米国国務省は、在ウクライナ大使館員とその家族の国外退去を月曜日にでも始めるようにと命じたようだ。(補足1)ロシアのラブロフ外相と米国ブリンケン国務長官の話し合いは今後も続くものの、国務省は最悪の事態を想定しているようだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=qRU_4ovEOcM

 

大変なことになりつつある。

 

ウクライナを反ロシアにするため、米国は以前から働きかけている。2014年、選挙で選ばれた親ロシアのヤヌコビッチ政権がクーデターで崩壊し、新たに親米政権が打ち立てられた。当時副大統領だったバイデンが対ウクライナ政策を担当しており、このクーデターに米国の関与があったと考えられている。ロシアに圧力を掛けるためであり、そして弱体化させるためである。

 

この政変は、ヤヌコビッチの汚職がひどいので国民の不満が爆発した結果だという風に日本では理解されているが、それは真の姿ではないだろう。このあたりの関係は、大前研一さんが解説しているので、引用する。https://president.jp/articles/-/53674

 

今回の騒動は、昨年秋、ウクライナとロシアの国境付近(ロシア側)にロシア軍が10万人ほど結集したことで我々が知ることになった。ロシアの目的は、ウクライナのNATO加盟の動きを牽制するためである。ウクライナがNATOに加盟すれば、そこに配備される米軍のミサイルの脅威にロシアが曝されるからである。これは、米国とロシアをひっくり返せば、ケネディ政権の時のキューバ危機にそっくりである。

 

ウクライナのNATO加盟は、2014年から計画されていたことだろう。そして、バイデン政権が昨年秋に何か新たな動きを始めたのだろう。現在、対中国で西側自由主義圏が結束しているときに、何故ややこしいことをバイデンは始めるのかと思う人が多いだろうが、バイデン政権は本来中国の味方であり、対中強硬姿勢はかなりの部分”見せかけ”の可能性が高い。(補足2)

 

実際、バイデンは119日、「ロシアによるウクライナ侵攻が「小規模」なら西側諸国の対応も小規模にとどまる」と発言し、ロシアのウクライナ侵攻をむしろ勧めているようにも見える。つまり、バイデン政権は、“悪人プーチン”に責任を押し付ける形で、紛争を引き起こそうとしているのだろう。https://www.bbc.com/japanese/60078342

 

プーチンがウクライナに軍を派遣した場合、ウクライナの米国大使館員の命が危なくなるので、早めにウクライナから逃げた方が良いというのが、今回の大使館員の退避である。プーチンは、この米国の動きからウクライナがNATOに加盟して米軍兵器を導入する事態が益々近づいていると感じるだろう。つまり、この動きもプーチンのウクライナ侵攻を誘う一環と考えられる。

 

米国支配層は中国よりもロシアが憎い。それは米中国交回復の時から明確である。表で中国を非難しながら、裏ではどう助けるかを考え、このような作戦を思いついたのかもしれない。上記動画にあるように、ウクライナ政府は米国の反応は過剰であるという声明を出している。このことからも、紛争を起こしたいのは、ウクライナやロシアではなく、米国バイデン政権だと解る。

 

今回の騒動の裏に、ロシアによる工作があるという考えを英国が発表しているが、それはその通りかもしれないが、英国から米国の作戦に対する援護かもしれない。兎に角、全てロシアが悪いという類の理解では、日本は外交を誤ると思う。

 

ロシアは現在、中国の味方のように見えるが、実際は潜在的敵国である。従って、米国が中露の連携を断つような顔をして、中国の味方をするチャンスである。それは、属国の日本を中国にプレゼントし、東アジアから撤退するという米国の筋書きで考えれば、日本の危機が近いことになる。

https://www.youtube.com/watch?v=T9tqsZUpNmU

 

2)余計な話として追加

 

因みに、バイデン政権の背後に何か強力な勢力が動いているようだ。その一つはグローバリストたちだが(ジョージソロスという個人レベルではなさそうだ)、彼らは伝統的なWASP主導の米国の息の根を今止めようとしているように見える。

 

例えば、バイデン政権は米国に大量の不法移民を招き入れる政策をとっているように見える。その光景は、我那覇真子さんがメキシコ国境で取材し、動画で流している。

 

