昨日の及川幸久さんのyoutube動画で、ポーランドからフィンランドの対ロシア国境にNATO軍が終結しつつあることから、現在世界は第三次世界大戦の危機にあるとの解説がなされていた。NATOグローバリストの手先としてポーランドの大統領が動いているという話であった。

https://www.youtube.com/watch?v=UTgB5G7bDEo

 

 

第三次世界大戦になればポーランド国民のかなりの数はロシアの戦術核で殺されるだろう。ポーランドのアンジェイ・ドウダ大統領の言葉は、「今こそロシア帝国主義に歯止めを懸けるべきだ」は米国グローバリストのプロパガンダのオウム返しであり、日本の岸田首相の言葉と殆ど同じだ。

 

今日のポーランド国民の危険な情況は、明日の日本国民の危険な情況でもある。米国グローバリスト(ネオコン)勢力の仕掛けた危険な罠に、ポーランドも日本も落ちようとしている。宗主国米国によって利用され滅びる家畜の様な国々である。

 

ポーランドの危機は米国との軍事同盟NATOに入った時に始まったと言える。NATOは一見東欧の安全確保の為にあるように見えただろうが、本当は米国が東欧を思い通りに利用するための同盟である。ポーランドも日本も、キッシンジャーの次の言葉を思い出すべきである。

 

米軍が南ベトナムの傀儡政府を見捨てて撤退する時、キッシンジャーは「アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である」と言ったという。南ベトナム政府は命をかけて戦うが、米国は利害を考えて戦う。敗戦の可能性が大きくなったところで撤収するからである。

 

第二次大戦後、殆どの戦争は米国の利益のために工作され、実行された。従って、米国との軍事同盟は将にキッシンジャーが言う通り、致命的なのだ。何故そのようになるのか? それは米国と友人になることは、米国に隷属することを意味するからである。

 

以下、日本の米国隷属について考える。

 

 

1)日本の米国隷属へのロックインプロセス

 

日本のこれまでの政権与党は、「民主主義と自由を途上国に移植する米国」という米国のプロパガンダと諸外国への侵略行為を無条件に崇拝してきた。そしてそれを、著名な評論家やマスコミ人たちは言論の面から(補足1)、野党政治家たちは国会での慣れ合い政治でそれぞれ支持してきた。

https://www.youtube.com/watch?v=IpK8qqA96eo

 

 

米国は、第二次大戦後、ベトナム、アフガニスタン、イラン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなど世界中で内戦を引き起こし、或いは内戦に介入して来た。(補足2)CIAと米軍が行ってきたそれらの工作を、日本政府は100%支持してきた。(詳しくは動画参照)

 

この米国政府への隷属は、戦後の占領政治の連続線上に徐々にロックイン(固定;補足3)された日本の政治路線である。米国追従さえしていれば自分の地位が安泰であるという自民党政治家の利己主義と成功体験がそのロックインの谷底に導くエネルギーであった。

 

その自民党の拝米姿勢採用は、当初は日本国民にまともな生活を与えたいという動機からだったとしても、そのロックインの過程で金と力のみが意味を持つという米国の政治姿勢も取り入れ、現在の売国政治となって結実した。

 

米国への隷属政治を「自主憲法制定は党是」と語る自民党に、憲法9条で世界平和に貢献するという空論を掲げて反対するという国会での慣れ合い議論(補足4)で隠蔽して、国民に見せて来たのが戦後の日本政治であった。従って、日本社会党などの野党も同罪である。

 

現在のようにインターネットがある訳ではなく、両政党の御用新聞(例えば読売と朝日)しかない過去の日本人は、それをなれ合い漫才ではなく真剣な政治の議論として聞いてしまった。その後の世代は、生まれながらにその環境にあり、米国グローバリストの戦略通りの道にロックインされた。

 

 

2)アンロックのチャンスは20世紀に二度あった:

 

終戦直後、日米安保体制に完全依存することは必然だった。しかし、それを主権国家として不健康であると常に意識するまともな政治家なら、そこからの主体的な脱出(アンロック)を歴史が流動的な時に考えるだろう。

 

実際、その後の78年間にチャンスは二回あった。最初のチャンスは、サンフランシスコ講和条約直後である。日米安保条約は、相互防衛条約として維持すると言い訳でき、差し当たり解消の必要はない。1952年に直ちに行うべきだったのは、憲法改正である。

 

