東大入学式に於ける映画監督河瀬直美さんの祝辞が批判されているようだ。相手にしていない人も多いのだろうが、一流大教授の批判であるから、一言書こうと思う

 

河瀬監督のウクライナ戦争についての言及:

 

「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?

(全文は補足1参照)

 

 

これに対する反応だが、慶應義塾大学の細谷雄一教授は、「ロシア軍がウクライナの一般市民を殺戮している一方で、ウクライナ軍は自国の国土で侵略軍を撃退している。この違いを見分けられない人は、人間としての重要な感性の何かが欠けているか、ウクライナ戦争について無知か、そのどちらかでは」と”厳しく”批判した。

 

東京大学の池内恵教授もTwitter上で、「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ないでしょう」とツイートしたという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/df7f783e908c159bcbaf4c5ec8282d90c32709e5

 

この二人の有名人は、「侵略戦争=悪」「戦争での民間人殺害=悪」という公式をロシアによるウクライナ侵略(TV報道の内容)に適用しているのだが、それはこれから東京大学に学ぶ若者に対する教育的な態度には程遠い。

 

公式をその適用範囲も碌に考えないで当てはめるのなら、中学生でも出来る。それに、この件に関するテレビ報道は客観性に欠けるかもしればい。更に、少なくともこの20年ほどの歴史的経緯を考えれば、この件に関する理解が変わる可能性もある。それらの配慮の跡が、これらの反論にはまったく感じられない。

 

これらの大学の先生たちも、公式を覚えそれを適用する教育を受けてきた末に、大学の先生になったのだろう。こんな人たちが一流大学の教育者であり続けることが可能な国に明るい未来などある訳がないと思う。(そもそも、大学の先生がこの問題に意見するなら、まともな文章にすべき)

 

善悪は宗教的概念である。キリスト教圏の善悪とユダヤ教圏の善悪が異なるように、何処でも成立する善悪の物差しなど存在しない。慶応大の細谷氏に「戦争で民間人を殺害することは悪である」の理由を問えば、国際法の公式集に書いてあるからというのだろう。しかし、世界の政治は国際法を基準に動いてはいない

 

前記事にも引用したのだが、ユダヤ教のラビ(つまり先生)である、米国サイモン・ヴィーゼンタール・センター(補足2)のアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

 

細谷氏は、現実の世界政治に大きな政治的影響力を持つこの組織の幹部の方のこの発言を消化吸収して、何か教訓を得ることが出来るのだろうか? このような発言を聞いて、それを現実の国際社会において日本に何ができるのか、考えることが出来るのだろうか?

 

水耕栽培のレタスのように、現実の世界から離れたところで教育をうけ、そのまま大学の先生になれば、このような愚かな批判をすることになるのだと私は思う。だいぶ前(2019年12月)に、日本の低迷に関連して「日本の景気低迷と情実人事」という表題で書いたことである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12556307937.html

 

2)ウクライナ戦争について:

 

ウクライナ戦争の歴史的経緯については、ロシアによる侵略が始まる凡そ10日前に書いている。そこに、NATOのウクライナへの拡大をゼレンスキーがあきらめれば、或いは欧米がウクライナをNATOに加盟させないと言えば、戦争は防げたと書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html

 

ロシアがウクライナに侵攻した日に、そのニュースを聞いた後、「ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった」という表題の記事の中に、今回の戦争の真相と思うところを書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12728559999.html

 

戦争の真相は、ウクライナの国民の命を用いて、プーチンのロシアを崩壊させるとともに、それを長引かせて、中間選挙で何とか勝とうと考える民主党の大統領一派の企みであると考えている。それは国際政治評論家の伊藤貫氏(在米)の考えと同じである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12735014774.html

 

ただ、ウクライナの大統領に雇われたユダヤ人ゼレンスキーにNATO加盟を諦めさせることなど、最初から無理な話だったのだろう。彼らにとっては、自分たちの新しい世界秩序の建設のためには、広島長崎で行ったような民間人殺害だけでなく、ウクライナで民間人が数万人殺されても、計算範囲内の小さい出来事なのだろう。

 

3)河野氏の祝辞について

 