 

最近のHaranoTimesの動画は、その不法入国を目指すキャラバンを、米国に到着するまで国連が面倒を見ていることを報じている。本当に恐ろしい動きが国際社会の表面にまで現れているのだ。

 

 

 

(11:30 編集あり;15:30 動画引用追加と少し編集)

 

補足:

 

1)FOX は国務省が命じたと報道し、CNNなどは大使館から要請があったと報道している。報道機関を色分けする場合、これは良くわかる傾向である。

 

2)米国バイデン政権の対中国の動きは複雑である。台湾を応援するように見えているが、その裏でオバマ政権の時の国務長官のケリーがしっかり中国と話し合っている。ケリーの義理の息子(デバン・アーチャー)とバイデンの息子(ハンター・バイデン)は、ウクライナと中国を舞台にして投資会社をつくり、多大のお金をウクライナと中国から受け取っている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12536039832.html

政府の新型コロナウイルス対策を議論する有識者会議「基本的対処方針分科会」の尾身茂会長は19日の会合後に取材に応じ、繁華街への人出を減らす「人流抑制」から、飲食店などの「人数制限」へ対策をシフトすべきだとの考えを示した。

https://mainichi.jp/articles/20220119/k00/00m/040/105000c 

 

この考えを受けて、岸田総理も「人流抑制から人数制限へ」と発言している。

 

ここで確認しておくべきは、人流制限にしろ人数制限にしろ、感染者からそれ以外の人への感染伝搬をどう防ぐかを議論していることである。(補足1)従って、上記方針変更が、オミクロン株における感染様式の変化と整合性がなければならない。

 

本稿の主旨は、オミクロン株が空気感染とも言える微細な唾液粒子によるエアロゾル感染(補足2)が、主なる感染経路であるとの科学的な報告と、今回の政府の方針転換は整合性がないことの指摘である。

 

 

人の流れがあっても大声を出さなければ問題ないと言えるのは、デルタ株以前の感染についてこそ言えることである。つまり、大粒の唾液粒子を介する感染なら、濃厚接触者(補足3)から感染が出る筈であり、隔離すべきは感染者と濃厚接触者ということになる。

 

また、サブミクロンサイズの微細粒子相手では、マスクの効果はマスクの種類に大きく依存するので、マスクをしていれば安心という通説には警告を与えるべきである。実際、どうして感染したのか不思議であるという証言が感染者から多く聞かれている。

 

この微細コロイド粒子を介する感染については、一昨年の7月に詳細に議論した。ここでは声を出すだけで、微細コロイド(エアロゾル)粒子が放出されることなど、科学的研究についても紹介している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12614123518.html

 

更に、オミクロン株では濃厚接触者に限らず感染するとした場合、濃厚接触者のところで線引きをして隔離の対象とし、同じ空間に居た大勢の人に制限を加えないという対策では、デルタ株以前のような効果は見込めない。同じ空間に居た全ての人を隔離するのでは、直ぐに我々の社会がその機能を喪失してしまうだろうと言うのなら、欧米のように濃厚接触者の隔離を諦めるべきである。

 

 

同様に、空気感染に近いタイプの感染症防止を念頭に対策するのなら、「人流制限に意味がなく人数制限に意味がある」という主張は成立しない。人数制限すべきなら、人流制限もすべきである。

 

もし、オミクロン株の被害がそれほど大きくならないで最終的にパンデミックが終るのなら、それはこれら日本政府の対策によるのではなく、一重にオミクロン株の弱毒性のおかげと言える。つまり、政府の対策は、ほとんど経済活動の弱体化と米国製薬会社等への利益運搬に寄与するするだけだろう。

 

2)旧型ワクチンの接種を推進する理由は何か?

 

冒頭に紹介した記事によれば、政府分科会は、ワクチン接種証明や検査の陰性結果を基に行動制限を緩和する「ワクチン・検査パッケージ」を停止する国の方針を了承した。尾身氏は、停止する理由を「オミクロン株で(ワクチンの)感染予防効果がかなり低くなっている」と説明した。

 

そして、パッケージ再開の条件は、ワクチンの3回目接種が進み「当初と同じようにワクチンが非常に有効だとわかったときだ」とした。これらの発言もふざけた話である。

 

今回、3回目接種に用いる予定のワクチンは、オリジナルなウイルスのスパイクタンパクを鋳型にして作られている。この古いタイプのワクチンによる感染予防効果がかなり低くなっていると把握しているのなら、このワクチン接種を推し進める理由は何なのか? 