それを怠ったのは、吉田内閣の犯した日本の歴史上最大の罪である。吉田の父親(育ての親)はジェイソン・マセソン照会の横浜支店長であったので、生まれながらのグローバリストだった可能性が高い。つまり、元官僚の吉田は、日本の味方ではなかったのかもしれない。

 

もう一回のチャンスは、冷戦が終結した1991年からの数年間だった。しかし、その1991年から宮沢、細川、羽田、村山、橋本と、リーダーシップのない人たちが総理大臣を務めた。そして最重要な憲法改正が、小沢一郎の政治改革にすり替えられたのである。

 

その時、小沢一郎の面接を受けて総理大臣になった元官僚の宮沢喜一は単なる学校秀才であるが、自分で思考の枠を設定し直すなど、場合によっては原点からの思考(哲学的思考)が出来るレベルの能力を持ち合わせていなかった。元官僚にはこのタイプが多く、大改革など出来ない。

 

日本はドイツとは異なり、大日本帝国の延長上にあったので、敗戦の責任を政治家全員がとるべきなのだが、戦前の政治家たちが引き続いて政治を担当した。能力を具えた者たちは、占領軍のパージにあっていたのだが、それ以外の者たちは占領軍の意を汲んで、隷属する道をとった。

 

日本の戦後の政治家は敗戦の教訓を生かすことなく、戦死者300万人を無駄死にした。そして占領軍は、まるで除草剤を散布するように日本社会から国家意識を奪い取る政策をとった。その結果日本国民も、政治家同様に完全に米国隷属路線にロックインされてしまったのだろう。

(以上、伊藤貫氏の動画を参考に素人ながら独自に再構成した)

 

 

3)日本存続の危機と米国隷属からの脱却

 

伊藤貫氏は戦後日本の外交は、護憲左翼の5歳児と親米保守の10歳児の間の議論の結果として、決定されたきたという。https://www.youtube.com/watch?v=pwDkY3uOA_Y 

(最初の5分ころまで)

 

つまり、日本の米国隷属の道での政治も、賛成側と反対側の議論の結果のような形でなされた結果、その政治の異常さが国民によって殆ど見破られなかった。新聞などマスコミを支配するのは、日本国民ではなく、日本のこのような政治を支持する勢力だった。

 

ただ、政治家のレベルはこの程度であるので、米国隷従路線からのアンロックは国民の多数が政治に目覚めれば可能な筈である。現在、多くの国民はインターネットにアクセス可能になっているので、判断能力さえ持てば、無数の情報源から様々な有益情報を得ることができる。

 

一般に長期間ロックインされていた情況から逃れるには多大のエネルギーを要する。しかし、その固い障壁が混乱の時代には不完全となる。現在の国際政治は終戦後最大の第三次世界大戦の危機にあると言われ、混乱の時期を迎えている。

 

最初に書いたように、日本にとっても非常に危険な情況だが、それは日本にとって米国隷属からの脱却の機会でもあるだろう。この危機を乗り越えるために、そして危険な米国隷属から脱却するために、優秀で自己の利益を越えた政治を志すような人材を政界に送らないといけない。

 

今朝の原口一博衆議院議員の動画を引用する。立憲民主でもこのような人がいる。かれらの党を超えた連携に期待したい。「自分が第三次世界大戦を止めてみせる。」トランプさんが言っている事を本気で考えなかった世界に…。そこにある危機。2023/08/13 - YouTube

 

 

補足:

 

1)代表的人物に、佐藤栄作のアドバイザーの高坂 正堯 、中曽根政権の時の佐藤誠三郎、元外務省の岡崎久彦、日本会議の田久保忠衛、産経新聞の小森義久などの人々がいる。彼らはそれぞれ知的に優秀であるとされる。例えば、高坂正堯は政治学者の猪木正道に師事。猪木は高坂の没後に、「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と回想している 。(ウィキペディア参照)

 

2)例えば、大量破壊兵器を作って保持しているとの嘘を付いてイラク戦争を始め、善政下のリビアに内戦を引き起こしてリーダーのカダフィ大佐を殺した。また、民主的に選ばれたヤヌコビッチ大統領が統治するウクライナに内戦を引き起こして介入し、大統領を追放した。

日本のマスコミは米国政府のプロパガンダを常にオウム返しする。現在ウクライナは有利に戦争を戦っていると嘘の報道をしているが、「あと3か月程たてば、日本のマスコミもウクライナは勝てないと認めだすと思う」と伊藤氏は語る。