この件、河瀬直美さんと上記大学の先生方との議論があれば、大変おもしろいことになると思う。議論の文化が定着していないのが、この国の政治的経済的低迷の原因として最大のものである。

 

河瀬氏は、上記発言に続いて「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」と新入生たちに訴えたと記事に書かれている。この方も左翼の愚かさに頭脳が侵略されているのだろうかと、最初は思った。

 

そこで河瀬直美氏の祝辞全文を読んでみた。そして、全体としてはなかなか良い内容の祝辞だとわかった。後に引用した②の次に、日本がこの戦争から学ぶべきことを付け加えれば良かったと思う。

 

この祝辞では、金峯山寺というお寺の方との会話を引用している。

 

「金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。」

 

この寺の紹介の後に、①と②の言葉が続いている。私は、この寺の管長の方との会話が、“この世界の全てが夫々の役割を果たすことで調和が保たれている”という仏陀の視点に沿ったものであり、今回のウクライナ戦争に対する議論に円滑に接合させるのは無理だと思う。その失敗が、上記のようなネットでの攻撃に繋がったのだろう。(補足3)

 

このウクライナ戦争で我々が考えなければならないのは、この件を考察して日本が今後の外交にどのように反映するかである。この日本を第一に考えるべきだとテレビで言ったのは、私の視聴の範囲では、あの一時期政治家だった杉村泰三さんだけであった。

(11:30, §3を加筆修正;18時小編集あり)

 

 

 

補足:

 

1)河瀬直美監督の祝辞を批判する国際政治学者らのツイートは以下のサイトにある:

https://news.yahoo.co.jp/articles/df7f783e908c159bcbaf4c5ec8282d90c32709e5

尚、河瀬氏の祝辞の全文は、以下のサイトにある。

https://www.j-cast.com/2022/04/13435229.html?p=all

 

2)サイモン・ウィーゼンタール・センター( Simon Wiesenthal Center)は、ロサンゼルスに本部を置き、ユダヤ人大量虐殺の記録保存や反ユダヤ主義の監視を行い、国際的影響力を持つ非政府組織である。

 

3)仏さんがあの世の入り口で、この世で殺人を犯した者に「人の世での苦労も、為した悪も合算すれば、全ての人間に大差はない。お前も極楽往生じゃ」と仰せになるとして、その論理をこの世の出来事にそのまま適用するのは間違いである。仏様には仏様の論理、この世にはこの世の論理があるのだ。つまり、お寺の管長さんの仕事上の言葉を、現実界の出来事に用いるべきではない。

ウクライナとロシアの戦争が続いている。この戦争を解く鍵は、ユダヤ系を中心にした第二次グローバル化の動きにあると思う。スイスの世界経済フォーラム(WEF)を基点にして、米国の富豪たちを含めた人たちによる政治権力のグローバル化の企みである。(実際、あの永世中立国のスイスが早々とウクライナ支援に動いた。https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/03/0ef07ca50bb1c3f2.html)

 

今回、7年も前に投稿したブログ記事「第4の権力と第5の権力」を再投稿することにしたのは、これらを深く考えるには、世界の権力の構造を知る必要があると思ったからである。改めて読み直し、ある種の恐怖を強く感じた。恐らく、「ホロコーストのガス室は無かった」という記事を掲載したことで廃刊に追い込まれたマルコポーロのHanada氏が持った気持ちと同種のものだろう。

 

あの廃刊事件は、ユダヤ人の団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」による文芸春秋社の説得(“脅迫”)による。「言論には言論で対抗するという原則」をあなた方はまもらなかったと抗議をした人に対するSWCの答えは、次のようだった。「SWCの圧力を暴力というなら、暴力は必ずしも恥ではない。この様な圧力は道徳にかなっており、質疑応答と同じくらい正しい行為とみられているのだ。」

 

このSWCの考え方は、「第二次大戦の敗戦国が行った象徴的な非人権的行為に対する現在の評価が絶対であり、再評価(つまり月刊マルコポーロの記事掲載など)は絶対に許さない」という姿勢である。そこでは法の不遡及や報道の自由という近代文明の原則も、適用除外となる。

 