 

3回目のワクチン接種は、ワクチンの副作用とオミクロン株への効果をできるだけ明らかにしたのちにしてもらいたい。これでは国民の多くが、これまでのような効果が期待できないにも拘らず、米国のワクチン製造会社への忖度もあって接種を進めるのだろうと思うだろう。

 

(16:00、補足3の追加、2、3の文章の小さい修正)

 

補足:

 

1)この当たり前のことの確認から、議論を開始する必要があるという正にその点が、政府と政府有識者会議の不十分な体制を証明している。

 

2)感染者一人が話すことで、エアロゾル状のウイルスを含んだ微粒子が放出され、それが部屋の中に広がる。同室の人は数メートル離れていても、同じ空気を吸うだけで感染の危険性がある。必ずしも濃厚接触が感染の条件ではない。アクリル板を用いた飲食店などでのシールドや、アクリル性のHフェイスガードは、感染防止の意味が従来株に比較して相当減少することも十分考えるべきである。

 

3)念のため、濃厚接触者の定義を書いておきます。(16:00に追加)
・患者と同居あるいは長時間の接触(車内・航空機内等を含む)があった者
・適切な感染防護(マスクの着用など)なしに患者を診察、看護もしくは介護をした者
・患者の気道分泌液もしくは体液などの汚染物に直接触れた可能性のある者
・その他:手で触れることのできる距離(1 メートル)で、必要な感染予防策なしで患者と 15 分以上の接触のあった者

 

日本では、一度出来上がった社会の枠組みを変更するのが非常に困難な国である。超保守的或いは超惰性の国のようである。誰かが現行制度を替えたらどうかと発言した場合、既に集団の一部には定着した制度なので、発言者はその反発を受け、結果として集団全体から疎外される。それが解っているので、最初から誰も何も言わない。(補足1)

 

提案は、個人の思いつきから出るのが普通である。しかし、その開始やその行事の枠組みの決定には、そしてその変更、廃止などにも同様に、集団での思考と決断が必要である。しかし、日本では集団での思考が極めて苦手である。その結果、一旦始まれば、その後不満があちこちから聞こえても、その枠組みから出られないのである。(補足2)


具体例をあげると、表題の成人式がある。戦後、人生での区切りを若者の意識してもらうために、つまり通過儀礼的な役割を考えて、どこかの地方公共団体が導入した行事だという。

 

古来その類の儀式として「元服の儀式」が存在するが、それは家庭で個別に行う。明治以降、徴兵検査が通過儀礼的役割を果たすことになり、日本帝国において集団としての活力の基礎となった可能性がある。戦後、スピリッツが抜けたような日本になったが、未来の日本を担うは若者が軟弱になってはならないとして、どこかが始め全国に広がったのだろう。

https://toyokeizai.net/articles/-/323616?page=2

 

しかし、現在、成人式は通過儀礼的な区切りとしての役割を終えている。若者には、入社試験(面接)や入学試験などと、その後の入社式や入学式が存在する。従って、式用の着物などを用意する親や、式典を行う地方公共団体が、多大の経費をかけてまで成人式を続ける意味など無い。

 

実際、TVは、女性は華美に振袖を着ること(補足3)、男性の一部はとんでもない行動でマスコミを賑わせることなど、末期の混乱状況を写し出している。同窓会の機会を提供することは若干のプラスだが、成人式に通過儀礼的な働きなど考えられない。その経費を子供が稼いで賄うのなら兎も角、全て親が持つのでは、社会に出たのちの覚悟を毀損する意味しかない。

 

しかし、一旦出来た社会の枠組み(制度)を廃止する能力は、日本社会には乏しい。その制度等の意味、コストやメリットなどを原点から考えて、中止するとか最良のものに適宜変更していくという意志と知恵は、社会のどこからも発生しないし、存在しないのだ。

 

2)自己無撞着化されていない日本の構造:(補足4)

 