 

3)ロックインは英語のlock inからきている。経済の分野でのロックイン効果とは、消費者があるメーカーの商品を購入した場合に、商品を買い換える場合にも引き続いて同じメーカーの商品を購入するようになり顧客との関係が維持される効果をいう。

 

4)自民党の考える自主憲法には自衛軍が書かれることになっているので、社会党は非武装中立を掲げる憲法を守る護憲政党として、自民党と対峙する姿勢を演じる。それは慣れ合いであり、国会議員としての職を維持するための方便である。そのような与野党のなれ合いが、日本を米国への隷属政治にロックインした。

(8月14日am、3節の表題を「おわりに」から変更;表題の一部変更;最後の節をstrike out)

 

 

日本は敗戦から78年目の8月を迎えた。79日は長崎に原爆が投下(補足1)され、皇居では深夜御前会議が開かれた。(ウィキペディアには、710日午前03分開始とある)そこでの会議の様子を紹介した動画が、百田尚樹さんにより提供されている。

 

 

この御前会議の参加者は、昭和天皇を筆頭に、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、枢密院議長、総理大臣(司会)である。その他、随伴者として書記官長などが居た。ポツダム宣言を受諾すべきかどうかの決定を行う会議である。

 

ポツダム宣言受諾は最終的には814日の全閣僚が出席する御前会議で決定されるのだが、その内案を作り上げるためである。(補足2)議論の詳細は紹介されていないが、受諾賛成が外務大臣、海軍大臣、枢密院議長の3名、反対が陸軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の3名であった。

 

その二時間程の会議中、昭和天皇は一切口を挟まなかったので、その対立は全く収まる気配がなかった。そこで、司会役の鈴木貫太郎内閣総理大臣の判断により、天皇の「聖断」を仰ぐことになった。

 

天皇が会議において一切口を挟まなかった理由を、百田尚樹氏は「天皇が会議に口を挟めば、立憲君主制の国体が崩れて、絶対君主制になってしまうと昭和天皇は考えられていた」と 解説している。

 

しかし、この解説はちょっとおかしい。大日本帝国憲法第一条には、天皇が統治すると明確に書かれている。この会議は天皇が決定するために軍と外交の責任者に意見を聞くために開催された。会議出席者の意見が大日本帝国憲法の記述する輔弼行為であり、それを受けて、天皇が憲法の規定通りにポツダム宣言受諾を決定したのである。

 

昭和天皇が会議において議論に参加しなかったのは、その強い影響が参加者の意見を歪めてしまう危険性を考えたからである。

 

個人が十分に独立した人格を持ち、発言と行動の自由が保障されなければ、政治権力は集中する。明治当初は、天皇の地位もそれほど高くなかったのだが、昭和の大日本帝国では実質的に絶対君主のように高くなっていたのだろう。

 

その実質絶対君主が無理やり立憲君主制の利点を生かすため(所轄大臣の輔弼を意味ある形にするため)に、天皇は会議での議論に参加しなかったのである。(#)

 

この会議が終わるころ、参加者全員が涙を流すか、或いは号泣したと百田さんは話す。その解説を聞きながら、日本人の本質がわかったように感じた。その性質は、実はほとんど全ての人間が持っているのだが、日本人において非常に顕著なのだ。

 

つまり:人間は本質的に家畜である。犬や猫のような愛玩的家畜となって、個人の枠の中だけで自由に振る舞いたい。その方が楽だからだ。その時本会議の参加者たちの全面を支配したのが、その人間の一側面である。その涙が、その瞬間だけだろうが、彼らの重い責任を流してくれたのだ。

 

日本人の殆どの人たちは、天皇の家畜となり、天皇に愛されたい。そして、天皇に神のような力があれば、日本国民すべての生活と将来は保障されるだろう。昭和天皇は見事にその役を引き受けたのだろう。

 

 

補足:

 

1)日本が降伏しない場合、米国はその次の原爆を用意していた。年内に恐らく2-3発投下されただろう。3発目の原爆はどこに落とされる予定だったのか【東京、新潟、皇居】 - YouTube

 

 

2)天皇が考えをまとめるために開いたのが8月9日~8月10日御前会議であり、それを告知したのが8月14日の御前会議だろう。全閣僚がオープンに議論して、その結果を参考にして天皇が決断するという会議の在り方に程遠い。