この7年前の記事を今再掲するのは、今回のウクライナ対ロシアの戦争は決して短期には終わらないということを示しているからである。

 

現在、欧米からの物的知的さらには諜報を含む支援により、ロシア対ウクライナの戦争は、ウクライナ有利の情況で推移している。もしプーチン・ロシアがこの戦況下で講和をすれば、それは現在報じられている不利な情報は、全てロシアの戦争犯罪として後世に固定化されるだろう。

 

ロシアが否定しているマリウポリの小児科病院の爆破もブチャでの大量虐殺も全てロシアの戦争犯罪とされ、プーチンは21世紀のヒトラーであるという歴史が正史となる。その後、この考え方に異論を差し挟む者は徹底的に弾圧され、その弾圧が正義とされる。それは、上に太字で書いた文章において、第二次大戦が今回のウクライナ戦争(或いは、第三次大戦)に入れ替わることである。

 

ウクライナ人(多分、ロシア系ウクライナ人を念頭においてのことだろう)を解放すると言ってこの戦争を始めたプーチンには、それは耐えられない屈辱だろう。つまり、勝つか自害か暗殺かの道しか、プーチンには残されていないのである。

 

この様な「プーチンの排除がなければ、戦争は終わらない」という考えは、あのエドワード・ルトワック氏(「戦争にもチャンスを与えよ」の著者として日本でも有名;2017/7/1に感想を記事にしている)が、月刊Hanadaの5月号(3月下旬に発売)に書いた「戦争終結、唯一のシナリオ」という文章で明確に示している。

 

追補:

 

SWCに関する一つの文献を示す。「原爆投下を戦争犯罪と見做さないサイモン・ヴィーゼンタール・センター」 ここに、第二次大戦の歴史の見直しは許さないという姿勢が多くの例とともに書かれている。

 

この姿勢は、真理が明白だからではない。国際社会は強いものが勝つ世界であり、真理よりも最終的に力で決まる。力によって得たものは、力によってしか覆せないのだ。それが、この引用文献にあるように、「広島と長崎に落とした原爆による民間人虐殺も悪ではない」というSWCのアブラハム・クーパー氏の思想だと思う。

 
つまり、この人間社会の原点は、野生の世界である。「言論の自由」も「ペンは剣よりも強し」も文化的産物である。戦争にもクラウゼビッツ風の文化の中の戦争(ルトワックの「戦争にもチャンスを与えよ」の戦争)もあるが、第二次大戦は、これら文化以前の戦争であると勝者が決めたのだ。従って、この戦争での勝者には戦争犯罪は存在しないし、東京裁判は戦争の継続だったということになる。
(11時15分追加) 
 

 9:40,編集

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以下、2015/11/30のブログ記事を再掲します。

第4の権力と第5の権力

政治の三権は立法、行政、司法である。それに諸外国との外交によって、日本の政治は動いている。その表の存在は独自の動機に基づいて動いているのなら、純粋に民主主義で政治は動いていることになり話は簡単だが、現実はそうではなさそうだ。裏の政治的力として国内にはマスコミがあり、国外にはどこかからの資金あるいは意思により動く政治的団体が多くある。それぞれをここでは、第4の権力及び第5の権力と呼ぶ。

 

権力とは、ウィキペディアによれば、“何らかの「権力手段」、「基礎価値」をもつことによって、ある者が他者をその意に反してでも行動させうる、特別な「力」”と定義できるようだ。政治の世界で考えれば、権力手段と基礎価値は、それぞれ、行政機関などの政治的機関と民衆の意思により与えられる権威と考えられる。このように政治権力を考えると、上記第四の権力も第五の権力も、政治権力というより政治的力と呼ぶ方が良いのかもしれない(補足1)。

 

1)第4の権力:

 

第4の権力として、マスコミが議論されてきた。マスコミを権力と呼ぶのは上記「基礎価値」に欠けるので、厳密には間違いだろう。正確には第4の政治的力である。例えば、国会議員になるにはマスコミで名を売る必要があり、政治家を予定するものに政治的権威をあたえる機関とも言える。更に、より重要かもしれないのは、マスコミが国民に供給する情報にフィルターを掛ける能力がある。そのフィルターは独自のものもあれば、政府やその他の圧力団体からのものもある。何れにしても、国民の政治的判断に影響をあたえ、それが、従来の三権を間接的に動かすことになる。 

