能性がある)仕事をしないことを信条にする政治家で構成される。その一方、最高裁判所は、その行政府を怒らせて、弾劾されては有利な仕事を失う可能性があるから、阿吽の呼吸で行政府に忖度してきたのである。つまり、この国は西欧の真似をして作られたが、未だ中華圏の三権不分立の国である。

 

近隣の韓国や中国から、竹島や尖閣諸島を実質的に奪われても、両国によるハラースメントだと言って、日本国民の方を向いて苦情を言っている。北朝鮮に自国民を拉致されても、やはりハラースメントだとして苦情を日本国民に言っている。野生の関係の支配する空間では、善悪など存在しないことを知らない振りをして、ごまかしている。(補足7)

 

もし、合理的判断ができる行政組織と強力な軍を持っていれば、拉致はそもそも発生しなかっただろう。そして、従軍慰安婦や徴用工問題も起こらなかっただろう。これらは、日本国が愚かな小国として見なされているから生じたのである。

(午後5時20分、大幅に編集)

 

補足:

 

1)昨日、「空気からエネルギーをとり、食事を取らなくても生きられる」ということを言う人がおり、その人のことを信じる方と議論になった。(私の方としては、説得に等しい)しかし、「議論とは口論ではなく、当事者二人で真実を探すことだ」と言ったが、それを聞いたその方は、椅子を蹴って去った。議論は、https://ameblo.jp/6317-513/entry-12631284170.html のコメントの欄にあります。興味のある方はご覧ください。尚、その方が信じる不食の人については:https://www.youtube.com/watch?v=R06KTfyzwP4

 

2)ここで、人格を穢されないこととは(=個人としての尊厳を保つこと)、社会生活において、他人の攻撃や侮辱などから、自分の私的領域に属する部分を守る事だと思う。日本のように、公私(パブリックとプライベート)の境界が明確でない文化の国では、所謂ハラースメントと呼ばれる行為と犯罪の境界が明確ではない。

 

3)「グッドラック」では、仕事場であまりにも強く上司により正論的に叱責されて、うつ病になったという人が議論の対象になっていた。しかし、それが仕事上のことなら侮辱罪等にはならない。もし、それが我慢ならないなら、その従業員は職場を換えるべきである。(国家は、それが可能なように、仕事の流動性、同一労働同一賃金の原則を確保すべきである。) もし、上司が叱責過剰なタイプなら、その部門から優秀な人材が流出し、それに続く業績低下を、会社が組織として解決する筈である。それらが、会社の機能体組織としての成長につながる。叱責あるいはロジハラというが、本来正常な上下の情報交換である。その能力主義や円滑な情報交換が欠けているのが、日本病の原因である。

因みに、上記下線部の実現を邪魔するのが、経済のグローバル化である。この問題の解決と直結しているのが、今回の米国大統領選挙である。

 

4)侮辱罪は、刑法231条:事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。これは親告罪である。 名誉毀損罪は、刑法230条:事実(嘘でも)を提示して公然と人を侮辱した者は、3年以下の懲役または禁錮、50万円以下の罰金に処する。

 

5)国連安保保障理事会はそのような機能など全く無い。従って、国家が正常な国際的地位と活動を維持するには、出来るだけ強力な軍の保持と、集団的自衛権の行使が可能でなくてはならない。

 

6)統治行為論とは、「高度な行政の判断に最高裁は異論を挟むべきではない」という屁理屈である。これでは憲法問題は永久に発生しない。憲法改正を邪魔してきたのは、この最高裁の姿勢である。要するに仕事をしないで給与と名誉がもらえる最高裁判事にできるだけ居たいという、身勝手で売国奴的な姿勢である。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/10/blog-post_24.html

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/11/blog-post_6.html

尚、立憲民主の祖先にあたる日本社会党の党首、勝間田清一はソ連のスパイであった。共産党も同様にソ連の支持で動いて居た。

 

7)野生の世界では善悪は存在しない。このことを親鸞は、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」といった。つまり、食うや食わずの最底辺には、社会など存在しない。(以下参考事件:

イギリス船籍のヨットミニョネット号 (Mignonette) は、公海上で難破した。漂流20日目、船員の中で虚脱状態に陥った者を船長は殺害し、死体を残った3人の食料にした。母国に送還されると殺人罪で拘束された。イギリス高等法院はこの行為を緊急避難と認めることはできないとし、謀殺罪として死刑が宣告された。しかし、世論は無罪が妥当との意見が多数であったため、当時の国家元首であったヴィクトリア女王から特赦され禁固6ヶ月に減刑された。1884年7月の事件である。

ここでも高等法院よりも世論の方が正しい判断をしたことは、陪審員制度の存在理由だろう。)