(編集 9:10; 8月11日早朝、#までの2つの節を編集;8月19日7時、本文最後の方に青地で“日本人において非常に顕著なのだ”を追加し、あと一カ所微修正)

 

 

 

8月6日は広島原爆の日。記念式典では、松井市長の平和宣言で「核抑止論からの脱却を」という核兵器廃絶の訴えがあったと、中国新聞他多数のマスコミが報じている。(補足1)

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/343165

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230806/k10014154771000.html

 

 

この平和宣言文の中心は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」という主張である。(以下赤字は平和宣言中の言葉)

 

この文章中の「核の威嚇の存在は核抑止論の破綻を意味する」という部分は、理想論展開のためのごまかしであり、その論理こそが破綻している。それは、歴史と現実に学び、論理的に自国に平和を実現する方法を考えるというタイプの宣言ではなく、所謂空理空論の類である。

 

「核兵器を持てば、他国から核爆弾を落とされる可能性は低くなると同時に、核兵器で脅されることも防止できるだろう」という核抑止論は、核兵器の廃止が出来ないということを踏まえての現実論である。

 

核兵器廃絶がほとんどあり得ないのは、デジタル機器の廃絶やAIの廃絶があり得ないことと同じで、時間を過去に向かって進めることが出来ないということである。

 

 

2)広島に核廃絶は無理である:

 

ビーカーに一滴のインクを撤下した時の光景を思い出して貰いたい。インクは徐々にビーカーの隅々まで拡散し、一日も経てば全体を薄く色づけるだろう。世界に核兵器が広がるのは、インクの拡散と同じ自然な現象である。

 

インクを水から分離するには、吸着剤を投げ入れる必要がある。強力に吸着する化学的力を利用することで、インクの着色分子を取り除くことは可能である。単に平和文化や非核三原則をお経の様に唱えるだけで出来る訳が無い。強力な力が必要である。

 

広島が核廃絶の中心的力となると言うのなら、その巨大な力をどのようにして獲得するかを考えるべきである。もっと厳密な論理を用いて広く深く思考しなければ、仮に神が核廃絶のプロセスを用意してくれても、見つけることは不可能だろう。

 

一歩下がって頭を冷やし、貴方は何のために核廃絶を望むのですか?と自問自答すべきである。(補足2)それは、①「私と家族が平和に豊かに暮らすため」なのか、②「我が民族が平和に豊かに暮らすため」なのか、それとも③「全人類が平和に豊かに暮らすため」なのか?

 

それぞれの目標設定に対して、核兵器に関する別々の答を思いつくだろう。核抑止論は、②の目標設定での一つの答であるが、③の目標設定ではない。③の目標設定に対する答えは核廃絶である。つまり一つの敗戦国の地方都市の市長が、出来もしない③の目標設定を宣言しているのである。それは、広島と救世主イエスとを同一視するナルシシズムの所為なのか?

 

人間の歴史は、先史時代から部族と部族の殺し合いで始まり、主権国家間の戦争という形に変化している。歴史とは、それら多くの殺し合いが、章や節で区切られた文書である。どのように目標設定するにしても、先ずは、その歴史を冷静に復習することから始めるべきである。

 

 

3)平和への道

 

近代は、人種差別を乗り越えて世界中の多くの民族を主権国家として独立させ、民族自決の原則を各国が確認することで終わった。その中で、多くの戦争と犠牲者を出した。その後の世界の歴史としてグローバルな社会を考えるのは自然である。しかし、それは個人ではなく主権国家を構成員とすべきである。

 

つまり、全世界を単一の政治権力で束ねることは、〇〇〇の恐怖政治を想定しない限り無理である。その理由は、地球は均一ではなく、その表面で生きる人間の生活と歴史も広く分布しているからである。

 

政治制度で考えても、社会主義をとる国、“皇帝”による独裁国、民主主義を標榜する国々などが存在する。その地球世界を、例えば50年位の短期間の内に単一の政治権力で統合するには、恐らく、核戦争で人口の50%程度が死滅する位の恐ろしい歴史の一章が必要だろう。

 

そのような大変革を目指しているのが、〇〇〇の一派でありグローバリストと呼ばれている人たちだろう。それと対立している勢力が、民族主義者と呼ばれる人たちである。米国ではトランプ、ロシアではプーチン、中東サウジのムハンマドなどである。

 