 

具体的には、例えば隣国の反日姿勢は、政府が行った教育とマスコミの増幅作用により、出来上がったものだと理解する。また、それに日本のマスコミが与えた影響も大きい。それに対する日本側の反応も、同様のメカニズムで作られたものである。歴史家を動員して過去の出来事を、その時点での価値観、風習及び文化に従って解釈し、それを両国民に提供すればこれほどの対立は起こらなかっただろう。

 

2)第5の権力:  

 

更に強力なPowerとして第5の権力が存在すると思う。それは国際的に存在する多くのNGO組織であり、外交ルートにはない国家内部に直接働きかける能力を持つ。恐らく、表に現れる部分と陰に隠れた部分があり、これらの幾つかは陰の部分でつながっているかもしれない。 

 

例えばアムネスティーインターナショナルという団体は、人権擁護を表看板にしているが、政治的な人権擁護活動をしているようだ。この件については既にブログに書いたが、要点だけ再録する。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42521533.html

 

同団体は、2003年に元日本軍慰安婦の人々の行動にたいする連帯を表明している。それを紹介する文章の中にアイリーン・カーン事務総長の言葉として、「従軍慰安婦の人びとは、拷問と性奴隷制の被害者である。そして、この件は民間人に対する広範かつ組織的な人権侵害であり「人道に対する罪」を構成し、時効等の法的な制限要素が当てはまらない」と書かれている。この件、詳細な調査を行った日本の歴史家が、上記の評価は正当でないという本を出している。しかし、そのようなことは完全に無視している(補足2)。この声明に対して私は、永遠に日本を非人道的行為の主体として、“牢獄”の中に閉じ込めようという政治的意思を感じる。

 

もう一つの例は、サイモン・ヴィーゼンタール・センター(Simon WiesenthalCenter; SWC)による月刊誌マルコポーロの廃刊事件である。この事件は、同誌が1995年2月号に「ナチ「ガス室」はなかった」という記事を掲載したことに始まる。海外にその内容が紹介されたところ、SWCの強い抗議を受けた。この抗議は当然のことではある。しかし、その後SWCは同誌に広告を掲載する企業に圧力をかけて、広告を引き上げさせ、親会社の文藝春秋をして、マルコポーロ2月号の回収、編集長の解任、マルコポーロの廃刊に追い込んだのである。http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc600.html

 

その後、SWCは廃刊になったマルコポーロの編集部員全員と文藝春秋の社員のために「ユダヤ人理解の為のセミナー」を、文芸春秋社の寄付金を用いて開催したという。このセミナーの2日目に、SWCに対して「言論には言論で対抗するという原則」をあなた方はまもらなかったという抗議をした人がいた。このベテラン編集者に対するSWCのバリッツアー博士の答えは、次のようだったという。 

 

「SWCの圧力を暴力というなら、暴力は必ずしも恥ではない。アメリカでは日常茶飯事のことである。アメリカの独立はボストン茶会事件(1773年)でのボイコットから始まった。アメリカではこの様な圧力は道徳にかなっており、質疑応答と同じくらい正しい行為とみられているのだ。」

 

このSWCの考え方と上記アムネスティー事務総長の意見とは、よく似ている。つまり、「第二次大戦の敗戦国が行った象徴的な非人権的行為に対する現在の評価が絶対であり、仮にその行為に関する記録に捏造があったという疑いが生じても、その行為に対する再評価は絶対に許さない」という姿勢である。そこでは法の不遡及や報道の自由という近代文明の原則も、適用除外となる(補足3)。

 

英米、英米に強い影響力を持つ勢力、そして、それらに追随する勢力は、“事実は一つしか無いのであるから、調査究明すべき”という考え方をする人をrevisionist(歴史修正主義者)と言って非難するのである。一時安倍総理も米国でrevisionistではないかと警戒されていたらしい。その後の姿勢の調整や米国議会での演説で、その容疑は晴れたのかもしれない。

 

