その部分を抜粋すると、
「往生は、一定(いちじょう)と思えば、一定。不定(ふじょう)と思えば不定なり、といはれけり。これも尊し」
これを解釈すると、
(法然上人が語ったところによると)「極楽往生が出来ると言えばできるもの。
出来るか出来ないかわからない、と思っていると、どうなるかわからないものだ、と言われた。
これも尊い言葉である」となる。
『徒然草』で取り上げられる人間は、たいてい否定的に描かれているが、
この「わかったかわからない」言葉を、著者である吉田兼好は「尊い言葉」として表現している。
法然が浄土宗の布教をした頃は鎌倉時代初頭。
吉田兼好は鎌倉時代の末期。相当な時代の隔たりがある。
それだから、このようにベタホメすることが出来るとも言える。
同じ時代に生きた人を信頼するのは難しい。
よく言われることだが、
イエス・キリストは遠い街に出かけて布教すれば、人々はイエスを信じて従ったが、生まれた地ナザレでの布教は難しかったとある。
「立派なことを言っていても、ヤツは大工の倅(せがれ)じゃないか?!」というところでもある。
アルゼンチンの元サッカー選手・ディエゴ・マラドーナ氏は、
「神の手ゴール」や「五人抜きゴール」などゴールを量産。まさに伝説的人物である。
ただ生きている間は、薬物疑惑などゴシップネタの大いなる供給者であった。
アルゼンチン代表監督も歴任したが
思うような結果を上げることはできず2020年に死去。
生きている間は、胡散臭さが残っていたが、亡くなってより伝説だけが蘇ったのか、
各地で銅像が造られたりした。
その一つ、2022年にスペインに誕生した像には誰しも驚いた。

それほど遠い昔でもないのに、似ていないにもホドがある。
「笑っている場合ではない!」
本人なら草葉の陰からそう叫びたいに違いない。
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