インドのモディやトルコのエルドアン、そして 日本の安倍元総理なども、思想的には民族主義者だ。現在、多くの民族主義者は、暗殺の対象となっているだろう。実際、安倍元総理はグローバリストが牛耳るある国のCIAにより殺されたと国際政治評論家の田中宇氏は言う。

 

 

 

現在、グローバリスト勢力は、これまでにため込んだ金融資産を使って、民族主義者を疑似民主的インチキ選挙などで落選させ、戦前の大日本帝国や米国FBICIAを用いる米国現政権のように、司法を武器化してグローバル単一政権樹立を目指している。

 

このような巨大政変では、気が付いた時には殺される時か籠の中の鳥状態にされているかのどちらかだろう。今世紀の戦争から平和への道は、次期権力者が不要な人と国を破壊しつくして、更地にすることである。

 

中国の少将であった朱成虎は、世界の人口削減のために、人口密集地であるインドや日本を先制核攻撃するべきだと言った。それが朱成虎が考えた中国の為の平和への道である。

(ウィキペディアの朱成虎の項目参照)

米国民主党政権にとっての平和への道は、広島を原爆で破壊することだったことを知るべきだ。(補足3)

 

 

4)インド独立の父、チャンドラボース

 

平和宣言の中で松井市長は、かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残していますと言った。

 

その紹介の前に、松井市長は次のような歴史を勉強すべきだ。ガンジーは、イギリスが掲げていた植民地支配の正当性を砕くため武力によらない抵抗運動を行ったが、結果的にはイギリス軍によるインド人の無差別虐殺が発生した。(ウィキペディア参照)

 

一方、チャンドラボースは、「真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ」と言って、武装により独立を勝ち取るべく旧日本軍とも協力して英国と戦った。インドが伝統的に親日

的なのは、インパールなどで共に戦った歴史があるからだろう。

 

因みに、チャンドラボースは1945年に日本の敗戦直後に飛行機事故で死亡し、台湾で荼毘に付された。インドでは、"いまだボースは生きている"と信じている人が多く、その所為か彼の遺骨は 東京都杉並区の蓮光寺に眠っているという。

 

 

ガンジーの理想論を母とし、チャンドラボースの現実論を父として、インドは、独立を成功させたといえる。両者とも、血を流す覚悟の上での独立運動だっただろう。そのインドの政治段階を日本は未だに回復していない。

 

平和宣言では、「平和文化」を世界中に広め、為政者の心に届かせることで、武力によらず平和を維持する国際環境の醸成を目指していると言う。それは、米国によって日本を無力化する戦略の一環として強要された“平和憲法”の思想そのものである。

 

 

終わりに:

 

日本民族が50年後に平和裏に存続するためには、上記のような幼稚な“平和思想”を乗り越えなければならない。しかし、それはなかなか困難なように思う。何故なら、松井市長の平和宣言を批判する記事、この国のマスコミには皆無であり、彼らは全て山本七平が言う”日本教”の信者だからである。

 

日本人の殆どは、式典の中でも日常の中でも、空虚な言葉のなかで生きている。山本七平は実体語と空体語ということばでこの日本の言語文化を表した。実体語は現実的な言葉で空体語は理想論である。日本人がその二つに頼るのは、理想と現実の橋渡しを論理的に行えないからだろう。

 

山本七平によると、全ての人間はこれら実体語と空体語の支点に位置し、その支点が空体語に近い程価値の高い人間だと見られるという。その結果、日本人の殆ど全ては、葬式や法事での坊主のお経(音読み漢文)をありがたく聞いているのである。私はこの習慣が嫌いである。

 

(8:00 編集;12:15 編集、補足3に数行追加)

 

 

補足:

 

1)以前にも平和宣言について書いたことがある。少し異なった議論が出来たと思う。

 

 

2)平和の実現などの方法ではなく、「核兵器が憎いのだ。従って、核廃絶が最終目標なのだ」とは言わないだろう。しかし、今回のような平和宣言や核廃絶を訴える人たちの話を聞くとき、そのような心理で発言されているのではないかと疑ってしまう。

 

3)米国の圧力団体として有名な米国サイモン・ヴィーゼンタール・センターのアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人に対する対応;シモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。

もう一つの例を追加する。8月6日の日曜日のザ・プライムで、被爆者の小倉桂子さんの言葉が紹介されていた。米国を訪問した際、ある方から「原爆を落とされてよかったね。一億の人が自決しないで済んだもんね」と言われたと話していた。(15:30、編集)