以上から、国際NGO団体の幾つかは政治的に中立ではなく、連携してグローバルで強力な第五権力を主張しているように見える。

 

== 12/1 一部修正;なお、以上は素人が勉強のために書いた覚書です。あやまりなどあれば、ご指摘ください。==

 

補足:

 

1) 国際連合などの表の国際政治機関は、国家の行政が働く対象あるいは舞台と考える。

2)   このような声明が出ると、「詳細に調査すればわかることなのに、なぜ安易にそのような声明を出すのか」という不満が日本国内から出る。しかし、その意見はこの種の機関の本質がわかっていないナイーブな人のものだと思う。

3)   韓国は、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定し、それ以前の時代に親日であった人の財産を、法の不遡という原則を無視してとりあげた。また、親日人名辞典を配布して親日の韓国人を思想の自由など無関係に批判している。この韓国の近代文明無視のやり方は、アムネスティーやSWCのような国際団体に習ったのだろう。

(おわり)

ウクライナのゼレンスキー大統領は、キエフ郊外のブッチャでの民間人大量殺害を、ロシア軍による残虐行為として告発しているが、ロシア側はウクライナの自作自演を主張している。ロシアは、その件を国連安保理事会で緊急会合を開き議論すべきと提案したが、英米は却下したという。

ブッチャでの民間人殺害が、ロシアの犯罪を捏造するためにアゾフ連隊のようなウクライナ内務省所属の所謂ネオナチ(補足1)が行ったものなら、英米とその手下として動いているゼレンスキーにとっては都合の悪い真実と言うことになる。

4月4日のロシア独立系新聞のThe Moscow Timesによると、「ウクライナ過激派のロシアに向けた凶悪な挑発行為(つまり自作自演の虐殺)に関連して、4月4日月曜日に国連安保理事会の緊急会議を開く様に要請した」とロシアの国連次席大使であるドミトリー・ポリャンスキーは日曜日(3日)にツイッターで語った。

これ対して、ワシントンの高官は、(ロシアは)見せかけの怒りを表明しているとロシアの国連での動きを強く非難した。(A senior Washington official swiftly slammed Moscow's UN move and said it was designed to "feign outrage.")

https://www.themoscowtimes.com/2022/04/04/russia-seeks-un-security-council-meeting-on-bucha-ukraine-a77194

これと同じ内容は、及川幸彦氏によるyoutube動画で紹介された。https://www.youtube.com/watch?v=qD8o09-UWII

 

 

この動画では、4月5日の英国の左翼系新聞のMorning Starの内容を紹介している。及川氏は、ロシアによる安保理事会緊急会議の開催要求を議長国の英国が却下したと解説している。

Morning Starの記事は、以下のように書いている。

 

クレムリンの報道官ドミトリー・ペスコフは、ロシアを標的にした罪状を否定した。そして、
「この情報は真剣に調査されなければなりません。私たちが見た映像などから、私たちの専門家はビデオの改ざんやその他の偽造の痕跡を特定しました」とモスクワの記者団に語った。

ロシア国防省は、ブチャの虐殺は「マリウポリ産科クリニックの場合(補足2)のように、ウクライナのゼレンスキー政権が西側メディアに向けて捏造したものである」と主張した。

https://morningstaronline.co.uk/article/w/russia-blames-britain-for-blocking-un-meeting-to-discuss-alleged-war-crimes-in-ukraine

本記事は、及川氏の動画において用いられた情報のオリジナルを確認するために書いたものです。

 

補足:

 

1)アゾフ連隊は、ゼリンスキー大統領を応援したオリガルヒのコロモイスキーが所有した私兵部隊であった。しかし現在では、ウクライナ内務省管轄の国家親衛隊の中に組織されている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4435d40d5ece106952c0216b84c3ce42a0cd82c7

ロシア系の人々を相手に暴力的な衝動を発散させたいアゾフ連隊と、ロシアに支援されたウクライナ東部を攻撃したい新ウクライナ政府の利害は合致し、アゾフ連隊はウクライナ国家親衛隊に組み入れられたのである。https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/21097 

 

2)この件は3月13日の記事に書いている:

 

(4/10早朝軽微な修正あり)<以上>