ここで、リトマス試験紙の色変化から、大きな系全体を議論するのを真似て、視野を大きく拡大する。以上の日本社会の特徴は、明治に移植された近代西欧的機能社会或いは機能集団が十分に機能していないと総括できるかもしれない。

 

江戸時代までは、日本の文化は自身の歴史的背景と資源(文化的、人的)を基に、発展してきた。その社会の機能と構造は、独自に自己矛盾を自然に解消するように変化してきたと思う。

 

しかし、明治初期になって、西欧の文化が突然移植され、西欧の機能社会を真似て国全体が再編された。ただ、その社会に残る矛盾点の解消をするメカニズムをコピーし忘れたのではないだろうか。それは集団の中で議論する文化である。

 

江戸時代の日本は、武士による専制政治を採用しており、社会の枠組みなどを考えるのは武士の仕事であった。その文化が、武士個人を幼少より儒教的な素養を身につるように、命を賭けて組織の各層においてふさわしい役割を果たすように、教育した。

 

明治以降、それらの江戸までの文化とその機能社会における役割が十分考察されずに廃棄され、西欧の国民国家制度が導入された。四民平等は良いが、農工商に社会での役割を果たす様に、教育がされただろうか? 国民国家というがそれは嘘で、国民の命を消費財のように使う独裁国家ではなかったのか。 

 

この問題は、出来ればもう少し丁寧に考察したいのだが、現時点では、日本は積極的に社会の変革が出来ない“超保守的な国”となっていることの指摘で終わりたい。その結果、本来機能体として組織されるべき集団が、機能不全に陥っていると思う。

 

社会に自己変革のメカニズムが無くなれば、個人のレベルでも積極性に欠けるようになる。安全最優先で冒険を忌避するデフレ文化が定着し、それが日本の低迷の原因のようにも思う。余談だが、企業の創業者たちは、能動的である。米国のイーロンマスクや日本の前澤友作は、”宇宙旅行”をしたのが良い例だろう。(補足5)

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201070000255.html

 

人間は社会をつくり、互いに協力して生きなければならない。この機能不全をもっと重大なことと受けとめ、社会において能動的に生きる文化を築くことを考えなければならない。特に知的な層に属する人たちは、その責任を負う。リターンが少ない(或いは負のリターンを受けるかも)のは事実だろうが、そして責任の回避と他へのなすり付けは可能かもしれないが、国全体が枯れてしまえば自分たちも生活できないのだから。

(翌日午前、編集あり)

 

補足:

 

1)これは憲法改正という国家の大問題において既に明らかな事実である。この文章の集団の一部が何を意味するか考えると、ここのケースでの組織の矛盾が明らかになるだろう。
 

2)根本的な日本の文化的欠陥として、議論がまともに出来ないことがある。20日ほど前にもこの点について議論した。(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12717842129.html)

これまでの似たテーマの投稿を列挙する:

「沈黙の文化と言論の文化」(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514546.html);

「二つの宗教:自分が生きる為の宗教と他人を支配する為の宗教」(https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516112.html):

「言葉の進化論(1~3)シリーズ最後の文:「善悪に見る言葉の壁」

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12484224705.html

 

3)女子のほとんどが、成人式では振袖にふわふわの襟巻き、卒業式では羽織袴で、夫々着飾るのほとんどである。このような日本女子の、貧困な発想、貸衣装会社か和服屋の策略にむざむざと嵌った情けない姿には、非常に残念というか、腹立たしささえ感じる。

 

4)無撞着とは辻褄があっていることの意味。撞着とは、前後が矛盾することである。

 

5)国際宇宙ステーションから帰還した前澤有作氏の感想の言葉には実感がこもっている。「正直、無重力をなめてましたね」&「地球の1Gが、こんなに威力があるんだと再認識できました」という言葉である。アメリカの「アポロ11号」のニール・アームストロング船長が残した「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉のインチキ臭さと対照的である。もし、実際に月面を歩いたなら、一歩目が十分には出ないだろう。地上での歩行パラメータが入力されている人間の脳の司令では、重力が1/6の月面ではよろける筈である。

 

 

それに、無重力環境で足の筋肉が萎えている筈。日本は西欧(特に米国)の嘘をつく文化には未だ毒されていないことが救いである。